01 昇天
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後書きに登場人物一覧があります。
「っうぅぅぅ…かはっ…」
突如として沸き上がった嗚咽と、ガタリという大きな音が静寂を破る。日向にいたコマドリが驚き、俊敏に飛び去った。音の方を見れば、一人の令嬢が口から大量の血を吐き出し、机に突っ伏していた。膝の上にあった本が、ゆっくりと落下する。幸か不幸か、血溜まりを避けた地面に転がり、開いた頁が風で少し揺れている。倒れて動かない令嬢が呼吸をしていない事を確認すると、唇に笑みを湛えたまま、一つの影が足早に立ち去って行った。
ジョルダン王国の王立学園、その庭園にある東屋で起こった出来事だった。
少し後に、人目を憚るようにやって来たのは、エルランジェ公爵家子息のダニエルとラシュレー男爵家令嬢のジャクリーヌ。二人でそれを見つけてしまい、逃げる様に立ち去った。知らせを聞いた教師達が助けに駆けつけた時は、既に心臓は止まり身体も冷たくなっていた。
その日、ヴェルレーヌ伯爵家令嬢ルネが、16歳目前という若さで儚くなった。それは学園中だけでなく王国の貴族中へ、あっという間に知れ渡った。
後日、王都にあるヴェルレーヌ伯爵家のタウンハウスにおいて、ルネの葬儀が行われた。ルネの婚約者であるダニエルを筆頭に、交流のあった貴族の子息令嬢が彼女との別れを惜しんだ。だが数は少なく、参列している者も、心の底から悲しんでいるとは言い難く、むしろ喜んでいる者もあったかもしれない。
何故なら、ルネは陰で『厄介な婚約者』と呼ばれていたから。政略的な婚約で人気者のダニエルを縛りつける、性悪なルネがいる所為で、彼は心から愛するジャクリーヌと一緒になれないのだと学園においても評判だった。ジャクリーヌは、煌く淡い金髪に晴れた日の青空のような瞳が真っ白な肌に映える、人形のように可愛らしい女性である。彼女が微笑めば、男女を問わず虜にならない者はいなかったし、誰もがジャクリーヌを守るべき対象だと考えていた。それに比べ、ルネは釣り目がちで温かみのない金色の瞳に、勿忘草の青い髪色で美人ではあるものの、どこかしら冷たく意地悪に見られた。本人も、その事を気にしていたが、生まれ持った資質ゆえ、これが私だと受け入れていた。
ルネが安置された部屋からは、人が徐々に退室していく。その中で最後まで残り、棺の中のルネを見つめるダニエルの傍へ、一人の男が静かにやって来た。ルネの兄、ライアンだった。
「少しいいだろうか、エルランジェ様」
「えぇ、何でしょうか」
棺を前に二人は向き合う。何だと尋ねたものの、ダニエルはライアンが言うであろう事が予想できた。
「ルネとの婚約ですが、白紙に戻すという事で宜しいでしょうか」
くっと息を呑むように少し口を開いたまま、ダニエルは小さく頷く。
「えぇ、どうしてこんな事に…残念だ…。書類は、署名した後、当方まで届けて頂きたい。届き次第、此方で処理しよう」
「…承知した、明日にでも届けさせよう」
深々と礼をして、ダニエルは立ち去った。その後ろ姿が消えるのを確認し、ライアンは独り言ちる。
「…何が残念だ…、微塵も思っていないくせに…」
ルネの顔を見ながら、ライアンは泣いた。膝を突き、妹の冥福を祈った。どれ程の時が経った頃だったろう。不意にカサリと小さな音がして、思わず身構える。顔を上げると同時に、目の前に影が過り、棺の中に敷き詰められた白い花が舞い上がる。花びらが雪の様に踊る、幻想的な情景に白い人が浮かび上がる。
「私、生きてる!!」
棺の中で上半身を起こし、両手を上げたルネと目が合った。
<国・登場人物>紹介
【ジョルダン国】
ジョルダン王家を中心とした王立国家。
【ヴェルレーヌ伯爵家】
・ルネ・ヴェルレーヌ…主人公、16歳。勿忘草色の髪、黄金の瞳、釣り目、白肌。父・母・4つ年上(20歳)の兄がいる。辺境伯家。婚約者はダニエル。
・ライアン・ヴェルレーヌ…20歳。ルネの兄。妹をとてもかわいがっている。
【エルランジェ公爵家】
・ダニエル・エルランジェ…18歳。夜空の紺色の髪、黄金の眼、普通肌。父・母・3つ年下(15歳)の弟がいる。ルネの婚約者。
【ラシュレー男爵家】
・ジャクリーヌ・ラシュレー…17歳。金髪、碧眼、白肌。父・母・2つ年上(19歳)の兄と3つ年下(14歳)の弟がいる。