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2:鍵の王国

挿絵(By みてみん)


 扉の向こうは正に楽園。

 白壁の街は朝焼けと共に金に輝く黄金都市。建築材に金砂が含まれているのか。光は待ちを美しく彩って行く。


「は、はぁああああ! こ、ここがあの……リヴァリースなんですねミュラル様!! って、ミュラル様ぁああああ!?」


 返事がない。扉を潜ったその先、私の足下で私の主は顔面から倒れ込んでした。つま先でつついてみるが動かない。鍵開けで彼がここまで疲労するなんて。開いたこと自体奇跡なのだから、何があってもおかしくはない。


「ふぇえ……惜しい人を亡くしました。ミュラル様のご遺体は無駄にせず、ちゃんと死体愛好家の方に高く売りつけて差し上げますね」

「人をっ……勝手に殺すな!! ぐっ……はぁ、しかも…………なんだ、そのお前しか得しない死体処理方法は」

「いえ。私従者ですし。ミュラル様死亡に伴う雇用主都合の解雇ですから、退職金はしっかり頂かないと」

「阿呆か、肩貸せエルミヌ。どっか休める所……行くぞ」

「え!? それって所謂ご休憩? どさくさに紛れてそういうセクハラは幾ら私が従者でも犯罪ですよミュラル様? あ、だから大悪党なんですね?」

「お前は阿呆だ!! 体力やばいから休ませろって言ってんだよ!!」

「そうは言ってもミュラル様。扉、もう一枚ありますけど。ここ、甕城ですし。宿とかある街に行くには向こうの扉を越えないと」

「……“エルミヌ=パピュア”」

「はい」

「お前はその金貨がある限り、俺の従者だ。そうだな?」

「ええ。もう少しお給料貰いたいですけど、引率して貰ってますから差し引き渋々ゼロですね」

「いいか、俺がぶっ倒れても見捨てたり俺の金品奪ったら容赦しねぇ! 呪うからな!!」


 ミュラル様、腕は立つのに発言が三下雑魚なんですよね。彼は捨て台詞を残し、正規の城門へと走り去り……私は遅れてついて行く。一度扉が閉まったら、私では開けられないかもしれない。


「ミュラル様ー! 待って下さいー!!」


 兵士もいない甕城内に、私と彼の足音だけが響いた。探せばここにも宿場くらいはあるだろうが、日が昇りきる前に侵入してしまいたい。私は宿の看板を無視し、主にそれを教えなかった。

 ミュラル様は顔に似合わぬ「どちくしょおおおおお!!」たる絶叫の後、いよいよ扉を開ききる。あれはもう技術とか関係なくて気合いですね。魔法とかかもしれません。いずれにせよミュラル様の怒りを受けて、長く長く? 閉ざされていた王国は、重い扉を開いたのです。

 でも、本当はそうじゃなかったのかもしれません。扉は自ずと開かれる。運命の人に出会ったら――……。誰かが彼を、待っていた。




(嗚呼! 愛しの我が故郷リヴァリース!! 何て素敵なんでしょう!!)


 私が奇異の目で見られない。若い女達は皆、道具の鍵を用いずに……己の手に宿る鍵で扉を開く。それは信じられないくらい幸せ。私が化け物ではなく、唯の人間になれる場所!!


「あんたら見ない格好だね、何処の田舎から来たんだい? 見目は悪くないんだ、これなんかどうだい? もっと垢抜けた服を来たらあの御布令にも――……」


 唯の人間どころかみっともない田舎の芋娘としてカモにされている。これはこれで屈辱的だ。私は隣の男に視線を送り、「見返してやってください」と虎の威を借りることにした。


「ほぉー……いいじゃねーか。俺にも似合いそうだ。ひとつくれるかお姉さん?」

「あれま……、こりゃ失礼しました! お兄さん、随分といい男だねぇ。私をお姉さんだって? やだね全く! 亭主さえいなきゃ本気にしちまうところだよ!! って美人のお兄さん。なんだいこれ。偽金ならもう少し上手く作りな」

「……あ、しまった。そうだな。俺達ここの通貨持ってねーんだよな。綺麗な姉さん、ここで外の金は使えないのか?」


 ここでミュラル様の視線が、私の首飾りへと向く。


(あげませんよ!!)


 私はぶんぶん首を横へ振る。一度貰ったものは絶対返したくない。これが私の全財産でお給料なんですから。そもそもミュラル様、お金の宛てもないのに街に遊びに行くとか馬鹿ですか!?


「エルミヌ」

「口説きモードの顔してもあげませんよ!!!!」


 この人は、私のことを何だと思っているのだろう。時々優しいけれど、時々とても人でなし。本人が自称するように、根っからの悪人ですねこの人は。入国後だってそうでした。


 あの日私は……気を失った主を引きずり宿を探した。私達が入った門から一番近い【パレト】の街は運河が通り、舟で他の都市から人が集まる。乗合馬車も多く行き交い活気があった。だからか街も立派で物価も高い。

 パレトの街だけそうなのか。リヴァリース自体がそうなのか。まだまだ不明なことばかりだが、私達の言葉が通じる。多少の方言はあれど、リヴァリース国内も【コート・オブ・リンク(共通語)】が用いられていた。この点は、後述する仕事にも非常に助かった。

 一方で文字の方。リヴァリースで用いられる文字は、私達の知るそれとはまるで別物だった。当然ミュラル様には読めない。私はと言うと――……街の看板が私には読めた。今まで目にすることがなかっため気付けなかったが、私はリヴァリースの言語を知っているのだ。本当にこの国が、私の故郷なのだ。そんな感動も私は疾うに忘れてしまう。


(全く、ミュラル様はいい気なものですね!?)


 【鍵の王国】で通用する貨幣を私達は所持していない。比較的押しに弱そうな風貌の女将さんに泣きついて、宿を手伝うことでしばらくの間部屋を貸して貰えることになった。ミュラル様が目を覚ましたのはその二日後だ。適当に宿のご主人と女将さんを口説き、食事まで無料で出して貰うのだから……少々私は落ち込んだ。私は料理に洗濯、草むしりに買い出し、ドブ掃除まで手伝ったんですよ? 腑に落ちません。エルミヌだって可愛いです。綺麗さではミュラル様に負けるかもしれませんけど、この小動物的美少女に、世間は冷たすぎませんか?

 ……と私がすねたところ、ミュラル様が私を街へ連れ出してくれたのだ。ミュラル様は何か買ってくれると言うが案の定、彼もリヴァリース通貨を持ってはいない。入国早々飯たかりと既婚者ナンパに続く罪を増やすのでしょうか? 流石は天下の大悪党!!


「外? あんた馬鹿言ってんじゃないよ……いや、その色。確かにここじゃ見かけない。染めてるわけでもなさそうだね?」


 服屋のおばあさ……お姉さんはミュラル様の方をじっと見て、彼がリヴァリース人でないことに気付いたらしい。入国後出会った人々は、茶髪か金髪私のような灰色、いいえ。皆がそう、鉄色や銅……金や銀という金属色の髪をしていた。ミュラル様のような黒を纏った人は何処にも居ない。


「ああ。セブルマーケットから来た。リヴァリースに戻りたいってお嬢さんを送り届ける依頼があってな。こいつに見覚えはないかいお姉さん?」


 ミュラル様の言葉に年老いた老……お姉さんはより眉間に皺を寄せた渋い顔で渋い顔で、私の方を凝視する。彼女は私の外見よりも、私の手を見ていた。彼女は私の手にある鍵に注目している風だ。


「確かにそっちの垢抜けない娘は、リヴァリース人のようだね。だが一度外に出た者が……家に帰るは難しい。陛下にでも調べて頂ければ、或いは」

「なるほど、王都へ行けば良いのか。王都はここからどのくらい離れている?」

「馬車を使って三日かねぇ。だがね、それも難しいことだよ。陛下はもう何年も雲隠れ。不敬にも崩御なさったなんて噂もあるくらいだ」

「そ、そんなぁあああ……」

「それでも打つ手がないわけじゃない。あんたかそっちの娘は……門を開けて来たんだろう? それなら資格は十分さ。殿下に会いにお行き」


 がっくりと項垂れる私に、お姉さんは気休めめいた情報を与えてくれる。


「殿下、ですか?」

「ああ。【銀の城】の王子と言えば、リヴァリースの至宝! 大事な大事な守り神様さ」

「ほー、王子様がいるのかこの国」


 宝と言われ盗賊センサーが振れている。タイプだったら記念に寝ていくかなくらいの軽さで食いつかないで下さいミュラル様。何ですかその舌舐めずりは。王子様は貴方の経験人数&悪行トロフィーじゃないんですよ。


(ミュラル様の節操なし……!!)


 私と一緒に出かけているのに、顔も知らない王子様のことを考えるなんて。


「まぁ、殿下に会うのも一筋縄には行かないよ。幾ら、花嫁捜しの真っ最中でも肝心の城の在り処を誰も知らないんだからさ」


 お姉さんの言葉に、私の耳がピクリと動く。今このお姉さんは何と言いました?


「王子様が、花嫁捜し……ですか?」

「お? 娘っ子。あんた参加する気だね? はっはっは! 気に入ったよ!! 好きなの一式持ってお行き! 王妃様となった暁には、ご贔屓にしてくれよ!」

「えええ! 良いんですか!? それじゃあこのゴテゴテでフリフリのドレスを」

「阿呆か。まだ移動があるだろ。姉さん、こっちのこれとそれ頼む。動き易そうだしいいな」

「へぇ、似合うじゃないか。さっきより垢抜けて品があるよ!! それに多少の色気は出たね。これは殿下も放って置かないよ!」


 服屋のお姉さんは私に自信を持てと言うが。


(ううう、お腹や足がすーすーします。これ、ミュラル様の趣味なんですかね)


 お姉さんへのお礼もそこそこに、ミュラル様はまたそこらのお姉さんに愛想を振りまき情報収集。王子様は放って置かなくても、ご主人様は私を絶賛放置中です。


「うえぇ、待って下さいよミュラル様ぁああ!!」


 ミュラル様の見解通り、彼の選んだ服はとても動き易く、すぐに彼へと追いついた。ショートパンツは丈の長いメイド服とは違う。スカート裾を踏んづけて私が転倒する危険も無い。

 それでも盗賊の彼と並ぶと私も完全にそっちの人。これまでメイド服の上から羽織らされていた地味な渋染めのマントとは違う……オコジョのフードともこもこの毛皮は可愛いけれど。


「ううう……まだメイド服の方がフリフリでした…………」

「文句言うな。その白毛皮、普通に買えばすげぇ高いんだぞ? 外じゃ殆ど流通してねぇ。マーケットだって稀に取引されるくらいの……」

「原産地、リヴァリースなんですかね? これだけ頂いても安価だったみたいです。おまけまで頂きましたし」

「やべぇな。貿易するだけですげーくらい稼げるぞ」

「あはは。だから記憶持ち出せないんでしょうか」


 私の反応に、ミュラル様は真顔になる。


「どーしたんですかミュラル様?」

「しまった。入ることだけ考えてた。後処理(ピロートーク)の考えがなかったぜ」

「やるだけの希望の最低野郎みたいな発言やめて下さいよ」


 私達は【鍵の王国】へ入ってしまった。ここで暮らす分には問題なくとも、私を送り届けて国外に出るつもりであったミュラル様は。外へ出てしまった時の私のように、過去の一切を失ってしまう? それともリヴァリースに滞在していた間の記憶だけ? 誰も、身は一つ。気軽に実験など出来ない。


「……はぁ。やっぱりお前を城まで連れて行かなきゃならねーようだな。国から出るとどうなるのか、王子様に確認する必要がある」


 過去の一切を忘れ、盗賊廃業、真人間として生まれ変わる気は彼には更々ないらしい。


「でもミュラル様。お城が何処にあるか、誰も解らないって話でしたよ?」

「そんなの余裕だろ。あの馬車を見ろ。貴族の嫁入り行列かよってくらいの兵と、身なりの良いお嬢さんが乗ってやがる。あれを追跡す(つけ)る」


「頑張って下さい公女様ぁああー!!」

「お美しいですクローネ様ぁああん!!」


(クローネ? 公女様??)

「知らねーか? 【青の国】もとい【海公国 コロネット】公家の家名だよ。公女アズレア。アズレア=ヴェル・クローネ――……外では絶世の美女として有名だが。想像より大分幼いな。三年後くらいが食頃か」


 何処から盗んできたのやら。望遠鏡まで持ち出して、か弱い私に肩車までさせ公女様の馬車を見送るミュラル様。感想それですか。私は「あ、ミュラル様外見だけなら美女なのに、しっかりお持ちなんですね」って首の感触に戸惑ってたんですよ!? 自覚のないセクハラ酷いです!!


「……ミュラル様? カラスじゃないんですから。雑食にしても度が過ぎてますよ。男女お構いなしに貴族を食ったり食われたり、おば様おばあ様なお姉さん方まで口説いたり! 今度は私より年下みたいな公女様まで色目で見て」


 通り過ぎる瞬間、僅かに見えた黒髪の少女。彼女は車外に目もくれず、手も振らず……。人をかき分け押し潰されて前へ行き、偶々見えた本当に僅かな時間だったので、美しさの程は解らない。ミュラル様の発言から推測するに、貴族の結婚適齢期を下回っているのは確かなようだ。やはり王子様も私くらいの女の子が一番良いに違いない。


(これは貰いましたね天下!! 王妃になったらミュラル様をどうしてやりましょうかね!?)


 腹を立てた直後に彼をこき使う様を想像し、怪しい笑みを浮かべる私。ミュラル様は少々引き気味に、弁解めいた言葉を零す。


「何を今更。拾い食いしないだけお行儀良い方だろ俺は」

「拾い食い? まさか私のことですか?! 多分エルミヌちゃんは美味しいですよ!! あげませんけど!!」

「例え美味って言われても、食ったら金やるって言われても……マンドラゴラは食いたくねぇなぁ。五月蠅そうで気が萎える」

「誰がマンドラゴラですか!!」

「うるせぇな。いつかお前の声で人死にが出るぞ。やったなエルミヌ、前科が増えるぞ」

「うぅう……不吉なこと言わないで下さい!」


 口ではこの人に勝てそうにない。リヴァリースまでの旅で、賢いエルミヌちゃんは学びましたとも! 可哀想で可愛い私はこうやって、今日も涙ながらに引き下がってあげるのです。


「えっと、ころねっと、コロネット。知ってますよ……海産物がノブルガーデン市場に出ていた気がします。たまに美味しいエビフライの尻尾がですね!? 夕飯に出て……はぁ」

「ご愁傷様。残飯処理も担っていたか」

「ああ! 言いましたぁ!? 残飯以下のご飯しか奢ってくれないミュラル様にも問題があります!」


 か、賢いエルミヌちゃんでもたまには言い返したくなりますよね。仕方ありません。仕方ありませんとも! ミュラル様が寝ている間、私だけ汗水垂らして働いていたんですから!


「言ったな。それじゃあ精々良い物食わせてやろうじゃねぇか。ついて来な、テイクアウト出来るっぽいあの店だ」

「わーい! ぎゃああああああああああああああああああ!!」


 か。か。かかかかか、賢いエルミヌちゃんでも空腹には勝てません。駄目ですよねお腹が空くと。私だけじゃありません。皆さんきっとそうなんですよ。頭に栄養が行き届かないと、思考能力が低下する。ありますあります、そんなこと!


「美味いかエルミヌー? たらふく食えよー?」

「あの、ミュラルさま?」


 出来立て高級惣菜パンの香りに負けて、支払い前に頬張った。私は少し…………賢くなかったかもしれない。


「さぁて。逃げるぞ!!」


 ミュラル様は涙目でパンを頬張る私を掴み、金も払わず店を飛び出す。そうだこの人は、リヴァリースのお金を持っていなかった。


「おい! 食い逃げだ!! 捕まえてくれ!! 小柄なガキと顔のいい男だ!!」

「誰だ俺の馬を盗んだのは!! 誰か見なかったか!?」

「なんの騒ぎなの!? リヴァリースでこんな事件、これまでなかったはずなのに!!」


 ミュラル様の所為で、パレトの街は大騒ぎ。彼は奪った馬に鞭を振り、公女様の向かった方へと急がせる。


「聞き込みと盗んだ地図の情報じゃ、最近国中に城が現れたって話だが。この方角だと……この辺りか」

「ひぃいいい! 突然離さないで下さいよ!!」


 馬上で地図を広げ始めたミュラル様。手放し運転でよくもまぁ、振り落とされませんね貴方。私は馬具と彼を掴んでなんとか振り落とされずにいられている。


「帰国早々捕まりたくなきゃしっかり掴まれよ!!」

「隠れて、こっそり後を付けましょう!? いそがばまわれですぅうう!!」

「公女を追い越し先を頂く。リヴァリースの扉は俺達が破ったってのに、噂はあの女で持ちきりだ。俺様のプライドに傷が付いた!! 盗賊と隠すのはもうやめだやめ! 城では先に勝ち鬨を上げるぞ!!」


 ミュラル様は“解錠”ではなく“開錠”していた? 彼が開けなければ来られなかったコロネットのお姫様。ミュラル様が入国早々名乗りを上げなかった所為で、名誉を彼女に奪われた形となったのか。ああ、だからあんなに街でキャーキャー言われていたんですね。人々は彼女こそ、未来の王妃様と信じていたのだ。


「確かにそれは許せませんね!! 王妃になるのはこの私です!!」

「その意気だぜエルミヌ!! 玉の輿になったらしっかり俺への迷惑料払って貰うからな!!」

「ええええ!? 持参金どころか借金持って嫁入りとか最悪ですぅう!! 幾ら私が可愛くても、ミュラル様の所為で婚姻蹴られますよ!?」

「仕方ねぇ。その時はこの美貌で俺が王子様を攻略して金巻き上げるか」

「駄目駄目だめぇえええ!! ミュラル様なんかに私の王子様は渡しませんよ!! 彼こそが私の運命の相手なんです!!」

「そうかい。そんじゃ気合い入れて口説きに行くぞエルミヌ!! 運命の相手ってんならお前の前科くらい水に流してくれるだろ!」

「うぁああああん!! 無銭飲食に馬泥棒に脱獄なんてぇえええ!! 真っ新な身体で嫁ぎたかったぁあああああああ!!」





 パレトの街からも見える無数の【銀の城】。掲げられた白旗は、やはり紋章を持たぬ白の旗。金貨の一件で私とミュラル様は知りました。リヴァリースは降伏したのではない、国章たる紋章が何者かにより“奪われた”のだと。

 リヴァリースに入国した“青の公女”があれだけ歓迎されたよう、リヴァリースの人々は門が破られたこと、入国者が何者かも彼らにとってはどうでも良くて。彼らは唯ひたすらに……国の未来を待ち望む。

 もう幾年前から王は姿を現さず、統治をやめた鍵の王国。ここには確かな秩序があった。リヴァリースの人々は、鍵の魔法で“隠されている”……“奪われている”、統治を行うに不要な情報に“鍵を掛けられている”。

 人々は、妻を娶った王子の戴冠式を待っている。リヴァリースでは伴侶を得てこそ一人前。もしも裏で王の崩御があったとしても、独り身の王子は国を継げない。

 王は、生きているのかいないのか……。大凡十年ぶりに、王は御布令を出した。それが、“銀の王子の花嫁捜し”。


《王子の居城、その扉を開いた者を妻と迎えよう》


 それは、即位の前触れ。新たな時代の到来だ。国中の女は色めき立って、解錠・開錠を試みた。生まれたばかりの赤子を連れて。幼い娘、未婚の娘、既婚の女、夫に先立たれた老女まで。我こそが王子の運命の相手だと彼女らは挑み、敗北。ならば別の城だと挑み、まだ敗北。

 王国の女では、王子の城へは入れないのではないか? 民が不安になった頃、王は親書を書き上げた。親書を受け取った伝令は、戻れなくなる覚悟をし……国の外へと出たらしい。


(私の家も、そういう家だったのかも……)


 もたもたしていたら、青の公女だけじゃない。もっと他の候補がやって来る。私が過去を取り戻すには、王子様の協力が必要不可欠。私の趣味や性癖を抜きしても、私は花嫁の試練に挑戦したい。



 さて、パレトで見た時よりもぐっと大きくなった【銀の城】……ではないかと噂される内の一城。ここはパレトの街から早馬で一日ほど北へ向かうと見えてくる【コンローク山脈】。その深い山間に、噂の城は現れた。

 冬でもないのに、木々は真っ白。近付いて観察すれば雪ではなく、色素を失った葉であると解る。掲げられた白旗のよう、リヴァリースは多くの物を失っている。

 私は自分の灰色髪に触れ、この髪も? なんて苦笑した。リヴァリースは、草木の色も外より薄く、大地の砂も白っぽい。人々の色素も薄いのだが、彼らは日に焼けないようである。そんな所も私と同じ。


「リヴァリースのこれは、“呪い”なのかねぇ」


 登山中、ミュラル様がそうぼやく。彼は此れ迄何度かその単語を口にしている。


「魔法じゃ無くて、呪いですか? ミュラル様そんなの信じてるんです?」


 お子様ですねと嘲笑すれば、軽蔑の眼差しが返る。雑食経験人数で大人ぶらないで下さい。


「エルミヌお前、マーケットにいた時期はないのか? てっきりその不運はそこ発祥かと」

「どうですかねぇ。私が転々としていたのはマーケットの一角だったとは思うんですが、……ほら、私って【鍵の女】ですし。私を拾ったり攫った人達って私を外に出してくれないんですよ」


 ミュラル様が初めて。こんな風に自分の足で、“仕事”以外で外を歩かせてくれるのは。


「なるほど」


「マーケットはガーデンとは違って、正式な紋章がない。あそこにあるのは持ち主を消して、闇の紋章屋に引き継ぎ認定させた非合法の代物か、俺みたいにちょーっと仲良くして書類上だけ嫁やら養子やらになった奴らかだ。全体的に数が少ねぇ。それでもマーケットは有利な立場。多くの紋章を持つガーデンは防戦一方」

「マーケットには、紋章より強い何かがある……?」

「おう。それが“呪い”だ。マーケットは大勢生まれて大勢死ぬ。呪いの地盤は整っている。血を流せば流すほど、犠牲を捧げれば捧げるだけ見返りを得る。マーケットの神様って奴は、読み書きの出来ねぇスラム民にも優しく耳が良い。勿論目も良いから文字も効果的だぜ」

「は、はぁ。それが何か?」

「闇のルートで売買される紋章なんか手が出せない貧乏人でも縋れる相手ってことさ。最悪、喋れれば良い。マーケットの殺し屋は標的を、喉と手足から潰す。これは常識だな」

「言葉を使った魔法……ってことですか?」

「おう。マーケットを本気で滅ぼそうとすれば、ガーデンも唯じゃ済まねぇ。だからごっこ遊びで仲良く縄張り争いしてんのさ」

「お詳しいですけど、ミュラル様はそちらのご経験も?」

「マーケットで、誰も呪わずに生き残れる奴はいない。良い人間から死んでいくんだよあの場所は」


 前を行く、彼に触れたいと思った。今触れれば引き出せる。彼の辛そうな声の理由が。私は一度手を伸ばし、罪悪感に負け降ろす。今の話は、好奇心で開けてはならない箱だ。


「これはあくまで噂だが、マーケットの地下にはとんでもねぇものがいるって話だぜ。鍵の魔法で封じられてるって話だけどな。……良かったなエルミヌ。お前の不幸体質、王子様なら封じられるかも」

「あ! それは素直に嬉しいです!」


 振り返るミュラル様は、いつも通り爽やかに意地の悪い笑み。私もいつも通り、明るく彼の言葉を喜ぶ。


(ミュラル様……どうして私にそんな話を?)


 唯の暇潰しにしては悪趣味。セブルマーケットの“神様”を封じた鍵魔法。ミュラル様は大悪党になりたい。まさか【鍵の王国】を目指したのも……“悪い神様”を解放する悪行のため? リヴァリースを出た後の記憶を頻りに気にしている。彼が本当に悪党ならば、私を騙すなんて簡単なこと。


(でも、ミュラル様は――……)


 終身刑の私を自由にしてくれた。悪い人じゃないと思う。私が本当に世に解き放っていけない化け物ならば、彼はそうしなかったと思うから。私を解放した彼は、私が化け物ではないと信じてくれたのだ。ギブアンドテイク。私は彼の従者なのだから、従者である間くらいは彼のことを信じてあげたい。


「あ! 解りましたよ!! ミュラル様ご自分の負傷か貞操を生け贄に、リヴァリースを開けることを願掛けしましたね!?」

「阿呆か!! 俺様はそこまで安くねぇ!! なんだその馬鹿げた出血は!! そんなんで天下無敵の大悪党なんかなれるか!!」

「はぁ!? 雑食ハンターがそんなこと言います!?」


 当たったと思ったのに。私の回答を一蹴し、ミュラル様は呆れて笑う。私のよく知る彼の顔で。


「おお。見えてきたな。お前が馬鹿なこと言っている内に、公女様に追いつかれないかヒヤヒヤしたぜ」

「そう言えば、あのお馬さんどうしたんですか? 野生に返しちゃったんです? 山道でも連れてきた方が楽だったんじゃ……?」

「ん? 背に腹はかえられねぇだろ」

「なんで私のお腹を指差して――……ひぃいいいいい!? あ、貴方って言う人はミュラル様!! まさか今朝の焼き肉は!!」

「犯罪の証拠は手早く消すもんだ。従者に屠殺させない俺って偉いよな。食事まで用意して」


 確かに私達は食料を買い足す暇も資金もなかった。丸一日まともな物を食べられず、起きたら朝から焼き肉ですよ。そりゃあか弱い乙女も食べちゃいますよ。

 やはりこの人は悪人だ。私が手綱を握っていなければ、私の王子様にも何をするか解ったものじゃない。


(頑張れ頑張れエルミヌ、強いぞエルミヌ! 王子様をこの悪鬼の手から守るんです!! 待っていて下さい王子様!! 貴方の妻が今参ります!!)


 私は歩速を上げてミュラル様を追い越して、残り僅かな山道を登り切る!


「どうしたエルミヌ、死んだか?」

「生きてますっ!!」


 どうにか怒鳴り返したが、私の魂は抜けていた。白い雲があんなに近い。一面の銀世界、白い草花生い茂る天上の楽園!! 白亜の城は街とは違い、含まれているのは銀。日差しを受けて優しく控えめに城は輝く。屋根の色は薄らとした空色です。【コンローク山脈】の景観にバッチリ符合しています。ある日突然この城が見えるようになっても、元々そこにあったように溶け込んでいて……リヴァリースの人々はものの数日は不審にも思わなかったことでしょう。


「この自己主張の控えめさっ! 優しくておっとりしていて私のこといい子いい子って撫でてくれる王子様がいるに違いありません!!」

「全開だなお前の妄想。城の外観だけでそこまで言われちゃ王子も登場し辛いよな」


 聞こえません聞こえません。ミュラル様の意地悪なんて知りません! 私には風景の歌声が聞こえます。待ってたよエルミヌちゃーん、早くおいでマイハニー!! そんな美声が聞こえますとも。

 推定暫定【銀の城】は、ピーン伯爵のお屋敷なんて比べものになりません。大きくて美しい城が、これから私の帰る家になる。


「どうだエルミヌ? 開きそうか?」

「やめてください、プレッシャー掛けないで下さいよ! 私、やらなきゃって思うと失敗確率上がるんです。手袋外さなきゃ……緊張で手汗が凄くて」

「ちっ……仕方ねぇ。俺が開けるか」

「そうじゃありませんよミュラル様! なんですこの場所は!! こんなの怖くて手が震えますよ!! どうして正面から行かないんです!?」

「入って違う城だったらどう言い訳するんだ? ちょっくら入って確証得るまで迂闊に動けるか」

「普通に御布令の件で来ました、間違えましたで良いですよね!?」

「阿呆、そんなの何のスリルもねーじゃねぇか!! 盗賊ミュラルの名が廃るっ!! 何処の世界から正門からこんにちはする悪党がいるんだ!! 俺はあの女より早く王子に会う。上から行くのが確実だろ!?」


 要は面白みが欲しいと。そんな寄り道の所為で、青の公女が接近しつつある。彼女は数人の家来に篭を運ばせ悠々と山登り。私達は城の屋根から彼女たちの山登りを見下ろしている。

 早く開けなきゃ。高所にかじかむ指。手袋をすれば今度は手汗。もたもたと手袋の着脱を繰り返す私にしびれを切らし、ミュラル様自ら城の窓へと手を伸ばす。


「あ! 駄目ですミュラル様! 開けるのは私っ……きゃっ!」

「おい、何してんだ馬鹿!」


 屋根から急に立ち上がり、傾いでいく私の身体。足が滑った。私は悲鳴も上げられず、咄嗟に手を伸ばし……手にした何かにしがみつく。私が掴んだのは、壁に設置された白旗。私が両手で思い切り掴んだそれは、突如姿を変えた。


(え……!?)


 私は今、反射的に復元をした。“隠した”魔法は強力で。私程度では一秒程しか保てなかったそれは……金と銀で描かれた“双頭の鷲”。ミュラル様の金貨と同じ紋章が描かれていた。

 驚いて旗を放しそうになった時、青い顔のミュラル様が私を引き上げてくれた。


「開ける気ねぇなら、邪魔しねーでじっとしてろ」


 手袋越しでも彼の手は湿っていた。ミュラル様も冷や汗が出る程驚いている。どうしてミュラル様の金貨に、リヴァリースの紋章が? 彼はマーケットでそれを手に入れた?  彼を信じて良いのかという不安が私に見せたのか。手を捕まれた時、私は一つミュラル様の“秘密”を開いてしまった。彼の青い顔は紋章か、其方の記憶か。


「ごめんなさい……ミュラル様」


 私の謝罪に言葉は何も返らない。彼は集中して窓の解錠に挑んでいる。


(何、今の――……)


 振り払われた手で消えた、衝撃的な映像。

 一瞬見えた映像は、汚らしいスラム街。セブルマーケットの何処か。

 今と変わらぬ黒い髪、あれは幼い彼の泣く姿? 私よりも弱々しい手に触れて、動かない少女の前で泣いている。あの子は多分、死んでいる。ミュラル様もあちこち怪我をしていて血だらけで。無理をして盗みをして来たのだろう。もう目覚めない、その子のために。

 幼い彼は血まみれの、金貨を一枚握っていた。


「エルミヌ」

「……」

「開いたぞエルミヌ」

「は、はいぃい!?」


 全ては私の見間違い? 自分を疑う程に彼は平然。【鍵の女】のプライドを折る程容易く城へ侵入、私へ向かって手を延ばす。続きが見たいならそうしろと言わんばかりに私に腕を。

 私は暫し躊躇うも、勇気が出ずに自力で窓をよじ登る。この人は何も隠していない。私が聞こうとさえすれば、全てを教えてくれるだろう。彼のそんな態度が怖いと思った。


(どうして私なんかを、そんなに信じてくれるんですか?)


 貴方は私の王子様でもない癖に。なってくれなかった癖に。私へと、手を差し出す姿だけなら王子様のようなのに。


「や、やりましたねミュラル様」

「おう。一番乗りだな。ここからはお前の出番だ」

「え?」

「既成事実を作るぞ。王子の貞操をハントしろ」

「阿呆ですかぁああああああ!! 私にガチ性犯罪の前科まで背負わせるつもりですか貴方は!!」

「馬鹿言え。顔で公女に負けてるんだ。大丈夫大丈夫。どうせ王子様なんて童貞だろ。とびきり美人じゃなくても初めての女ってのは思い出補正で良い女に見えるもんなんだよ。ここでライバルと差を付けろ、やれ」

「爽やかにろくでもない助言は要りません!!」


 何なのこの人。信頼を示した直後にこれだ。気分屋過ぎて理解不能。おかしいですね、同じ国で暮らしていたはずなのに。彼の価値観をこれっぽっちも理解できません。


「あのなエルミヌ。ここで王子に追い返されてみろ。此れ迄の苦労が水の泡だ。解るか? 俺への迷惑料は誰が払うんだ?」

「ミュラル様、厄介者払いでここへ連れて来ましたね……?」


 私を無理矢理連れ出した癖に、彼は私が嫌になったのだ。不運で騒がしい私が一緒では、彼の盗賊家業もままならない。けれど自由になったところで行く宛てのない私。嫁にも行けず、主にも捨てられたとあれば、右も左も解らぬ国で孤独に生きることになる。


「当たり前だ。お前の腕は買ってるが、一緒に居たら命が幾つあっても足りない。ここへ来たのは王妃になったお前からの褒美目当てだ」

「……ミュラル様の薄情者ぉおお」

「何だ。そんなに褒めるなよ、照れるな……」

「褒めてないですからっ!」

「まぁ、入っちまったもんは仕方ねぇ。とっとと王子様見つけて嫁の権利を主張しに行くぞ。せめてファーストキスくらい奪っとけ。やる気がねぇなら俺が奪って俺が嫁って言い張るぞ」


(…………どうして、こんなことに)


 涙目の私を無視し、私の恩人は上機嫌で城を探索し始める。私が首尾良くここの王妃になれたとしても、彼がこんなに好き放題していたら私のその後も危うくなる。せめて私が玉の輿に乗るまでは、彼の悪行を見張らなければ。これ以上罪を重ねさせてはならない。私の経歴にこれ以上の傷は不要です!!


「待って下さいー! ミュラル様ーー!! あっ……」


 慌てて彼を追いかけた、私は足がもつれてその場に転倒。私の手は大理石の床を“開錠”してしまい、階下まで真っ逆さまに落ちて行く。


「おお、その技……惜しいな。その性格が何とかなればお前才能あるのに」


 名残惜しそうな声。私の意に反した私の超絶スキルにミュラル様が唸っている。


「感心してないで助けて下さい!!」

「ちっ、仕方ねぇ……少し待て。避けろよ」


 天井の扉から彼の声。落下はしたものの、身体の痛みは無い。


「あ熱っ!」


 訂正、痛みはある。ミュラル様が落とした蝋燭を、掴んだ私は火傷。しかも落下時に火は消えて、溶けた蝋が腕まで飛んできた!


「酷いです何するんですか!」

「お前も火打箱くらい持ってんだろ! それで点け直せ!」


 なるほど。彼の落下の目印かつ、私が周りの様子を探るための物だったのか。

 私は手探りで、火打ち箱を取り出した。再び灯される小さな明かり。ミュラル様からは高さがあり落下場所の全貌を知ることは出来ないけれど、私の方は触れている物の正体くらいは確かめられる。例えばそう。私が今腰を下ろしている物は……


「おーいエルミヌ、怪我は?」

「いえ、大丈ぶぎゃああああああああああああああああああああああああああああ」

「ああ。駄目だなありゃ。頭の打ち所が悪い。惜しい才能を無くしたぜ」

「そういうことじゃなくてぎぁあああああああああああああああああ!! わたし、私の前科がっっ!!」


 破滅だ。私の人生は今度こそ終わり。私は本走馬灯を見ながら、遠くへ意識を手放した。

王子様と盗賊の出会いから書こうと思ったんですが、何度も書き直し、エルミヌ視点からの導入の方が世界観説明上手くいったのでこうなりました。

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