古本屋の地下
「おお、帰ったぞ」
「帰ったぞ。じゃ無いよ!勝手にいなくならないでよ、心配するでしょ」
素っ気なく言うコウ爺と呼ばれた老人に、知り合いだったのかレジの男は軽く困り顔で注意した。
芯の通った、そこはかとなく優しい声。しかしその主を見てみれば身長190センチはあるかという巨漢に、潔いまでのスキンヘッド。
その声質や言動は男の形貌とは少々ミスマッチで、もっと怒号のような叱責をするイメージがあったため、ランドは違和感を感じ驚いた。
「ただの散歩じゃ、いちいち言うまでも無いじゃろ」
「あるよ。道端で急に倒れちゃったらどうするの?」
痩せ切った手で軽くあしらうオウ爺に、男は心底心配している様子で言う。確かにこの老人は、いつ倒れてもおかしく無いほど全身が衰弱してるように見える。
「お前は儂のこと馬鹿にしてんのか?」
しかし年寄り扱いが気に入らなかったのか、コウ爺はスッと振り返り男を凝視。元々細い目は、睨んでいるのかただジッと見ているだけか分からない。
「いやそんな、バカにしてるわけじゃ無いよ」
男は大袈裟に被りを振る。ガッチリとした大男がヨボヨボの老人に気圧される光景が、またしてもランドに違和感を彷彿させる。
やがて「まあいい」とコウ爺は構わず店の奥へ進み、『スタッフ専用』と書かれた部屋に躊躇なく入っていく。ランドも言われるがまま、素直に付いていった。
最初『定休日』の張り紙を無視して入った時はボケているのかと思ったが、あのスキンヘッド男(定員)と知り合いという事はこの店の関係者だろうと安堵する。
2人はロッカールームを抜け、在庫の本が沢山収納されている倉庫へと到着。
8畳ほどの間は四方本棚で囲まれており、他に部屋も通路も見当たらない。行き止まりだ。
ここまで連れてきて何をするのかと、ランドは次のコウ爺の行動を伺う。
するとコウ爺は数秒停止した後、左に歩き出し3個並んでいる本棚の真ん中で再度停止。下から3段目、右から2番目に並べられている本の背表紙を押し込んだ。
ガコッと音をたてて、そこだけ窪む本の陳列。間髪容れずに、今度はゴゴゴッと本棚が垂直移動で真上に移動し、それによって形を表した怪しげな扉。
『隠し扉』というヤツだ。
オウ爺は徐にそのドアノブに手を伸ばし反時計回りに回転させると、そのまま押し込んで開扉。
扉の向こうは少しかび臭い、地下へと繋がる下り階段。隠し扉なのに暗唱ロック式自動ドアでは無いのかと少しガッカリしつつも、まだランドは言われた通り老人の後を追う。
およそ2階分の階段を降り、上と同じような扉を開けた先は何て事はない。メカメカしい機械達があるわけでも、謎の地下通路があるわけでも無い。
6畳2間、ダイニングキッチンの2DKだ。コウ爺は「自宅じゃ」と簡素に言った。
キレイに掃除されたダイニングと和室は、お年寄りへの偏見が強い茶の匂いが漂っている。
やはり、コウ爺は上の古本屋と精通しており、それは良いが未だに解らぬ疑問が一つ。コウ爺がランドを古本屋に連れてきた訳。
しかしそれを教えぬまま、はたまた自室で息をつくわけでも無く、コウ爺はランドを和室へ促すとカーテンを開け窓を全開にした。
ここは地下の一帯。窓という概念があるのがおかしいと思ったランドは、その景色を見て絶句する。
「な、何ですかここ?」
石造りの段差を降り、おおよそ地下の土でできた『庭』と呼べるものに脚を着ける。
その庭はかなり広く、終わりの見えない茫漠さ。所々に2メートルを超える巨大な植木達と、最大の謎は地面の下のはずが一点の曇りもない満天の青空に照らされているという点だ。
時が止まったかのような穏やかな空間は、まるで別世界。あるいわ幻想の中。
あの寂れた階段が別世界への通路となっているのか、それとも錯覚でも見させられているのか、ランドは土と草に触れその感触と匂いを確かめる。
「ホンモノじゃよ。全部」
「何なんですか、ここは?」
ランドは再度同じ質問をする。
「その土も、草も全て実物。お主も頭に浮かんだじゃろ、それが答えじゃ」
コウ爺の言葉を背中越しに受け、ランドは何も言わない。
「あの階段を降りこの部屋までは、間違いなく地下。しかしこの窓の先は、何故か広大な庭かあるいわ庭園か、その景色を変える。
その理由は儂にも分からん」
コウ爺にも分からない、不思議の庭。
古本屋の下がこんなことになっている事に少々驚いたが、しかし今の時代女を媒体とすれば、滅女器のような所謂《どこでも○アもどき》は幾らでも作れる。
まさか見知らぬ少年に、これを自慢したいが為にわざわざ連れてきた訳でもあるまい。
ここに連れてきた根幹の理由。ランドはそれが知りたかった。
「まだ肝心なことを訊いてません。どうして俺を、地下に連れてきたんですか?」
ランドの再三の質問。尋ねられた当の本人は思い出したかのように軽い調子で、
「おお、そうじゃった。それは…」
「おい爺ちゃん!なんで知らねえ奴がここに入ってんだよ!?」
と答えようとしたところに、その言葉を遮る第三者の声が入って来た。
上下動きやすそうなジャージ姿に、橙色短髪でランドと同世代くらいの少年。明らかな敵意を持った瞳で、ランドを睨んでいる。
対するランドも最高のタイミングで割って入ってくれた少年に、不愉快な表情を隠しきれない。
すると今度は対照的に、吊り上げていた眉と目尻を垂らし急に焦り出す少年。
「ま、まさか。新しい弟子ってわけじゃ無いよな?俺まだ、爺ちゃんに何も教えてもらってなねえぞ」
涙目になり、その細い四肢に縋ろうとする少年。
(何だ、コイツ)
そのやかましさに頭を抱えながら、ランドは一歩前に出て少年に投げ掛ける。
「あの、すいません。今この人と話をしているのは俺なんで、邪魔しないでもらえますか」
態度はムカつくが、一応初対面なので丁寧に敬語を使う。
「はああ?テメエこそ、爺ちゃんの試練は受けたのかよ?俺はちゃんと試練に合格して弟子入りしてんだ。どうせテメエ、無理やりここに入って来て爺ちゃん困らせてたんだろカス。テメエこそでしゃばんなっ!」
それに対し短髪男は睨み、泣き、また睨むと予想以上に好戦的な発言。
しかしランドは「試練?」「弟子?」と、1ミリも身に覚えのないワードが並び、怒りより先に疑問符が浮かぶ。
無理やり入ったも何も、コウ爺に無理やり連れてこられたのは他でもないランドの方だし、その真意は何も訊かされていない。
盛大に勘違いするこの男に再度文句を言おうとしたその時、
「おいキンジュ!お前は早く特訓の準備をしろ!」
さらに新しい4人目の声が家の中から響き渡った。
ドッと、存在を際立たせるようにわざと足音を深くたて、その人物は窓辺に姿を見せる。その声にキンジュと呼ばれた短髪少年は縮こまり、ランドは思わず二度見してしまう。
そこにいたのは、先ほどのスキンヘッドの大男。今の声は力ないさっきの注意とは違い、見た目に合った素晴らしい叱責だった。
「分かってるって」と小言を呟きキンジュは部屋に戻っていき、それと入れ替わりでスキンヘッドがランド達に近づいてくる。
「コウ爺、その少年は?」
キンジュのような腹の立つ口調では無いが、大男もさすがに見ない顔のランドが気になったようだ。
「まあ、ちょっとな…。いいからお前はキンジュの様子を見て来てくれ」
しかしコウ爺は何とも曖昧な返答で半ば強引に邪魔者を退散させ、両者見合ってしばしの沈黙。
ランドは何も言わず、ジッと待った。そのシワの寄った薄い唇が、再び開かれる時を。そして…、
「お主、強くなりたいんじゃろ?」
「来た!」と同時に、ランドは目を見開く。
この老人に会って、まだ1時間も経っていない。どころか会話もまともにしていない。それなのにどんなマジックがか、今自分が一番求めているものをあっさりと当てられた。
「どうして?」
「ここに来てから質問ばかりじゃな、…まあいい。何となくな、これでも無駄に長く生きてるんでな。それなりの眼は持っているつもりじゃ」
コウ爺の言う通り、ここに来てから分からない事だらけでさっきから質問してばかり。しかしランドは、訊かずにはいられなかった。
いくら長年の観察眼があるとしても、何らかの態度に表したわけでも無いのに、そんなピンポイントに当てるなどもはやチートの域。
「たしかに俺は、強くなりたいと思っています。でもそれは、ここに連れてきた答えにはなって無いでしょ」
「いいやなる。ここで強くしてやる、そのために連れてきたんじゃ」
逡巡の迷いも無く、強くすると言い切ったコウ爺。かく言うランドも「答えになっていない」と言いつつも、その答えはある程度予想していた。
ここに、さっきキンジュが言っていた『試練』と『弟子』というワードがハマるのだ。
ランドにとって強くなれるのは願ってもない話だが、簡単に二つ返事でOKするわけにはいかなかった。
何か危ない集団の可能性もあるし、何より自分よりも弱そうな老人にいきなり「強くしてやる」と言われても信じられるわけが無い。
「そっちの目的は?」
「無い」
「?、それなら俺を強くするメリットは何ですか?」
「そんなものも無い。強いて言うなら、気に入ったからじゃ」
と、いよいよ怪しさMAX。猜疑心を漂わせるランドに、コウ爺は続ける。
「お前の懸念も分かる。しかし今のこの時代、どんな悪い事をしたところで大した意味など無い。どうせ女の掌の上じゃからな。その辺は安心せい」
またしても思考を読まれるランド。それだけでもう、この老人の技量はかなりのものだと見て取れた。さらに、
「こんな死に損ないにいきなり『強さ』、無縁の言葉じゃろ。だが、お前を鍛えるのは儂じゃ無い。そこも安心せい」
もう一つの懸念もキレイに読まれ、自分の師匠はコウ爺では無いと告げられたところで、ふとランドは思い出す。
先日のあの老婆を。
あの強さ、怖さ、偉大さを。老婆・老人など関係ない。それを目の当たりにしたばかりだと。
「無縁なんかじゃありません。少なくとも俺は、その強さを知っています」
それは、男と女の違いかもしれない。しかしランドには、この老人からはアイリスともアンデールとも違う、全く別種のオーラが感じられた。
数秒黙った後コウ爺は、「ふっ」と鼻で軽く一笑した。
「なに楽しそうに話してんだよ!」
そこで準備を終えたキンジュが乱入し、相変わらずの敵意をランドに向ける。
「そう邪険にするな、コヤツももう仲間なんじゃから」
「は?」「え?」
タイミング良く大男も庭に降り全員が揃ったところで、あっさりと告げるコウ爺。
突如キンジュは膝を抱えて「破門だ、破門だ」と呪文を唱え、スキンヘッドはコウ爺に問いただす。
「仲間って、まだキンジュの特訓も本格的に始動してないのに、もう次とっちゃっていいの?」
「何勘違いしてるんじゃ、コイツを育てるのはお前じゃ」
それを聞いたスキンヘッド、さらにランドも驚き、逆にキンジュの方はその右耳をピクつかせ完全復活。…ガチでやかましい奴だ。
「そんな事は置いといて、お主ら今ここで1対1の組手をしろ」
風のように話が流れランド弟子入りの報告も束の間、コウ爺が指名したのはランドとキンジュの1on1。
お互い今度は口を開かず、ただ静かに見合うのだった。




