7:沈黙の部屋
「嘘ぉ……このお城、普通の魔法は使えないはずなのに」
疲労が原因では無かった。この場所は私の魔法が通用しない。侵入より脱出が難しい。それが銀の城の特性のよう。
ならばと拳や蹴りを食らわせ続け、一晩かけて私はその部屋から無事に逃れる。私の活躍に、下女リネルは大口を開けて驚いていた。どう? この私こそ貴方の主の伴侶に相応しいでしょう? 私の活躍、ちゃんと彼に報告しなさい。胸を張り威張る私にリネルは尊敬の眼差しを……何故向けないのかしら?
「わー、ギュールズ様ってばす凄ぉおーい (脳筋)!!」
「殺されたい?」
「嫌ですねーお姫様ったら、冗談も通じないようではリヴァリースの花嫁なんかやってられませんよ」
私が王妃になったらまず、この女をどうしてくれよう。可愛らしく笑ったところで誤魔化されたりしないわ。
「ふん……まぁ、一度の無礼は大目に見ましょう。答えなさいリネル! これで、この部屋は私の物ですわね!?」
「え? 違いますけど」
「え……? だってここから脱出出来たのよ!?」
「鼠が罠から逃げ出して、その罠が鼠の家になりますか? ならないですよね。罠を無効化し、鍵見つけてないから駄目です」
城に入っただけでは駄目。部屋を出ただけでは駄目。どうしてこんな下女に私が駄目出しをされなければならないのか。この女だって態度も駄目、礼儀も駄目。見た目はそこそこ愛らしいけれど、使用人としては底辺も底辺。そんな女に品定めされるなんて屈辱だ。
「と言いますか、そもそも指――……」
「あー!! 酷いですミュラル様!!」
吹き抜けの下から、頭にガンガン響く少女の叫び。階下で何やら揉め事だ。あれは昨日私が戦った、盗賊主従の仲違い?
泣いている灰色髪の娘と、鍵束の鍵を見せびらかす黒衣の男。鍵束には既に三本の鍵が収められている。泣き喚く少女の悲鳴が心地良いと、男は笑みを浮かべて自慢顔。顔は良いがどうしようもなく性格が悪い。
「もう今日は休みましょうって、言ったじゃないですか!! 三人で川の字で寝たのに起きたら私だけしかいないってどういうことですか!? アージェント様連れ回して夜中の内に二本も鍵取ってくるとか大人げないです!!」
「敵を欺くにはまず従者からって言うだろ」
「言いませんっ!! それに敵ですっ!! ミュラル様は私の敵ですぅううううう!!!!」
「ミュラル格好いい……」
「あああああ!! 王子様の好感度勝手に爆上げしないでくださいよ!! 本当に私をアージェント様に嫁がせる気あるんですかミュラル様!?」
「馬鹿言え。従者に劣っているようじゃ、主として情けないだろ。俺は常にお前の先を行く!!」
「張り合うとか子供ですか!! ううう……なのにとっても大人げないです!! マラソン大会一緒にゴールしようねって約束したのに裏切るタイプの友達ですね!? 私は絶対ミュラル様とは友達になりませんからね!!」
「世の中お前が考えている程甘くないんだエルミヌ。あと俺はマーケットで大人気だが、少年と青年の間的年齢だから、広義の意味では大人じゃない。ああ、性的な意味では」
「ミュラル様の下半身事情とかどうでも良いです耳と心が汚れます」
出遅れた。次期クレスト女王この私、ギュールズ=シミエ・クレスト様が出遅れた。昨晩二人で何があったの!? アージェントがすっかりあの男に骨抜きなのはどうして!? 鍵探しの冒険に二人きり!? そんなの狡い!! よくも私のアージェントを誑かしたな!!
憎しみを込めて男を睨むが、奴は敢えて私を無視している。私の殺気に当然気付いているでしょうに。
「ぐ、ぐぐぐぐぐぐ……ぐぬぬぬぬぐぅう」
「まぁ、醜い」
「はぁ!?」
「失礼。私嘘が吐けない性格なので」
サロンに居座り茶を啜る青の小娘。なんて匂いのきつい茶葉なのかしら。鼻が曲がりそう。この女、他人の迷惑も考えられないの?
憎しみを込め彼女を凝視したところ、鍵を持っているようには見えない。リネルを壁際に追い詰め小声で確認するが、どこぞの公女も私同様0本所持の負組だった。なのにこの小娘は何故、こうも余裕綽々でいられるのか。
「初対面なのにご挨拶ですわね! 小国の出では仕方ないのかしら? 小さな島国では人材も場所も無く、ろくな礼儀作法も習えなかったのでしょうね」
「ふふふ。流石はクレストのギュールズ殿下。城の壁を破壊し、暗殺求婚だなんて獣なワイルドアプローチ、小国では教わりませんもの。大国ではそれが今の流行なんですね? とても野蛮でいらっしゃいますこと」
「うぐっ……」
所詮小娘。ここは大人の余裕を出して嫌味を返してやろうと思ったのに、何故私の立つ瀬がなくなっていくのかしら?
「はいはい、お二人は犬猿の仲みたいですけど、お猿姫もお犬公女もキャンキャン遊んでいる内に、負けちゃいますよ盗賊なんかに」
リネルの仲裁する気ゼロな仲裁により、コロネットの小娘も怒りに打ち震える。あら醜い。折角のお顔が台無しだわ。
私が脱出を試みている間に、青の公女も盗賊に敗北しているようである。
「っていうかー、ライネは下の二人の担当になったし、お二人のサポートするのは私になっちゃったんですよー。私あっちのいい男の方がよかったなー。リネルは真面目なメイドなので。マジメイドなのでちゃんと働きますけど……正直、お二人が協力でもしない限り勝てないと思いますよ? 彼には」
「こんな女と手を組めと!?」「こんな女と手を組めですって!?」
「わー、息ぴったりー。良いじゃないですか、協力して部屋攻略して鍵を見つけて……そこから後は仲が悪い者同士鍵を取り合えば」
リネルの提案は最悪だ。最悪だが……悪くない。利用し合って鍵を見つけ、後は思い切りこのクソ生意気な小娘をぶちのめす。向こうも同じように思ってか。青の王女が頷いた。
「……私はそれでも構いませんわ。其方の方が、どうしてもと仰るのでしたら」
やられた。なんて性悪なんだ公女アズレア! 意地を張った方が不利になる展開に繋げるなんて。クレスト王国を背負う私に、小国の小娘に詫びろと? 国同士のいざこざを、私で憂さ晴らししようとは!
(この女――……っ、協力する気なんてない癖に!!)
敵国である私から、謝罪の言葉を引き出して悦に浸りたいだけだ。一国を背負う者として、謝罪など断固拒否する。
「……付いてきなさいリネル。私に媚を売った方がお前のためになることを教えてやる」
「ギュールズ様、ですわ口調無くなると俺様系っぽくてちょっと格好いいですねー。付いて行っちゃおうかなー」
「おやめなさいリネルさん。聡明な貴女には賢明な判断が出来ると私は信じていますよ」
「おおぉ、美女二人から取り合われるってのも良いですね! よーし、リネルちゃんテンション上がって来たんでとっておきのお部屋にご招~待♪ 行きますよーお嬢様方ー!!」
「あっ、ちょっと!!」
使用人は私と公女の手を掴み、飛び跳ねながら部屋へと誘う。彼女に連れて行かれた部屋は当然施錠された部屋。扉の様子は他の部屋と大差ないようだが、何がとっておきなのか。
「うっ、ひっひひひ。この部屋とってもやばいですよ、凄いですよ。扉の掃除中に知ったのですが、ここってば身体のとある部位を司るお部屋なんです。ここさえ握ってしまえば、ちょっとの差なんてあってないようなもの! コーナーで差を付けられますよライバルと!!」
メイド女は可愛らしく笑っているのに何故だろう、胡散臭い。公女もリネルに不信感を覚えている風だ。
「いまいち信用なりませんが、何の部屋なのです?」
「いやん、乙女の口から言わせますぅ? 下半身! 下半身のとある部位ですよぉ!!」
(か、下半身!?!?!?)
その部位を想像し、私は大いに狼狽えた。アズレアは黙って顔を背けているが、少々顔が赤らんでいる。
リネルの言葉が真実ならば、この部屋を従えることは意味がある。アージェントの“その部位”を支配できるなら、どれだけ他の候補に差を付けられようと…………一線は越えない!! この部屋の鍵を得たなら、既成事実で正妻の座に着くことさえ可能!!
「ふっふっふ、心は誰かのものなのに、身体は他の誰かに支配されてしまって、嫌々泣いて反応しちゃうアージェント様って可愛くありませんか?」
((……良い!!))
何故だろう。敵である公女の心の声が聞こえてくるようだ。アズレアにも私の心の声が伝わっているのか、軽蔑の眼差しを向けて来て不愉快だ。
「あ、でもどうしようかなー? 高貴なお姫様方にはこの部屋向いてませんよね? お二人がこの部屋開けたくないって言うならミュラル様に教えちゃおうかなぁ? とっても素敵な使い方してくれそう」
「正式な婚姻まで、夫の純潔は守らなければなりませんわ。コロネットにもその位の慎みは当然ありますわよね?」
「当然です。あの卑猥な男にこの鍵は渡せません」
私とアズレアは、不本意ながら同じ部屋の攻略を試みる流れになった。
リネルにまんまと乗せられてた疑念もあるが、彼女の言葉を信じるのならリネルは私達のサポーター。仕事上の主に不利益な情報をもたらすとは思えない。
(アージェント……アージェントの、下半身…………)
見たことがない。想像も出来ない。思えば私は彼のことをよくは知らなかったのだ。
元の彼に戻したいと思っても、知らないことはどうすればいいの? 私が自由に想像し創造したら、それは本当に“彼を取り戻した”と言えるの?
迷いのせいか、私が何をやっても扉はびくともしない。それがアズレアが触れるだけで、簡単に扉は開く。これが彼女の自信なのか? アズレアは何か……アージェントのことを知っている? 私が負けるなんて思えない。なのにどうして、彼女の前で扉が開くの?
「先を急ぎましょう」
公女を追い室内に入った私のなんと惨めなことか。唇を噛み俯く私にリネルが近づきそっと手招き。
「あのですね、ギュールズ様。これ殿下からです」
「これは――……」
「指輪ですね。これがないと鍵探しの資格を得られなくて鍵、見つからないんです」
「どうしてそれをもっと早くに言わないの!?」
「だって今貰ったんです、これ。やっと出来上がったって」
リネルが消えた場面は見ていない。ずっと私の傍に居た。その間アージェントとの接触もない。
(この女――……)
呼び鈴で喚び出された風に見えたが、あれは鍵……“扉魔法”だ。音を鍵として扉の解錠が出来る能力? 何らかの音で彼女はアージェントとやり取りし、指輪を受け取った。
「うわぁ……顔にやけ過ぎ」
即座に指輪を付けた私をリネルは心底気味悪がった。仕方ないでしょう、嬉しいんだもの。欲を言えば彼から直接渡して欲しかったけれど、赤い宝石の指輪は私のために誂えられた美しさ。中に刻まれた紋章は――……私が祖国より与えられたそれ。
(覚えていくれていたんだ……アージェント。ううん…………“思い出してくれた”?)
昨晩、盗賊が取ったという二本の鍵の内に――……彼が少しでも私を思い出す情報が含まれていたのかもしれない。例えそうでなくとも。貴方を殺しに来た私が纏った紋章を、貴方はちゃんと見てくれていた。私から目をそらさずにいてくれたんだ。私はそれが嬉しい。
(私が頑張れば…………貴方と殺し合う以外の未来が、本当に手に入るの?)
昔の彼を覚えているのは私だけ。他の候補達は話にならない。これ以上アージェントを蹂躙させたりするものか! 鍵も公女になんて渡さない!
私は気を引き締めて、室内の調査を開始。
使い込まれた楽譜と銀色の美しい管楽器が目に留まる。ここは音楽隊の部屋だろうか? 衣装棚には同じデザインの軍服も収められていたが、そこからもリヴァリースの紋章は消えている。
私は戦場で、リヴァリースの音楽隊を見ていない。彼らはどんな音を奏でたのだろう? リヴァリースの国歌すら私は知らない。未知の国に嫁ぐなど、馬鹿な話だと思う。私が知っているのはかつての王子、アージェント。彼の側面一つだけ。そんな私に彼が取り戻せるのか。部屋を知り、彼を知る。私が彼を知らないことを、思い知る。
(弱音を吐くつもりはないけれど……気が滅入るわ)
小一時間ほど経った頃、室内の中央で見えない境界線が出来上がる。警戒心の所為だろう。調べた物を移動し積み重ねる内に、楽器ケースや衣装箱が壁を築いた。
アズレアとは互いに無言となりながら、牽制し合い自分の陣地を探る。暗黙の了解、私達の協力とはそれぞれの作業を邪魔をしないことだけ。
けれど、そこに鍵が無いと判明すれば、お互い相手の場所が気になった。
交換を申し出るか? いや、ここで譲って此方側から鍵が見つかれば大損。とは言え、細心の注意を払い鍵を探しても見つからないのだ。これまでのように、何らかの試練を越えなければ鍵は姿を現さない。
(でも、試練って何?)
部屋に閉じ込められていない。敵と争う状況でもない。化け物が現れたというのも違う。
(そう言えば、奇妙だわ)
室内に入ってから、リネルはニコニコ微笑むだけ、一言も言葉を発していない。私達もそう。ここでは“声を出してはいけない”? 声を出したら何がある? ここは鍵の王国、リヴァリース。何らかの扉が開くと見るべきか。
不仲な私達は口論を始めるか、こうして無言になるか。そこに意味があるからリネルは私達を連れ出した?
(公女も馬鹿ではないようね)
探索時に音を立てぬよう、次第に動作が消音気味になっている。それでは声以外でも? 音に反応する“何か”がいる?
私は足音を忍ばせて、室内の端から端までを確認。室内に怪しいものは見当たらないが……アズレアの顔色が悪い。彼女には何かが見えているのか?
(……いや、何か聞こえる)
足音。私が動きを止めても足音がする。私とアズレア、リネルの他にもう一人。何者かが室内にいる。足音は水溜まりを歩くよう、ピチャピチャ歌う。それでも床の絨毯が、濡れて汚れることはない。
「…………」
私は手近な枹を掴み、窓ガラスへと投げつける。
信じられない者を見るようアズレアが私を睨むが、割れた硝子の方へと足音が駆けていく。そして、バリバリ音を立て枹をあっという間に噛み砕く。
(水、水……水、ねぇ?)
アズレアのあの反応から見て、これは彼女が持ち込んだ問題に違いない。部屋自体に問題があるのではなく、公女が室内に問題を持ち込んだ。協力とは、私を身代わりに始末するつもりだったという話?
考えればとてもおかしな話だ。コロネットの巫女は、神の花嫁。その花嫁が異国の王子との結婚を望む? 加齢による離縁ではないだろう。まだ彼女の年ならば、数年は巫女を続けられる。
この女は、巫女でいられなくなるような事件を起こした。リヴァリースへは亡命に。アージェントの魔法の力で保護して貰うことを望んでいる。正妻ともなれば、リヴァリースはアズレアを全力で守る。アズレアは“呪い”のために輿入れしたのだ。ならば今、室内にいるのは海神が放った刺客。
香水に、匂いのきつい茶葉。アズレアは他人に匂いを移し、身の安全を図る。連れた多くの従者も追跡者を惑わすため。多くの匂いが漂う陸上では、明るい場所では目も見えない。聴覚だけが研ぎ澄まされた深海の狩人。
(上手く撃退できれば、この女に貸しを作れる。私の強さを見せ付けて、彼女の保護も約束すれば……正妻争いから辞退させられるかもしれない)
怯えた様子の公女へ微笑み、私は剣を構えて見せた。切っ先は無論、割れた窓の方を向く。
「どんな気に入らない小娘でも、貴婦人は貴婦人。其処な化け物、騎士姫ギュールズが相手になろう!」
意を決し発した言葉。その直後、剣を構えた腕に強い衝撃が走った。剣を落とすための突進か。腕に痺れはあるが、私は剣を落とさない。しかし、ガシャン……音が鳴る。今の攻撃で、剣が砕けて飛び散った。続いて篭手もバラバラと床へと崩れ落ちて行く。私の身体が頑丈であること以外に理由があるのでは? 思えば先程投げた枹も、金属で出来ていた。
(こいつ……金属を砕く力が!?)
魔法で無ければ勝てない相手。しかしここは、通常の魔法が殆ど使えない場所。このまま戦えば鎧も無事では済まないだろう。
(盗賊ミュラル……あいつのように)
魔法の才がない男が、指輪を得て魔法を覚えた。アズレアなど完全な足手まとい。
私もあの力を使えるようにならなければ勝機は無い。
逃げることも視野に入れたが、扉の前でリネルが両手を×にする。扉を開ける音が問題だと言っているのか。
(指輪……指輪の力?)
どうしよう。使い方が解らない。使い方、使い方。逡巡の後、私は右手で指を鳴らした。もう右手に篭手はない。今度は化け物が私の腕に噛み付いた。
(……掛かった!!)
指輪を填めた左手で、食らいついた獲物に拳をぶち込む。指輪の使い方なんて、これしか思い付かなかったのよ。仕方ないじゃない。
私の物理攻撃に、魔力が宿っているとリネルが言った。指輪に力があるのなら、こうして殴って殴って――……殴って、開く?
私は想像した。殴りかかった獲物の身体に、拳で大穴を開ける様を。大事な戦いならば、上品さは不要。勝てば良い。扉だってそう。壊してでも開けば良い。
「!!」
指輪が熱い。左手全体に真っ赤な炎。殴った相手は熱さに堪え兼ねビタンビタン暴れ出す。炎に包まれることで、相手の姿が見えて来た。これは随分と大きい、形は魚のようだけど。
「ギュールズ!!」
怯えて震えていた公女が、境界線を越えて来る。足を震わせながらも、彼女は短剣を私へ向かって投げた。
純度が高く質が良い……魔法と相性が良い金属を使っている。左手の炎が刃に移動し青く青く燃え上がる。短剣が纏う炎は私の剣と同程度の長さ。これなら問題なく扱える。より長く、より熱く変化した武器で、魚の首を切り落とす!
「はぁ……はぁ」
「いやー! お疲れ様でした!! なんですかお二人とも、結構良い感じでしたね!」
追跡者の消滅を確認し、リネルが拍手を送って寄越す。答える気にもなれなくて、彼女を無視し私はアズレアへと近付いた。
「これ、貴女のでしょう? 返しますわ」
「結構です。私の武器じゃありませんもの。そこの戸棚から見つけたもので」
私の方では武器は無かった。この女、ちゃっかり武器を拝借し、私が隙を見せたところで刺すつもりだった? 武器を差し出す手を引いて、思わず一歩後ずさる。
「あれ? いいんですかアズレア様? それ……鍵ですけど」
「!?」
リネルの言葉を受け私は手を確認。今の今まで銀の短剣だったそれが、美しい銀の鍵へと変化している。
「お、お待ちなさい!! やはりそれは私の武器でしたわ!! 返しなさい!!」
「あら、コロネットの公女はすぐに言葉を違える気ですの? 国と国の信頼関係に、一番大事なことが箱入り公女様にはご理解頂けないようで?」
「くっ……」
やった。初めてアズレアを言い負かせた。プライドの高い彼女は、こうやって自滅させればいいのね。
「いいでしょう、そんな些事……私には何の痛手になりません。予言しましょう、“彼の正妻となるのはこの私なのですから”!!」
「ふん、後で後悔しても遅いですわよ! おーほっほっほっほ!!」
「やりましたねギュールズ様!! 私は貴女が勝つって信じてましたよ!!」
調子の良い使用人め。しかし持ち上げられて嫌な気はしない。私は胸を張り、リネルに頷いてやる。
「これでアージェント様のあの場所は……ギュールズ様の物ですね!!」
「よ、止しなさいリネル。はしたないですわ」
「え? まぁ、そうかもしれませんね。足の小指とか普段隠してますしね、王族の方にははしたなく見えるかも」
「そうですわ、足の……足の小指ぃいい!?」
「はい、足の小指!!」
リネルの笑顔。これはわざとか天然なのか? 笑顔だけなら天使のようだが、悪魔に思えて仕方が無い。悪意を発さず悪意を垂れ流す、無垢な笑みが腹立たしい。万が一、ほんの僅かな可能性で彼女に悪気がなかったら、ここで暴力に頼りでもしたら私が悪者になる。そう思わせる、天使の笑みだ。
「ぶっ……ふふふ。そうですか、下半身、下半身。偉大なクレスト王国のお姫様は何を想像していたのでしょうね?」
こっちは少しは悪意を隠せ。悪意100パーセントの公女は、助けられた恩義も忘れて私を馬鹿にする。
「足の小指を取ったらもう、自由自在に殿下をいたぶれますよ! 他の花嫁といちゃついてる時にこう、ガツーンと! タンスの角とかにぶつけてやりましょう! これ以上痛くしないでって貴女だけのものになって下さるかも!?」
リネルの力説に、そんな未来を想像してみる。…………みみっちい。アズレアではないが、私にもプライドがある。勝てば正義であろうとも、そんな方法で勝つのは流石に如何なものか。騎士としてのプライドは、即座に駄目判定を下した。
「……リネル、次はもう少しまともな部屋に案内して」
「ええ!? もっと凄い下半身の部屋ですか!?」
「下半身じゃ無くて良いから」
「お目が高いですねギュールズ様! 上半身の、あの部屋ですか!? 二部屋連動のあの部屋ですか!?」
「お待ちなさい。二部屋一気に手に入る特別室があるのですか!? リネル!! 今すぐ私をそこに連れて行きなさい!!」
「あ、いっけなーい! お掃除残ってたの忘れてました!! 呼び鈴鳴らされてます、すぐ行かなきゃ!」
私とアズレアに詰め寄られたリネルは、ウインク一つ残して魔法を発動、消えて行く。室内に残された、私と公女は少々気まずい。再び無言の時が流れた。
「……あれが、貴女が嫁いだ理由?」
私の方が大人なのだから、先に折れてあげる。礼を催促するわけではないが、会話の糸口を探り……追っ手について追求をした。
「国家機密です。ですが門が開いている以上、あの手の輩はまたやって来るでしょう」
「え!? あれで終わりじゃないの!?」
「雑魚も雑魚です。城の外なら直ぐに食糧としていたところです。アージェント殿下には、早く扉を閉めて頂かなければ」
アズレアの口ぶりでは、これは城の話ではない。王国の扉――……盗賊ミュラルが破った扉を言っている。
「彼は魔法が使える。すぐに閉じて貰うことは出来ないの?」
「術を思い出しても、彼は城から出られない。全ての部屋を開放するまで、アージェント殿下は銀の城の囚人」
「アズレア……貴女やけに詳しいですのね」
「……コロネットとリヴァリースは盟友だった。文字で残った記録はありませんが、証拠はあります」
アズレアは服の内側から首飾りを取り出して、装飾部分を私へ見せた。そこには鍵が一本括り付けられている。
「そ、その紋章は!!」
鍵の装飾には紋章が刻まれていた。世界中からある日突然消え失せた、双頭の鷲――……じゃ、ない?
鍵は金色、紋章は銀色。リヴァリースの紋章は紋章だが、この鍵にあるのは片翼のみ。
「割り符鍵……?」
「ええ。これが何よりの証でしょう」
「…………貴女は、アージェントと会ったことがあるの?」
「いいえ。ですが大事なのは、これからのことでしょう? そう、これから…………これからってもうこんな時間!? いけませんわ、この時間は鏡の手入れをしなければ!!」
なんだあの女は。衣服を探り、愛用の鏡を所持していない事に気付き、慌てて部屋を飛び出して行く。“まだ”追っ手がやって来るかもしれないのに暢気なことだ。それとも……信じているの? あの鍵がある限り、自分自身の幸運を。
(私は……)
ようやく手に入れた鍵。ここに、リヴァリースの紋章はない。
勝ったのに。鍵を手に入れたのに。どうして私は負けた気持ちになるのだろう? こんな気持ちが続くなら、私は再びアージェントを襲ってしまう。彼と私を消すために。
(駄目、駄目……駄目よ)
俯いて、縋り付くよう見た指輪。嗚呼、やっぱり。私もあの盗賊達のように、彼自身から受け取りたかった。
「アージェント……」
貴方が直接くれたのは、兜と貴方の血。私はそれ以外を。それ以上を望んでは、いけないの?
ギュールズ&アズレア回。
次辺りにまた別のヒロイン登場予定です。アズレアの掘り下げはまたもう少し後で。