4:赤の騎士姫
【鍵の王国 リヴァリース】の国章は、白旗である。
かつて【鍵の王国】には、双頭の鷲が掲げられていたが、いつしか鷲は姿を消した。しかし誰一人として、“消えた日時”を明言できない。これこそが、リヴァリースが【鍵の王国】たる所以。
白旗を掲げる王国。それは降伏の宣言にも等しく、諸国はリヴァリースに攻め入った。世の破落戸達も同様に。
国内で何があったにせよ、【鍵の王国】に異変が生じたことは確かであるため、混乱に乗じて利益を求める輩が現れた。
【鍵の王国】の人々には、他国の民が持たない魔法があった。外の人間は、彼らの力を欲した。或いは、僅かな数だけ手中に収め……他は虐殺。そんな算段もあったと考えられる。
消えた鷲の存在が、雄弁に語りかける。
“鍵の力”は物質からも、人の記憶からも消し去り隠し通せる力。
尚も他者を拒み続ける、堅牢な壁。
“鍵の力”は王国を守護し続ける絶対の力。
暴くこと、隠すこと。“リヴァリースの魔法”はそのすべてを執り行える。
王は守り続けねばならない。民の一人も取りこぼさぬよう。
(それでも、私は覚えている)
鍵の力をもつ民の、唯の一人も渡せない。ならば戦場には誰が来る? それは、国を守護する“双頭の鷲”。黄金の鷲は音もなく舞い降りて、大群をも退ける。そして、白銀の鷲に手を引かれ――……空へ羽ばたき消えていく。
当時の彼らの戦装束には、確かに紋章が刻まれていた。“金と銀の双頭の鷲”。ヒラヒラと翼のようにはためくマント、遠目からも解る見事な金属色の装束。身軽な彼らは鎧を纏わない。唯一頭部を兜で飾る。兜には鷲の翼を思わせる装飾と、戦場には不釣り合いな花冠を乗せていた。鳥達は括り付けられるでもない冠を、落とすことなく戦場を舞う。その光景だけならば、本当に美しいのに。
*
「ギュールズ!! 報告をしろ!!」
「ひっ、……ひゃい、ちちうえ!」
「片翼程度は落とせたのだろう? 幼いお前にはその程度でも大手柄だ。余自ら抱擁し、よくやったと言ってやろうでないか?」
「そ、それは――……」
「幼いが優秀なお前だ。出来の悪い兄や姉達とは違うだろう? さぁ、祝杯のために戦果の報告をしてくれるな? 我が愛娘、ギュールズよ」
父が笑った。噴火する前の火山のように穏やかに。私はあとどのくらい、生き延びることが出来るだろうか?
結果など、とうに知れ渡っている。私の初陣は兄弟達とそう変わらない大敗を喫した。一つだけ違ったのは、鷲の血を流させたこと。この程度の戦果で父が満足するとは思えない。あの化け物共を、生け捕ることが重要なのだ。
(できない……できるわけがないっ、あんなばけもの達あいてに)
【銀の鷲】は扉を操る。敵も兵器も何処から来るか消えるか解らない。
【金の鷲】は鍵を操る。秘密を暴き、広げる力。人の心と絆を破壊する。
鷲との戦いは一方的。剣の一太刀浴びせられることもなく、鍛え上げた此方の兵士が廃人と化す。心が折れて、もう満足に戦えない。
どんな人にも、他人に知られたくない“秘密”が隠されているものだ。それを【金の鷲】は、近付くだけでこじ開ける。兄や姉達の時はそう。特に酷い時には“秘密を知った者を生かしておけない”と同士討ちを始める始末。味方の血だけで戦場が赤く染まる恐ろしさ。私が任せられた軍隊も、多くの血は流れた。嗚呼、それどころか私の時は更に酷い展開になる。
私の親衛隊に密偵が入り込んでいた。“秘密”を暴かれたその者は、主君である私に刃を向けた。私は震え上がりながら、密かに死を覚悟した。
「何してるのよ馬鹿っ!」
「子供が紛れてて……」
「子供でも敵よ敵! 放って置きなさい!」
死ぬはずだった私を救ったのは……見えない扉を開いた【銀の鷲】。
彼は扉を開けて私の手を引いて、別の場所へと逃してくれた。恐怖の対象だった鷲達も、近くで見ると小さな身体。私とそう、年も離れていないように思われた。
そんな子供が、恐ろしい力を持っている。神童と讃えられた私さえ太刀打ち出来ない、異形共。
「は、はなせばけもの!! わ、わたしは……ほこりたかき、クレスト王国が第四王女、ギュールズ!!」
私の素性を見破って、人質にするくらいなら自害しよう。泣きながら化け物共を睨んだ私に、【銀の鷲】は悲しげに呟いた。
「何もしない。君たちが攻めてこなければ、僕らは君たちに何もしない」
化け物呼ばわりされても、彼は怒りを表に出さない。撤退を命じるよう私に願うだけ。私は【鍵の王国】を、悪魔の化身と言い聞かされて来た。そのため彼の言葉を信じることが出来ない。
「うそだっ、おまえたちはばけものだ!」
「はぁ。だから王国に閉じこもっているんじゃない。大体、化け物はそっちでしょ? “血の王国”のお姫様が何言ってるのよ」
私の角と耳を見て、悪魔はどっちだと【金の鷲】が嘲った。悔しくて、私はボロボロ涙を流す。【銀の鷲】は困った風に溜め息を吐き、白銀の兜を外して私へと投げた。
銀の鳥は、――……美しい少年だった。銀にも近い色素の薄い白金の髪、ガラス玉の如き青に磨かれた瞳。化け物と教わって来た相手に、見惚れるなどという失態。彼の瞳を見ていると、私の心の扉さえ開いてしまう。
「…………君が一番下の妹姫かい?」
「う……あ、…………う」
「え、嘘。ラッキー! こいつでお終いって事? さっさと終わらせましょう!」
「そうじゃないよ、オーア。クレスト王が次の子供を作るだけだ。平和なのは何年か。養子を貰うとか、非嫡子を認知するだけならすぐに次の兵が来る」
「むー、じゃあどうするって言うの?」
「ギュールズ姫は幼い分、まだ話が通じそうだ。彼女が手柄を上げて、跡を継げばクレストは変わるかもしれない。ギュール……、グール姫。これ、あげる」
【銀の鷲】は私の剣を奪い、自らの腕を傷付けた。血に濡れた戦装束の袖を破き、兜の中へと押し込んだ。そして、ついでと言わんばかりに花冠を私の頭に置いていく。
「功績をあげた君を、お父上は始末しないはずだ。一度出来たことは次もと期待され続ける」
「馬鹿っ、何やってんのアージェント!!」
「時間稼ぎくらいにはなるだろ? 馬鹿なのは僕だけで、戦っている君の評判、名誉は傷付かないから安心して」
「それは、そうだけど……そうじゃなくてー!! あーもう! 苛々するっ」
屈辱だった。敵の情けで私は唯一戦果を上げ、命を繋ぐ。誇り高き王女として、父上には真実を語ろう。例え私が殺されても。そう思っていたのに、いざ父上を前にすると恐ろしくて私は何も答えられなくなる。
責任を取り殺されるのは私だけではない。私を産んだ母上まで、“無能な子を産んだ”として始末される。兄弟達もそうだった。私は泣きながら、【鷲】から貰った情けを献上してしまう。
「ち、ちちうえ――……」
「ほう……。白銀の……これは【銀の鷲】の装備と血か。祝杯として啜るには少々量が足らぬが」
父は【鷲】の血を葡萄酒に混ぜ、高く掲げた。父の頭には長く立派な山羊の角。顔は豊かな毛が生えた獣のそれ。異形はどちらだ、化け物は。【金の鷲】の言葉が蘇り、私の心は血を流す。
「ふぅむ、悪くない。酒の香りが増した。生け捕りのつもりが、もっと啜りたくなった。グール、次はその兜を満たすか半殺しで連れて来い」
私はこの男が恐ろしい。私の頭にも小さな角がある。戦えば戦うほど……耳も次第に獣のそれに近付いている。
“化け物”からの優しさに触れ、私の世界は反転した。初陣前は、早く戦に出たかった。情けない兄や姉とは違う。私ならば父上の期待に応えられる。兄弟の誰より強いと思い上がった。父上に、よくやったと褒められたかった。それなのに、何故。
「良いかグール。お前は他とは違い、これだけの成果を持ち帰った。つまりお前ならばこれ以上も出来るのだ。期待が続く限り、お前は生かそう」
「……!」
やった。殺されずに済んだ。怯えから喜びに涙が変わり始めた刹那、父は歪んだ笑みを浮かべて言い放つ。
「だが……、良いかグール? お前がし損じる度に、お前の兄弟……従者に友人、母の血縁から殺していこう。お前が逃げた時は母親を殺す。解ったな?」
*
多くの血を犠牲にし、私が生き延びて。私が戦場に立って何年だろう?
私の耳はすっかり獣の耳へと変貌し、短かった角も見事な巻き角へと成長した。
民のように、父のように。私は人間では無くなった。
この姿が意味するよう……私の祖国、クレスト王国は呪われている。【赤の国 クレスト】は【血の王国】である。建国から今に至るまで、多くの血が流れ続けている。クレストは、血で築かれた呪われた国。
成長と共に、人から獣に姿が変わる。父はもう、人である部分の方が少ない。今や手足も蹄の付いた毛むくじゃら。酒杯も自分では持てず、端女に注がせ口まで運ばせる。きっとクレストの人間は、いつか“人の心”すらなくしてしまう。
嗚呼、それでもひとつ幸運なこと。父はもう、人語を解さない。彼の通訳をする体で私の傀儡に変えてやった。鎖で繋ぎ、玉座の周りを檻で囲んで、数人の召使いが世話をする監禁生活。野放しでは人を襲うのだから仕方が無い。実に惨めで好い気味だ。残虐非道の限りを尽くした父は、こうして生かされているだけでも感謝をするべき。
(本当なら今すぐ殺してやりたいが……)
しかしあの男も抜け目ない。完全に獣へ落ちる前に、奴は余計な宣言を残した。“【鍵の王国】を落とすまで、王位を譲らない”という言葉さえ残っていなければ、今頃名実ともに私はクレスト王国の女王であったのに。
「ギュールズ様、ご報告致します! かの国で動きがありました」
「聞きましょう。簡潔にお願いしますわ。陛下もそれを望んでおられます」
父が獣になってから、クレストとリヴァリースが戦う理由もなくなった。それでも対外的には戦っている振りは必要で、時折ちょっかいをかけには行った。大国クレストでも落とせないと知られていようが、人は思い上がる生き物。我が国が手を出さなければ、それならばうちがと邪心を出す愚者が出る。兵は動かさずとも、国境付近に監視を置かねばならない。
リヴァリースの旗から【双頭の鷲】が消え、守護する二人も現れなくなったからこそ、監視は続けなければならない。今なら攻め入れると、隣接する他の国々も悪巧みを始めている。
正確な年数日時は思い出せないが、リヴァリースに白旗が掲げられたのは父がまだ獣堕ちする前だった。私は覚えている。“これぞ好機! 攻め落とせ!!”と強く期待されたのを。あそこからが、酷かった。これまでのように手柄を得るための対象が居ない。必然的に私の戦果は消滅し、父の怒りを買うばかり。あれで、大勢殺された。弟、妹……母上までが。
どうにか父を殺せないか。あの頃はそればかりを考えて。貴方に助けを求めたかった。貴方の“扉の力”なら、あの男を暗殺するなんて簡単なことでしょう?
会いたくて、会いたくて――……会えない貴方を思い続けた。それでも貴方はもう二度と、私を助けてくれなくて。“白旗”の意味を私は考え始め、あの白旗は貴方からの合図だと気が付いた。
国内で何かがあったのだ。それしか考えられない。紋章は“隠された”! 【銀の鷲】の力によって!!
あの王子が酷く追い詰められる状況、気付けば他国も動き出す。
(他国に取られるくらいなら――……私の物になりなさい、アージェント)
私が貴方を助け、貴方が父上を殺す。これで全てが解決する。
私は貴方に借りがある。他国よりは酷い真似をしないと約束しましょう。他国に落ちれば民にも貴方にも、奴隷以下の生活が待っている。多くの者は、鍵の民を便利な道具としか見ていない。その力が知れ渡れば、知れ渡るほど鍵の民への扱いは酷くなるに違いない。 侵略し、なるべく少ない犠牲で攻め落とす。私が貴方にしてあげられるのは、そんなことだけ。
国内で何があったの? 私に助けてと、恩を返せとせがむ声が聞こえるわ。待っていてと飛び出し挑み、――……侵入さえ敵わなかった。【鷲】がなくとも最強すぎないかしらあの城壁は!!
「ギュールズ殿下?」
「な、何でもありませんわ! 余計な質問を挟まぬように心がけなさい!」
回想で怒りの形相と化した私に、部下が震え上がっている。ごめんねと心の中で謝りながら、私は報告を続けさせた。
【鷲】が守護していた当時は、城壁まで辿り着くことも出来なかった。ようやくあそこまで行って、これとは情けない。
けれどあれでは何処の国も攻め落とせない。まだ【鷲】がいた頃の方が人質を得られたかもしれない分、チャンスはあったのだろう。
「リヴァリースの旗に紋章は未だ戻りませんが、二つ大きな動きがありました。一つは、セブルマーケットの小悪党が、史上初の密入国を果たしたそうです」
「ふぅん、そう。何方にですの?」
「あの、それは勿論リヴァリースの国内にですね」
「なるほど。それで? …………そんなわけがないでしょうがふざけた報告も大概になさい!! 殺されたいの貴方!?」
「い、いいえ滅相もありません!! これは本当なんです。“あの噂”の上でのことなのです!!」
「“あの噂”……というとあのふざけた御布令のことかしら?」
半年前リヴァリースから、隣接する四つの国々に親書が届けられた。あれは要約するとこう。【銀の鷲】――……いいえ。
“【鍵の王子】が花嫁捜しをしているので、皆様奮ってご参加下さい。来られるものならご自由に。”
この挑発的な親書を親書と認めたくはない。この腹が立つ感じ、【金の王女】が考えたような文面。少なくとも、あの女は未だ健在なのだろう。それは解った。問題は、【銀の王子】がどうしているかと言う方だ。
当然私は馬を飛ばして即日挑み、国境すら突破できなかった。悔しい。あの堅牢な城壁を、小悪党が破ったなどと到底私は信じられない。
「……百万歩譲って貴方の言葉を信じましょう。それで? 何者ですのその悪党は」
「“盗賊ミュラル”――……我が国でも多数の被害があります。知名度の割に悪行の詳細が広がらないのが奇妙な男なのですが」
盗賊と言われ、確かに何度か報告された名だと私も気が付いた。犯行の数は多いのだが、被害者が訴え出ないことが多い。ミュラルはそんな奇妙な悪党だった。
「その男、【鍵の王国】との縁は?」
「……そうですね。詳細は未定ですが【鍵の王国】出身の囚人を連れていたようです」
「ちっ!! そちらの方を早く報告なさい痴れ者っ!!」
抜かった。その方法に気付かなかったなんて馬鹿は私だ。駄目だ、またやってしまった。感情を上手く抑えられない。私の心も、少しずつ獣に蝕まれている。
「ひ、ひぃい! 申し訳ありません殿下!!」
私を恐れる兵士達は、まるで父を前にした私のよう。過去を思い出し自己嫌悪に陥りそう。私は怒りを抑え込み、冷静な顔に戻ろうと努力する。感情で、動く耳が煩わしい。
「……それで? もう一つの動きの方はどうなのです?」
「は、はい! 此方を御覧ください」
献上されたのは、【青の公国】コロネットで刷られた速報紙か? 見出しにはでかでかと“【鍵の試練に公女参戦】”とある。
「……………………私、疲れたのかしら。そこのお前、ちょっと読み上げなさい!」
「は、はい! “アズレア姫は、リヴァリースに嫁ぐこととなった。鍵の試練に挑む公女は赤の国を例に出し――……私はどこぞのお姫様のような醜態は晒しませんわ。私を見れば扉の方から自ずと開くことでしょう、と自信に満ちた発言を”。あ、すみません殿下っ、二枚目がありました。此方は密偵からの第二速報です!! 青の公女が“開門成功”とあります!!」
「…………殺す」
「ひ、ひぃいいいいいいいいい!!」
「騒がしいっ! 今のはお前では無くて……本当に殺されたいのですか!!」
許せない。アージェント。この私という者がありながら、他の女と結婚!? よりにもよってコロネットの性悪女と結婚だなんて許さない!! あの女に奪われるくらいならいっそこの手で……!!
「すぐに馬車の用意を! 今宵の内にリヴァリースへ出立します!!」
私の命令に配下は怯え従う。唯一人。例外が檻の中にいた。
「そうね、それがよろしいかと。“陛下”もそう仰っていますわ」
「……サングイン、何が望みだ」
檻の中で笑う、父の寵愛を受けた端女が言う。こいつは“本当に”父の言葉がわかる魔女。解った上で私の言葉を肯定するが、私の弱みを握られているも同然。私が父を始末できずにいる理由がこれだ。
サングインから始末しようにも、常に父の傍に居られては手が出せない。あの女を引き離そうとすれば、父は暴走してしまう。あの女が傍に居る限り、乙女の膝に眠る一角獣のようにあいつは大人しい。
こいつが生きて居る限り、国を空ける支障が無い。それがとても不気味。こいつはいつ私を裏切るのか。その気になれば、私の不在に国を掌握することも可能な奴が。力を隠し無力な人間を演じる姿が許せない。
(こんなものが、愛だと言うの?)
母を殺した。兄弟も大勢殺した。そんな男が大人しく、膝で寝入る姿は何だ。この魔女がお前の運命の相手と言うのなら、私や母は何なのだ? 犠牲となった兄弟達は。私が戦い殺した命は何なのか。私が異形と化した元凶が、自分だけ幸せになるなんて許せない。
どうしていつも、私ばかりが苦しいの? 助けてアージェ。あの日のように、私の涙を止めて見せて。
「会いたいのでしょう? 後のことはお任せ下さい。会わずに後悔するよりも、会って後悔すべきです」
「……お前は。そんな獣に会って、満足か?」
「ええ。美しく成長されたギュールズ様にも会えました」
媚び諂う態度ではない。これは嘘を吐かぬから、父もこうしてこれを信頼し……安息を得る。サングインは私にも優しい。私がこいつを始末したいと思うのは、偏に父を苦しめたいからだ。
私を地獄の底で育てた父が、自分だけ幸せになっているのが許せない。苦しみに囚われ続けている私に償いもせず、ぬくぬくと。
それでも怒りに駆られ端女を殺したら、私も父と同じ獣へ堕ちる。完全な獣となれば、アージェントはきっと私と気付けない。私がまだ人である内に、もう一度貴方に会いたい。扉を開けて、私と会って! 【青の国】の女より、私の方がずっとずっと貴方のことを想っているわ!
「……見たか?」
「…………いいえ」
「ならば何故手を延ばす?」
檻の傍で泣いた私に、端女が涙を拭う。
「…………クレスト人でない私では。身分の低い私ではギュールズ様の母とはなれませんが、私はギュールズ様を大切に思っております。貴女が作る王国を私は見てみたいのです」
「……檻の中で、か?」
「目に見えるものなどすべてまやかし。人も国も心で見るものです。そうでしょう陛下?」
私が檻の内に入ったら、これは私のことも優しく抱き締めてくれるのだろうな。もう忘れてしまった、母と同じ温かさで。
(アージェント……)
私が想いを伝えたら。もしも私が父のような姿になっても。貴方は私を愛してくれる?
今度こそ、扉を開けて。貴方に会いたい。世界で一番、貴方を愛しているのはこの私! ギュールズ=シミエ・クレストなのだから!!
*
(ぐ、ぐやしぃ、悔じい゛くやしぃいいいいい!!!!)
リヴァリースの門は、かつてない程ガバガバだった。一度破られた砦はこんなにも脆いものなのか。あれだけ私を拒んだ門が、パッカパッカ簡単に開閉する。
青の公女め。盗賊に先入りされたことも知らず、今頃勝ち誇っているのでしょうね。殺したい。こんな通行天国じゃ良くない者が入り込む。
私は国境警備の兵と歴戦の猛者を、リヴァリースの東西南北四つの門へと送った。リヴァリースは私の手に落ちるのだもの、守るのは私の勤め。
遅れを取り戻すため、私は魔法でアズレアを追跡。タッチの差で先回ることに成功!! その頃の私には、もう殆ど魔力が残っていなかった。残り僅かな魔力を剣先に込め、型破りな入城。アズレアより先に私はアージェントに会いに来た!! しかし。
(酷い酷いよ最低よぉおおおおおお!!!!)
髪の色も瞳の色も、あの頃と同じ……美しいまま。けれど私が大好きだった彼は、小さな子供の姿になって……顔も声も別人に。おまけに盗賊共が二匹も城内に侵入していた、私の前に。薬指に、指輪まで付けて!! しかも一人は女ですらない。私のアージェントが男に取られるなんて、そんなこと!! 断じて許せない!!
(誰が蟹よちくしょおおおおおおおおおおおおお!!!! くっ、殺すぅうううううううう!!)
貴方が私にくれた愛称まで、貴方は忘れてしまったの? 怒りと悲しみで私の胸は張り裂けそう。私の美しい思い出と人生の喜びと希望は死んでしまった。貴方が殺した、アージェント。
もう駄目。こんなのってあんまりだわ。生きていけない。殺さなきゃ。貴方を殺して殺して私も死ぬの。あんな男に取られる位なら、私が黄泉に攫ってあげるの。私が幸せになるにはもうそれしか方法がない。
弱い心を脆い精神を守るため鍛えた身体と剣術。やっぱり蟹だとか言わないで。強い騎士姫ギュールズの、鎧と皮膚の下には脆弱な魂があるだけよ。仕方ないじゃない。人間そんなに簡単に強くなんてなれないわよ。
(……チャンスを、チャンスを練るの。隙は必ず生まれるわ)
彼に何があったのか。そんなことはもうどうでも良いの。大事なのはいつ、どうやって殺すかなの。
姿形は変わっても、魂は。彼の本質は変わらない。私のために血を流してくれた、優しいアージェントが眠っている。今は改心した振りで、どうにか彼に近付くの。
心は決まった。涙も瞬時に消え失せる。冷徹になるのは得意。私は冷静に軟禁部屋を改めた。
広くはないが、最低限の家具はある。布団と枕はふかふか、マットレスも最高! 備え付けの茶葉も香りが良いし、使用人喚び出し用の鐘もある。
(そこまで酷い扱いではないわね)
剣は奪われているが、魔法は使えるだろうか? 体力と魔力は十分回復したはずと、試しに転移魔法を打ってみる。魔法は展開されきる前に、空気中へ閉じ込められ消失。アージェントの魔法。
鐘で呼び出せる使用人は召喚獣。鐘その物が、自身の鳴る音で人形に変化する。金属使いのアージェントは健在か。
「お呼びですかギュールズ様? 私は使用人のリネルと申します。可能な限りのお世話をさせて頂きます」
銀髪の端女は、抑揚のない声でつまらなそうに会釈する。
「呼び鈴、クレスト王家のギュールズに対しこの無礼、お前の主に伝えろ。私は立腹していると」
「お言葉ですが赤の姫。貴方は“花嫁候補”ではありますが、鍵を見つけておりません。せめて自力で部屋から出られる位でなければ、アージェント様はお会いにならないでしょう」
「花嫁、候補……だと? 先に入った者が花嫁ではなかったのか!?」
私の襲撃は、誤解による悲しいすれ違いだと端女は無表情で語る。使用人共も、王子同様欠けていた。
「はい。城内の。より多くの部屋の鍵が、殿下の正式な伴侶となります。身も心もその方の思うよう望むよう如何様にも」
「な、何の話をしている」
「あの日アージェント様は城と共に、全てを閉じられてしまった。取り戻されたのは一部屋分、ほんの一部。殿下と城は呪われているのです。彼の呪いを解き、彼を救った方こそが……リヴァリースの王妃に最も相応しきお方。殿下の寵愛も得られましょう」
呼び鈴女が凛々と。語ったそれは私の知らない情報だ。彼らが姿を消してから、リヴァリースではやはり“何か”があった。あの強く優しかったアージェント。彼が呪われる程大きな事件が。
「ギュールズ様。殿下は貴方が鍵さえ得れば、逃げも拒みもしませんよ。全てを受け止め微笑むでしょう。例え命を失おうとも」
「!?」
王子の命を狙った私を生かしている理由。私が正妻となるのなら、彼は私に全てを許す。私から花嫁候補の資格を奪いもしない。
「…………取り戻せるの、本当の彼を?」
「貴方が勝って、それを望めば。アージェント様は戻られます」
彼は私を裏切ってなどいなかった。今もまだ、私の救いを待っている!!
「……解りましたわ。花嫁候補とやらの試練、このギュールズ=シミエ・クレストっ! 受けて立ちましょう!!」
盗人共に盗られたものは取り戻す。私と彼の思い出も。 これから生まれるであろう愛もこの手に!! もし駄目だったら殺すけど。それは最終手段ですわね。
「待っていなさいアージェント! あの日の雪辱を果たしてみせますわ!」
「そうですか。じゃあさっさと部屋開けないとまずいですよ。あの盗賊主従嫁、此の間も鍵探ししてますから」
「なんですって!? そういう事は早く言いなさいっ!!」
鬼の形相で呼び鈴女を睨むが、女は涼しげな顔。感情が無く、部下のように恐れもしない。
「では言いますね。たった今、アズレア様が入城されました」
ツンデレっぽい外見で一番病んでる子をお願いします。ってデザインをお願いしました。グール姫可愛いよグール姫。