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1:鍵の女と盗賊王

挿絵(By みてみん)

 昔のことはあんまり覚えていない。

 それでも鳥が飛ぶように。草食む獣が駆けるよう。私は知っていることがある。

 それは特別なことではなくて、【鍵の王国】に生まれた者が誰でも知っている話。


“多くの鍵を集めよ。たった一人の鍵を集めよ。

 任され守り支配せよ。

 剣さえ握れぬ細腕も、やがて全てを手に入れる。”


 男が鍵で、女が錠。そんな認識を今一度我々は改めるべき。少なくとも《【鍵の王国】リヴァリース》では、女と言えば鍵なのだ。

 鍵こそ女の権力。鍵は信頼の証。より多くの部屋を任せられ、自由に行き来し管理する。鍵の数は、愛する人とその住まいにおける“愛の領地”の広さ。

 そしてリヴァリースにおいて、男は城や砦を意味する。難攻不落の鉄壁要塞。嘘の上手い者、より多くの秘密を隠し通せる者が優れた男と考えられる。

 けれど私の現在地。ここは【鍵の王国】の外。おまけに【鍵】を持って部屋を任される側の私が牢に閉じ込められて、重苦しい鎖で繋がれている。

 昔のことは忘れても、酷く屈辱的な気分になった。これは、【鍵の女】の本能だろう。


(悔しい悔しい、悔しい悔しいっ――……!!!!)

「良いか化け物娘。逃げられるもんなら逃げてみろ、終身刑から死刑囚になりたいならな」


 悪意たっぷり満面の笑み、看守のなんて憎らしい顔! なんて、可哀想な私!

 でも不幸であればある程良いんです。どん底の底の底まで落ちたなら、ほんの少しの幸せも私はきっとハッピーエンド。

 いつか私を助けてくれる王子様。彼は貧乏でも良い、顔や頭の回転が悪くても構わない。私と年が何十歳離れていようと気にしない。

 私の処世術は“生まれつき不幸”な私が幸せになるために編み出されたもの。今日が不幸でもいいんです。明日が駄目でも明後日に。それが駄目でもいつか。こんなに可哀想な私を助けてくれる人が居る。それだけが、私の支え。私の希望。


「そう信じて頑張って来た女の子に、これってあんまりじゃないですかぁああああ!?」


 終わりました。詰みました。今度こそ、ここが地獄の最底辺。王子様なんかいないんですよド畜生!! それか全員××なんです。男の尻でも追っかけまわしてるんです、だから私みたいな可愛くてか弱い乙女の危機に現れないんですよあの野郎っ!!


「うるせーぞ新入り!!」

「活きの良いお嬢さんだぜ。“鍵破り”が得意なんだろ? ちょっくらこっちの牢にも来てくれよ。たっぷり可愛がってやるから、イェッヒッヒ」


 こんな豚箱に私の王子様はいない。豚の皆様には可愛い私をスルーして、まだ男の尻追っかけて貰った方が助かります。畜生、外れろよこのクソ鍵め。

 私が逃げ出せないよう鎖に枷、鉄格子は勿論……冷たくてゴツゴツした石製の床から壁、その石材一つ一つに至るまでしっかりと“紋章”が刻まれている特別製の独房。


(ちくしょう……どうして私がこんな目に)


 本当に私は詰んでいる。もしも奇跡で鍵を外せても。どんな逃走経路を使おうと、女に飢えたクソ共の牢を通過しなければならない。私の“力”では、遠い場所には逃げられない。死刑囚になった挙げ句、飢えた獣共に好き放題されるなんて最悪。私はもう残りの人生メソメソと、囚人としてこの独房を終の棲家としなければならないのです。無実の罪で。


 ええ、無実も無実!! 私、エルミヌ=パピュアは無実です。無実ですともええそうです。“王国”から出る以前の記憶はないですが、その後の波瀾万丈な地獄人生に負けじと頑張って来たそれはそれは健気な女の子なんです。

 くすんだ灰色の髪、瞳は高貴な菫色。一際目立つ美人と言われたことはありませんけど、よく見たら可愛いとは何回だって言われましたし、磨けば光る原石的魅力溢れる将来有望! 玉の輿常時絶賛募集中なそこそこ可愛い女の子なんです。今は囚人ですけど、ほんの一日前までは【貴族の庭】のウェーゼル家でメイドやってました。どうですか!? メイド属性ですよメイド属性!! なんならドジっ子属性も付けちゃっていいんですよ!?

 そんな可愛い可愛いエルミヌが、死刑囚一歩手前って絶対何かおかしいですよね? これは“王国”民への差別ですよ差別。出るところ出ても良いんですよ、まぁ出たというか引っ張られていった結果がこれなんですけどね。

 私の母国【鍵の王国】は、外部との接触を断った完全鎖国。とても謎が多くて、一度外に出てしまえば王国の民であっても帰郷は絶望的。ですから如何に私が無実でも、私を庇ってくれる人はどこにもいない。これが現実。


(エルミヌちゃんすごく可哀想!!!! 私って本当に悲劇のヒロイン過ぎますね!!)


 あ、興奮している場合ではありませんでした。この状況自体はときめくんですが、それにしたって度が過ぎていませんか? 何故私がこのような目に遭わなければならないのか。時間だけはたっぷりあることですし、少し振り返ってみようと思います。

 聞こえないー!! 聞こえませんからね!! 女に飢えた畜生共の飛び交う隠語や猥談なんてこれっぽっちも聞こえませんから!! てめーらは獣畜生同士でウロボロス的結合しとけば良いんです。


「王子様ぁ……貴方のエルミヌちゃんはここですよぉ」


 どうか回想中の時間稼ぎでここまで辿り着いて下さいね。待ってますから私は健気に!





 【鍵の王国】には幾つもの謎がある。かつては多くの者が知っていたことも、今となっては誰も知らない。

 【鍵の王様】は【隠す魔法】と【暴く魔法】を使い、余所の民が入り込めない国を作り上げた。

 絶対に侵入できない【鍵の王国】。しかし、そこから時折こぼれ落ちる者は出る。

 彼らは王の力の一部を宿した魔法使い。

 【鍵の女】は扉を開き、【鍵の男】は扉を隠す。

 鍵を無くしてしまった扉。閉ざされた財宝の扉。開けたいとは思わない?

 誰にも知られたくない秘密。忘れてしまいたいこと。何処かに葬りたいと思わない?


 外の王様達は思います。沢山の【鍵】が欲しいと。

 鍵の王様は思います。誰も入れてはならないと。


 こうして【鍵の王国】は外の国々と戦うことになりました。

 人の歴史も人生も、長さの分だけ嘘がある。嘘を吐かずに生きられる者は居ない、人間とは得てしてそんな生き物なのです。嘘を重ねない者は、土を重ねられる者。死んでしまった者だけです。

 生きた兵士達は無力。全てを隠し、全てを暴く。強力な【鍵の魔法】の前に、外の人々は為す術もありません。


 ところがある時、【鍵の王国】から紋章が消え……強い魔法使いも消え、国境を守る城郭には“白旗”が掲げられました。王国内部で何かが起きた。王国の秘密を暴き、その力を手にする好機!

 旗を見た瞬間、兵士も王様も我先にと【鍵の王国】を目指しました。

 しかし、国境の扉を開けられる者は誰も居ません。城郭を登り越えようと企む者も、魔法の力で延々と同じ場所から動けない。

 この新しい【魔法】の前には、誰がどんな手段を用いても城郭を越えることは出来ませんでした。


 これが【鍵の王国】リヴァリースにおける、一番新しく一番最古な言い伝えである『白旗』の物語。それ以前の情報を【鍵の王国】は何処かへ隠してしまったから。今は誰も、何も知らない。これ以上、これ以外。





 【鍵の王国】リヴァリースより南方に位置する【黒の国】、通称“セブルマーケット”。この国の大半は荒廃した砂漠。

 治安は最悪、民の七割はスラム暮らしの犯罪者。残り二割が統治者の庇護を受ける平民、一割が王侯貴族。スラム民……“マーケット”の実態は正確には把握されていないため、実際は八割を超えているというのが定説だ。

 ここにもかつては王がいて国名があったと言うが、何年も前にマーケットの人間に暗殺されて、今では国内が幾つもの勢力に割れている。

 マーケットでは破落戸達が日夜抗争を繰り広げ、その余波が貴族が統治する表社会にも現れる。支配階級の者達もマーケットの存在が強大なため手を出せず、潰し合いスラム民が減っていくのを待っている。

 私……“エルミヌ”が“落ちて来た”のは、セブルマーケットの安全地帯【貴族の庭(ノブルガーデン)】。貴族議会が民を支配し暮らしている場所で、彼らは狭いながらにそれぞれ領地を持っている。


(集合住宅地、って言うんでしょうか?)


 誰に教わったでもない言葉が頭に浮かぶ。誰に教わったかは思い出せないが、恐らく私の故郷の言葉。言い表すならそれが一番相応しい。もっとも、話したところで【黒の国】の人々は、決して解ってくれないだろう。

 溜め息に曇る窓硝子。念入りに私は磨く。窓の向こうには、屋敷の庭園。その彼方には、賑やかな人通りが映る、

 屋敷を区画整理した塀の向こうは、別の貴族の領地。領地の二~三方向はそんなご近所さんに囲まれて、一方向が広場に通じる道となる。広場の中央にはかつての王城、現・議会城が聳え立ち、周りには違法ではない市場が広がっている。

 砂漠と繋がる最も外側の領地程、責任を持ち身分が高い。外周一周が公爵家、その内側に侯爵伯爵子爵男爵家と続く。【貴族の庭】の民は、基本的に何処かの貴族の領民であり、領地に暮らしている。領主によって“市場役”に命じられた民が、広場で店を構え市場を動かす。

 私が拾われたお屋敷は、外周の公爵家が一つ……ウェーゼル家。

 ヒエラルキーの上部が大勢居ては困るため、基本的に外周ほど領地が広く家の数は少ない。その分多くの領民が、主である領主のために労働をする。それは【鍵の女】であろうと変わらない。


「エルミヌ! ちょっと来て!」

「は、はーい!」


 それほど親しくもない使用人(メイド)仲間に喚び出され、私は窓拭きを中断。慌てて駆け下りた梯子から転倒する私に、使用人達の冷笑が降り注ぐ。

 そんな私に“彼女”は優しく手を差し伸べて、こっちよと微笑んだ。彼女は最近私を気に掛けてくれる人。そこに下心さえなければ、私はもっともっと嬉しいのに。


「ええと、どうかしましたかニーニャさん?」

「こっち、人手が足りないのよ。調理当番の子、まだ買い出しから戻らなくて」


 表情を見る間でも無い。これは嘘だな。嫌な話に決まっている。

 やはりこの子もか。何度目か知れない諦めが、私の元へ降り注ぐ。私は、鍵だから。何かと理由を付けて、私と二人きりになろうとする者が、外の世界には大勢居るのだ。


「……何を“隠したい”んですか? それとも“開けたい”んですか? 言っておきますけど、私はこの力を上手く使えないんです。やめた方が良いと思いますよ」


 食料庫に連れ込まれ、私は彼女に説明をする。それでも聞き入れないのが人間だ。


「そんなこと言わずにお願い!! ね? 私を助けると思って!! 成功したら、市場に口利きしてあげる! 欲しいもの仕入れさせるわ」

(私の欲しい王子様なんて、市場で売っていませんよ)


 買える者は買われてしまう。いつか必ず私を捨てる。困っている私を私への愛だけで。一〇〇パーセントの善意で助けてくれる。そんな人がマーケットの何処にいる? 少なくとも【黒の国】で最も安全な市場で暮らす、安穏とした間抜けどもでは私を幸せに出来ない。


「私の欲しいものなんて、あそこにはありません。せめてそこに“指輪”でも見つけてから出直して下さい」

「待ってエルミヌ!!」


 私の左手を握りながら、彼女は立ち位置を入れ換える。入り口の扉を彼女が守り、私の退路を塞ぐ。扉がないのなら私が逃げられないと思ってか。


「……ごめんなさい」


 私は小さな声で謝って、右手で“床の扉”をこじ開けた。扉が存在しない場所を、扉に変えた“魔法”を見、彼女は私に憎しみをぶつけて吠えた。


「嘘吐きっ! あんた、ちゃんと使える癖にっ!!」

(使えませんよ。誰かのためなんかには)


 私が正しく制御できるのは、“自分のため”に限られる。誰かのために使おうと、すれば力が暴走するのだ。私が危険を感じた時だけ、この力は発動される。


(はぁ……また、暮らしにくくなっちゃいました)


 領内にどんどん敵が増えていく。私を嫌いな人が増えていく。これが、“奥様”の狙い。ウェーゼル家の【紋章】入りの首輪が、今日も私の首でギラギラ光る。奥様の瞳のように、妄執を抱えた金属の色で。


「エルミヌ! エルミヌ!! 掃除はまだ終わらないのかい!?」

「は、はい奥様! 只今っ!!」

「まったく、使えない子だね。さっさと部屋に来るんだよこの愚図が!!」


 階段上から響く、奥様の叱り声。これがいつもの合図。折檻の喚び出し。そういう体であの人は、“秘密の仕事”を私へ命じる。

 この人は私の使い方が本当に上手い。私に危機を与えることで、私の力を正常に動かすなんて悪魔の発想、人でなし。そんな人でなしが私の新たなご主人様。

 スラムから逃げてきた私を、拾ってくれたウェーゼル家。奥様は私の力に気付き、他の貴族に渡すことを嫌がった。そうなる前にと、【紋章首輪】を私に付けた。この首輪がある限り、私は逃げられないし鞍替えできない。


「また“力”を見られたそうだね」

「は、はい……」

「その度に始末するこちらの身にもなってくれ」


【鍵の女】は無能。奥様は周りにそう思わせたい。

【鍵の女】は不吉。私に関わると、命を落とす。

 あの子はもう殺されてしまったか、これから首を掻ききられる所だろう。家紋を守る鼬の紋章、その目には赤いルビーが埋め込まれている。あの目で奥様は見ていたのだ。紋章の魔法は、鍵の魔法より恐ろしい。


「まったく、本当にお前は使えない子だね」


 嘘。不機嫌なのは声だけ。奥様の顔は醜く歪んだ微笑み。貴女は娯楽に飢えている。日々、いたぶる相手を探している。心の中では私によくやったと思っている癖に。

 あの子の不運は、私に近付こうとしたこと。【鍵の女】は人を不幸にする。それは本当。鍵の力を求める人間がいる所為で、私の周囲では不吉な出来事ばかりが続く。何度逃げだし場所を変えた所で変わらない。より、最悪度合いが上がるだけ。

 平和な【貴族の庭】はまやかしの楽園。力でのし上がれるスラムより、身分や権力が絡む分……モラルの質は低いと思う。衣食住の安定さはある反面、“守ってやっているという恩”を着せ、他人を良いように扱う屑貴族共。“紋章魔法”とは本当にろくでもない。もし私が【鍵の女】ではなく【鍵の男】であったなら、紋章魔法を何処かへ隠して葬り去りたいとさえ思う。


(早く旦那様が帰ってくれば良いのに)


 旦那様は守護の任のため、屋敷を空けることが多い。屋敷の管理を任された奥様が、領地の実質的な支配者。こんな所ばかり、【鍵の王国】と似通っている。奥様の手首には、鍵束のブレスレット。あれがあの方の権力の象徴。鍵の数だけこの女は、自由に出来る場所がある。それでもこの欲深い女は“足りぬ”と私に喚くのだ。


「申し訳ありません、奥様――……」

「なに、構うものか。昼のお前が無能であるのは喜ばしいことだよ。夜のお前がちゃんと仕事を果たせれば、私はお前を打ったりしないさ」


 私の怯えた顔を見て、奥様は上機嫌を隠すこともしなくなる。この首輪がある限り、私はこの女の飼い猫なのだ。奥様は床を鞭で打ちながら、にたりと私に笑みかける。 


「いいかいエルミヌ。私の期待に背けば、お前は首輪の呪いで死ぬんだよ。お前の力でも“紋章鍵”は外せない。解っているだろう?」

「……心得ています、奥様」

「そうかいそうかい。本当に悪いと思っているのなら。私に謝りたいというのなら、夜の仕事の前にもう一つ働いてくれるね? 私の可愛いエルミヌや」





(浮気調査とか、メイドの仕事じゃないんですけど!?)


 奥様が私に命じた“もう一つ”の仕事。それは旦那様と関係を持った女を捜せという、とても下世話でプライベートな命令だった。

 詰まるところ、憂さ晴らしの玩具を探して来い。簡単な任務ではあるけれど、失敗すれば本当に私の首が飛ぶ。私は奥様の部屋の床から“扉”を開き、床を這い……旦那様の部屋へ侵入を計る。 少しだけ扉を開いて上部確認、以前侵入した時から家具の配置は変わっていない。床と接触している衣装戸棚へ“扉”を開けて侵入成功。


(……妙ですね)


 旦那様は一月は領地を空けているのに、衣装戸棚からは女物の香水の香りが強く残っている。


(嘘っ!?)


 旦那様は家を空けていなかった。戸棚から覗き見る室内では、彼は女に覆い被さり浮気の真っ最中。


(見えるのに、何も聞こえない。…………音を“隠した”?)


 何か手掛かりになる物はないだろうか? 衣装戸棚に押し込められた服は、彼女の私物であるのだろう。手掛かりになりそうな物、無くなっても気付かれないような小さな物……。私がその場から持ち出したのは、革紐で括られた古びた金貨の首飾り。私には解らないけれど、薄くなった金貨の彫刻も、元は何かの紋章のよう。


「屋敷の中でこれを探し回る者がいたなら、犯人はその者です」


 部屋へ戻った私から首飾りを受け取る奥様は、石のように表情が消えていた。私は何か、とんでもない物を見つけてしまった? 恐怖心を落ち着かせ、私は奥様の顔色を窺う。


「お、奥様……?」

「いや、ご苦労だったね可愛いエルミヌ。夜の方もその調子で頼むよ、生きていたいのならね」


 奥様はその金貨について、何も教えてくれなかった。どうして出かけたはずの旦那様が、屋敷に残っていたのかも。


(鍵を管理する奥様が、知らないはずがないのに。このタイミングで私を遣わせた以上、何らかの確信があったはずなのに)


 仕事が成功しても、私の生活に平穏はない。奥様の秘密を暴くことは首輪によって禁じられている。今、彼女が何を隠したかも私は知ってはならない。

 頭を切り替えなければ。余計な考えは不要。次の仕事は領地の外に待っている。毎度毎度とても危険な任務。命がけだから何とか成功させられているが、次第に奥様の要求はエスカレートしている。早いところ逃げ出さないと、私の命に関わる。


(今回も時間切れ。残念でしたね王子様。エルミヌはもう貴方を待てませんっ!)


 来るのが遅い、彼が悪い。私は何も悪くない。王子様は私を求め。また遙々旅をしなければならなくなったが仕方ない。


『いいことエルミヌ。ピーンの紋章鍵を取って来るんだよ。奴が作った装飾品には、台座に奴の紋章が刻まれているからね』


 それが奥様から命じられた“仕事”。今回の“仕事場”は、私も期待している伯爵家。

 当主のピーン伯爵の、生業は彫金師。市場に卸す装飾品の生産を行っている。奥様は宝石目当て、私は“紋章”目当て。

 そもそも紋章は、個人を表す。伯爵が、自らの作品に紋章を刻むのは作者として当然のこと。しかしそこに“紋章魔法”が付与されることで、“盗めても盗めない品”が完成してしまう。奥様がこれまで私に盗ませた多くの装飾品も、彼の作品が数多く有り――……宝石を台座から外せずにいる。マーケットで石を売りさばくにも、別の装飾品に加工するにも“ピーンの紋章”は邪魔なのだ。私を紋章鍵で縛る女が、別の紋章に振り回される。そんな姿は滑稽だけれども。


(大丈夫……この扉も、開けられる)


 私は【貴族の庭】の地下に広がる下水道を進んでいた。この場所はかつて【黒の国】に王様がいた時代に作られたそうで、今は使用されていない。

 王様が死んだ後、国中の水が干上がり水路も使えなくなった。国と民は荒廃し、ここには貧民が暮らし始めた。スラムの始まりが地下水路こと【地下墓所】。

 目障りな彼らを一掃するため、貴族がここを巨大な棺桶にした名残。なんとも不気味な名前が残っている。

 自分のことも解らないのだ。ましてや国の事情など。歴史を知らない私には、【地下墓所】の悲劇がどれ程昔のことかは解らない。それでも、確かにあったのだろう。封鎖された扉を開けて行く内に、幾つもの亡骸を見た。殆どは骨になっていた。私もそうならないために、叫びたい気持ちを抑えて先へ進んだ。

 何回力を使っただろう? 地獄のような景色から、極楽のような場所に出た。私の暮らす公爵家とは違い、伯爵街は領地も狭くこじんまりとした屋敷が多い。しかしながら、ピーンの屋敷は、外装からも洗錬された美しさ。

 城塞の役割を担う、野暮ったい公爵家とは何から何まで別世界! 外観は、小さな白亜の城。手入れされた庭には色とりどりの花が咲く。領民の数は少なく民家もまばらでありながら、領内の手入れも欠かさない。醜い家が許せないのか、ピーン伯爵は民家の設計・建設まで手がけている。だから平民の家すら美しいのだ。こんな場所で暮らせたらどんなに幸せだろうと見惚れてしまう。


(これがピーン伯爵領……)


 私が心奪われた品々も紋章が付与されていて、盗めばすぐに足が付く。だから奥様も“ピーンの紋章鍵”を欲している。

 うっかり見惚れていては夜が明けてしまう。私は目測で狙いを定め、領内の土を掘り進む。いえ、正確には“開け”進む。

 紋章技術が発達しても、地盤はどうにもならない。地下からの侵入が最も容易。精々気休め程度に、床板に紋章を刻む程度。私はその隙間を練って、接した物を開け進む。

 地下食料庫の木箱、そこから天井を開き上の階の戸棚へ侵入。戸棚が面した隣の部屋へ。ピーン伯爵の屋敷は一言で言うと狭く、物が多い。……所狭しと飾られた調度品はどれも優美で豪華だが、私が隠れられる場所が多くて助かる構造。

 作品のロックは完璧でも、肝心の工房の管理が杜撰。ゴチャゴチャと紋章鍵を設置するのは美しくないと嫌ってか?


(……違う、紋章細工に自信があるんだ)


 私は入り込めるが、大きな物は盗めない。

 扉以外を開くなら、私の身体が通れる位の扉しか作れない。故に、屋敷から家具や大量の装飾品を盗むは不可能。本当に大きな物を盗むには、紋章鍵の扉を開けて部屋から……屋敷から出て行く必要がある。伯爵から、紋章を奪った上で。

 今回の仕事はこれまで以上の無理難題。鍵を盗むは可能、しかし気付かれずに盗み逃げおおせるのはとても困難。仕事をやり遂げたところで、奥様は鍵だけ奪って私を見捨てる。


(…………伯爵を脅迫する“秘密”を盗む。もう、それしかありません)


 屋敷には帰らず、伯爵を呼び出す。或いは今ここで。直接会って、私が見つかっても構わない。対面すれば私は秘密を“開ける”、秘密を隠しておいて欲しいなら、私の首輪を外す紋章合鍵を作れと脅す。

 首尾良く侵入した部屋で、眠る男に手を翳す。豪華な寝台で、眠る男はまだ若く……顔もなかなか悪くない。というよりかなり美しい。細身で女性めいた美貌だが、毛布から見える肌は健康的で美しい。半裸だろうか全裸だろうか。何処に触れて良いものか、私は少し照れてしまった。


(この人が、私を助けてくれる王子様……なのかも)


 絶体絶命の危機に、これほど美しい人に出会えるなんて最高! 王子様になってくれても大歓迎な部類。彼を脅してゴールインも悪くない、私の胸は高鳴った。


(覚悟して下さいよ、王子様っ!!)


 心の扉を開くには、私の鍵はまだ使えない。私は右手で彼へと触れた。

 利き手は右手、鍵は左手。だけど私が“彼女”の鍵を盗んだのは。冷たくなった彼女に触れた、利き手。私の右手は、信頼していた人の鍵。彼女の鍵なら失敗しない、私を必ず助けてくれる。


(“母さん(ミノア)”――……私を助けて)


 私の願いに応えるよう、皮膚の下。血と鍵の魔力が激しく燃える。そうして私は扉を開いた。“彼”が隠したい大きな大きな秘密を。





『ですから伯爵様、私の首輪を外してくれたら全部黙っててあげますよ。バラされたくないでしょう? 近々ご結婚されるんでしたよね?』

『私を脅迫するか薄汚い下女がっ!! 恥を知れ!!』


「…………あれ?」


 回想終了、現在地獄。尚も牢獄。

 私は彼の秘密を暴いた。暴いた結果、あまりの情報量にその場で気絶したのだ。起きたときには“彼”の姿は無く、怒り狂う髭面貴族が見えた。

 目覚めた場所は簡素な牢獄。なよっちぃ外見の優男。ヒステリックにまくし立てるが本物の、ピーン伯爵であると言う。あれよあれよと言う間に、私は衆人環視の中広場で裁かれ豚箱行きに。


(あのクソ野郎……!!)


 “彼”は伯爵ではなかったけれども、伯爵に繋がる情報を持っていた。私はそこで本物をちゃんと脅した。何故か逆上されて身に覚えのない罪まで押しつけられてこうなった。


「ピーン伯爵の××野郎ぉおおおおおお!! ついでに早漏ぉおおおおおお!! あまつさえ女装した男に縛られて後ろから目隠しで×られるのが大好きな超絶究極ド変態ぃいいいい!!」


 どうせ外に出られないなら。逃げない限り殺されないなら、洗いざらい奴の秘密を叫んでしまおう。これを聞いた囚人の誰かが娑婆へ出た時、散々言いふらされれば良い。何なら根も葉もない情報もプラスしてやる。


「伯爵のまほーつかいー!! 聖どーてー!! 短小××ーー!! EDDTぃいい女知らずの自慰プロ超絶クソ喘ぎ魔ファッ×ンクソ×ッチぃいいい!!」


 罵詈雑言を叫んでも、少しも気持ちが楽にならない。

 私が落ちて転がった先……最も古い記憶の中から今日に至るまで。良い事なんて殆ど無かったが、こんな屈辱を覚えたのは初めてのこと。

 私の手は、【外の】人々とは違う。此の手で触れた扉は、勝手に開く事がある。此の手は【鍵】だから。


(紋章鍵だなんて、最悪……)


 忌々しい紋章め。牢屋の鍵も、私の手足と首の鎖の鍵も。すべてが【紋章鍵】。

 外の人々は【鍵】の力に苦しめられた過去がある? 彼らは【鍵の女】への対抗策を用意していた。

 紋章を使った魔法は、分類上は文字や言語魔法に含まれる。授かる側に魔法の才能がなくとも、授ける側に力があるため……紋章自体が不思議な力を宿すのだ。【紋章鍵】はその力ある紋章を悪用した最強最悪の防犯技術。

 対応した紋章の持ち主にしか、施錠も解錠も出来ない。私を捕らえる紋章は、何人もの力を借りている。泣こうが喚こうが、私はここから逃れられない。


(悔しい悔しい、悔しい悔しい――……悔しい? 違う。ふ、ふふふふ)


 怒りが頂点に達した時、冷静な自分が顔を出す。ここから出して貰えないなら、ここにいて欲しくないと思われればいいんだ。私が自由になれないのなら。みんなを自由にしてあげる。何処まで広げられるか解らないけど、みんな自由にしてあげる。他人に隠したい秘密、全て解放してあげる!! 阿鼻叫喚の地獄を想像すると、途端に楽しくなって来た。


(私にこんな酷いことをするんだもの、みんな苦しめば良いんだ。私以上に)


 豚共も看守共もみんなみんな、赤っ恥を晒せば良い。生きていけなくなる程の、恥ずかしい過去を暴いてあげる。開けたいと思う扉ほど、開けられない私でも。今日だけはきっと上手く行く。【紋章鍵】でも私の力は殺せない。鍵に意識を集中させて、私は深く深く息を吸う。


「おう、悪い顔だなお姫様。その辺にしてやりな。あんま言いふらされると仕事がやり辛くなる」

「はい!? あ、貴方は……?」


 私一人の独房に、いつの間にやら男が一人。もしかしたら、私より先にここに入れられていたのだろうか?

 暗くて姿はよく見えないが、雑な口調に対して朗らかな印象を受ける声。悪ぶっているが悪人らしくない? 牢獄送りなのだから、彼も悪人ではあるだろう。それでも彼は、私に対する悪意を抱いていなかった。


「俺は食い逃げ犯。明日には釈放される。宿借りるより飯が出る分、こっちの方が快適だよな」

「は、はぁ」

「俺みたいな美人だと、風紀が乱れるってんで一番安全なここに入れられてな」


 自称食い逃げ犯は、自称美形であると言う。好奇心から姿を見たくなって来る。私を拘束する紋章が本当に煩わしい。自分では身動き一つ自由に出来ない。


「へ、へぇーそうなんですか? 幾ら美人って言っても流石に可愛さではエルミヌちゃんには勝てませんよね? 美人と可愛さって別ベクトルですから」

「はぁ!? おい小娘! 言ったな糞ガキ!! そこまで言うならもっとしっかり見せてみろよ顔!! 夜目でも俺の方が可愛いからな覚悟しとけよ、俺の方が可愛かったら詫び入れて貰うからな!!」


 あらちょろい。少し煽ってみただけで、彼は怒って此方に詰め寄った。


「あ、確かに美人……ってあああああ、むぐううううう!!」

「あー、面倒だから騒ぐな騒ぐな」


 不機嫌面も綺麗な青年。黒衣を纏う彼の、髪は夜色。有り触れた黒でも彼の物なら、瞳は黒曜石の美しさ。艶のある外見を一度見れば、暗闇にも輪郭を残す。

 昨晩見たのは眠った“彼”。目覚めた彼は寝顔の何倍も魅力的だが、開いた口には幻滅しそう。


「まぁ、ガキ臭ぇ泣き顔や……よだれ垂らした間抜けな寝顔よりはまともかもな。死刑囚のお嬢ちゃん。俺より五ランクは下だが」


 食い逃げ犯は私と同じ事を言っている。力を使って気絶した、私を彼も見ていた? あの場を立ち去る前に私を? この男は何者なのだろう? 爽やかなのにとても怪しく得体の知れない謎男。


(貴方、何しに来たんですか!?)


 小声で私が問うと、彼も小声で言葉を返す。昨夜ピーン伯爵のところで寝ていた男が、どうして私に会いに来る? 理由なんか口封じ以外にあり得ない。小動物のよう警戒心を顕にした私に、彼は冗談めかして笑うのだった。


(お嬢ちゃんがこのまま豚の餌食いながら暮らしたいってんなら……見捨てても良いんだが。ちょっとばかし目覚めが悪くてな)

(……私を、始末に来たのではないんですか?)

(言わなかったか、“死刑囚”のおじょうちゃんって)


 そうだ、確かに彼はそう言った。終身刑の私を死刑囚と呼ぶのは、“私をここから逃がしてくれる”から? 秘密に対する口封じではないと知り、私は僅かに警戒を解く。

 まさか本当に、彼が私の“王子様”? 危険な場所での再会。悪くないシチュエーション、雰囲気に呑まれ私の胸はドキドキ騒ぐ。


(商売敵が死んでくれる分にはいいんだが、予告状送った家に入り込むとは思わなくてな)

(……え?)


 知らない単語が次々と聞こえてくる。


(警戒されてたんだよな、あの屋敷。今回は変化球で、予告状は囮だったんだ)

(囮、ですか??)

(ああ。案の定、そっちに注意が向いて――……犯人の家から“同業者”は消える)

(まさか貴方っ――……ウェーゼル家に侵入(はい)ったんですか!?)


 おうよと頷く美人は私の眼前で、鼬の……ウェーゼルの紋章を見せ付ける。あれは、奥様の指に輝いていた指輪鍵! 私が欲しくて欲しくて堪らなかった、あの鍵!!


(業突く張りの婆から、たらふく盗んだまでは良いが……盗み返されたとは思わなくてな)


 盗み返された? 彼が私に突きつけるは、紋章の消えた金貨の首飾り。


(あ、貴方まさか昼間に旦那様と寝むぐぅうううう!!)

(はいはい、騒ぐな騒ぐな。俺が返して欲しいのは、お嬢ちゃんが盗んだ紋章だ。あんたに死なれたら、戻るものも戻らねぇからな)


 何なのこの男。私の理解を超えている。王子様だと思ったのに酷い。私の行く先々で、どうして男との濡れ場ばかり展開させているんですかこの人は。


(庭の貴族共は、飢えている。ちょっと遊んでやれば俺様の言いなりなんだから可愛いもんだろ)


 それは旦那様も奥様に会わせる顔がないかもしれない。浮気相手が男とは。

 この男はメイドに扮しウェーゼル家に上がり込み……旦那様という外堀を落とした。彼の協力を得て、奥様の紋章を奪う計画を練りそして。昨晩見事に仕事を完遂した。


(本当に腹立たしいぜ。俺のテリトリー散々荒らしてくれやがって)

(す、すみません)

(だが流石俺! あの婆もこれでお終いだ。ウェーゼルの紋章を潰せば、あんたという手駒も使えなくなる)


 やだこの人格好いい。私を解放するために身体まで使うなんて可哀想ときめく!! 暴いた伯爵の秘密では、組み敷かれていたの伯爵のような気もしますが忘れましょうさっぱりと!! 絵面的に逆の方が私は好きです!! 彼が私のためにそこまでしてくれたという事実だけを愛しましょう!! 好き!!

 食い逃げ王子に見惚れつつ、私は解放を今か今かと待ち侘びる。


(はっ!! ちょっと待って下さい。ウェーゼルの紋章鍵だけで私は自由になれませんよね!?)


 拘束具・独房の紋章はそれぞれ異なる紋章が用いられた。【貴族の庭】すべての家の紋章鍵がなければ私は自由になれない。首輪だけ外れても、私の境遇は変わらない。


(ふん、俺を誰だと思っていやがる。知らないか? 世間を騒がす大悪党!! 天下無敵の盗賊王! 黒の(セーブル)ミュラル様とは俺のこと!!)

(せーぶる、みゅらる? ……えーと、すみません。私、世間のことには疎い物で。メイドの立ち話で、小耳に挟んだことくらいはあるかもですけど)

(はぁああ!? この俺様を知らないだと!? もう頭来た、許せねぇ!! 後で覚えてろよお前!!)


 自称大悪党様は、三下雑魚のようなご反応。それでも知らないものは知らないのだ。仕事以外で私は屋敷の外へは出られない。あー、私可哀想で可愛くありませんか?


(安心しろ。魔力の強い公爵家の鍵は厄介だが、それ以外なら簡単に壊せる。そして俺様にかかれば他の公爵家の鍵も勿論……この通り!)

(お、おおおおお!!!!)


 三下雑魚悪党様は、腕前だけはかなりの模様。手品のように一瞬で、彼の十の指には指輪が填まる。この指輪達が、紋章錠前()を開く鍵。


(す、すごい……どうやったんですか!?)

(このミュラル様が、ちょっと甘えて“指輪欲しいなー”って言えばこの通りよ。後はもう二度と遊びに来てやらねーぞと脅すとか。彼奴ら縋り付いて来て土下座までするぞ)

(貴族雑魚過ぎませんか!?)


 スラムつよい。何が美人だ。女性じゃ無いけど悪女だこの人。色仕掛けで【貴族の庭】を陥落させましたよこの人。


(でも、紋章鍵は本人じゃないと使えないんじゃありませんか!? 私を騙すつもりでしたね大悪党さん!!)

(抜かりはねぇ。知ってるか? 持ち主が死んだ後に、開ける必要がある場合――……使えるんだよ伴侶にも! 籍さえ入れりゃあ紋章が完全一致じゃなくても開く! 十貴族全員と重婚して仮死状態になる薬を盛った!! これで紋章鍵全部動くはずだぜ!!)


 すごい、この自称大悪党……手段を選ばず破りに来ている。私のために結婚詐欺までして来てくれるなんて。


(そ、それじゃあ私……本当に、自由になれるんですか!? よく解らない前科沢山付けられましたけど!? 私、窃盗無銭飲食に結婚詐欺不倫、童貞だったピーン伯爵を強姦したことにまでなってるんですよ!? 生えてないのに!!)

(ああ。それは俺の余罪全部お前に上乗せされたな)

(なんてことしてくれたんですか!? 貴方の所為じゃないですかぁあああ!!)

(俺もお前の犯行押しつけられていい迷惑してたんだ。お互い様だろ)


 彼が言うには奥様は、私の犯行を盗賊ミュラルの仕業と言いふらしていたらしい。それで屋敷の警戒レベルは上がり、彼の仕事が困難になったと。

 戦いは兵任せ。戦場の後方でのほほんティータイムしていた旦那様に奇襲を仕掛け、敗走させる。プライドを折られて弱った所に……今度は女装し手当てを行うメイドを装いベッドイン。どうかと思う。いや、旦那様もおかしいけれどこの人も。


(ほら。これが条件だ。コインに紋章を返せ。そしたらこっから逃がしてやるよ。それでお相こな)

(えーっとぉ……)


 私に出来ることならそうしたい。しかし、“何”を言われているのだろう? 私は秘密を暴けるが、物質から紋章を取り除くことなど出来ない。出来ないはずだ。それでもよぉく考える。昼間私は右左、何方の手で首飾りを掴んだか。

 すぐ逃げられるよう、右手は扉の開閉魔法に使っていた。残るは必然的に左。暴走しがちな私自身の“鍵”の手。


(え、えへへ。私……何かやっちゃった感じです?)

(吟遊詩人の歌うナロー系英雄譚みてーな事ほざくなよ。やらかした時に使われるとくっそ腹立つなその台詞)

(でも私ぃ~……まだ運命の人に出会っていないから、上手く力の制御が出来なくてですね? エルミヌちゃんは無実なんですよぉ、えへへー)

(はははー、そっかそっかー。じゃあ野垂れ死ね)

(ちょ、ちょっと待って下さい! が、頑張ってみますからぁあああ!! 見捨てないで!! この両手の拘束解いて下さったらなんとかなるかもです!)

(ちっ……。このミュラル様に前払いさせるとは、良い根性してやがる。ほらよ!)


 彼が指輪を押し込むと、左手の枷が外れた。喜びも束の間、牢の中は緊迫感に包まれる。私は自由になった左手で……彼の金貨を掴む。

 鍵は開けること、閉じること。盗めたのなら、きっと戻せる。金貨にどんな紋章が刻まれていたか解らないけれど、私はあの人の名を念じながら左手に力を込める。


(ミノア――……)


 【鍵の女】が開ける力を持っているのは、運命の人と出会うため。一番最初に私を拾ってくれた人が、教えてくれたこと。


『あのねエルミヌ。王国の外へ落ちてから、私もとても困ったわ。だけどこの手を今は愛しているの。私の手が扉を開けて、この人と出会わせてくれたんだもの』


 あの人が言うに、本来【鍵の女】はたった一人の扉しか開けることが出来ない。それでも運命の前には力が暴走し、無数の扉を開いてしまう。彼女もそうして、最愛の人に出会ったのだと微笑んだ。

 あの人はとても優しかった。私の記憶にある限り、下心無く親切にしてくれた最初で最後の人。彼女もまた【鍵の女】であったから、同じ境遇の私を我が子のように愛してくれた。

 すべてなくした私が手にした家族。灰色の、私と違った黒い髪。雀斑のある私と違う、白くて綺麗な肌。私と似ても似付かない【鍵の女】。彼女の柔らかな笑みは、私にとって永遠の憧れ。


『でも、そうね。……貴女がたくさん開けてしまうのは、まだ少し早いわね。きっと貴女は凄い才能があるのよエルミヌ。貴女ならいつか、王国の扉さえ開けるかもしれないわ』


 そうなったら私が、貴女を王国へ帰らせてあげる。幼い頃に彼女とそんな約束をした。彼女のために私は、凄い魔法使いになりたかった。

 ずっとあの家で暮らせたら良かった。でも、あの人はもういない。

 私が国に帰る日が来ても、その時私は一人きり。せめて隣に“運命の人”がいたならば、あの日の彼女のように笑えるはずだ。


(貴女の鍵だけでも、いつか……必ず)


 私はこんな所で終われない。【鍵の王国】……リヴァリースに帰るんだ!

 金貨を強く握りしめる、私の手には二本の鍵。見えないし触れないけれど、私の初めての“窃盗”はミノアの鍵。死んでしまった彼女から、私は鍵を奪って取り込んだ。ミノアの鍵の加護で、私は窮地から何度も救われている。

 これまで試したこともない。左手に右手を重ね、右手の力も流し込む。無我夢中で鍵を使った。私の運命を開く力を、貸して欲しいと強く願って!


「これが……鍵の力」


 ぎゅっと瞑った両眼。自称大悪党様の感嘆の声に、私はそっと目を開く。古びた金貨は輝きを取り戻し、読み取れなかった紋章の……姿を復元させた。


「でかした、死刑囚!! お前名は?」

「えっと、エルミヌ。エルミヌ=パピュアです」

「よしよしエルミヌ。俺への迷惑料と美貌毀損への謝罪料金分、暫く付き合って貰うぜ」

「え!? そんな出会って即日交際だなんて!! 実質プロポーズでは!?」

「その付き合うじゃねぇから。めんどくせぇ女だな。まぁ……どうでもいいからさっさと出るぞこんな場所」


 金貨が取り戻した“双頭の鷲”の紋章。何を意味する紋章なのか不明だが、凄まじい力を秘めた紋章なのはすぐに解った。大悪党の“秘密”はこの金貨の魔力の為せる技。彼が鷲の紋章を翳すと、私の拘束全てが音を立てて外れていった。マスターキーの力を持つ紋章?


「普通にやっても侵入は出来るが、これだと時短で便利なんだよ」

「な、なるほどですね……それじゃ私はこれで!!」

「待てこら小娘。これは“開き”過ぎる。逃走経路はお前が開けろ。地下掘れんだろ地下。まだ料金分不足してんぞ」

「うぅう……か弱い女の子に対して酷いですよ! あんまりです!! こんなの奴隷扱いですぅ断固拒否しますぅうう!! 私は私一人分のスペースしか開けないんですから残念でしたねミュラル様!!」


 自由になったを良いことに、私はザクザク地下を掘る。金貨の復元と同じ手法で鍵を使えば此れ迄の何倍もの速度で地下を開ける。あっという間に【貴族の庭】の外まで私は無事に逃走完了!


「ミュラル様……惜しい男でした。外見OK、職業には目を瞑るとしても、あの性格ではエルミヌちゃんが幸せになれません。私を幸せにしてくれる人は、私と一緒に不幸になってくれる人じゃないと」

「ほー、そうかい。そんじゃ分かち合おうぜ不幸をよ」

「ぎ、ぎゃあああああああ!! な、なんで居るんですかミュラル様!?」

「奴隷はやめだ。従者として雇ってやる。俺を王国まで案内しろエルミヌ」


 彼は金貨を使ったのか。細身でも小柄な私よりは背が高い。私が掘った穴を、金貨の力で広げてきたと?

 前払いだと彼が私に投げたのは、彼の金貨の首飾り。


「幸運のお守りって話だ。面倒な体質のようだからな、お前が持っとけ」

「で、でもそれじゃあ貴方は紋章魔法が使えないんじゃ……?」

「馬鹿言うな。最難関に挑むには、己の力だけでぶつかりたいだろ?」

「私、居る意味ないですよね?」

「あのなエルミヌ。脱獄は、家に帰るまでが脱獄だ」

「わー、知らない言葉ー!! ええとつまりミュラル様は、私をリヴァリースまで送り返してくれるってことですか!? 無償で!? 嘘やだ惚れそう優しい最高!」

「報酬は後払いな。戻れば家くらいあんだろ。家族からせびる」


 こうして私とミュラル様の旅は始まりました。彼は酷い人だけど、どこか憎めない。私を利用しようとしていても、これまで出会った人々のような悪意がないから。


(従者、従者かぁ……)


 給料は金貨一枚。それでもリヴァリースの外へ出て、あの人が死んでから……初めて私が人間扱いされた。鷲の紋章は、鼬のように私を縛りつけはしない。私に自由を与えてくれた。

 従者とは名ばかりの同行者。私には自由があった。身体の自由、文句を言う自由、彼を軽んじる自由。彼との短い旅は、楽しかったと思う。

 セブルマーケットからリヴァリースまでは二月あれば到達可能。【鍵の王国】が近づくほど旅の終わりが近づいて、私は少し悲しくなるのだ。しかし彼が扉を開く時、私の新しい人生が始まる。


「いよいよですね、ミュラル様」

「おうよ、そこで見てろよ。歴史に名を刻む男の生き様をな!!」


 【鍵の王国】を取り囲む、【貴族の庭】より高く広がった城壁。街ひとつではない、国土全体を覆った城塞国家。白旗が飾られた甕城は、見張りもなく悠然とそこに待つ。壁を掘れとも土を開けとも彼は言わない。盗賊としての誇りに賭けて、彼は開錠を試みる。この扉を開いたら、彼は伝説になる。彼は私という、生き証人が欲しかったのかもしれない。


(頑張れ、頑張れ……ミュラル様)


 私は唯、彼の隣で祈る。これまでどんな盗賊も、入り込めなかった【鍵の王国】。魔法も使わず己の技で、扉に挑む彼の横顔。彼はいつも綺麗だが、逆境に立ち向かう……鍵を破る時の表情が一番魅力的だと気が付いた。これが見納めとなるならば、一秒も目をそらさずに彼のことを見つめていよう。


(セーブル・ミュラル……ミュラル様)


 私に自由をくれた人。貴方は私と一緒に生きてくれる王子様ではなかったけれど、きっと忘れられない人になる。いつかセブルマーケットを越えて、世界に広がる彼の名を……私は胸に深く深く刻んだのだ。

 外に出て中でのことを忘れたように、王国の内に入って外での記憶が残るか解らない。それでも彼の名だけは忘れないでいたかった。


腐蝕で色用語調べる内に、紋章に辿り着きました。

その昔、家を任される女性と鍵は切っても切り離せない関係でした。鍵の本数、管理する部屋の数で愛の領土を競い合う、王子様争奪戦カスタムマッチ。


今後一人一人の挿絵も公開していく予定です。好みのヒロインを消去法で選んで応援してね!



【イラスト、キャラクターデザイン】

犬糞 様

https://twitter.com/choco_rei_te


犬糞さんに素敵なデザインをして頂きました。最高ですね。自分の絵とは違い、モチベーションが上がります。ありがとうございました!

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― 新着の感想 ―
[良い点] ギャグやノリがすごい!ちょっとくどいと感じる部分もあるけれど、そこが引き込まれやすくて面白い!唯一無二感がある!と感じました(*☻-☻*) キャラクターがとても可愛いと思います(*≧∀≦…
2021/02/23 04:03 とある新人Vtuberです‼︎
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