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3:銀の王子

挿絵(By みてみん)


「聞いたわよミュラルー? ガーデンの市場からたんまり盗んだんだって?」

「いいなー! あたしにお土産ないの? 宝石ほしぃー!!」


 エルミヌとの一件の前。セブルマーケットで暮らす俺の元、顔見知りの女達が常より親しげに纏わり付くようになった。

 事の起こりは半年前。持ち金が尽きた俺は、貴族から金品巻き上げようとそいつの屋敷へ赴いた。しかし俺が狙ったお宝は、既に何者かに奪われていた。そんなことが度々続き、俺の商売上がったり。

 俺が予告状を出した家に、俺が入る前に同業者が入り込む。これは何の嫌がらせだ?


(この俺の、悪評が薄れちまう!! 俺以上の大悪党になんてさせるものかっ!! チンケなコソ泥クソ鼠、ぶっ潰してやる!!)


 躍起になって探し回る内、身に覚えのない噂が増えていた。同業者は俺のように予告状を出していないため、その罪が俺へと流れて来ていたのだ。

 換金なんてまどろっこしい。俺が盗むのは“紋章鍵”だ。盗みに入らない日はマーケットに流れる盗品を、解錠&開錠して収入を得ている。

 それが腐れ貴族……ウェーゼル夫人の企みで、身に覚えのない宝石まで俺の犯行にされていた。此方もプロだ。盗みにはプライドがある。悪評なら何でも良いわけではない。これはもう、犯人の鼻っ柱をへし折ってやらねば気が済まない。

 旦那を俺に寝取られて、ウェーゼル夫人は最高に愉快な顔をしていた。紋章金貨を失ったコソ泥に、指輪を盗まれるという失態。旦那を男に奪われるという屈辱。奴のプライドが粉粉に砕けただろう。「また遊びに来るぜ」と甘く囁きキスの一つでもしてやれば、あいつも俺の美貌の虜。たまに顔を出し、小遣い巻き上げる程度に遊んでやるさ。

 数手先を読み夫人の最終目標であるピーン伯爵を籠絡し、罠を張った所でとうとう鼠はやって来た。何を見られたかは聞かないが、小娘に耐えられる過去は持ち合わせていない。その後俺は、気絶した小娘を尋問する予定だった。

 問題は、俺がピーンを魅了しすぎてしまったこと。しばらく顔を出していなかった所為もある。小娘が俺の肌を見たのが許せないと、あの男は俺の言葉も聞かずエルミヌを裁判にかけた。基本的に領内での犯行は領主が自由に裁き、死刑ならばその場で処断。小さな領地の場合は裁判施設を持たず……広場を借りて裁判を行うこともある、どこで裁かれようが、禁固刑は議会城内の刑務所に送られる。今回はウェーゼル公の罪を糾弾する意味で、広場裁判となった。


「ウェーゼルの犬、お前は大恩ある主のため多くの窃盗を繰り返した。間違いないな?」

「私は無実なんですぅう! 誰かー!! 助けてぇえええええ!!」


 目覚めた少女は本当に、食うに困った鼠に似ていた。髪は傷み、栄養の足りない小柄な身体。首には所有者の紋章付きの首輪。使用人なものか。あんなものは奴隷だ、まともな生活をさせられているようには見えない。


(あの首輪……主人に都合が悪いことは言えないようになってるな)


 少女は大粒の涙を流し、自身の潔白を訴える。少女の泣き喚く姿は幼い子供のようで、観衆側も最初は良い気分ではなかっただろう。しかし彼女の申し開きは要領を得ず、苛立つ者も多くなる。

 そもそも、この裁判が既に刑の一環だ。町中での裁きは見せしめ。彼女の被害者は、群衆にも大勢いるらしい。彼女の態度の所為で辺りは次第に殺気立つ。ピーン伯爵は意地の悪い笑みでにんまりと、とっておきのカードを切った。


「娘、お前は【鍵の王国】の出だそうだな」


 鍵の王国。その言葉で、広場は一次騒然となる。僅かに残った同情派の声もかき消すほど、人々は動揺した。俺としては少々面白くない。


(何が“鍵の王国”だ)


 灰色髪の小娘は、まだまだシラを切るつもり。本人に自覚はなさそうだが、どうにも敵を作るのが上手い。それと、話を悪い方へと持って行く天才か?


「えええ? 誰ですそんな酷いこと言ったのは! 確かにエルミヌは捨て子ですが、ただの普通の女の子です! ほら~良く見て下さい、ね? ……凄く運が悪くて、だけどちょっと笑顔が可愛いだけの磨けば光る原石みたいな女の子です! 運命の王子様絶賛募集中です!!」

「ならば、可愛いエルミヌ。その笑顔に免じ、お前をとっておきの独房にぶち込んでやる。そこから出られなければ、確かにお前は唯の子だ。これらの事件の犯人では無い」

「そうですね! それでは私は何日くらい入っていれば無実を信じて貰えますか?」

「だがなぁ……開けられるものをわざと開けない。そういったことも可能だ。お前が大嘘吐きならば」

「ええと」

「お前が無実を主張するならそうしなさい。私も領民もそこまで鬼では無い。逃げ出せない限り、全面的にお前の主張を信じよう。逃げ出せないのではなく、逃げられないのだと」


 領主の裁きは、俗に言う魔女の証明。彼女が独房を逃れられたら黒、【鍵持ち】の犯人。逃げ出せなければ犯人と断定出来ないが、無実の証明ともならない。あくまで灰色。身の潔白とはならない。彼女の未来は死刑か終身刑。

 世の中理不尽なことは幾らでもあるよな。可哀想に。でも捕まる方が馬鹿なんだよ。その程度の奴ってことさ。裁判に連れ出される前に、金なり色仕掛けなりでとっとと逃げちまえばいいものを。


(……ちっ)


 ガーデンの貴族共が、罪人をいつまで養ってくれるだろう? 僅かな食糧を強請り、看守の犬になって畜生以下の生活か。良くて地獄、悪くて地獄。まぁ、結局は他人。俺の美貌が招いた死だが、俺に責任はないよな。さっさと忘れてしまおう。

 肝心な物は取り戻せた。この辺りも面倒だ、暫く狩り場を変えるか。広場に背を向け懐から取り出した、俺の大事な首飾り。キラキラ光って綺麗だろ? 本物の純金だ。この鷲の紋章……マーケットのどこの家の紋章とも違うんだ。国外由来のものだろうか? 仕事ついでにこいつの秘密を解き明かすのが、俺のちょっとした目標だ。


(って、何ぃいいい!?)


 着替えの際に紐が切れ、ウェーゼル公の部屋で落とした首飾り。ウェーゼル夫人から取り戻した金貨の、紋章が消えている。おまけに輝きも失って劣化した。すり替えられたか? 表面を指で触ってみる……手触り、小さな傷は本物同様。変わったのは見た目だけ? 夫人が言うに、これを盗んだのは今裁かれた小娘だ。


(【鍵の王国】――……リヴァリースの娘。あいつ、本物か)


 生まれつき、“鍵”を宿した女。その素性を知ると、誰もが彼女への同情を捨てた。

 “鍵持ち”は、秘密を暴く。誰かが隠し通したい真実の、扉を開ける。彼らはそれが、怖いのだ。本人の意に反した鍵の暴走であろうとも。危険人物は牢に繋いで置くのが良い。鍵を持たない人間達は、【王国】の人間を恐れていた。


(あの犯行数。幾つもの鍵を開けた、鍵の女……)


 本来、一つの扉しか開けられないのが“普通の鍵の女”。しかしこの罪人は、多くの扉を開けた盗人。鍵を失った扉でも。壊れてしまった錠でも。開けて中身を盗み出す。こいつは“特別な鍵の女”だ。普通の奴より、可能性がある。

 あいつを哀れんだ訳じゃない。取引をしようと思った。王国の外で、優れた【鍵の王国】の娘に出会えるなんて幸運、人生に二度とないチャンス。

 あいつを助けて恩を売ってやろう。大盗賊ミュラル様にもひとつ。一つだけ。忘れられない後悔がある。俺の腕でも開けない。開けて欲しい“箱”がある。

 ここで俺の心は決まった。小娘は助けると。けれど問題はその後だ。


(まずいな……裁判が終わった。もうあいつはピーンの管轄じゃねぇ。奴に無理を言っても接触できない)


 小娘が壊れる前に取り戻さなければ、盗まれた物まで壊れてしまう。俺は大きな大きな溜め息を吐き、議会城へと足を向けた。まずはウェーゼルを使い親書の件で、十貴族を招集させるとするか。全く……、忙しくなる。





(ちょっと待て!! 俺あいつに振り回され過ぎじゃねぇ!? 俺の方が主だよな!? あいつ従者だよな!? 助けてもらうより助けるほうが多くねぇ!?)


 エルミヌとの出会いを思い出し、俺は拳で壁を打つ。

 葬り去りたい記憶が増えた。自分があまりに情けない。適当に恩を売って良いように扱おうと思ったのに、なんだこの様は。自由気ままな根無し草。風の吹くまま気の向くままなこの俺が、あんな小娘の世話役か?

 たった二月の間に俺の方が使われているぞあの女に。俺に恩を返すどころか日々足を引っ張りまくるとはエルミヌめ。今も颯爽と侵入した俺様の出鼻をくじいた。大悪党ミュラル様が手下のために家捜しとは情けない。それも、探しているのは紋章でも金でもなく照明器具とは。


「はぁ……情けねぇったらねぇぜ」


 エルミヌの鍵は、人の秘密を暴く。人が隠したい秘密ほど、「触れないように」注意する。注意するあまり開けてしまう、鍵の暴走という不幸な事故で。

 あいつに罪がなくとも豚箱にぶち込みたくなる気持ちが今更よくわかる。さっきもやられた。いつか接触した際に……俺が唯一隠したい過去さえあいつは覗き見るかも。

 良い機会だ。このまま見捨てて置き去るか。そんな思いに駆られるが、これでは俺の大損だ。被害を被った分の利益は回収しておきたい。

 まだ引き際ではない。そう判断した俺は、渋々あいつのための明かりを探す。


(それにしても、つまんねー城だな)


 城に掲げられるは無地の白旗。紋章もなく、誰が住んでいるかも解らない。

 城探しで第一の、ふるいに掛けているのだろう。


(金貨と同じ紋章――……)


 あの金貨は曰く付きだ。呪われた者にしか使えない。俺よりエルミヌの方が強く力を引き出せるのは、あいつが【鍵の女】であるからか。或いは俺以上の呪いを受けているか。

 エルミヌは捨て去りたい程面倒な女で、もめ事も連れて来る。しかし決して生を諦めない。その点だけは俺は好意的に見ている。ああいう奴は、不幸になるよりはそれなりに幸せになって貰いたいものだ。俺は関わりたくないが。


(不幸は幸福の始まり……マーケットの格言だな)


 エルミヌという超絶不幸女を背負い込んだことで、俺の目的はこれまで以上の快進撃だ。起爆剤としてあいつはとても優秀だ。俺は何度となく敗れたリヴァリース入国にも成功し、金貨の謎に迫りつつある。

 穴に落ちたエルミヌを、ここのまま見捨てるのは早計だ。


“あのお城、いつの間にかあったのよ。見た感じ結構古いでしょう? 昨日今日建てられたようには思えないのに”

“陛下のお力で今迄隠していたのかしら?”


 パレトの街で聞いた噂話を思い出し、俺の胸は高鳴った。ノブルガーデンで見た親書の封蝋。エルミヌが数秒暴いた旗の紋章。全ては俺の金貨と同じ。あの親書は本物だった。ここが当たりだ。本物の王子の城だ! そう期待していただけに、失望も大きい。これでは入国の時の方が百倍スリルがあった。

 立派なのは外観だけか? 入った城は生活感が無い。生命の気配が無い。やけに扉の多い建物で、あちこち施錠された物ばかり。豪華な監獄のようで落ち着かない。

 明かりを探すにも、俺はどれだけの鍵を破ったか。通路にある銀の燭台が、唯一の金目の物か? 杲杲と光る明かりだが、高さがあっては心許なく穴の底まで照らせない。

 近場な部屋をこじ開けて、鍵の掛かった戸棚からオイル式カンテラを見つけるも肝心の燃料が無い。俺は燭台から抜いた蝋燭を数本使って代用。これで落下時に風の影響は抑えられる。


「エルミヌー、まだ生きてるかー!?」


 穴の底から返事は無い。俺はロープを通路の柱に巻き付けて、灯火を目指して降りていたが、途中で長さが足りなくなって飛び降りる。

 俺が降りた高さでも、運動神経が悪ければ骨くらい折っている。上から真っ逆さまに落ちてよく無事だったなエルミヌは。カンテラで照らしたところ、彼女には外傷はない。症状は、馬鹿みたいな顔で悪夢に魘されているくらい。


「エルミヌー、起きねぇなら置いてくぞー」


 ぺちぺちと、数回頬を叩いてやるが目覚めない。こいつは何を見て気を失ったんだ? 毒蛇かサソリでもいたのかと、辺りを照らして確認するが――……怪しげな影は無い。彼女が無事だった理由は、良い場所に落ちたから。まず穴の中に穴がある。天蓋ベッドの天蓋をぶち破り、彼女は寝台の上に落ちたのだ。それなら何に悲鳴を上げた? 恐らくそれは、寝台に敷き詰められた花を見て。エルミヌは落下によりもう一つ破壊したものがあった。寝台の上、彼女が落ちたすぐ傍には棺が置かれていた。エルミヌは落下で蓋を壊して、中身を飛び散らせ、花を辺りにぶちまけた。恐らく花、だけじゃない。骨か遺体も一緒に投げ出した。それを見て奴は間抜けにも気を失ったに違いない。

 ここが王子の城であるのなら、安置された亡骸も身分の高い人物だ。エルミヌは図らずも墓荒らしをしてしまった。確かにそれは首が飛ぶ。


「仕方ねぇ、バレる前にこいつだけでも部屋の外に出しておくか」


 俺はエルミヌを担ぎ壁に触れ、部屋の出口を探す。カンテラ片手にぐるりと一周。部屋には窓も扉も存在しない。そんな馬鹿な話があるものか。届かなくなったロープの高さまで上がらなければ、上にもう戻れないのか? 


「いや、待て。あの床の仕掛けと同様に、壁か床に何処か……何かあるに違いない!」


 俺はエルミヌを放り投げ、丹念に部屋を調べ始める。床の石版、壁の煉瓦を一つ一つ押し込むが、びくともしない。鍵の女で無ければ駄目なのか? 背後で起き上がる者の気配を感じ、俺は彼女の名を呼んだ。


「エルミヌ、起きたんならお前も手伝え! ……エルミヌ?」


 返事が無い。いつもの騒がしい女が一言も、言葉を発さず立っている。不気味な空気に俺は苛立ち振り返る。


「おい、遊んでる場合か! さっさと――……」


 カンテラで、照らした先の人物は。この二月見慣れた女とは違う。もっと幼く、背丈も低く――……棺に納められていた花のように白い衣服を身に纏う。“彼女”は亡霊のようだ。いいや、“亡霊”だ。

 黒髪の、俺より幾らか明るい黄褐色の柔らかな髪。けれど今の彼女は色素の薄い、輝く白金。宝石のように磨かれた、青の瞳もあいつと違う。彼女は俺と同じ暗い瞳をしていたはずだ。衣服も豪華に仕立ててあって、気品を感じる佇まい。

 こいつは、別人だ。頭では理解している。そう、理解しても心が切り離せない。呼びかけてしまう、あいつの名で。


「“テニー”?」

「んー?」


 やはり彼女は別人か。当然だ。俺の言葉を理解できずに、少女は戸惑いがちに此方を見上げる。


「……っ、えっと。嬢ちゃん。あんたもここに閉じ込められたのか? 何処か穴から落っこちた? 怪我はしてないか?」


 怖がらせないよう、出来うる限りの優しい顔を向けてやる。膝を折り視線を合わせ、こっちにおいでと手を差し伸べる。

 他人の空似でも、放置できないほどその子はあいつによく似ていた。


「……ん」

「お、何だ?」


 俺が差し出した方とは違う。カンテラを掴む左手に、少女はそっと手で触れた。掌の温かさに、俺の涙腺が少々緩む。仕方ないだろう。本当に、そっくりなんだ。

 もうお宝とか王子とかどうでも良いから、この子を盗めないかなぁ。養子にしたい。ガチ犯罪だが今更だろう。俺は天下の大盗賊なんだ。

 笑顔の裏で犯罪計画を練る俺の、薬指を少女はペタペタ触る。何をしているのだろう?手の位置を変え、光に照らしてた手袋の下に膨らみがある。革の手袋を外したところ、俺の薬指に黒い指輪が填められていた。どんな手品だ。


「……は?」


 指輪と少女を交互に眺める俺を見て、少女は嬉しそうに笑って見せた。可愛い。


「い、いやそうじゃねぇだろ!! 待て嬢ちゃん。熱烈なのは嬉しいが、ちょっと距離感縮めるのが早過ぎるっていうか……お互い年の差もある。ここは結婚を前提にまずはお互いをよく知るためにデートからでも。ああ、勿論外泊はナシだ。流石にそこまでがっつかねーよ。もう何年か待ってやるから……」

「ミュラル様のど変態ぃいいいいい! ロリコン不審者変質者ぁあああああああああああ!! 男女見境なしとは思ってましたが、その性癖がカモフラで……っ! こんな性癖を隠し持っていたなんて最低です!! 法的にNGレベルの幼女に求婚するなんて!!」

「お前っ、主に向かって暴力はないだろ暴力は」


 いつから目覚めていたのだろう? エルミヌに思い切り頭を叩かれた。闇に乗じての奇襲とは卑怯なり。やはりこいつは悪党の才能がある。


「お前の口癖を借りて言ってやるが、俺は“無実”だろうが! 求婚してきたのは嬢ちゃんの方だぞ。ほれ見ろ、紋章付きの指輪だ」


 俺のような盗賊風情には真名も紋章も無いが、世間の風習くらいは知っている。紋章付きの指輪には意味があるのだ。

 相手に紋章を授けることは、新たな名を送ること。即ち求婚と同義である。


「子供の口約束に法的拘束力を求める悪党がありますかっ!! 普段法を破っている癖にこんな時だけ契約を盾にするんですか!?」

「おうよ、悪党だから結婚に年齢とか関係ねぇだろうが! って、ちょっと待て。俺今凄い混乱してるから話ややこしくするなエルミヌ!!」


 俺は深く息を吸い、脳に空気を送り届ける。白服の少女と出会ってからのこの数分、俺は脳みそ介さずに舌だけで喋っていた。そうだ、俺は混乱していた。


(何者だ、この嬢ちゃんは……)


 この子はただ者じゃない。盗賊相手に隙を伺い指輪を填める? そんな芸当この俺がさせるものか。それも手袋も外させずに?


(いいや、ひとまずその件は後回しだ。先に脱出をどうにかしねぇと)


 状況を顧みるに、棺の中身はこの少女で間違いないだろう。エルミヌの落下により、棺から投げ出された被害者だ。


「ひぇえ……それじゃあこの子は、あの中に?」

「ああ。この嬢ちゃんは恐らく、間違って埋葬されたんだ。たまにあるだろ? 死んだと思ったけど実は生きていて生き埋めにされるって話」

「あー、ありますねー。それで壁を全部漆喰で塗り固められちゃった感じですかね。あれ最悪なんですよ、本当にあの時は死んだと思いました二度とごめんですね」

「経験者かよおい。本当にお前の不運は何なんだ。まぁ、おめでとう。ようこそ二度目へ」

「わぁーどうもー! って全然嬉しくないですよ!! 早く出ましょうミュラル様! あの落ちてきた穴から戻る感じですか?」


 歩く不幸、エルミヌ本領発揮。歩くな走れ出歩くな。

 こいつのそそっかしさでとんでもない場所に来てしまった。部屋にある物を積み重ねて、ロープに手が届くだろうか? 否。室内には壊れた寝台と棺桶以外ろくな調度品が無い。急がば回れと諦める。


「ものは試しと聞いてやるが、開けないか?」

「あの独房の比じゃないですよミュラル様。両手でやっても駄目です。たまたまあの場所だけ魔法が弱くなっていた……床も壁もびくともしません」


 エルミヌでも掘れない城。前言撤回、恐ろしい城め。ここは入るは易し、出るは難しの城だった。鍵魔法では入れない、技術を要する外の扉と。抜け出すには強力な鍵魔法が無ければ出られない内の壁。技術と魔法、どちらの力も兼ね備えた花嫁を……銀の城は欲している。


(いや、花嫁を逃がしたくねぇのか?)


 ならば、気付かれれば俺達は歓待されるはずである。急いで逃げる必要は無い。


「……ちっ、仕方ねぇ。流石に朝になれば誰かは気付くだろう。床にあんな穴開けてやったんだ」


 幾らここが遺体安置所だろうとも、朝が来れば話が変わる。ここは城の中なんだ。使用人の誰かが床の掃除をするだろうさ。その時に、あのぽっかり開いた穴に気が付くはずだ。そうだとも! 僅かな希望――……彼方の天井に、目を向ける。そんな俺を待つのは、穴そこよりも深い暗闇だった。

 天井が、閉じている。あの床板が戻ってしまった!? ロープは無事か? いや駄目だ。上が閉じた時に強い力で切断されている。これでは本当に俺達は生き埋めだ。


(落ち着け……落ち着け、考えろ俺)


 心を落ち着けるよう、心臓の前で手を組み俺は考える。考えた結果、また一つ不審な点に気が付いた。


「な、何ぃいいい!?」


 驚愕する俺の横で、白い少女は満面の笑み。いつだ? 今度はいつやった!? 俺は自分の手をずっと見ていたはずだ。それなのに俺の左手には、外したはずの手袋が戻り……指輪は手袋の上から填められている。つまりこの子は……指輪のサイズまで、変えやがった!!


(こいつ……こんな芸当まで。これも“鍵魔法”なのか?)


 リヴァリース産の魔法に関する詳細は、外では大して知られていない。国自体が鎖国して、外部に情報を漏らさない。今回の花嫁捜しは異例も異例。閉じた王国の情報欲しさに花嫁として送り込まれた女も大勢いるはずだ。辿り着けたかは別として。そう考えるとウェーゼル夫人もエルミヌを、花嫁として育てたかったのかもしれないな。衣装作りに宝石集め。送り込む駒自身に材料集めへ向かわせて、豚箱送りにしてしまうのだからどれだけエルミヌ頼みの犯行だったかがよく解る。

 外で扱われる魔法は、基本的に血統による。正確には登録だ。血のつながりは無くとも書類があれば使用は可能。紋章も登録、婚姻関係も登録。文字や図版を登録=契約により魔法に変える。文字から成る契約魔術の部類。

 【紋章鍵】もそう言った、家系図や婚姻届に出生届……婚姻・血縁関係に宿る魔力を用いて機能する。

 本来俺のような貧民街出身は、逆立ちしたって魔法を使うことは出来ない。エルミヌ解放は結婚詐欺まがいの荒技。金貨が特別だったのは、紋章魔法と鍵魔法のハイブリット……紋章に鍵魔法が付与されていたため。


(この指輪――……こいつもなにか力が?)


 少女から送られた指輪には、白色で花の紋章が刻まれている。台座の石は黒曜石か? つるりと滑らかなその表面。王国外の紋章鍵とは違い石に凹凸がない。溝にはめ込み……書類に登録された魔力の波動を受信し発動される、紋章魔法とは違うのか? これは紋章が刻まれているのでは無く、石に映し出されているようだ。


(この子は何者だ? 何故紋章を俺に贈った?)


 まずは落ち着け。求婚と妄想に走ってはエルミヌと同類だ。少女の外見に惑わされぬよう、彼女を見ずに考える。

 リヴァリースの魔法もはやり、血に関係しているのか? 高貴な少女は謎の力を持っている。エルミヌのような【鍵の力】とは異なる力。秘密を暴くのでは無くて、何かを与える……或いは隠す、現れる。


(……現れる、だぁ!?)


 不意に思い出したこと。街の連中は言った。突然城が現れたと。この子の力は突然現れた城と同じだ。突然指輪を出現させた。


「……まさか、お前が【銀の王子】?」


 嘘だ、嘘だと言ってくれ。その顔で、嫁ぐなんて言うな。婿になるなんて言うな。エルミヌなんぞと結婚させたくない。お前は俺が攫うんだ。俺と一緒に暮らそう、そうしよう!?

 少女……いや、少女にしか見えない少年は。俺の言葉にこくこく頷き、あいつと同じ顔で嬉しそうに笑うのだ。


「あーぇ、あーじぇ」

「ひ、ひぃいいいいい!?」


 絶望する俺の傍ら。少年の舌っ足らずな言葉を聞き、飛び上がったのはエルミヌだ。


「い、今なんと!? アージェントと名乗られましたか!?」

「うーぁ、あーえん。あーえんと」

「わ、私は何てことを!! 王子様の眠りを妨げるなんて!! しかもあの触感!! 私絶対最初にヒップドロップ喰らわせてました王子様にぃいいい!! 極刑は勘弁して下さいぃいい! 私という妻の、妻の顔に免じて!!」

「……うま?」

「え、ええ!! 妻ですとも! 窓を開けたのはミュラル様かもしれませんけど、私だってあの床板……いえ、天井? の扉開けたのは私なんですから!! お城の何処の扉開けたらって言われてませんよね!? お城の扉開けたことには違いありませんよね!?」


 エルミヌは腰が低い癖に妙に押しが強い。エルミヌに押し切られた少年は、暫く考え込んだ後……彼女に向かって微笑んだ。


「……ん」


 幼い王子の言葉一つで、エルミヌの方にも変化が現れた。彼女薬指に填まった紫の宝石――……それは、紛う事なき指輪である。


「お、おおおおおお! 私の指にも指輪がっ!! 負けませんよミュラル様!! 私が正妻でミュラル様なんか妾なんですからね!! 幾らお美しくても子も為せないようじゃ正妻にはなれませんねー!! ざまぁですね!!」

「張り合うな、阿呆。こいつが王子なら俺との将来計画は白紙だ白紙」

「えー! 信じられませんー!! ミュラル様、男もいける人の癖に」

「俺だってそこまで節操なしじゃねぇ。王族ともなれば世継ぎ問題とかあるだろうが。まぁ、五年……いや三年後くらいに一夜のアバンチュールなら前向きに検討しても」

「ミュラル様の馬鹿ぁあああああああ!! その気バリバリあるじゃないですかー!! なんですかそれ!! 私の時はもっと素っ気なかったのに!!」

「うるせー。可愛いから良いんだよ。……そもそもお前、どうして王子の“名”を知っている? 街の連中も忘れてたんだぜ?」


 俺の指摘を受けたエルミヌ。自覚が無かったのか。俺の言葉を反芻し鸚鵡返しで繰り返し、ようやく飛び跳ね大騒ぎ。俺に握手を求め始める。俺は渋々彼女の右手に手を貸した。


「お、おおおおお!! ほ、本当ですねミュラル様!! やりました!! やりましたよ!! よく解りませんが記憶が一つ戻りました!! 殿下のお陰でしょうか!? はぁあ……では彼が私の運命の?」

「黙れ小娘。王子は先に俺に指輪くれたんだよ。妾は黙ってろ」

「えー!? そんなこと言います!? 経験豊富なミュラル様より、初心でキュートなエルミヌちゃんの方がアージェント様も嬉しいですよね? ね!?」

「ふん。甘いなエルミヌ、こういうお坊ちゃんはリードされる方が意外と好み……って阿呆! 空気が限られている中で、こんな馬鹿げた無駄遣いしている場合か!!」


 アージェント? 銀の王子を巡って対立すること数分。俺はようやく己の失態を知った。何て危険な王子だ。このままエルミヌと言い争えば、三人仲良く酸欠心中しかねない。


「…………そうですね。一時休戦ですミュラル様。真面目に出口を探しましょう」

「……おう」


(何言ってんだ俺。いくらあいつと似てるからって――……)


 俺は元来他人に執着はしない質だ。ここまで取り乱すのはおかしい。アージェント王子には、何か奇妙な魅力が宿っている。宝石よりも金よりも、人を魅了する謎の力が。

 エルミヌとこの二ヶ月間。何度も軽口は叩き合ったが、互いに不快になるほどの口論は初めてだ。窓での一件でもそうだ。驚きはしたが、俺は怒ってなどいない。面倒な女だが、そういう体質なのだと知って連れ歩いていた。それが今は何だ。他人の空似王子に、俺は入れ込みすぎている。二ヶ月も、一緒だったエルミヌの。慣れた煽りに心底腹を立てている。


「んーん」

「どうした王子?」


 空気が悪い俺とエルミヌの、間に割り込む王子様。彼が指差す方は壁。壁からは光が漏れている。壁の一部が欠け、向こうの景色が透けて見える。壁の作業が完遂されていなかったのか? 俺達は顔を見合わせ希望へ向かって駆け寄った。

 自称本妻が笑わせる。王子も見捨てて自分から全力疾走するエルミヌ。アージェントを運ぶ役は俺にすっかり任せきり。どうしようもない女である。


「やりましたねミュラル様! あそこの煉瓦から、私の鍵で開けそう――……」

「待てエルミヌっ!! 下がれ!!」


 ほれ見ろ言わんこっちゃない。光どころか煉瓦は内側に降り注がれた。壁の向こうの“何者”かが、壁を崩したのだ。


「死んだかエルミヌー!」

「生きてますー!!」


 俺に呼び止められて驚きその場で転倒。瓦礫を躱す辺りはあの女、悪運は強い。砂埃に咳き込みながらエルミヌがふらふらと立ち上がる。


「ほぉ……こいつは…………」


 逆光を背に立つ者は、凄まじい殺気を此方へ向ける。

 投げつけたカンテラを一刀両断。かなりの剣の使い手だ。そもそも漆喰を斬り、壁をぶち破るというのもどうなんだ? 見ればそいつの後方にも同様の瓦礫群がある。この手口で城に侵入した訳か。


「その色……貴方、アージェントなの? 酷い…………そんな情けない姿になって」


 声は若い女のそれ。剣に魔力を込めたのか? 紋章を刻んだ紋章武器か? 女は瓦礫を蹴って部屋へ入った。通路から漏れる光は逆光。相手の姿は解らない。シルエットでは俺達とは違う生き物、異形に見える。長い角と獣の耳――……血に飢えた【赤の国】の民か?


「おい! 何のつもりだ!? ここへ来たってことは、あんたも花嫁候補だろう!?」


 女は名乗りもせず、凶器を王子へと向けた。慌てて庇い飛び退くが、女は凄まじい速度で此方に跳んで来る。あの跳躍力も、人間業を越えている。魔法でも使わなければ、あんな相手とやり合えない。


「かに、かにぃ」

「おい暴れるな王子様! ほんとに死ぬぞ!? 離れるな!! 確かにあのシルエット、甲殻類っぽさはあるけどな!?」

「ひ、ひぃいいいい!! 私こんなお城もう嫌ですぅううう!! 家に帰らせてぇえええ!!」

「王子の危機だぞエルミヌ! お前だけ逃げるな馬鹿!! 家なんかねーだろクソが!!」

「短い間でしたが殿下!! 貴方との幸せな日々を忘れません!! ミュラル様のことは三日くらいは覚えてますね!!」


 俺と王子にヘイトが向いている中、エルミヌの阿呆は一人壁に向かって逃げ出したが……!?


「げっ!? 何なんですかこの壁ぇええ!!」


 ざまぁみやがれ。彼女の目の前で、壁は復元されていく。入ったら最後出られない。俺達はとんでもない魔法の内にいる。大剣振り回す女から、逃げずに戦えと?


「おいおい、花嫁候補に武力が要るとは聞いちゃいないんだが」

「ならば彼を渡しなさい。そうすれば命までは取りませんわ」

「お優しいね。吊り橋効果でうっかりあんたに惚れちまいそうだ」

「戯れ言を。それで返答は?」

「あんたの名前を教えてくれよ。食事に誘うにも、討ち取るにも、名前を知らないんじゃ味気ねぇだろ?」

「ふん……良いでしょう。我が名はギュールズ! ギュールズ=シミエ・クレスト。クレスト王国が後継者ですわ」

「そうかいそーかい、そりゃあこいつとは釣り合いの取れるお姫様って訳か」


 やはり、クレスト。【赤の国 クレスト】は【血の王国】。戦で国土を広げた大国だ。武力が全てのクレストは、リヴァリースの鍵魔法に辛酸をなめさせられている。確実に、恨み辛みはあるだろう。


「そんじゃ、俺も一応名乗ろうか? 俺は天下の大悪党、盗賊王みゅ……」

「賊の名など、聞きたくもない! 死にゆく者は口を閉ざして時を待て!!」


 リーチが長いな。自身の背丈以上の剣を振り回すとは、このお姫様……なかなかの怪力だ。俺は闇に隠れやすい服装だが、アージェントはそうもいかない。彼の衣類はよく目立つ。“獣”の力を持つクレスト族とは厄介だ。耳も人より良いはずだ。避けるだけでは限界が来る。

 力ではクレスト族には歯が立たない。唯でさえ、俺は力仕事は得意じゃないんだ。金貨はエルミヌにやっちまったし、頼れる物は隠し持った短剣と……アージェントから貰った指輪。そして。今、お姫様から引き出した“名前”。


「そいつはどうも。だが黙れと言われちゃ喋りたくなるのが人の性。死ぬまで喋らせて貰うぜお姫様!!」

「ならば今すぐ、黙らせるっ!!」


 時間稼ぎに出来ること。会話をしながら避けながら、刺客に向かって物を投げる。棺の蓋も底も、寝具類も投げてやる。壁際に誘いわざと壁を壊させて、彼方の体力消耗を図る。壁は即座に復元するが、部屋に瓦礫は増えていく。お互い足場は悪くなり、逃げるも追うも難しくなる。


「冥土の土産に教えてくれよ! クレストとリヴァリースがやり合ってたのは俺も知ってる。侵入成功で王子の首を討ち取りにでも来たのかい? そいつは勿体ねぇ! 婚姻なんて和平の好機、あんたはみすみす逃すのか!?」


 先に限界が来たのは、王子を庇いながら逃げる俺。絶対に渡してなるものか。得物も捨ててギュールズに俺は背中を向けた。斬れるものなら斬ってみろ。骨を斬られても肉を斬られても、両腕で抱いた王子は離さない。

 俺の覚悟を見て取り、ギュールズにも迷いが生じる。


「…………訂正しましょう。名乗りなさい。身分は低くとも、お前には王子の騎士としての誇りがあります。私に名乗る権利を許しますわ」

「そいつはどうも。そんじゃまぁ有り難く名乗らせて貰うぜ。姓はスティアン、名はミュラル。通り名はセーブル・ミュラル! セブルマーケット一の……いいや、世界一の大悪党だ!!」

城壁(ミュラル)守護者(スティアン)とは……賊には勿体ない、良い名ですわね」

「まだだ。俺はここからこいつを盗む。あんたにアージェントを殺させたりしない。俺は本気だぜ、遠慮しないで斬ってみろよ」

「ではお言葉に甘えて……死になさいっ!!」


 間に合わなかったか? ギュールズが振り下ろした大剣。見えずとも迷いの消えた太刀筋……風圧を背中で感じる。


「かに゛ぃ、かぎー」


 最後に聞くのが王子の声か。だからあいつは蟹じゃないって。他人の空似でも。せめて最後は俺の名前でも、お前に呼んで欲しかったな。


「ミュラル様っ!!」

(……間に合った!!)


 俺を呼ぶエルミヌの声。褒めて下さいと言わんばかりの弾んだ響き。失敗はしていないんだなエルミヌ? そうだよな。お前は命がけの逆境にこそ、強いんだ。


「何!?」


 逃げ出して、壁に縋って泣いていたはずのエルミヌ。あいつは【鍵の女】だ。才能だけなら俺以上。奴が向かってくることを、ギュールズ姫は想定していない。

 俺はギュールズが物を壊すように逃げ、室内にエルミヌの道を作った。ギュールズに隠れながら近付くための通路を。


「いきなり命を狙われる王子様とか最高じゃないですか!! これ、アージェント様を守り切れば私と運命フラグ立ちますよね!? 一緒に不幸を苦しみ幸せを分かち合いましょう!!」


 ギュールズに触れたエルミヌは、左手に右手を添えて力一杯開錠をする。ギュールズの秘密を暴く。彼女が戦意喪失に陥る程の、秘密を無理矢理こじ開ける!!


「ぎ、ギャアあぁああああああああああああああああああああああああああ」


 獣の悲鳴を上げて、ギュールズの影は倒れる。エルミヌが引き出したのは、彼女のトラウマ級の秘密なのだろう。俺も経験したから解るが、引き出される時……暴かれる側も同じ記憶がフラッシュバックするのだ。


「でかした、エルミヌ!」


 俺は嬉々として気絶したお姫様をシーツで縛って簀巻きに変えた。俺の慣れた手つきを見、エルミヌは俺を人でなしと言わんばかりの顔で見る。


「えーと? “ギュールズ……シミエ・クレスト、自力でこれを解けない”っと。エルミヌ金貨を使ってくれ」

「はぁあ……何ででしょう? 襲われたのこっちなのに、私達の方が悪人みたいな気持ちになるのどうしてですか?」


 煤でシーツに彼女の名を書いて、俺は鷲の紋章も指で書く。紋章金貨は施錠も得意。これはマーケットで使われる、名前呪術の応用だ。


「ミュラル様が二つ名ばかり使うの、こういうことなんですねー」


 スラムの民は己の真名を名乗らない。国に登録、管理されない名前は自由を好む。姓か名か。明かして良いのは半分だけだ。知られることは呪いに変わる。そこに極めつけの紋章魔法を組み込めば、エルミヌがされていたのと同様の拘束具の出来上がり。一節によるとガーデンは、マーケットの呪術から紋章鍵の着想を得たって話もある。


「これ貧民でも使える一番簡単な魔法だからな。あの界隈、真名を知られるとお手軽に呪われるんだよ」

「そうですかーミュラル=スティアン様。それじゃあ今から呪えますねー」

「呪い返すぞ?」

「やめときます」

「……でもまぁ、助かった。ありがとなエルミヌ」

「それはその。まだお給料、全然足りていないので。貰わないと損じゃないですか」

「ちっ……。迷惑料から差し引いてやるよ、今回の働き分」


 逃げ出したのは真実だ。この二ヶ月、こいつは何度となく逃げた。それでもその度帰って来たんだ。お前の臆病さと不運は問題だが、戻ってくる程度は信頼されていると……お前を信頼してたんだ。それに、この状況……あいつにとっては最高に美味しい展開じゃないか。


「怪我はないか? お前も王子様も」

「かぎー」

「……鍵?」


 アージェントはずっと何かを言っていた。我に返れば部屋が明るい。王子の顔がよく見える。


(そう言えば、手際よくあんなに仕事が出来たもんだ)


 縛り上げたギュールズに目を向ける。彼女の姿がよく見えた。気絶し魘されている彼女は、なかなかの美女である。甲冑を纏ったドレス姿はさながら戦女神。肌は透き通るように明るく、金の巻き毛は美しい……。俺達と違うのは、彼女の頭部にある二点。ふさふさと毛並みの良い耳と、頭部に生えた二本の巻き角。クレスト人は立派な角を誇りと言うだけあって、王族たる彼女の角は見事なものだ。


「あのー。ミュラル様、聞き難いのですが聞いてもいいですか? それ、何なんです?」


 現実逃避をさせないつもりかエルミヌめ。俺は渋々視線をお姫様から“それ”へと戻した。


「……いつから見えた?」

「ミュラル様が名乗って格好いいこと言った後からですね。そこのお姫様が剣を振り下ろした辺りです」


 俺が斬られなかったのは、エルミヌが間に合ったからではなかった。ギュールズに隙が生まれた理由とは、俺の周りに光る……奇妙なそれなのだろう。

 俺と王子を守るよう現れた輝く城塞。エルミヌが言うにはこれが盾となり、ギュールズの攻撃を防いだらしい。


「何だろうな。俺は金貨を持ってねーし、名前の魔術が発動したって言うよりか……あれは願掛けだったんだよ」


 これまで何年も隠し続けた名を明かす。秘めた時間の分だけ、加護が増す。名前魔術の応用だ。紋章が無ければお祈り程度で意味は無い。


(紋章……?)


 俺はアージェントから貰った指輪に目を留める。黒曜石の中で、白花の紋章が……城壁同様白く白く輝いている。


「王子様、あんた……何かしたか?」

「かぎー」

「だから何処に鍵があるって言うんだよ」


 抱きかかえる王子がぺたぺた触れるのは、俺の頭部。結わえた髪を触られて良い気はしないがじっとする。彼は“鍵”を見つけたのか? 俺の片手に触れて、頭の方まで持って行く。


「これ……お前の棺にあった花か?」


 棺桶を投げ飛ばした際、花が一輪俺の髪に付着していた。綺麗だが、何の変哲もない白い花。この五弁花なら野薔薇だろうか? 俺の指輪のそれにも少し似ている。手に取った花を観察する俺に、アージェントが手を重ねる。彼が俺の手に触れた時、花は姿を“現した”!


「か、鍵!?」


 どんな手品だこれは。手の中で鍵に変わった花に驚く俺に、王子様は言ったのだ。これまでのような舌っ足らずの言葉じゃない。明瞭な発音で。


「ありがとう、ミュラル」

「っ!? え。あ……ども。え!?」


 俺の反応に、くすくす笑う微笑みなんか……正に美少女のそれ。声まであいつにそっくりだ!! 泣いて良いかな。


「話したいことはたくさんあるけど、まずは君たちの部屋を用意させるね。世話をしてくれる人は今、喚び出すから」

「あ、はい」

「何なんですかミュラル様!! その憧れの初恋のお姉さんに出会った初心の少年のような反応は!?」

「はぁ!? 馬鹿言え誰がお姉さんだ!! あいつは俺のいもう……ぐっ、な、何でもねぇ!!」

「ごめんねエルミヌ。それも含めて話がしたいんだけど、まずはお腹空いてない? 何か食べたい物はある? 何でも用意させるよ。あ、その前に湯浴みが良い? 君たちは指輪を得たのだから、我が家と思ってくつろいで欲しいな」

「……ミュラル様。私を殴って下さい」


 涙ぐみ、エルミヌが言う。解るぞ。これが現実とは思えないのだろう。俺は頷き、此方もなぐれと頬を出す。


「うわぁ! 二人とも何やってるの? 痛くない? 大丈夫?」


 アージェントはおろおろと、俺とエルミヌの頬を優しく擦る。天使だ。こんな俺達に優しくしてくれる天使だ。何人たりとも俺を縛ることは出来ないと、究極の自由人と謳われたこのミュラル様に膝を折らせるとは。鍵の王国の王子……侮れない。そんな性癖ないはずなのに、頬とか頭撫でて貰えるならずっと膝を着いていたいくらいだ。人の優しさに触れたエルミヌは、なんかもう猫だ。顎を撫でられゴロゴロ言ってる。


「殿下、花嫁候補の奥方様方。掃除を始めるのでそろそろ退室して頂けますか?」


 アージェントが喚び出した? 何者かが壁の向こうで苛ついている。そこまで年は食っていないが、厳格な男の声だ。正面から楯突いたら面倒そうな輩に思える。


「退室しろって言われてもな」

「ミュラル、さっきの鍵で開けられるはずだよ。この部屋はもう君のものだから、自由に使ってくれて構わない。君はここをどんな部屋にしたい? 扉は何処に作りたい? 何でも良いよ。想像して」

「……まぁ、やってみるか」


 子供の戯れ言に付き合うつもりで従うが、次の瞬間俺は飛び上がるほど驚いた。イメージしたのは、あいつと暮らした家。俺の仕事が軌道に乗って、豊かになった俺の家。かつてあいつが言えずに欲しがった、俺が与えたかった物全てを詰め込んだ。

 あいつの好物、好きな花。ボロボロじゃない、着せたかった新品の服に磨かれた靴。ぬいぐるみなんかも買ってやりたかったんだ。いや、化粧品か? そのままでも可愛いが、あいつも生きていれば年頃の、女の子だったから。


「…………すまん、王子様」


 出来上がった部屋を見て、思わず俺は死にたくなった。これが幼女を飼う部屋かとエルミヌは俺の人格と性癖を疑う視線を送り続ける。


「どうして謝るの? 僕は。…………“私”はこの部屋好きだよ“お兄ちゃん”?」


 あいつが、俺の妹が憑依したようアージェントはふわりと笑う。もう駄目だ。我慢できない。涙腺が決壊した俺を。今度はアージェントが抱き締める。あいつのように、あいつの代わりに。


「えーっと……ご両人だけ微笑ましい所恐縮ですが、私はどういう反応すれば良いんですかね」

「エルミヌにも鍵を見つけて欲しいな。それで君の理想の部屋を作って欲しい。そうすれば、城も僕も君に愛されるよう頑張るよ」

「あ、愛ですかぁ……あ、あははははー! なんか照れますねー!!」


 俺に断りもせず、照れ隠しにエルミヌは我が家の食卓を貪り始めた。お前も余罪に食い逃げ一件追加しとけよ。泣きながら、俺は彼女の余罪を数える。


「アージェント……お前、本当に何者なんだ?」


 これ以上情けない面を、その姿の者に見せたくなくて。赤くなった目を擦り、俺は平静を装うとする。いや、駄目だな。彼を食卓まで連れて行き……王子の分の食事を装って、スプーンで口まで運ぶ介護を始めてしまった。俺は混乱しているな。仕方ないだろう条件反射だ。

 こいつもこいつで「一人で食べられるよー」と恥ずかしがらず、俺の行為を受け入れる。俺が何を望んでも、俺の願いを叶えようとしてくれる。見たかエルミヌ!! 健気ってこういうことだろ!? 自己申告じゃねぇんだよ!! 「ミュラル様、お代わり!」じゃないんだよ。お前は自分で盛り付けろ、従者だろうが!!


「ライネ、リネル。食事も掃除も不要だ。ギュールズ姫だけ監視を付けて貰えるかい?」

「御意」

「畏まりました、殿下」


 俺が作った扉から、入室をする若い男女。それぞれ執事とメイドの姿をしている。壁の向こうで文句を言っていたのは、ライネとか言う男の方か?


「でも、いじめないでね。彼女も入城出来たのだから、候補の資格は十分だ。指輪を受け取って貰えるかは別だけど」

「まぁ、聞きましたエルミヌさん? あの子私達を差し置いて、他の女の話ですって?」

「聞きましたわよミュラル様? 私達というものがありながら酷いですわ酷いですわ」

「うぅ……でも僕は、鍵を見つけた人の物だし…………い、今はミュラルが一番好きだよ!!」

「み、ミュラル様!? 果物ナイフを手首に当てちゃ駄目ですよ!!」


 やめろ、止めてくれ。妹の顔でそんな言葉を吐くな。罪悪感で死にたくなる、このミュラル様が何たる様だ。ちょっといやかなり嬉しいのが俺の心に傷を負わせる。俺はこんな幼子になんて言葉を言わせているんだ。


「驚かせちゃってごめんね、エルミヌ、ミュラル……」

「お城に入ったら、お妃様って話じゃなかったんですか?」

「うーん……父様の言葉がどんなものかは知らないけれど、僕とこの城は呪われている。僕の記憶と心が、部屋に封じられたと言うのかな」

「わぁ……、そんな魔法まであるんですかリヴァリースには!」

「うん。僕も良くは思い出せないけど色々あるよ。僕は呪いで城と同化しているんだ。鍵を手に入れ部屋を開放した人が、僕自身を支配する。人格も外見も……その人の思い通りに。だから多くの部屋の鍵を得た人が、僕の最愛の人になるのだと思う」


 完全に封印されていたから、出会ったばかりのアージェントは満足に会話も行えなかった。最初に入城したのが俺で、最初の鍵を得たのも俺だから……アージェントの外見は俺の願望を反映している状態。死んだ妹と、もう一度会いたいという俺の願いが……歪んだ形で叶えられた。アージェント本人の情報を消し去って。

 俺は人一人の自由を奪ってしまった。部屋数が幾らあるかは解らない。何分の、何十何百分の一だとしても。俺は自らの欲望で、彼の一部を書き換えた。ものすごい罪悪感と、充足感。マーケットでの悪行でも、ここまで感情を揺さぶられたことはない。

 駄目だ、駄目だと思うのに。次々と欲が芽生える。鍵を集めれば、妹と寸分違わぬ存在を生み出せる。


「お、思い通り!? な、何でもですか!?」

「理論上は、うん。どんなことでも応えてみせるよ」


 エルミヌも、アージェントの力に強い興味を示す。そうだよな。元々俺はこいつを王妃にして、褒美を貰うのが目的だった。それなのに。今はアージェントを盗み出したくて堪らない。多くの鍵と部屋が欲しい。でもそれは、セーブル・ミュラルの美学に反する。


「…………それじゃあ、長生きをしろ。それが俺の好みだ」


 欲望と信念の狭間で俺が絞り出した答え。


「お前が記憶を取り戻すまで守ってやるから。死ぬなよ王子様」

「……ごめん。約束は出来ない」

「…………俺はこれ以上、お前を変えない。この一部屋で満足だ。俺が手に入れた部屋は、お前が自由に書き換えろ。それでお前自身を取り戻すんだ、アージェント」

「僕、自身――……? それがミュラルの望みなの?」

「ああ。俺が見たいのは。お前が自分で歩く姿だ。生きてくれればそれで良い」

「この顔じゃ、なくなっても?」


 アージェントの指摘に、思わず俺は口ごもる。ぐうの音も出ない。そのままの姿でいて欲しいさ俺だって。


「はいはいはーい! 有能従者エルミヌちゃんの名案でーす!! 私、相手が運命の王子様なら外見や性格に拘りあんまりないんですよぉ」


 場の空気に耐えられなくなったのか、エルミヌが御茶を濁して割り込んだ。


「私とミュラル様で協力すれば良くありません? 外見はミュラル様の好み、内面が元々のアージェント様!! 性癖だけ私と一致させて頂ければOKです!! どうです!? 私達以外に花嫁候補が現れようと、私達が組めばきっと勝てます!!」


 エルミヌのタイプは、彼女の不幸を一緒に苦しみ、ささやかな幸せを一緒に喜べる相手。元々の王子が余程の性悪じゃなければ何とかなりそうだ。しかし即答は出来ない。アージェントにも本来の人格と過去が、記憶がある。簡単に盗んで良いはずがない。


「変わらない人なんていないんですよミュラル様!! 大好きな人が出来たなら、その人に気に入られたくなって……自分を変えようとする。アージェント様は度が過ぎていますけど、本質は変わらないんです。愛されたいという人を、どのくらい全力で愛するかって話でしょう!? 良いんですか!? 私がアージェント様を違う姿に変えちゃっても!!」

「…………解った。此れ迄通り、手は組もう。王子の今後は継続して話し合う。これでいいな?」


 アージェントを挟むと、これまで上手くいっていた……エルミヌとの関係に齟齬が生じる。それがどうにも俺は歯痒い。

 俺がしたいのは、妹の再生か? 違うだろう。求めるのは“贖罪”だ。だからこそ、こんなに胸が痛むんだ。もう二度と償えないはずの妹に。テニーに出来なかった贖罪をアージェントに償いたい。

 でも甘えて良いのか? エルミヌの、アージェントの言葉に。人一人を我欲で作り替えるなんて許されるのか?

 俺は悪党だ。大悪党だ。出来る出来ると言い聞かせ、それでも心で納得できない。所詮俺はこんなものだったのか。一度決めたこともやり通せない、三下雑魚の小悪党か?


(俺はテニーを、“取り戻す”)


 嗚呼、その目的に変更はない。別の手段とチャンスが与えられただけ。何方の道を選ぶか、選択肢が増えたんだ。罪の意識を捨てさえすれば、何方の道でも俺の願いは叶えられる。


「何でも言って、ミュラル。どんなことでも。僕はそれを叶えたい」


 鍵の王子。封印されて当然だ。使い道を誤れば、アージェントは恐ろしい脅威に変わる。誰かが彼を支配しなければ、悪用されてお終いだ。俺の欲望は、比較的ささやかなもの。生きている妹の、成長と幸せを見守りたい。他の誰かに渡すより、俺の方がマシなんじゃないか? そうやって、自分を正当化しようとする。大悪人だぜ俺は。こんな奴の願いが、叶っていいものか!


「アージェント、俺に……お前を守らせてくれ。……男の俺じゃ正妻は無理だ。エルミヌ、お前が鍵を集めろ。俺はそのサポートをする。約束通り、上手くいったら褒美を頼むぜ王妃様?」


 アージェントはエルミヌと幸せになるべきだ。例え違う顔になっても。

 普段通りの口調で強がる。上手く笑えていただろう? なのにどうしてお前達は、納得できない表情で俺を見上げているんだろうな。

もうちょっと、会話不成立期長引かせたかったのが心残りです。


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