不臭と不音の渾然
「スウーーーーーッッッ。
…ふむ、残りの者達はあまり近くにはいないようじゃ。合流は難しそうじゃのう」
大きく鼻で匂いを吸い込み、メンバーの位置を確認すニーナ。しかしそれは距離が遠い所為かどれも曖昧なもので、辿るまでには至らない。しかも、
「1つ、以上に強い匂いが邪魔して尚更嗅ぎ分けられぬ」
「それって………」
「ああ、【魔女】じゃ」
嫌というほど鼻孔を擽る強臭は、怨みや辛み嫉みを満々に放出。嗅いでるこっちまで気分が悪くなってくる。
そんな強大すぎる不臭が、周りの匂いを搔き消している。だが幸か不幸か、目標の位置は丸分かり。
ランド、マリ、ニーナ、ミケラの4人は顔を見合わせ、覚悟を決し出発した。
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「こちらピー班。さきほどから数体の女は確認してますが、目標の【魔女】はまだ遭遇していません。他の班の状況はどうですか?」
随分な距離を探索したが、未だ音沙汰のない【魔女】。パッチからの定期報告はかなり前から途絶え、他の班の状況が知りたいピーはついでに自班の状況報告も交えてマイクへ語り掛けた。
しかし、いくら待ってもパッチからの返答は来ない。
「パッチさん?」
再度の呼び掛けに、やっと声が鳴る。
『ああ、ピーか。悪い、今アノルト班、バルガ班どっちも接敵していて取り込み中なんだ』
「!。女ですか?」
『いや、さっきの謎の集団だ。目的も正体も依然として分からないが、敵であることは確かだろうな』
無駄にややこしくしないため、ランドについての事は敢えて言わなかった。
「加勢に行きましょうか?」
『そうするのがベストだろうが、おそらくそこから2班の場所まではかなり距離がある。けど単班での【魔女】との接触は論外。…どうしたものか』
後半はもはや独り言のように、頭を悩ませるパッチ。
そんな指揮官に、ピーは攻略作戦出発前に告げられた事を思い出しながら言う。
「ピー班、単独での出撃はいつでも可能です。【魔女】を倒すための人手は大いに重要ですが、こういった不測の事態はおそらく今後少なくありません。そうした時に一々後手後手に回っていたら、男はこの戦いに勝つことはできません。
絶対に、仕留めて見せます」
強く、信念の籠った言葉だった。
それは、キラの作戦参加が怪しくなり、決行前の糸重層の烏本部。
パッチはこう考えていた。まず【魔女】との戦闘において、その尋常ならざる速さに対応するのは最低条件。それがクリアできなければ、たとえ強者が何人集まろうと烏合の衆と化すだけで討伐などできやしない。
そして無念にも、現時点でこの条件を満たしているのはキラのみ。
ならキラの参加が危うくなった時点で、この作戦は中止。直ちに辞めるべきだと。しかし1つ。もう1つだけ、キラがいなくとも皆が【魔女】の速さについていける手段があった。
それが、ピーの滅女器。聴力強化の補聴器だ。
その聴力感度のギアを最大まで引き上げれば、【魔女】の目線動き、呼吸の流れ、骨・筋肉の動きまで微細な振動全てが鼓膜を揺らし、まるで未来予測かの如く行動の先が聴こえるようになる。
『超聴感覚』
さすれば、それをピーが全員に伝達し歴とした戦闘が成り立つ。【魔女】の正面に立つ資格を得るのだが、それは同時にピーを生贄に捧げるのと同義だった。
鼓膜というデリケートな部位において、普段はマイナスである聴力を滅女器によってプラマイゼロにしている現状。最低ギアでいい分の今に対し、それを上げれば上げるほど必然的に耳への負担は増えていく。
そんな取扱注意の調節を、これ以上ないほど全開。もって数分、下手すれば数十秒でパッチの耳は完全に使えなくなる。
その事実を承知の上で今回の作戦を実行するということは、そういう事である。
自分の犠牲を大前提とし、捨て駒として行われる作戦。普通なら憤り、辞退しても良いほどの無茶苦茶な指令だ。
それでもパッチの眼差しと佇まい、答えはその時も今も、一寸の淀みなく精悍な物言いだった。
『………』
部下のそんな決死の覚悟を見せられても、しかしパッチの口は閉ざされる。
糸重層の烏はこれまで、こと依頼や調査においてガーデンメンバーを殺したことはただの一度もない。ただしそれは全て、《絶対の男》オウマ・キラがいたからの事。
正直、甘く考えていた。キラが作戦に間に合い、多少強敵ではあるがいつものように誰1人欠けず勝利すると。
しかし現実は、キラ不在。イレギュラーな謎の集団の乱入。それにより計画は大幅に狂い、予定より大分少なくなった人数での【魔女】との決戦。
死ぬか生きるか、もはや確立すらも分からない。こんな窮地に立たされたのは初めてで、その大事な決断を自分が下すのもまた初の経験だった。
黙るパッチに、ピーは静かに熱を帯びた声で続ける。
「絶対、キラさんが来るまで持ち堪えます」
ただそれだけ、その一言だけで、パッチの脳に絡みついたあらゆる懊悩は吹き飛んだ。メタルフロントに足を踏み入れた時点で、もう後には引けない。
1人安全な所で指示を出すだけだが、心情は常にシンクロしている。
『誰か1人でも死んだら、もれなくオウマがガチギレするぞ』
「分かってます」
『ふっ。全員、絶対無理はするな。自分達で殺れないと思ったら即時撤退。オウマは必ず間に合わせてくる。アイツが来れば、一瞬にして全てを何とかしてくれる。それまで何としてでも耐え抜け』
「「「「はい!!!」」」」
4人分の快哉な返事が木霊し、ピー班は単班での『魔女討伐』に舵を取った。
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そのトロッコは、側面にあるレバーを行きたい方向に押し引きすることによって、車輪が回転し前へ進む。
「フゥ、ハァ。フゥ、ハァ。お姉ちゃんも、そろそろ代わってよぉ」
乗車して、かれこれ十数分。レールは未だゴールが見えない。そしてその長時間、ずっとレバーを漕ぎ続けているのはネモだ。
一般的なら、大人であり年上でもあるサリが全部ではないにしろ交代という手を取ってトロッコを運転するが、本人も少なからずそう思いつつしかし、生まれながらの性による癖がそれを邪魔していた。
汗を流し、まだ着かないのかと渋面を滲ませ、その小さい手・腕・筋肉・足腰で一生懸命レバーを押し引きする幼女。
漂う疲労、苦悩、困惑、怒気すべてが、目の前のドSに諸にハマる。
「私は今トロッコが倒れないように、重心を保つので精一杯なの。あとちょっとだから頑張って」
当然そんな事はしていないし、本当だとしても精一杯にまでは至らない。大分前からそろそろ可哀想だと交代を考えていたが、しかしそんな憐れみさえも頑張っている子どもをそっと見守るような愛おしさに遷移していき、興奮が増し止められなくなっていく。
そしてついに、幼い四肢が限界を迎え押すのを止めて座り込んだ。
「もうヤダー--ッ!」
さすがにやり過ぎたと、サリは反省する。ネモに代わってレバーに手を掛けたその時、慣性だけで動いていたトロッコが丁度終点を迎へて停止。
その先には、1枚の鉄扉。周りの岩や土とは見るからに素材の違う、頑強そうな純正の鉄だ。
目の前に立てば自動で開くという事はなく、鍵穴も暗証ロックのようなものも見当たらない。サリの能力でも突破できそうに無いので、2人は考える。
一刻も早く皆と合流しなければいけない中で、引き返す選択肢もあったがしかし、この厳重なまでの頑丈さ。
開梱困難な宝箱ほど、開けたくなるのは当然のこと。この内側に、【魔女】がいる可能性だってある。
「つってもね〜」
何処からどう手を付けたものか、サリが一歩前に出ネモもそれに続いた。すると、
『エイジプログラム起動。
身長、体重、骨格、肌の繊維から年齢を測定。
………測定結果、5歳。プログラムクリア。
扉を開きます』
扉上部、センサーのようなものがネモをスキャンし、捲し立てるように何かを作動させては勝手に終了。
警戒し備える間すら与えず、カシャンッという解錠音ののち重たそうな扉が左右に裂けた。
「何、これ?」
開いたその先の景色は、予想の斜め上を行き過ぎており、もはやソレに食い入る事しか出来なかった。ネモの方は、あまり理解していない様子だ。
しかし、それも当然の事。サリでさえ、今目の前の光景を理解し得ないのだから。
ソレは直径30メートル程ありそうな、ガラス張りの巨大な球体。その中には怪しげな緑色の液体と、無数の幼き幼女達。歳にしたら丁度、ネモと同い年くらいになるか。
目を瞑り、上から垂れ下がった酸素マクスのような物を装着しながら、液中を浮遊している。それはまるで、実験場などで実験体をホルマリン漬けにして保管しているのと似たような構図。
一拍置いてネモも気付いたか、自分と近しい存在である子達のこのような姿に恐れ、一歩後ろに慄く。
誰がどんな目的でこの様な事をしてるか不明だが、これ以上此処にいる意味は皆無。
「行くよ」
そう判断したサリは、ネモを連れて足早にトロッコの方へと戻っていった。
【魔女】を巡って、二つの勢力がぶつかり合う戦場。そのメタルフロント内に位置する研究所の主が今この瞬間不在だったのは、2人とこの状況にとって最大の幸運だったのかもしれない。
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充溢する不臭は、一歩先の広間でピークに達している。もしかしなくても、この先に【魔女】がいるのは確実。
そして反対側、コチラも忌まわしき不音を聞き付け、【魔女】を目前にしていた。
意を決し、両軍揃って前に出る。
メタルフロント|第二高炉。
第一とは違い水玉模様のように開けた天井は、ポツポツと申し訳程度に陽が差し込む。
そんな中、石造りの高炉上で静謐に、【魔女】:プエル・プラ・プリンは黄昏るように坐していた。




