帰宅
家に着き、靴箱に普段はない男性モノの靴が入っているのを目にして、奏太はうげっと思った。父さんが帰ってきてる。なんで?春休み中に戻ってくる予定なかったはずだけど。あの人、ヨーロッパを中心に活動してるし、基本スケジュール埋まってるしで、そうそう日本に帰ってこれないはずなのに。何してるの。なんで帰ってきてるの。仕事大丈夫なの?ってか、予告なく帰ってくんなよ、ウザいから。靴箱を開けたままそんなことを考えて固まっている奏太をよそに、母がただいまと言って玄関を上がってリビングに向かう。そして、母がリビングに続くドアを開けた瞬間、花月ちゃん、お帰り、と父のムダに明るい声が響いた。
「あー、いつ見ても綺麗だね、俺の太陽。君の帰宅に、俺の心は明るく照らされ世界が輝いて見えるよ。おかえり、そしてただいま。本当、久しぶり。マジ、会いたかった。こうして変わりない君と顔を合わせて、こうやって君を抱きしめることができるなんて、マジで幸せ。本当こうやって君の温もりを感じることができるなんて。もう幸せすぎてどうにかなりそう。嬉しい。あー、もう、本当、幸せ。こうしてるとマジで心が満たされる。今、俺の心の中は春だよ。暖かい日差しに包まれて、色とりどりの花が咲き乱れてるみたい。本当、大好き。マジで愛してる。」
そんな風に、リビングから飛び出してきた父が母に抱きついて、思いっきり抱きしめて、ムダに色々装飾された言葉で愛を囁き続けて、キスとかしまくって。母も満更でもない様子でそれに応えていて。奏太は、マジで子供の前でそれするのやめてと思った。本当、目のやり場に困る、っていうか恥ずかしい。父さんが母さんのこと大好きなのは知ってるけどさ。たまにしか会えないし、色々溜まってんだろうなとは思うけど。でも、だからって、父さんの愛情表現いつも過剰すぎだし、母さんもさ、父さんのこのノリに合わせなくて良いから。ってか、父さんのスキンシップに色々応えようとしなくていいから。そんなことを考えながら奏太は、ムダに花を咲かせ飛ばしまくっている脳内お花畑の両親のもとに向かって、母の腰に回された父の手を引きはがして、間に割って入って引き離して、母さんから離れろこのエロ親父と父を睨みつけた。
目が合った父が、なんだ奏太、俺がお母さんばっか構ってるから寂しいのか?もちろんお前の事も愛してるよ、と明後日のことを言いながら抱きしめてくる。奏太もお帰り。ちょっと見ないうちにまた大きくなったんじゃないとか、元気そうで良かっただとか嬉しそうに言いながら、俺の可愛い小さな太陽、元気な姿が見れて嬉しいよとか言われて、頬にキスされて、奏太、愛してる、と屈託のない笑顔を向けられて怖気が走る。
「離れろ。マジで。本当そういうのいらないから。本当、やめてそういうの。マジキモい。ウザい通り越して、本当キモいから。そういうスキンシップ求めてないから。」
そう父を物理的にも心理的にも突き放して、奏太はムダにドッと疲れた気分になった。
「そんなー。奏太、そんなこと言わないでよ。愛しい息子にそんなこと言われたらマジ悲しいんだけど。ってか、柚月にも、お父さんやめて、気持ち悪からとか言われちゃったし。しつこいと通報するからとまで言われちゃったし。俺達の愛の結晶達にそんな拒否られて、俺、立ち直れなくなっちゃうから。二人とも俺の扱い酷くない?俺、そんなに気持ち悪い?俺はさ、普段会えない分、めいいっぱいお前達に俺の愛を伝えてるだけだからね。少しくらいそれに返してくれても良いじゃん。もっと受け止めてくれてもいいじゃん。小さい頃はさ、二人とも俺に飛びついてきて、パパ大好きって言ってくれてたのに。キスだって返してくれてたのにさ。何、この対応。冷たい。マジで冷たい。マジ辛い。ってかさ、こんなに邪険にされるって、もしかして俺って帰ってこない方が良いとか思われてたりしないよね?ムリ。そんなの俺、耐えられない。つーか、自分の奥さんや子供に愛してるって言葉や態度で伝えるのって当たり前だから。スキンシップ大事。メチャクチャ大事だからね。本当さ、小さい頃みたいにハグとかチューとか返してきてよ。俺、マジで寂しい。こんな扱いされて、マジ辛い。」
「しるかそんなの。勝手に寂しがってろよ。そんな対応求めてくるな。あんたの常識押しつけてくんな。ってか、こんなスキンシップ当たり前じゃないから。普通じゃないから。ここ日本だからね。普段父さんが過ごしてる圏内じゃどうだか知らないけど、とりあえず日本でそんなことしてくる親、俺の周りに父さん以外存在しないから。散々拒否られてるんだから、いいかげん自重しろ。こっちが嫌がってることしつこくしてくるからそんな扱いされるって理解しろ。そして母さんといちゃつくのは子供のいないとこでしろ。」
「えー。花月ちゃんとのコミュニケーションまで我慢しろとか酷い。奏太、マジで酷い。お前達にこんな扱いされた挙げ句、花月ちゃんともイチャイチャできないとか、俺死んじゃうから。マジ、ムリだから。ってかさ、日本じゃ家の中じゃないとこんなことできないのに、家の中でさえ制限されるとか、俺、そんなの本当ムリ。そこまで制限されるとかマジ耐えられない。」
「耐えろよ。子供の教育上良くないだろ。」
「なんで?昔から俺こうだけど、柚月も奏太も良い子に育ってるじゃん。それに、両親の仲が良いって、仲悪いよりずっと良くない?どこら辺が教育上良くないの?」
「あんたがそんなんなせいで、小さい頃それが普通だと思ってて外でやらかして、メチャクチャ恥ずかしい思いしたんだよ。俺が。ってか、恥ずかしいだろ。普通に。」
「えー。慣れたら恥ずかしくないって。恥ずかしがって大切なこと伝えられないより、開き直ってちゃんと伝えた方が絶対良いよ?日本人はシャイだからさ、外じゃ、まぁ人の目もあるしできないの解るけど。家の中ぐらい殻破ろうぜ。と、言うわけで奏太。照れてないで、お父さんの愛を普通に受け止めて普通に返してこい。」
「あんた、本当解ってない。ってか、解る気ないだろ。全く理解する気ないだろ。それ、マジで、本当にいらないから。」
「うわっ。全力拒否とか、マジ辛い。でも、お父さん、ちゃんと奏太が俺のこと嫌ってないって解ってるから。凹むけど、そんなん全然気にしないから。俺、そんなん言われても平気だから。後で俺に酷いことしすぎたとか落ち込まなくても大丈夫だからね。」
「うわっ。なにそのムダなポジティブシンキング。マジ、キモい。ここまで言われたら少しは本気で落ち込めよ。そして本当、少しは自重しろ。あんたの相手するのマジで疲れる。」
そんな言い合いをして、でもどんなに必死に訴えても結局は全部父に軽い調子で返されて、奏太はムダに疲れてなんか色々諦めて大きな溜め息を吐いた。
「もう何でもいいけどさ。なんで父さんここにいるの?仕事は?」
そうきくと、すごく軽い調子で、出演予定だった今日からのステージとりあえずキャンセルして飛んできっちゃったと返されて、奏太は何やってんのと叫んだ。
「バカなの?本当、アホなの?マジで何してんの?あんた待ってる客がどんだけいると思ってんだよ。ってか、公演ドタキャンって、スゲー損害にもなんだろそれ。どれだけ人様に迷惑掛けるようなことしたと思ってんの?それを何そんな軽い調子で言ってんの。何考えてんの。バカでしょ。本当、バカでしょ。少しは責任感とか、仕事に対する誠実さを持てよ。本当、何してんの。この、バカ親父。」
「そんな怒んなくても。ってか、大丈夫だって。俺がいなくても、俺じゃないパフォーマーがパフォーマンスするだけだから。確かに俺のステージを楽しみにしてくれてた人達はがっかりさせちゃっただろうし、それは申し訳ないとは思ってるよ。でも、俺じゃなきゃ絶対にダメとか、俺じゃないとお客さんを楽しませることができないなんてないからさ。そこまで気にすることじゃないから。何かの都合で予定してた公演ができなくなるなんてざらにあることだし、そんな時のために何も準備してないとかもありえないし。俺が出れなくなったら、他のパフォーマーがお客さんを楽しませる。逆に俺じゃない誰かが急に出れなくなったとき、俺が代わりにステージに立ったりもする。その時にさ。お互いお互いのファンに、やっぱ予定通りが良かったなんて思わせないように。予定が変わって残念だったけど、でもこのステージを見れて良かったって、凄く楽しかったって心から思ってもらえるように、ステージに立った人間は全力で頑張るんだよ。それでいいの。お客さんに満足してもらえるなら、ステージに立つのは誰でもいい。誰かの代わりにステージに立ったとき、お客さんを心から楽しませれなかったら、満足させることができなかったら、それは、ステージに立たなかった誰かの責任じゃなくて、その時ステージに立ている自分自身の責任なんだよ。どんな逆境の中でも、アウェーの中でも、それに負けずに自分の全身全霊のパフォーマンスをして、その場にいる人達を笑顔に、そして元気にして、満足して帰ってもらう。それがパフォーマーとして俺が持つべき責任だと思うし、仕事に対しての誠実さだと思う。そして、そんなパフォーマーであることが俺のプライドだから。仕事のドタキャンなんて別に大した問題じゃないっていうか。ってかさ、俺、家族が一番大切だから。花月ちゃんに何かあった時、子供達に何かあったとき、仕事してて傍にいれないとか、何もできないとか嫌だからね。家族より仕事優先して、俺のいないところで俺の一番大切なモノが失われていくなんてさ、俺、絶対耐えられない。遠くにいるからって何も気が付かないで、大切なとき傍にいれないで、力になることも支えてあげることもできなくてとか、そんなのはもう嫌だから。俺はいつだって、どんなときだって、何かあったら他の何を置いても家族の元に飛んで行くって決めてるの。例え自分にできる事はなくても、役に立たなくたって、一緒にいるって決めてるの。それがこうやって家族離ればなれで過ごすことを決めたとき、俺が絶対譲らなかった条件だから。奏太。奏太からしたら俺は不真面目に見えるかもしれないけど。でも、これだけは譲れないって、譲る気ないって覚えておいて。世界中のどれだけ多くの人を楽しませることができても、笑顔にすることができても、大切な、自分にとってかけがえのない人達を笑顔にできないなら、俺の存在に意味はない。どんなに遠く離れていても、俺の心はいつだって家族の元にある。世界中の多くの人達の太陽である前に、俺はこの家の自分の大切な家族の太陽でありたいから。まぁ、お前等子供達にとったら太陽はお母さんで、俺なんてそうでもないのかもしれないけど。でも、お前達の太陽(お母さん)を照らし温めるのは俺だからね。俺が唯一無二の花月ちゃんの太陽だから。つまり回り回って、やっぱり俺がこの家を照らしてんだからね。奏太。お父さんは、どんなに遠く離れていても、家族を照らす光であり温もりとして存在し、絶対にお前達の光を失わせないって誓うよ。だから、仕事のドタキャンは多めにみて。」
そういつも通りの明るい声で少しだけ真面目な調子で言われ、笑顔を向けられて、奏太は返す言葉が思いつかなかった。なんていうか、結局、敵わないななんて思ってしまう。本当、父さんはバカだし、お調子者だし、ウザいけど。でも、嫌いにはなれない。嫌えるわけはない。なんだかんだ言っても、やっぱ俺、父さんのこと好きなんだよな、なんて思って不思議な気分になる。絶対、口には出さないけど。口に出したらもっとウザいことになるの目に見えてるし、それは本気で困るって言うか、迷惑だから。マジ、勘弁。でも、これが全くなくなったら、父さんがいなくなったら、それはやっぱ嫌だな。そう思うと何だか諦めに似た、でもちょっとだけ暖かい気持ちが湧いてきて、奏太は心の中で笑った。
ねぇ、二人とも疲れてない?俺、なんか飲み物でも用意しようか?何がいい?なんて言う父に促されて、促されるままリビングに向かう。両親がお互いに自分がやるからゆっくりしてなよなんて気遣い合いながらキッチンに向かうのを視界の端で捉えながら、奏太はソファーに腰掛けテレビをつけた。
「いやー。花月ちゃんから、奏太が誘拐されたから迎えに行ってくるって連絡来たときは本当驚いたけどさ。二人とも無事で良かった。元気そうだし。飛んできたとき、柚月にはスゲー冷たい視線向けられて、なんで帰ってきたの?バカじゃない。わたし一人でも平気だし、お父さんが来ても邪魔なだけなんだけど。むしろ、いられると精神的苦痛を感じるからとっとととんぼ返りしてくれない、とか言われて、マジで俺泣きたくなったけど。それでも柚月一人にしとくの心配だったし、それに、こうやって自分の目で二人の無事な姿見れてホッとした。今回は心配いらないの解ってたけどさ、それでもやっぱ帰ってきて正解だったな。」
母との譲り合いで負けた父か、いつも通りの脳天気な声でそんなことを言いながらやって来て隣に座る。
「奏太。誘拐されてる間どうしてたの?どうだった?誘拐されてみて何か変わった?」
そしてあまりにも軽い調子で世間話をするように父から放たれたそんな言葉を一瞬聞き流してしまい、ちょっとしてから言われた言葉の意味を頭が理解して、奏太は思わず父を見返した。
「って、何、あんた。息子が誘拐されたって聞いて飛んで帰ってきてたの?それなら、なんでそんな冷静なの。ってか、なんで何事もなかったかのようにいつも通りヘラヘラしてんの。頭おかしいんじゃない。」
「え?だって、営利誘拐じゃないのは解ってたし。酷いことはされないだろうとは思ったしさ。そりゃ、心配はしたけど。ちょっとだけ、二人とも帰ってこないんじゃないかなとか思って不安にもなったけど。でも、大丈夫だって信じてたから。花月ちゃんは絶対、奏太連れて帰ってきてくれるってさ。それで本当に帰ってきてくれて、こうして元気な姿見れて、一緒にいられて。悪いことは全部終わったのに、いつも通りに戻らないっておかしくない?いや、待ってる間もいつも通りだったけどね。ってか、いつも通りでいるのが一番だと思って。俺、色々ごしゃごしゃ考えるの苦手だから。結果が解らないうちになんか心配ばっかしてソワソワしたりするより、とりあえずいつも通りで待ってるのが、残ってる柚月にとっても帰ってくるお前達にとっても一番ホッとするんじゃないかなって。それくらいしか思いつかなくてさ。」
あっけらかんとそう言う父の言葉を聞いて奏太は、なんかその言い方だとさ、父さんも色々知ってそうな感じに聞こえるんだけど、なんて思ってモヤモヤした。
「あのさ。父さんは知ってんの?その、母さんの出生?みたいな。なんか色々、今回の事情的なものとか。俺が何で誘拐されたかとかさ。」
「んー。良く知らない。なんとなくは解るような解らないような、そんな感じ?ってか、そういうの説明されたって理解できる気がしないから、別に俺は知らなくてもいいや。花月ちゃんがどうしても聞いて欲しいって言うなら、理解できなくても頑張って聞くけどさ。でも、花月ちゃん本人もあまり詳しくは解ってないと思うよ。多分。」
「なにそれ。それでいいの?」
「いいの。だって、そんなん凄くどうでも良いことだし。花月ちゃんがいったい何者で、どんな事情抱えてたってさ。ここにいる花月ちゃんは、間違いなく花月ちゃんだし。俺が花月ちゃんのこと好きだって事も、花月ちゃんが俺のこと好きでいてくれることも変わらないんだし。俺達がこうして家族を築いてることも、子供達のことを大切に想ってることも変わらないんだから。それ以外になにか必要?考えたって答えの出ないこととか、考えても仕方がないことは考えないことにしてるの、俺。頭悪いし。どうでもいいことごしゃごしゃ考えて悩んだり落ち込むくらいなら、余計なことは考えず、目の前に在るものを大切にして、楽しく生きていたいじゃん。だから、俺はそんなこと気にしないし、きかない。でも、奏太が気になるなら、お母さんにきいてみれば?俺が思ってるより実は色々自分の事情知ってるのかもしれないしね。なんか、ちょこちょこ周さん、花月ちゃんのこと訪ねて来てたみたいだし。」
「周さん?」
「花月ちゃんのお兄さん?血は繋がってないらしいけど。ほら、お前の友達の。恆君だっけ?彼のお父さん。」
「はぁ?父さん、恆の父さんの事知ってたの?ってか、知り合いなの?」
「知ってたって言うか、恆君が始めて家に遊びに来たときから花月ちゃんが気付いてたかな。俺は、花月ちゃんがそう言うならそうなんだろうなって思ってただけ。恆君のお父さんとは知り合いって言うか、昔、ちょっとの間だけ一緒に暮らしてたことあるよ。父さん達が若い頃暮らしてたシェアハウスに一時いたことがあってさ。あぁ、遙ちゃんには、恆君のお父さんが周さんだって言わない方が良いかも。遙ちゃん、周さんのこと嫌いだから、言ったら恆君への態度も変わるかもしれないし。遙ちゃん結構、偏屈なとこあるからさ。」
そうなんでもないことのようにいつも通りの軽い調子で言われ、奏太は何だそれと思った。ってか、母さんって天涯孤独じゃなかったの?母さんに血の繋がりのない兄がいるとか初耳なんだけど。しかもそれ、父さんも、両親の共通の友達も普通に知ってるくらいの事実なの?母さんのお兄さんの子供って事は、じゃあ、恆と灯ちゃんって俺の従兄弟ってこと?ってか、その周さんって、きっとあの恆によく似てたあの人だよね。あの人がお父さんなのかききそびれちゃったけど。灯ちゃんに対してなんかスゲー怖くて、母さんに対してはやたら熱っぽいっていうか凄く溺愛してますって感じだった、あの人だよね。思い出してみると、ちょっと、自分の母親が父親以外の男にあんな風に接せられたことがなんかムカつく。ったく、人の母親に何してくれてんの。なんなのあいつ。ってか、アレが母さんのお兄さん?違くね?アレは兄妹って感じじゃなかったよ?確かに母さんはお兄ちゃんって呼んでたけどさ。ってか、こんなこと、母さんのこと大好きすぎて仕方ない父さんには言えない。言ったらこの人ショックで死んじゃうかもしれないし。いや、母さんの方は別にそんな雰囲気なかったけど。でも、でも、やっぱ言えない。どう見ても父さんよりはるかに格好い男に母さんが言い寄られてたとか言えるわけないじゃん。絶対黙っとこう。
そんなことを考えて奏太が悶々していると、父がテレビから流れるニュースを見て、あ、これ俺が公演する予定だった会場だと呟く。それを耳にして奏太もテレビに視線を向けると、そこでは建物の老朽化による崩壊事故が伝えられていた。事故が起きたのが開演前でまだ客が入っていなかったことや、たまたま最初崩れ落ちた場所に誰もおらず、速やかに避難が行われたため、軽傷者のみですんだとのことで、その報道を聞いた父が胸をなで下ろす。そして父の姿がテレビ画面に映し出され、父が公演予定だったことや急遽出演しなくなった為に事故に巻き込まれなかったことも報道され、奏太は、うわっ、父さんがテレビに映ってると思った。なんか父さんがスゲー有名人みたい。いや、有名人なんだけどさ。日本で全然活動してないから日本での知名度が低いだけで、世界で活躍してるパフォーマーなんだけどさ。でも、こうやって父さんが報道されてるって、スゲー違和感。
父のスマートフォンの着信音が響き、画面を確認した父がイタリア語で通話に出る。なにを話してるのかは解らないけど、言葉の端々に父のマネージャーみたいな仕事をしている父の従兄弟の名前が出てくるから、きっと仕事の話ししてるんだろうなと思う。そして通話を切った父のスマートフォンがまた鳴って、画面を確認した父が今度は日本語で対応した。どうやらニュースを見た遙ちゃんが連絡してきたらしい。
「さっきテオから連絡来て。ようやく少し落ち着いたみたいだけど、まだ色々大変みたい。公演キャンセルしたし、暫くこっちいようかなと思ってたけど、俺もできるだけ早い便であっちに合流するつもり。とりあえず、路上公演とかして活気づけ?みたいなこと兼、それで集めたお金を会場の修繕費用として寄付しようかななんて考えてるんだけど。テオが段取り考えといてくれるらしいから、詳しいことはあっち行ってからかな。ってかさ、聞いてよ。マジでビックリなんだけど。俺が控え室にする予定だった場所ぺちゃんこだって。しかも崩壊があった時間、ミーティングで俺そこいる予定だったから、仕事さぼってなかったらきっとあの世行きだったよ。このタイミングで日本戻ってるとかマジラッキーだよね。超凄くない?」
途中までちょっと、そんなことパッパ決断してスゲー、なんか格好いいとか思いながら父の電話を聞いていたのに、話しがだんだんバカ話しになっていって、テンション高く他の仕事ドタキャンした時も何度か危機一髪だったことがあったっていう話しを続けて、雰囲気的に多分遙ちゃんに不謹慎だとでも指摘されて怒られてバカにされた様で、声を詰まらせ、ぽつぽつ言い返していたものの、最終的に情けない声を上げて謝っている父の様子を見て、奏太はやっぱこの人格好悪い、ダセーと思って心の中で溜め息を吐いた。
「さて、帰り支度しようかな。せっかくだしもうちょっとのんびりしてたかったけど。」
通話を終えた父がそう言いながら立ち上がって、母のもとに向かい抱きしめる。そしてまたやたら装飾された言葉で、母への愛と離れがたいし寂しいけど行かなきゃみたいなことを言ってキスをしていて、奏太はだからそれ子供の前でやめろよと思ってげんなりした。
「さっきから父さんのスマホ鳴りっぱなしだけど、確認しなくて良いの?」
ひっきりなしにメールの着信音を鳴らし続ける父のスマートフォンをダシにそう声を掛け邪魔をする。
「えー。メールだし、確認なんて後でも良くない?」
そう反論しながら父がメールを確認して、嬉しそうに笑う。
「花月ちゃん。皆からメールが来てるんだけど、俺、こんなに沢山のメール返してる余裕ないから、代わりに返事しといてくれる?とりあえずありがとうって、あと、俺は向こう戻って仕事するけど、落ち着いたらちゃんと俺からも返事するからって伝えといて。」
「うん。解った。」
「じゃあ、花月ちゃん。支度できたらそのまま俺行くね。俺と君は一心同体。君と一緒にまた、世界の人々に元気と笑顔を贈ってくるよ。愛してる。」
そう言って父が母にキスをして、母がいってらっしゃいと笑顔を向ける。
「奏太も元気でな。また夏休みの時期には帰ってくるから。愛してるよ。」
自分の方にやって来た父がそう言ってキスをしようとしてきて、奏太は手を前に伸ばして父の身体を押し返して必死にそれを防いだ。
「奏太が酷い。せめて出掛ける前くらい応えてくれても良くない?これからまた暫く会えなくなるんだよ?俺、息子に嫌がられたまま離れなきゃいけないとか嫌なんだけど。」
そう言って父がちょっとふて腐れた顔をする。
「酷くないし、知るかそんなこと。嫌がられたくなかったら、本当、それやめろよ。ほっぺだろうとデコだろうと、キスしてくんな。愛してるとか言ってくんな。」
そんなやりとりをしているとリビングに姉がやって来て、何騒いでるの?と冷めた視線を向けてくる。
「帰ってきたと思ったらうるさい。うちの男共が揃うと本当うるさくて落ち着かないから、二人とも戻ってこなくても良かったのに。」
姉にそう言われて、男二人が酷いと呟く。
「柚月。そんなこと言っちゃダメだよ。」
そう母にたしなめられ、姉がしれっと、別に本気じゃないしこうでも言わないと静かにならないからしかたないでしょと全く反省の色なく言い放つ。
「とりあえず、奏太おかえりなさい。いないといないで落ち着かないし、ずっと帰ってこないと流石に心配するから、普通に戻ってきてくれて良かったわ。お母さんも、おかえりなさい。奏太はともかくお母さんが帰ってきてくれなかったら、この人がずっと家に居座るから早めに帰ってきてくれて良かった。これでこの人の相手しなくて済む。」
そんな姉の言葉に、父が柚月酷いと撃沈する。
「なんか俺の扱いだけ酷くない?俺だけ扱いメチャクチャ酷いよね。なんでそんなに俺、邪魔者扱いなの?柚月はそんなに俺のこと嫌いなの?」
「子供がイヤだって言ってること強要してくる父親なんて嫌われて当然でしょ。正直、お母さんにも近づいて欲しくないんだけど。お母さんが汚れるから。」
「うわっ。俺、ばい菌扱いなの?そこまで言われるほど嫌われてんの?ってか、それ酷すぎない?俺、お前の父親だからね。正真正銘血の繋がった親子だからね。そんでもって、お前の母さんは俺の奥さんだから。俺達相思相愛だから。一億歩ぐらい譲って柚月に嫌われるのはちょっと仕方ない事なのかもとか思わなくもないけど。でも、俺と花月ちゃんの仲まで引き裂こうとしないで。せめてお母さんとの仲は認めて。マジで。」
「え?何言ってるの?仲を引き裂くも何も常に物理的に距離が離れてて、父親なんて普段存存在してないというか、うちに父親っているの?うちって母子家庭だよねって思うくらいお父さんなんて存在感すらないのに。極希にしか帰ってこない癖に、家族アピールされてもうざいだけなんだけど。わたし、お父さんの存在なんて、たまに現れてお母さんに付きまとう気持ち悪い害虫くらいにしか思ってないから。あと、ATM。お父さんが働いてくれないとうちの生活水準維持できないから、予定してた仕事さぼってここにいないで、さっさと仕事に戻ってくれないかしら。予定してるバカンスの時ぐらいは帰ってくるの許してあげるけど、予定外に帰ってくるのも居座られるのも迷惑だから。とっととこの家から姿を消して。」
そんな風に姉にバッサリ切り捨てられて父が完全にノックアウトする姿を見て、奏太はねーちゃんマジひでーと思って、父のことが不憫というか立ち直れるか心配になってムダにソワソワした気分になった。確かにこの人うざいけどさ。そこまで言わなくても。ってか、ねーちゃん、マジ容赦な。普通そこまで言えなくない?俺だったらこんなこと言われたら耐えらんない。父さん大丈夫か?そんなことを思っていると、母が、撃沈している父をそっと抱きしめて、浩太大丈夫だよ、と優しく声を掛ける。
「大丈夫。柚月はお父さんのこと嫌いじゃないよ。柚月のこれはね、お父さん家のことは心配いらないから早くお仕事戻ってって事なだけだよ。いつまでも大事なお仕事サボってちゃダメだよって言いたいだけなの。お父さんを待ってる人達がいるんだから、早く戻ってあげてって。そして、ちゃんとしたお休みの日に帰ってきてくれるの楽しみにしてるよって。そう言いたいだけなんだよ。だからそんなに落ち込まないで。わたしも、子供達も、浩太のこと大好きだよ。愛してる。」
そう言った母にキスをされて、父の顔がパッと明るくなる。
「そういうことなの?マジで?ならいいや。柚月は照れ屋さんなんだから。普通に言ってくれれば良いのに。もう、俺マジで立ち直れなくなるとこだったじゃん。花月ちゃん通訳ありがとう。おかげでスゲー元気になれた。俺も大好き。本当、皆、大好きだよ。愛してる。」
一瞬でいつも通りのテンションに戻った父が、ムダに明るい顔で脳天気に笑う。それを見て奏太は、立ち直るの早っ、と思った。ってか、何そのテンションの上がりよう。この人、本当に落ち込んでたの?もしかしてさっきの母さんに慰めてもらいたくてわざと落ち込んだフリしてたんじゃないの、なんて思えてきて、なんか本気で心配した自分がバカらしく思えてくる。
「柚月も。お父さんのことあまり虐めちゃダメだよ。本音じゃなくても、言って良いことと悪いことがあるんだから。お父さんが許してくれるからって、お父さんに酷いことしていいって訳じゃないからね。あんまり酷いと、お母さん、本気で怒るよ。」
そう、わたし怒ってますという顔をして、怒ってますという声を出す母に注意され、姉は素直にごめんなさいと謝った。
「お父さん、ごめんなさい。ATMとかは嘘。害虫とも思ってない。ウザいし、近寄らないでほしいし、できる事ならお母さんから離れてほしいって思ってるのは本音だけど。」
しれっとそう言う姉の言葉を聞いて奏太は、絶対ねーちゃんこれ以上やると本気で母さん怒らせるから退いただけで、悪いとか思ってないでしょと思った。ってか、ごめんって言うなら、その本音部分わざわざ言う必要なくない。なんでそんなん付け加えるの、マジ、ひでー。
「事故のニュース見たわ。お父さんのことだからすぐ現地に飛んで行くんでしょ?自分が立つはずだった舞台がああなって、そこには自分のパフォーマンスを楽しみにしていた人達がいて、その人達が楽しみにしていたはずの今日がその人達にっとって嫌な思い出になってしまうのを、お父さんが黙って放っておけるわけがないもんね。お父さんはそういう人だって信じてるし、そういうとこは素敵だと思ってる。嫌なところも沢山在るけど、それでもそんなお父さんはわたしの自慢の父親よ。本当は、いってらっしゃいを言うために部屋から出てきたの。お父さんのパフォーマンスで、一人でも多くの人を笑顔にしてきて。大好きよ。」
さらっと姉がそう言って、父の頬にキスをする。そうされて、メチャクチャ嬉しそうな顔をした父が姉にハグとキスを返して、次は奏太の番とでも言うように期待に満ちた瞳で自分を見てきて、奏太は退け腰になった。うわっ、超期待されてる。この流れ、俺もしなきゃダメなの?ムリ。ってか、ヤダ。マジでそんな目で見てくんな。つーか、ねーちゃんよく平然とそんなことできんな。俺はムリ、ムリだから。そう思って、なんか切羽詰まった気分になって、奏太は俺は絶対そんなことしないからと叫んだ。
「うわっ、奏太、酷い。」
「酷くない。ムダに油売ってないで、さっさと支度して空港に向かえよ。この時間がメチャクチャムダだろ。」
「ムダじゃないって。コレ、全然無駄な時間じゃないから。」
「ムダだろ。完全に。いいから、さっさと支度して出掛けろ。」
そう父に怒鳴って、それを受けた父がしょんぼりして、解ったよ、行ってくるよ、といじけ始めて、奏太は溜め息を吐いた。
「あー。なんだ。その。父さんの言う愛情表現ってキモいし、そんなんマジでしたくないしして欲しくもないけど。俺だって、父さんのこと嫌いじゃないから。ステージに立ってる父さんは格好いいと思ってるよ。だから、仕事、頑張って。」
そう口にして、メチャクチャ恥ずかしくなる。なんで俺まで父さんの機嫌とるようなことしないとなんないんだよなんて思いつつ、このままで行かれて仕事に身が入んないとかなっても困るからしかたなくだからなんて考えて、いってらっしゃいと口に出す。そうすると父が凄くいい顔でニッと笑って、うん、いってくるねと言って、リビングを後にするのを見て、奏太はドッと疲れた気分になった。
「一緒にいる間はいつも父さんのことメチャクチャ雑に扱う癖に、よく平然とあんなこと言ってあんなことできるよな。」
そう姉にぼやくと、飴と鞭って凄く大事だと思わない?と返されて何それと思う。
「一緒にいる間はどんなに酷い扱いしたって構わないけど、離れるときはちゃんと気分良くさせてあげないと。仕事に支障をきたされても困るし、もしも何かがあってそれが最後の別れになんかなっちゃったら、気分が悪いじゃない。ハグとか頬にキスなんて挨拶だし、それくらいのサービスはね。別に減るモノでもないし。あれくらいでそれまでのが全部リセットになってお父さん機嫌良くなるんだから、安いもんでしょ。」
そう何でもないことのように姉に言われて、奏太は、ねーちゃん怖っ、と思った。
「柚月はお父さんが気分良く出掛けて、お仕事頑張れるように、お別れの時は少しだけお父さんの期待に応えてあげてるんだよね。それがお父さんのためで柚月のためになる一番いい方法だと思って。お父さんの前じゃ素直じゃないけど、柚月も優しいから。」
そういつも通りのふわふわした笑顔を浮かべて言う母を見て、奏太は、なにその好意的な受け取り方、ねーちゃんのそれ絶対優しさじゃないと思うんだけど、どちらかというと策略的な何かな気がするんだけどと思った。
「奏太も、ちゃんとお父さんに気持ちを伝えてくれてありがとう。お父さん、凄く嬉しかったと思うよ。二人に応援してもらって、お父さん頑張る気持ちが湧いて元気になれたと思うよ。お母さんも、二人のこと大好きだからね。」
そう言って父と同じような屈託のない笑顔を向けてくる母を見て、奏太はなんかどうでも良くなってきた。うちの両親はおかしい。ってか、うちの家族がおかしい。俺は普通だと思ってたけど、俺もなんか普通じゃない事情抱えてたみたいだし。まぁ、俺の事情っていうかそれも母さん絡みみたいだけど。でも、別に、もう普通じゃなくてもどうでもいいや。普通じゃなくてもこれが俺の家族だし。今回実際にこの家族から、日常生活から離れてみて解る、結局ここが一番落ち着くんだって。ここにいるのが安心するんだって。そう思って、奏太はしみじみと、自分の日常に帰ってきたなと実感し、心の中で改めてただいまと呟いた。