5:青の公女
アージェントが埋葬された部屋の鍵。あれはその部屋自身の中にあった。
それなら俺が、明かり探しで開けた部屋。あの部屋の何処かにも鍵が眠っている。
鍵を持たずに開けられなければ部屋の主にはなれず、入れても鍵を見つけられねば同じ事。花が鍵であったよう……鍵は本来の姿を失い、別の何かに変化している。
俺とエルミヌは、該当部屋を隈無く物色。アージェントはどれが鍵かを見分けられるが、俺達が一度。指輪を付けた手で触れなければ鍵に戻らず、彼にも鍵とは解らない。
「ミュラル様ー」
「んー、どうしたエルミヌ」
床から壁から触り続け「指紋がすり減る」とエルミヌは泣き言を言っていた。弱音を吐くことにも疲れ作業に飽きたあいつは、俺に話題を振って来た。
「気になっていたんですが……どうしてミュラル様は、公女様が目指した場所が本物だと思ったんですか?」
「そりゃ【青の国】……海公国コロネットは海神を祀ってるだろ?」
四方を海に囲まれた島を領土とするコロネット。巫女の祈りは波を操り、侵略者を防ぐ。何百年前か。さしたる証拠もない癖に、リヴァリースとは唯一国交を結んでいたと言い張る歴史家もいる。互いに閉鎖的なお国柄、繋がりを勘ぐる者が出てもおかしくはない。俺も鼻で笑っていたのだが。
公女アズレアは、パレトの街へ現れた。あれほどの家来を連れ、嫁入り道具を持って。
(あいつは、俺達と同じ南門から入ったのではないな)
パレトには運河があった。コロネットはリヴァリースの彼方東方に位置する。アズレアは海路より入り、運河の閘門を開いたのだ。
クレストは西方。ならばギュールズ姫は西門から? 同時期に鍵が開いたのならば、リヴァリースを守護する鍵魔法が切れたとみるべき? それとも何処か一カ所が、破壊されると同時に他も開く仕組みであるのか。
(青の公女には良くない噂がある。早い所エルミヌに鍵を持たせねぇと)
幼くとも油断ならない相手。代々公国では、未婚の公女は神より予言の力を授かる。青の公女・アズレアはその美しさで神々からの寵愛も厚い。稀に見る天才予言者。
「へぇーそうだったんですか。でもそんな天才巫女様なら、私やミュラル様のことも知っていそうなものですよね」
「そりゃ他の男に嫁ぐとなれば寵愛も無くすだろうよ」
「なるほどーそうなんですねー! でもミュラル様。一度授けた力を簡単に奪えるものなんですかね神様って。公女様、正確にはまだアージェント様と結婚していませんし」
「扉くらいは開けたかもな。無駄口はここまでだ。まだ予知能力を持っていたら厄介だ。先に俺達が本数多く集めるぞ! アージェント、これはどうだ?」
「違うみたい」
「こっちはどうです? アージェント様!」
「いい加減になさいませ奥方候補」
数打ちゃ当たる戦法の俺とエルミヌに、憤慨している男。名はライネとか言う使用人。無人であった城内に、アージェントが喚び出した内の一人。
彼らは白を基調とした仕着せを纏うが、あれでは汚れが目立つ。雑用するにも不便だろう。
ギュールズ姫のことはメイドの方が連れて行き、執事の方はアージェントの世話役兼俺達の監視役として傍に残った。
「部屋に主と認められれば、鍵は自ずと姿を現しましょう。まだ、その時ではないのです。それを貴方がたは忙しなく……殿下も目覚めたばかりでお疲れです。如何に奥方候補でも、無理はさせぬよう」
「へいへい」
部屋に認められる。俺はあの時アージェントを守った。それで認められたとするのなら、俺達は家捜しよりも、アージェントとの関係を深める方が重要かも知れない。
しかし、エルミヌとアージェントの仲を取り持つには何をしたらいいんだ? こいつはこの二ヶ月、俺と一切そういう雰囲気にならなかった女だぞ。ましてやアージェントは幼く、精神の一部は俺の妹要素で出来ている。エルミヌの色仕掛けは効果が無い。まずは二人の距離を縮めるため、友好度を上げておく必要がある。好感度など二の次だ。
「何だか外とか下の方が騒がしいですね。何があったん……ひぇええええ!!」
エントランスの騒がしさに、窓を見下ろしたエルミヌ。彼女は即座に腰を抜かした。
「公女の家来共が次々入城してくるな。開けたか青の公女……」
アージェントの方が幼いが、城内の人間で最も彼と年が近いのは公女アズレア。年が近ければ親しくなるための障害が少ない。その点彼女は有利である。
「エルミヌ、俺が時間を稼ぐ。その間お前はアージェントと良い感じになれ」
三人を部屋に残したまま、俺だけ先に外へ出る。都合の良くそこは外開きの扉。部屋から持ち出したモップを支えさせれば内側からは開けない。
「ひぇえええええ!! 外から鍵掛けるなんて、鍵もないのにどうやったんですミュラル様!?」
「この俺に重労働させるんだ。しっかり成果を出せよエルミヌ!!」
俺は荷物を漁り、パレトの服屋で貰った“おまけ”へと着替える。エルミヌが嫁ぐなら、付添人の俺も正装は必要だろう。この礼服ならば使用人を演じられる。
(待ってろ公女! テニーの……いや。アージェントの幸せにお前は不要だお姫様!!)
*
「誰か居ないのか!? 試練を越えたクローネ様に対し無礼であるぞ!!」
「控えなさい。お前が無礼ですよ」
エントランスでギャーギャー騒ぐ、家臣を窘める公女アズレア。近くで見る姿は、以前目にした何倍も整っている。アージェントと並べれば、何方も人形のように愛らしい。外見だけならエルミヌよりも釣り合いが取れている。
「遠路はるばるようこそお越し下さいました。失敬、挨拶が遅れました。私は銀の殿下にお仕えしております、ライネと申します」
使用人も部屋に閉じ込めたのは、俺が奴の名を借りるため。予知者の公女相手に何処まで嘘が通じるか。御手並み拝見と行こう。
「おお、これは失礼ライネ殿。我々はコロネットから参りました。親書にあった試練は此方のクローネ様が見事突破されました。婚約は成立ということで宜しいか?」
「私の一存ではなんとも。暫し主をお待ちください。此方へどうぞ」
これでも貴族に取り入るために、必要最低限の礼儀作法は学んでいる。不審な点はないはずだ。だというのに俺を見て、アズレアは顔をしかめた。美貌が損なわれないのは立派なものだが、表情の陰りによって悪人面に見えて来る。スラムでもこの眼孔で睨まれれば、三下なんかは震え上がることだろう。
「~~ッチィイッッっ……!!」
公女様が、舌打ちだと!? 俺より凄い舌打ちだった。何なんだこの女は。
公女アズレアは性悪と、セブルマーケットまで評判は届いていた。美貌に嫉妬しての風評被害を信じたかったが、もう一つの噂も真実味を帯びて来た。
「これ、私の大事な鞄」
「……はい?」
「お前が運びなさい。傷でも付けてみなさい。同じ数だけお前の顔に傷を付けてあげる」
眼前で床に放り投げられる旅行鞄。慌てて俺は滑り込み、鞄をキャッチ。
「ぐぇっ!!」
「邪魔」
(アズレアぁあああ!!! 悪魔かこいつは! 大悪党の俺が言うのもなんだが、この娘素質があるぞ悪党の!!)
必然的に彼女の進行を妨げた俺の背を、公女は容赦なく踏み付け歩く。体重は軽いものだが、天下無敵の盗賊ミュラル様のプライドは傷付いた。どうしてくれようこの女!!
「使用人、私はお前の未来の主よ。さっさと案内なさい」
最初に家来を窘めた人格者の仮面は何処に捨て去った!? 小憎たらしい少女は、俺の服裾で靴の汚れを払う。
こんな女に。こいつだけにはアージェントを渡せない。鍵の一本たりともやるものか!
(好みじゃねぇがぶち●す!! このミュラル様に舐めた真似しくさりやがって!! 嫁入り前に傷物にして、花嫁の資格奪ってやるぅうう!! 俺様に惚れさせた後、ボロ雑巾のように捨ててやる!! 見てろよ公女アズレアぁああああああ!!!)
*
「公女様、お茶が入りました」
「そう……」
切り揃えられた髪は、手入れの行き届いた真っ直ぐな黒髪。祖国の色を表す青いドレスがよく似合う、瞳の色も深い青。ソファーで寛ぐ際も、気品を失わない姿。大人しくしていれば、清楚なお嬢様。色気のない子供には興味の無い俺でも、瞬間的に息を呑んで見惚れるくらいだ。
内心の動揺をひた隠し、給仕を行う俺。大人しく茶器を受け取ったかと思いきや……アズレアは立ち上がり壁際まで進む。彼女は備え付けの屑籠に、カップの中身をぶちまけた。
「なっ……!?」
「毒味、お願いね。それポットから今注いだわよね? あれをお前が飲めるなら、私も安心して頂けるわ」
おーおー流石は公女様。若いのにしっかりされていらっしゃる。予言か? 俺が媚薬盛ったの何故バレた。飲めというのかこの俺に!?
「お前新入り? 生まれが卑しいの? 普通、銀の茶器を使うのが常識だわ。ましてここは“銀の王子”の城でしょう? 銀がないとは言わせないわ」
一本取られた。この屑籠は銀製だ。アズレアは毒の有無を銀で調べ、俺の犯行を見破った。その上で俺に飲めと命じている鬼だ。
「それは残念です。国内では評判の茶葉でして。温度によって、色が変わるのですよ」
「色が……変わる?」
「コロネットの公女様をお迎えするには、相応しいと主が用意していたものです」
アズレアは銀が曇った場面しか目にしていない。その後、屑籠内の液体は薄桃色から青に変わった。カップから、屑籠に移し替えられて茶の温度が低下した。
セブルマーケットに稀に流れる“ティンク茶”は微量の魔力を宿し、このように温度によって自在に色を変えるのだ。魔法の才能があるから見てみろと、手品や詐欺に活用できる。世間知らずの小娘なんか、良いカモになる。
アズレアは無言になって屑籠を睨み付けていた。警戒を解くために、俺は彼女を煽ることにした。
「ああ! 田舎もn……いえ、外からお越しの公女殿下はリヴァリースの流行に疎いのも仕方ありません。残念ですね……赤の王女様は大層お喜びになったと言うのに」
「赤の……? クレストの豚、いえ。ギュールズ殿下が既に此方に!?」
掛かったな小娘。おうおうおうおう、食いつきやがった。クレスト王国とコロネット公国は不仲だからな。予想通り、ギュールズの名を口にした瞬間にアズレアの顔付きが変わる。
元々コロネットは大陸に国土を持っていた。【青の王国】コロネットはクレストにより王族を皆殺しにされ、海の果てに追いやられる。唯一残った島、クローネ公爵領のみが……コロネットの最後の国土となった。それ以降、コローネ公に建て直された【青の公国 コロネット】は【血の王国 クレスト】を恨み続けているのである。
アズレアもギュールズだけには負けるなと、クローネ公から期待されていることだろう。
「……チィイっ!」
舌打ちの後、アズレアは両手を叩く。部下への合図か。即座に彼女の前へ銀のカップを献上する家来はよく調教されている。嫁入り道具一式に、マイカップがあるのなら最初から出しておけば良いものを。
「そこのお前、さっさとこれに用意をなさい!」
渋々俺が茶を注ぐと、アズレアはひと思いに茶を飲み干す。ざまぁみやがれ。ポットにもちゃんと盛ってある。俺様とっておきの無色透明無味無臭! 銀でも検出不可能の媚薬を!
(よし、掛かっ、た……?)
勝ち誇った顔の俺にむかって、アズレアは嘲笑をもって応える。
「私は誰より美しい。神々も私を深く愛している」
何故この女は平然としているのか。冷や汗が出る、寒気がしてて来た。取り戻した主導権が、再び奴の手に渡っていくような気がしてならない。
「その色、お前。マーケットの出ね。連中、呪術が得意なんですって? あんなもの、私に言わせればお遊びよ」
動けない俺の眼前で、アズレアは自ら注いだ二杯目を啜る。
「水は守り、水は鏡。私に向かう悪意は全て、その者に返る。お前が何をしたのか、これから知るのが楽しみだわ」
(く、くそっ!! ミュラル様がなんたる様だ!! 出るところもない、色気なしのお子様に。この天下無敵のミュラル様が、惚れ薬を返されるだと!?)
俺は一滴も摂取していない媚薬の効果を、魔法防御で返された。化け物か青の公女は。これも紋章の力? ガーデンの貴族共とは格が違う。神との契約で受け継がれた紋章は、俺の理解を超えていた。
「さぁお前。話してごらんなさい。お前は何を企んだ? この城と王子の秘密を明かしなさい!」
(ち、畜生……っ!!)
惚れ薬の強制力で、俺はアズレアに逆らえない。腹立たしい小娘が、途端に可愛く見えてきて……何でも言うことを聞いてやりたくなる。命令に従うことが至上の喜びに感じてしまう。アズレアと会話が出来る。視線を注目を得られる。恐ろしいなこの薬!?
強すぎる恋の錯覚に、俺は非常に戸惑っていた。この薬はおかしい。いつも買ってる奴と効果が違う。いつものは体温が上がり、鼓動が少し早くなるだけの薬。紛い物を掴まされたか?
「そう。お前がミュラル――……鍵は既に手に入れたのね?」
「は、い……」
「そう」
アズレアは俺から全てを聞き終えると、白い掌を俺へと見せた。触って良いのだろうか? 飼い犬のように少女の手に触れれば鳩尾に蹴りが入った。
「馬鹿犬、違うわよ。寄越しなさい鍵を!! お前の鍵を出しなさい!!」
「鍵は……エルミヌ、に」
「役立たずっ!! 殿下も何を考えているのだか! こんな男にっ!! 野良犬が生意気に指輪までしてっ……」
アズレアはここに鍵がないことを知ると、俺の頬を蹴り飛ばす。怒り出すと手が付けられない、清楚の二文字は今や何処? 倒れた俺の指から指輪を奪うや否や、自らの薬指へ填め……俺に指輪を見せ付ける。
「ふぅん、綺麗な指輪。美しい私の方が似合うわ。馬鹿犬、お前もそう思うでしょ?」
指輪、指輪。アージェントから貰った指輪。黒い石に白で花の紋章が描かれた指輪。
「クローネ様!? ひぃいいい! お助けください!! 海神様の守護を我らにぃいい!!」
「!? な、何!? お前達、どうしたの!?」
指輪が彼女に奪われてから生じた変化。アズレアの傍に控える家来の身体が消えていく。彼らは足から頭から、黒に飲まれて消えていく。あの黒は、指輪から発せられた靄。人が消えて行く度に、白い紋章は黒ずみ唯の石に近付いた。
「ひ、嫌ぁああああああああああああああああああ!!」
アズレアの絶叫。やがて指輪の靄は部屋全体を包み込み、応接間を闇に閉ざした。
*
「えーっと、アージェント様のご趣味は?」
「ごめん、思い出せなくて」
「あ。あははははー! それじゃ私と同じですね!!」
気まずい。閉じ込められた部屋の中、私は王子様と微妙な空気で会話を行う。
(ミュラル様の遣り手婆!! 突然王子様と一緒にされたら私の心臓が持ちませんってばー!!)
嗚呼……夢にまで見た王子様。本物の王子様とお近づきになれる日が来るなんて、これまでの私の頑張りが報われたようで幸せ。
顔や性格はどうでも良いと言ったけれども、顔も性格も可愛くて素直な王子様を嫌う理由はありません。
(でも……私が見たミュラル様の秘密)
彼は“テニー”と呼んでいた。彼の死んだ妹らしい。アージェント様はその、テニーさんと同じ顔。顔は完全に女の子のそれである。
(ど、何処まで女の子なんでしょう……アージェント様)
王子様には王子様でいて欲しい。外見が女の子っぽいくらいは看過できるが、肉体まで完全に少女のものであるのなら、私が夢見た王子様との幸せな生活は崩れ去る。
(見たい。確かめたい。現状何処まで妹なのかを!!)
ミュラル様の欲望が何処まで反映されているのか確かめる必要がある。協力して鍵を入手しても、最初に手にした者の望みが反映されるのならば。せめて一本は私が自力で鍵を見つけるべきだ。そう、一本分の一本は。
「エルミヌ何か、難しいこと考えてる? 相談乗る?」
「あ。いえいえいいえ! 私はその……鍵探し疲れちゃいましたねー? ここから出られたら、一緒にお風呂なんかどうです? なんちゃってーあははー!」
「…………え、エルミヌが良いなら、いいよ」
は、恥じらい!? 外見は乙女の恥じらいに見えますが、これは私を異性と意識して戸惑っているようです。少なくとも現時点のアージェント様、その精神は男の子。そして押しに弱い。鍵を入手していなくとも、指輪を持っている時点で私もちゃんと花嫁認識してくれるんですね。
「な、泣いてるの?」
「い、いえ。まともに女の子扱いして貰えるの、久々で」
感涙する私にアージェント様はおろおろしている。
「……? エルミヌは女の子だよ? 髪の毛も、ふわふわで可愛いし」
「ぐ、ぐはぁああああっ!! アージェント様っ! いけませんっ!! そんな天然誑しみたいな、くぅううう!! 意味なく優しくされるとときめきがっ!!」
ずっと王子様に憧れていたんです。前触れ無く、下心無く可愛いと王子様に言われてみなさい。こんなもんときめいて当然ですよ!! 黄色い。いえそこまで綺麗ではないか。私は黄土色の悲鳴を上げて床やら壁をバンバン叩く。この興奮をエネルギーとして放出しなければ、私がオーバーヒートしてしまう。
「あっ……」
「えっ……?」
掘ってしまった。開いてしまった。まだ鍵も見つからないのに。私は部屋の床を開いてしまった。
「こ、このまま下に落ちたら、またあそこに落ちますね。危ない危ない……アージェント様、壁の方から抜け出しましょう? ライネさんも……」
落ちた部屋とは違うのか。私の鍵で開けるならば話は早い。隣室の壁を開き、其方から通路へ抜けよう。私達の会話を見守っていた使用人の彼にも声を掛けるが、返事がない。辺りを見回すも……執事の姿は消えていた。
青のヒロイン回前半戦。長くなりそうなので二回に区切りました。
早く他のヒロイン達も出したいですね。
みんな可愛くデザインして頂いたので、こんな台詞言わせて良いんだろうかと心配になります。