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8:女神の歌

 青の公女は利発で聡明、正義の心と勇敢さを兼ね備えた美貌の持ち主。

 唯一の欠点は、男に生まれなかったこと。


「妾腹が……いい気になって」

「救いようがありませんねお異母姉様、お可哀想に。お顔だけでなくお心まで醜いなんて。生まれつきですか?」

「アズレア、何てことを!! 謝りなさい! も、申し訳ありませんディージャ様。この子は物の分別も解らぬ子供なのです。どうか私に免じ、お許し下さい」

「ふん……その程度の謝罪しか出来ないの? 下女から生まれた者は礼儀もないのかしら? 父上からの寵愛を受けているからっていい気にならないことね“阿婆擦(アバズ)レア”! 私だってお前の年の頃は、口約束で玉座を頂けるはずだったのよ!!」

「あら? 第三者を交えての場を開き、書類を頂かなかったんですか? 私は言質を取りましたが」


 煽ったつもりはない。あくまで私は公女の責務を果たしたまで。そう、公女としての誇りのために。言えば“打たれる”のは知っていたが、私は公女アズレアの立場を全うしたのだ。


「其方がそのおつもりなら、このアズレア受けて立ちましょう」


 私を止める、母の声など聞こえない。先に手を出したのは彼方。頬の痛みににこりと笑い、踊るよう身体を半回転。異母姉の顔に蹴りを食らわせた。法典を諳んじられる理論武装と喧嘩っ早さが私の持ち味。


「私は未来を知っている。貴方に言わなくとも良い言葉を口にした理由がお解りですか? 分別の解るお異母姉様?」


 怒らせて何の得がある? 何もない。一発頬に平手を喰らっただけの大損よ。

 けれどこれは意思表示。放って置いてもお前は落ちぶれるが、徹底的に叩き潰すという意思表示。それが嫌なら大人しく、此方の顔色でも伺っていろ。本当にお前が賢いならば。


「はっはっは! 六つも上の姉を負かしたか! 勇ましいなアズレア!! 全く惜しい。お前が男であったなら……クレストをも打ち負かす英雄となっただろうに」


 上の兄弟を泣かせる度、父は私を褒めた。姉達を凌駕する予言の才と、兄や弟をも負かす魔法力。後は武芸を極めれば、私に怖い物はなし。だというのに何故父は、私に武芸を学ばせないのか。


「お父様は私に剣を習わせるべきです。クレストの姫などに私は負けません」


 戦闘民族にも私は負けない。私の代でコロネットの領土を取り戻す。知力、魔力、統治力に美貌。才ある者は自らのために力を使ってはならない。より多くの民の幸いのため、私は生を受けたのだ。


「世の中に無意味なことはありません。私が多くの才に恵まれたのは、天啓なのですお父様。神々の意思に背くのですか!?」

「そう我が儘を言うなアズレア。神々は……お前が思うような存在ではない。意思があり心のある存在を、恐れ敬うことを忘れるな。力ある者は驚異なのだ。祝福、庇護は思わぬことで反転し、呪いになり得る。可愛いお前に傷でも付こうものなら、クレストではなくヴェア様に我が国は滅ぼされてしまう」


 海神ヴェア様、クローネ島の守り神。私に予言の力を授けてくれた偉大なお方。しかし私を守護する神は他にも大勢。


「お前が武勲を得ることで、よりお前を寵愛される方も当然居る。しかし、今のお前を愛する神々はお前への興味を失うのだ」


 クソ面倒臭いですね神々。私は彼らに飽きられぬよう、美貌と知性だけ磨いていれば良いと父は言う。クローネ島の主神は海神ヴェア様。多くの神から庇護を得ようと苦心し、最も力ある神から見放されては本末転倒。主神の好みこそ神話スタンダード。多くに認められる美女の証。私は島の守り神、ヴェア様のことだけ考えるようにと父は望んだ。


「良いかアズレア。母への侮辱へ憤る、お前の誇りは素晴らしい。しかしつまらぬ小競り合いが……生涯をかけてやりたいことか? お前の清廉さはコインの裏表。慢心・不和は心の醜さになる。それは必ずや、神々を失望させるであろう」

「お言葉ですが、お母様の境遇は主にお父様が悪いですよね。新たな妻を迎える場合、先妻など離縁すべきです」

「て、手厳しいのぅ。本当に、お前が男であったなら……。だがなアズレア。政とは人と人との繋がり。自分一人の意思ではどうにもならぬ。地位を頂くとは、心を捨てることなのだ。クローネ一族はコロネットの大地を取り戻し、初めて心を取り戻せる。ようやく人間に戻れるのだ」


 高き者は人にあらず。身分は責任の所在。無能の異母兄弟が果たさぬ分も、私が気高く果たさなければ。そう躍起になることの何が罪?

 神々に愛されるべく、私は清く正しく美しく。けれど正しさを追い求めれば、私は善い存在では無くなると? ならば神など頼らず我が身だけでかつての王国を取り戻す。そう信仰を失えば、神々は消滅に至るまで……私とコロネットに災いを降らすだろう。人智を超えた存在を頼れば最後に待つのは破滅。コロネットは既に、身動き出来ない沈む舟。今日か明日かの判断を、人身御供で遅らせる。

 愛想を尽かされぬよう美しく。好まれる知性を。悦ばせる歌や音楽、捧げる舞。どんなに喜ばれても、未来が見える私には意味の無いことに思えた。


《アズレアよ、今宵の舞も見事であった。何でも望みを言うてみよ》


 通い詰める神殿、私の仕事。聞こえるのは声ばかり、神々は姿を現さない。私が望めば姿を見せてくれるだろうが、その時私は巫女でなくなる。


「はっ。有り難き幸せ。私の望みは――……明日も変わらずヴェア様に、コロネットを見守って頂くことです」

《くくく、欲がないのぅ。其方は真、真水のよう清廉な娘よ。して、どうじゃ? そろそろ今晩辺り――……》

「ヴェア様またその話ですか? とうとう私を正妃に迎えて下さると?」

《いや、それはえーと》

「遊びでしたら如何に御身であろうと呪い殺しますよ。私の魔力はご存知でしょう?」

《あー、しまった! 今宵は河神と宴の約束があったのじゃ! では今宵はここまでとしよう!》

「ヴェア様。私をまた……一人にさせるおつもり?」

《うっ……しかし、いや。だが……っ。あ、あああああ明日また其方の歌を待っておるぞ!!》


 脅迫の後に、誘うよう切なさを吐露。これでもうしばらくは掌の上で転がせられる。

 全く、神の相手も楽じゃない。幼少より夜伽を退け続けた私の手腕、外交でも良い線を行くのでは? 手に入りそうで手に入らないもの程執着心は増して行く。飽きられない工夫は大事。

 神々は一回でも寝てしまえば、子供が出来れば此方へ興味を失ってしまう。また新しい相手を探しに行くのだ。


(……どんなに頑張っても、時間は止まってくれない)


 私は神に裏切られる未来を知っている。私は寵愛を失う、見放されるのだ。私より醜く、知性の欠片もない他国の女によって。コロネットはそうして滅ぶ。だからそうなるその前に――……私が神を捨てねばならないが、口に出せば神に知られてしまう。決して誰にも話せない。


(どうすればいい、どうすればいい?)


 コロネットが神に守られているのは事実。私が手ひどく裏切れば、国は災いにより滅ぶだろう。神の機嫌を損ねずに、呪縛から逃れる。私の方が優位な立場で縁を切るにはどうしたらいい?


(神に代わる力を。神をも超えた、人の力。災いや呪い、代償のない強力な力。そんなもの、何処にあると言うの?)


 答えが出ないまま時間だけが流れた。破滅の時は刻一刻と迫る。私は次の誕生日で十六になる。次に主神の心を奪うのは十二の娘。私の美貌は日々磨かれて行くのに、私は幼さを。神の花嫁……巫女の資格を失って行く。


(こんな事がいつまで続くの? コロネットが滅ぶまで?)


 私がしていることは、祖国の延命に過ぎないのか。自身の境遇を哀れんだ事などないが、この時初めて私は己を哀れに思った。私は人柱として生を受けたのか。


「えー!? やっぱりアズレア様よ! 一番お美しいもの!」

「でも、ヴェア様がお許しになるかしら?」

「リヴァリースとの縁談かぁ。お伽噺の世界よね。入ったら二度と出られないかもしれない、出て来たら記憶がなくなっている? そんな危ないところにアズレア様は渡せないでしょ」

「でも、ちょっとロマンがあるじゃない? ほら。奥方様……あの噂があるでしょ? アズレア様が、鍵の王国とコロネット連合王国の女王になったら素敵じゃない?」


 従者達は気楽なもので、他人の恋愛話に夢中。リヴァリースとの縁談話は、私も耳に入れていた。神託で、どの娘を送るべきか海神に聞くよう父からも頼まれている。

 まったく呆れたこと。私がこんなにも、祖国のことで頭と胸を痛めているというのにどいつもこいつも浮ついた気持ちで生きている。少しは痛い目を見せてやらなければ解らないのだろうか?


「はぁ……他の楽譜はないの?」

「公女様、此方の歌は」

「それはもう駄目。ヴェア様は飽きられた。もっと愉快で心躍る詩はないの?」


 不機嫌になった私は、神へ捧げる歌選びにも身が入らない。恋だの愛だの全部クソだわ。どれもこれも気に入らない歌詞ばかりだ。


「アズレア、こんな歌はどうかしら?」

「お母様?」


 私の荒れ具合を聞いたのか、母が部屋へと顔を出す。母は身分が低い女だった。自分が何処の誰かも解らない。城へ忍び込んだ罪人として処刑されるところを、彼女に一目惚れした父様が助命し妃へと迎えた。今思えば、父は知っていたのだ。


「誰から教わったかは思い出せないのだけど、素敵な旋律だと思わない? 不思議なものね。アズレアの歌を聴いていると、少しだけ私も歌を思い出すの……って、何かしら? 寒くなってきたわ」

「あら、鍵が壊れたのでしょうか? 今すぐ閉めますね、申し訳ありません」


 吹き込んだ風に母が笑うと女中が慌てる。部屋の窓と扉全てが突然開いたのだ。

 母が歌ったのは鍵に纏わる恋物語。扉を開く、魔法の手。運命の恋の物語。地名だろうか? 私の知らない言葉が並ぶ歌。

 鍵の女は手が鍵であるのに、母は“喉”が。声が鍵で出来ていた。彼女の血を継ぐ私も、きっと。私の歌が、母の記憶の扉を開けた? それならヴェア様は、私の歌で“何を思い出そうとしている”?


「ああ、こんな歌もあったわ。


“Vair Vair 捧げた白銀の花冠

 青い海、銀の波 海底に閉じ込めた

 災いより守り給う女神を讃えよ”


これにはヴィア様の名があるからきっと喜んで頂けると思うわ」


「お母様、ここの単語間違っているのでは?」

「え? これで合っていると思うけれど」


 閉じ込める? 花冠(リース)? それに金属? 【鍵の王国】を表す言葉があまりに多い。

 母の思い違いは、彼女が書き記してくれた歌詞? いいえ。私と何もないヴェア様を、母は女神と思い込んでいたこと。私達が神と崇めていた存在は、偽者の神だった。本物の海神ヴェアは――……母の言うような女神。少なくともリヴァリースで語られる海神ヴェアは女神。伝承が失われたを良いことに、何者かが彼女に成り代わっている。


(リヴァリースの歌に、コロネットの青とリヴァリースの金属色が語られる。昔、両国は友好的な関係であったのでは?)


 私の予言にはなかった情報ばかり。

 私が歌で開いた扉によって、新たな運命が開かれた。

 長年クレストの脅威に晒されているもの同士。母が追放されたのは、本物の――……女神ヴェアのお告げを受けたから?


(神殿にいる、あいつは一体――……?)


 どれだけ祈ろうと、攻め込むための力を持たない。それならば力を持っているのは、巫女の歌の方? コロネットは神を騙る者に搾取されている。あいつは島付近の海流を少し操れる程度。そう、むしろ――……奴は、この島に囚われている?


(そうじゃない)


 予言は便利だが万能ではない。望む情報を引き出せるものではなく、パズルのピースが急に降ってくるようなもの。そのピースを集めて未来という絵を想像し言い当てるもの。

 これまで手にした欠片から、私はここでようやくコロネットの未来に辿り着く。


(偽神の手引きで、他国の間者が入り込んでいる。これ以上あいつに歌は捧げられない)


 封印が解けてきている、私の歌で。奴が他国から新たな女を得るのは、コロネットが滅亡して奴が自由に動き回れるようになったということ。奴を封じたのは――……鍵の王国に本物の女神がいるのなら。


(私は、リヴァリースに行かなければ)


 かの王国の力を借り、偽神を再び封じ込めなければならない。誰にも話せないけれど、私がやり遂げなければ祖国に未来はない。

 封印が弱まっているとは言え、今ならばまだ間に合う。偽神は大陸まで多くの力を送れない。


「どうしたアズレア、こんな時間に」

「火急の用ですお父様。ヴェア様からのお告げを受けました」


 旅支度を調えた私は父の寝所に踏み込んで、でまかせのお告げを言い渡す。


「“コロネットを覆う悪しき影が見える。闇を祓うには、鍵の力が必要だ。アズレアを――……リヴァリースに嫁がせよ。後任の巫女にはディージャを任じる”」


 あの姉は、巫女の才能がからっきしだ。偽神の声など聞こえない。暫くは国を傾けるだろうが、滅ぶよりはマシだ。幼女趣味の偽神も、此処で私より年上の巫女がやって来るのだから頭を抱える。ざまぁみろ。

 魔法に優れた者達を集め、護衛に就かせた。後は、集まったピース通り。偽神さえ知らない道を行く。奴が動かせない波を、海流を読み、私は祖国を逃げ出した。


(リヴァリース……花嫁選びの知らせを送ってきたのが、どんな王子か解らないけれど……どんな手を使っても、必ず物にしてくれる!!)


 祖国の明日を。破滅の未来を変えるため。身を粉にして働くのが王女の務め! 私の美貌があれば落とせない男はいない。それでも念には念を。私がいなければ生きていけないほど私に依存させてやる。調教してやれば良いの。高貴な男なんか見栄とプライドだけの空っぽでしょう? 一回折ってやったら意外と癖になるものよ。張りぼてで中身のない貴方に、伽藍堂な貴方の内をたっぷり私で満たしてあげる。私こそが生きる意味、貴方の血肉となるのです。





(……………………これは、どういうこと?)


 完璧な私の計画が、何処で狂った? 銀の城には、私が霞む――……程ではないが、そこそこの美形が揃っている。

 野蛮畜生クレストのギュールズ姫も、獣畜生の癖に及第点以上の美しさ。気品と調和した、鎧と剣がよく似合う。私が手に入れられなかった物を持っているから気にくわない。私とは違うタイプの華がある。

 盗賊の従者とかいう鼠のような女は、五月蠅く頼りなく精神的にも幼稚だが、可愛らしさはある。私やギュールズのような美人の中に、垢抜けない女がいると――……逆に? そう、美人じゃないけど可愛いっていうのが個性になる!! 精神年齢もアージェントと比較的近いのが盲点。私やクレストの屑ではあんな子供じみた真似は出来ない。とんだ伏兵がいたものだ。目を光らせておかねば。

 そう。従者と言ったでしょう? そいつの主人がいるのよ!! 嗚呼、憎らしい!! どうして花嫁候補に男が混ざっているの!? 帰れ!! 国へ帰れ!! 帰らないなら土に還れ!!

 美貌の盗賊ミュラル。あの男の所為で、私やギュールズの美しさの価値が弱まっている。周りに美人ばかりがいれば、アージェントは「そういうものなんだな」と、私達の美しさが平均的な基準になってしまう。意味が無くなるのだ、美しいという意味が!! そう!! そしてアージェント!! 王子自身が女の子みたいに可愛くて美しいって何なの!? お前女と寝る気あるわけ!? 次代の王を作る気ある?? お前がそんな顔だから、花嫁候補にあんな男が湧いて出たんだろうが!!


「ひぃい……今日も公女様は機嫌悪そうですね」

「き、聞こえるよエルミヌ!」


 あら、私としたことが。怒りのあまり美貌が少々損なわれていました。手鏡を見て、微笑み一つ。よし、ちゃんと可愛い美しい。睨んでも不機嫌でもちゃんと美人なのに、何をアージェントは怖がっているのか。むしろ喜ぶべきでは?


「お前等、茶くらい落ち着いて飲めないのか? そっちのお姫さんも」


 盗賊男め。出自の悪さに反し、随分綺麗に茶を啜る。粗野な言動をしているが、動きの一つ一つに品がある。仕事で高貴な家にも出入りしていたのだろうか?

 舌打ちながらに目を逸らす。その先でクレストの女と目が合い、すぐにお互い目を逸らす。先程までギュールズ姫は、闘牛の如く怒り狂った眼差しを王子と盗賊に向けていた。


「下品ですわ盗賊! アージェントを膝に載せてよくもまぁ、茶会など出来ますわね!! 彼は幼い子供ではないのですわ! ちゃんと一人で座らせなさい! あっ!」

「うるせぇな。エロいこと考える奴がエロいんだぞお姫さん。俺がアージェント膝に載せてテーブルの下でヤってるとでも思ってやがんのか?」

「え!? ミュラル様そんなことしてたんですか!?」

「するわけねーだろ!! してたら普通黙ってるだろ!!」

「ツッコミがおかしいですわ!?」


 前言撤回。あの男は汚物だ。顔が良いだけの汚物だ。殺してでも排除しなければならない。未来の夫の貞操が危ない。早く私が鍵を入手しなければ、取り返しの付かないことになる。

 他女二人も何を考えているのやら。今のは冷静に怒るべきポイントでしょう? 顔が真っ赤ですけれど? 想像してまんざらでもなかったのか。獣畜生と下民の倫理観は解りませんね。


「お前等冗談も通じないのかよ」

「いつも適当なミュラル様だと、冗談も事実に聞こえるんですー」

「短い付き合いですが、私もそう思いますわ」

「敵同士とは言え、同じ城で寝泊まりするんだ。食ったり飲んだりする時くらい、一時休戦といかねーか? 何より四六時中こんなんじゃ、アージェントがストレスで死にかねねぇ」

「はい、はいはーい! ノミの心臓のエルミヌちゃんも、死にそうです!!」

「ってなわけだ。いいか世間知らずの娘共。食事は性行為に通じる」

「ああああ! ミュラル様すぐそうやってセクハラするのやめて下さい! 不敬ですよ!?」

「うるせぇ! 一緒に寝る、一緒にやる、一緒に食う! 食事は心を許す行為の一つだ。地道に好感度上げたいなら精々楽しく食ってみろ! お前等、食事で嫌われるってよっぽどだぞ? こいつ食ってる時自分の話ばっかだな、やる時も好き勝手するタイプなんだなってなるだろ? こいつとは寝てもつまんねーなって思わせてどうするよ」


 下品な例え話だが、一理ある。偽神に仕え、語らう日々は何も楽しくなかった。あれは自分のことばかり。私のことなど一時の玩具にしか思っていなかった。今私も、アージェントにはそう思われているのだろうか? 自分を物のように見ている、ろくでもない存在なのだと。


「アージェント殿下」

「は、はいぃい!」


 私に名を呼ばれ、灰色女と同じ反応をする王子。そこまで怖がられることをした覚えがないのだけれど。仮にあったとしても、私くらい顔が良ければ万事許されるはず。やはりアージェントの美醜感覚は、盗賊男のせいで麻痺している。


(馬鹿にされたものです)


 祖国のため、何としても貴方を落とす。それでもこの公女アズレア! 好きでもない男に唇を許すとでも? そんなはしたない真似誰がするものですか! 何年偽神の誘いを蹴り続けたと思っているのです?

 私は貴方に出会って、至上の興奮を覚えた。世界の何処を探しても、貴方より醜いものは存在しない。貴方の心は澄んでいるのに、外見が何処までも醜い。貴方の真の美しさを理解できるのは私だけ。美しい貴方を閉じ込めて支配できるのは私だけ。貴方の良さを知っているのは、世界で一人、私だけで良い。こんな感情、偽神にだって覚えたことはなかった。これを恋と言わずして、何と言うのです?


(貴方を誰にも渡したくない)


 この気持ちがこの場の誰に劣っているとも思わない。


「これはコロネットの焼き菓子なんです。従者が作ったのですが、お一つ如何? 毒は入っていませんことよ。銀の食器を使っているでしょう?」


 とんでもない男。この私に、こんな下品な真似をさせるだなんて。

 焼き菓子を刺したフォークを彼へと差し出す。直前まで私が使っていたそれで。

 精神的にまだ推さない王子、彼は記憶を失っている。盗賊の嗜好が反映された今の彼には、この行為をはしたないとも思わない。美味しそうな菓子に釣られて目を輝かせる少年は盗賊の膝から身体を浮かせ、私のフォークへ近付いて――……


「す、すっごく美味しいです!!」


 横からひょいと顔を出した細い女が歓喜の声。エルミヌは泣くほど感動し、至福に浸っていたが……私の殺気を受け椅子から転げ落ち、盗賊の背後に隠れた。


「はっ!? し、しまった!! つ、つい美味しそうな物が目の前にあって!! こ、これは不可抗力です公女様!! 従者の罪は主の罪!! 悪いのは前科いっぱいのミュラル様です!! 今更前科一つ増えても良いですよね箔が付きますよね!?」

「貸し一つな。俺の貸しは高いぞ」

「ひぃいいい……し、出世払いで」

「はぁ……立場の違いという物を、一度きっちり教えた方が良いですね。下民、外に出なさい」

「み、ミュラル様が相手になりますよ! い、いいんですか!?」


 席を立ち上がる私を見かね、怯えていたアージェントが盗賊の膝から降りた。


「アズレア姫。これはリヴァリースの伝統菓子なんだ。切り分けたケーキの中から、鍵が出て来たら――……その日は何か良いことがあるんだよ」


 アージェントはケーキを切り分け、私の方へと一皿寄越す。いや、それどころか――……先程の私を真似て、一口切り分けフォークを差し出す。その一口には、鍵が含まれている。


「入っているのは鍵の形のクッキーなんだけど」

「貴方が当たったんですね……良いこととは?」

「これを食べて、アズレア姫が笑ってくれたら嬉しいな」


 なんという男。公女アズレア、菓子に釣られるような女に見えて?

 そんな物誰が食べてやるものか。ふんと一度顔を背けてやったけど。拒絶された王子は悲しげな顔。美しい顔のままだけれど、その顔は少し来るものがある。ぞくぞくする。気分が良くなってきた私は、その一口を食べてやっても良い気になって来た。


「…………今回だけ、ですよ。こんな真似」


 口づけを待つように目を瞑り、小さく口を開いてみせる。私の眼力を怖がっていた彼だ。目を伏せた私に近付いて、よくよく私の顔を見て……少しは胸が高鳴っているのではなくて? 聞こえてくるのは私の鼓動ではない。きっと彼の心臓だ。


「……まだですか?」


 あまりに彼が遅いので、私が薄目で見てみると……あろう事か、アージェントの手を掴み、ケーキを喰らっていたのは盗賊だ。主従揃いも揃って!! 茶会の席でまで盗みを働くとは何事ですか!?


「「盗賊、ミュラルぅううう!!!!」」


 私の言葉に何故か、女の声が重なった。ギュールズは涙目で、盗賊に向かって吠えていた。


「いや待て。今そこの赤のお姫さんが食おうとしてたからよ。やっぱ盗賊としては人が欲しがるもんは奪っとかねーと。職業病だ、大目に見てくれよ」

「盗賊! お前は寝所でも人の恋人を盗るのが好きなようですね!」

「あ、ミュラル様が言い返せなくなるやつです……」

「……お前は黙ってろエルミヌ」


 賑やかに荒れ始めた部屋で、アージェントだけが無邪気に笑い出す。


「ふ、あはははは! みんなそんなにお腹空いてたの? ご飯の量足りなかった? ごめんね直ぐに用意して貰うから!」


 私達が空腹で、機嫌が悪いと結論づけた? 身分ある王女が人の食べ物を奪おうとする程だ。彼は本当に幼い。彼に恋や愛を教えるのは骨が折れそうだ。


「ライネー! リネルー! 早いけどお昼にしよう! 少し多めに用意してー!!」


 部屋の外を駆けていく、王子の足音は軽やか。声もどこか楽し気で、耳に心地良い。


「悪くないだろ、笑ったアージェントも」


 ミュラルの我が物顔に、私はギュールズと再び顔を見合わせる。


「あれはアージェントじゃありませんわ」

「泣いた顔の方が可愛いですね」


「うわぁ……最後まで意見合いませんねこの人達。……あれ、公女様? もしかして、機嫌良くなった……とかですか?」


 エルミヌの言葉は無視し、私は続ける。何時しか口ずさんでいた鼻歌は、母から教わった歌だ。思えば彼と出会ってから、ずっと私の頭の中であの旋律が流れていた。私の歌が扉を開く魔法なら、私は彼を開きたい。


(……目は同じなのね)


 今の姿も、あの姿も。悔しいけれど近くで彼を見て、見惚れていたのは私だったのかもしれない。


(ねぇ、ヴィア様。この国の何処かに居られるのでしょう?)


 今こそ貴女の声が聞きたい。嗚呼、でも聞きたくない。未来を知るのが怖いなんて初めてなの。だからまだ、貴女の声は聞こえなくて良い。何も、見えないままで良い。

 予言が出来ないままでも私は。公女アズレアなのだから! 私の身一つで、私の心根一つでアージェントを魅了してみせる!


書きためて放置していたアズレア回でした。

MPが回復したので更新です。次回は次のヒロイン登場する話を書きたいなぁ……。


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