駆け落ちごっこ
ふと目が覚めて、奏太はここは何処だろうと思った。知らない天井、知らない臭い。全く知らない場所なのに、何故か酷く懐かしいような感じがして、奏太は不思議な気分になった。
起き上がって周りを見渡す。とりあえず立ち上がり、一番近い襖を開ける。そしてそこに広がる景色を目にして、奏太は驚きで目を見開いた。
「なにこれ。ここ何処?」
思わずそんな言葉が口から漏れる。開けた襖の先、廊下を挟んだ向こう側。少し開けた中庭のような場所の奥は見渡す限り木々が生い茂り、それ以外は何も見えない。
「奏太君、起きたの?」
背後からそんな灯の声がして、奏太は振り返った。
「灯ちゃん。これ、なに?どうなってるの?」
戸惑ってそう言うと、灯が悪戯っぽく笑う。
「駆け落ちごっこ。」
その言葉に思わずはぁ?と声を上げる。
「ここはうちが所有する山の中にある、神様を祀るための神殿だった場所なんだ。神事を行うときしか人は来ないから、普段は誰も来ないし。ここに来れるのも宮守の人間でも一部の人だけだから。ここなら誰にも邪魔されず、何も考えないで過ごせるよ。電気もガスも通ってないけど、生活には困らないし。だから、ね。ここで一緒に暮らそう。」
ニコニコしながらそう言われて奏太は頭の中がパニックになった。
「いや。全然意味分からないんだけど。なにそれ。俺、どうやってここ来たの?ってか、そんなとこに部外者の俺入っちゃって良いの?バレたら灯ちゃんスゲー怒られるんじゃない?」
「大丈夫だよ。奏太君は特別だから。」
そう言う灯の静かな声に、奏太はえ?と疑問符を浮かべた。目が合った灯の瞳に冗談を言っている様子がなくて、その真っ直ぐな視線にドギマギする。特別ってどういうこと?灯ちゃんは本当に俺のこと・・・。そんなことを考えて、まさかなと思う。灯ちゃんは現実逃避したいだけだ。自分を取り巻く現実から少し目を逸らしたいだけだ。ここは灯ちゃんの家の所有物みたいだし。きっと灯ちゃんは凄い所のお嬢さんで、きっと色々俺には想像もつかないような重圧があって。今まで実行する勇気がなかっただけで、ちょっと家出したいとか前から思ってたのかもしれない。そして家出先に思いついたのが自分がよく知っている場所で。だから家出と言っても、本気じゃない。本当に逃げ出そうとしてるんじゃなくて、ちょっと今は現実逃避してるだけ。俺に色々打ち明けて、俺と恋人ごっこで一緒にいることにして、ちょっと魔が差して、今まで実行できなかったこんなこと実際にしてみようとか思ったのかもしれない。一人じゃできなかったから、俺を巻き込んで。まだたいして灯ちゃんの事知らないけど、でもいつも明るくて、楽しそうにしてたのに、それは作ってただけで、心の中はいつも辛かったのかな。心細かったのかな。誰かに助けてって思ってたのかな。逃げ出したいって思ってたのかな、ずっと。そういう家のうんたらかんたらは俺には全然解らないけど、きっと大変なんだろうな。そんなことを考えて、恆なら灯ちゃんの気持ち少しは解るのかなと奏太は思った。あいつもなんか、親や家のことで悩んでるって言ってたもんな。なんか、そういう家に生まれた子供って大変なんだな。恆にしろ、灯ちゃんにしろ、俺には二人が抱えてるような悩みは解らないし、きっとしてやれることもないんだろうけど。友達なのに、友達が辛いのを俺は助けることはできないなんて、自分は本当に無力だと思う。俺にできるのは、結局、気が済むまで付き合うことくらいなんだろうな。だからこの駆け落ちごっこ。灯ちゃんの気が済むまで付き合ってみようかな。そう思って奏太は外に視線を向けた。でも、何も連絡しないで帰らないと、母さん心配するだろうから、連絡だけはしとこう。そう思ってスマートフォンを取り出すと、圏外で。奏太は思わず、マジでかと呟いた。灯に視線を向け、何かを口に出そうとし、でも、勇気を振り絞って家出してきたばっかでいきなり帰ろうって言うのもアレだよなと思って、結局何も言えなくなる。気が済むまで付き合おうって今思ったばっかなのに、親に連絡できないからって灯ちゃん置いて俺だけ帰るとかいうのもなんかアレだし。そんなことを考えて、少し悩んで、奏太はまぁ良いかと思った。うちの親は心配するかもしれないけど、今は灯ちゃんに付き合う方が重要。帰ったら怒られるだろうけど、うちの親ならちゃんと話せば解ってくれる。だから、今はここにいよう。そう思って奏太は心の中で溜め息を吐いた。
そうして灯と駆け落ちごっこを始めたその場所は、本当に電気もガスも通っていないどころか水道さえひかれていなかった。灯に教えられながら、薪割りをして、井戸に水を汲みに行って、いったいこれって何時代の生活だよなんて思いつつ、案外普通に生活できるんだななんて思って奏太は不思議な気分になった。テレビもないし、ゲームもできなければ漫画も読めないし、最初はちょっと帰りたいとか思ったけど、暫くそういう生活をしているとそれにも慣れて、今まで普通にあった娯楽がないことも別にどうでも良くなって。不便と言ったら不便だけど、こういう生活も新鮮でちょっと楽しく感じてきて。そんな風に、普通にこの生活に馴染んでいる自分を感じて、奏太は俺って結構順応早いっていうか、図太いんだなと思った。ただ、灯と二人暮らし。それに慣れない。慣れないというか、コレばっかりは日が経つにつれて逆にどんどん辛くなってくる。灯ちゃん、無防備すぎって言うか。俺も一応年頃の男子な訳で、恋人ごっことか駆け落ちごっことかさ。ごっこで本気でそういうつもりとかないの解ってるけどさ。同い年の可愛い女の子とこんな事して一緒に過ごしてると色々、色々、考えちゃうわけで。本当、辛い。何でか灯ちゃん俺と同じ部屋で寝るし。肉体労働多いおかげで、布団入ると変な気分になって寝付けないの最初だけで結構すぐ寝ちゃうけどさ。ちょこちょこ変な気起こしそうになって、ちょっとだけなら良いかなとか、ちょっと触るだけ、ちょっと軽くキスするぐらいなら許されるかなとか考えちゃって。でも、そんな事したら絶対その先もってなるだろ俺。ダメ。ダメだから。絶対、そんなの許されないから。そんなことを考えて奏太は頭を悩ませ悶々する毎日を送っていた。
「良い気持ちだな。」
新鮮な空気の中、奏太は伸びをしてそう呟く。暖かい日差しに包まれて、なんだか心がホッとする。何もない。だから本当に何も考えずにすむ。それは現実逃避したかった自分達には良いことなのかもしれない。灯ちゃんの現実逃避に付き合ってたつもりだったけど、俺自身リフレッシュしてる気がする。時間に囚われない自給自足のこの生活に慣れると、少しだけ忙しない日常に戻りたくない気がしてくる。でも、いつかは戻らないとな、そう思う。灯ちゃんとここで生活をし始めて何日経つっけ。そろそろ、灯ちゃんに帰ろうって言おう。俺の親もだけど、きっと灯ちゃんも家の人が心配してるだろうし。そろそろお互い、現実に帰らないと。そう思う。それに本当、いつまでもこんな生活してたらそのうち、俺、絶対灯ちゃんに変な事しちゃいそうだし。マジで。そろそろこれやめよう。俺の理性も持たない。そう考えて、奏太は灯に駆け落ちごっこを終わらせようと提案することを決意した。
決意したものの中々言うタイミングが掴めなくて、奏太は頭を悩ませた。ムダに灯の周りをウロウロして、その度仕事を与えられてそれをこなして。あのさと声を掛けては、違う話題に話しを向けられ。結局言い出せないまま時間だけが過ぎていく。また一仕事終え、縁側に腰掛けて一息をついて、眼前の景色をぼんやり眺めているとため息が出てくる。
「奏太君、溜め息なんて吐いてどうしたの?」
そう灯に声を掛けられ、奏太は無意味に後ろめたい気持ちになってドキッとした。
「やっぱ、こんな暮らしはキツい?わたしといるの嫌になった?」
そう不安そうに言いながら灯が隣に腰掛けて顔を覗き込んできて、奏太は慌ててそれを否定した。
「そんなことないよ。最初はちょっとキツかったけど、慣れると楽しいというか。正直、めちゃくちゃ居心地が良くて、ずっと居たくなっちゃうくらいだし。」
嘘じゃない。本当にそう思う。不思議なくらいここの暮らしは自分にしっくりきて、怖いくらい馴染んでしまっている気がする。不便なはずなのに、本当に、ずっとここにいたいなと思うくらい。この穏やかで緩やかな生活が心地良いと思う。
「良かった。」
そう言って嬉しそうに微笑む灯を見て、きっと灯ちゃんもこの生活が居心地良くて帰りたくなくなっちゃってるんじゃないかななんて思って、奏太はやっぱり俺がハッキリ言わないとと決意を固め直した。
「本当、良いところだよね。不便なはずなのに、過ごしやすくて、居心地良くて。ここにいれば嫌なこと何も考えずにすむし、凄くホッとするし。」
「だよね。奏太君もそう思う?」
そう本当に嬉しそうな顔で相槌を打ってくる灯にうんと返して、奏太はでもね、と続けた。それを聞いて灯が少し身構えるのが解る。それを見て取って、灯がこの続きを聞きたくないと思っていることが解って、それでも、奏太は意を決して続きを口に出した。
「そろそろ帰ろう。」
そう伝えると、灯がやっぱりと言った様子で酷く傷ついた様な顔をして、奏太は辛くなった。
「ここは良いところだけど、やっぱ、いつまでもここにいたらダメだよ。帰ろう。俺達の現実に。」
そう続けると、灯が俯いて手をぎゅっと握る。それを見て奏太は苦しくなって、でも彼女に一緒に帰ることを選んで欲しくて、だからといってこんなにそれを拒絶している彼女にどうしたら前を向いてもらえるのか解らなくて、どうしたら良いか解らなくなった。
「嫌だって言ったら?ずっと、わたし、奏太君とここにいたいって。」
「それでも帰ろう。」
「なんで?わたしとここで暮らすの嫌?」
「そうじゃない。そうじゃないけど・・・。」
「じゃあ、なんで?奏太君がここにいてくれるなら、わたし何だってするよ。わたしとずっとここにいようよ。もう帰らなくても良いじゃん。ここで、二人でずっと暮らしてこう。大丈夫、ここならそれができるよ。奏太君だって、ここにいた方が絶対幸せなはずだよ。」
顔を上げそう縋り付くようにに言ってくる灯を見て、奏太は胸が締め付けられて苦しくなった。そんなに灯ちゃんは戻りたくないの?そんな風になるくらい、今まで凄く辛かったの?本家を継ぎたいんじゃなかったの?お父さんに、家の人達に認めてもらいたかったんじゃないの?そういうのどうでも良くなっちゃったの?ダメだよ。居心地が良いからってずっとここにいたら、灯ちゃんの願いは叶わない。きっと俺と出会う前からずっと頑張ってたことが、全部無駄になっちゃうんだよ。ダメだよ、そんなの。ダメだ。現実逃避は、敵前逃亡じゃないんだ。戦略的撤退なんだ。少し気分転換して、英気を養って、どうしたら良いのか考えて、それで、もう一度挑戦するための、次に進むための。今よりちょっと大きな自分に飛躍するための溜の時間なんだ。だから・・・。
「灯ちゃん。そんな自暴自棄になったらダメだよ。俺とずっとここにいたいって言ってくれるのは嬉しいけど。でも、それは逃げてるだけでしょ。ダメだよ、それじゃ。一緒に帰ろう。一緒に頑張るって約束したでしょ?だから、もう一度頑張ろう。頑張ってダメならさ。頑張って、頑張って、精一杯やってもダメだったら。その時にまた、全部投げ捨てて逃げちゃうでも良いじゃん。今はまだ、逃げちゃダメだよ。だって、俺達まだなにも頑張ってなくない?まだ全然、自分の目の前のことと何も戦ってないじゃん。何もする前に逃げるなんて格好悪いよ。俺は。俺達は、まだやれる。一人じゃムリでも、二人なら。支え合えたら、きっと。後ろ向きになったって、きっと前を向けるよ。大丈夫。灯ちゃんの頑張りから、俺は目を離さないから。結果がダメでも、俺だけは絶対、灯ちゃんのこと落ちこぼれなんて言わない。一生懸命やれるとこまで頑張った灯ちゃんのこと、他の誰がなんて言ったって、俺が受け止めて支えるから。俺だけは絶対、灯ちゃんの味方になるから。だから・・・。」
「じゃあ、尚更。奏太君はずっとわたしとここにいてよ。奏太君がここにいてくれれば、わたしは認めてもらえる。奏太君がわたしを選んでくれれば、そうすれば、わたしは・・・。」
叫ぶようにそう言う灯に本当に縋り付かれて奏太はその言葉の意味が解らなくて戸惑って。意味が解らないままただ灯の身体を受け止めて、顔を上げた彼女に唇を奪われて、奏太は驚きで目を見開いた。
「灯ちゃん?」
「奏太君。奏太君は特別な人だよ。ここにいるべき人なんだ。帰らないで。ずっと、ここにいて。そうじゃないとわたし。わたし・・・。」
そう言う灯に押し倒されて、奏太は頭の中が真っ白になった。そしてまたそっとキスをされ、訳がわからなくなる。自分の身に起きていることが意味が解らなくて、訳がわからなくて、でも心臓がバクバクして、顔が熱くなって。
「ちょっ。灯ちゃん。ちょっと待って。マジで。ちょっとタンマ、タンマ。」
灯の身体をぐっと押し返しながら必死にそう捲し立て。静かな、それでいてどこか悲しげな声で、奏太君はわたしじゃ嫌?なんて聞かれて、奏太は灯を見上げた。真剣な瞳の彼女と目が合って、なんとも言えない気持ちになる。
「嫌、な訳はないけど。でも、こういうことはさ・・・。」
「わたしは、奏太君なら良いよ。」
そう言う灯の声を聞いて、一瞬力が抜ける。彼女の身体を引き離していた腕をそっと外されて、奏太はされるがまま、呆然と彼女の顔が自分に近づいてくるのを眺めていた。もう少しでお互いの唇が触れる、そんな距離になって、奏太はハッとして彼女の肩に手を置いて、また彼女をぐいっと引き離すと、顔を背けて、やっぱダメだよと呟いた。
「なんで?」
泣きそうな灯の声が聞こえて胸が苦しくなる。
「灯ちゃんが何でこんなことしてくるのか全然解らないけどさ。でも、灯ちゃん、別に、俺のことこういう意味で好きって訳じゃないでしょ。」
そう言って奏太は起き上がった。
「灯ちゃんの言ってること全然意味分かんないし、本当訳分かんないし。状況についてけないし。でも、こんなことされたらさ。俺も男だし、正直このまま流されちゃえば・・・なんて思っちゃうわけで。ってか、正直、今までもめちゃくちゃ我慢してたし、スゲーしたいと思うよ。こういうのチャンスだとか思って、誘惑に負けそうな自分もいて。でも、ダメだよ。灯ちゃんが本当に俺のこと好きになってくれてて、そういうこと俺としたいって思ってくれてるなら嬉しいけど。違うでしょ?なんか良く解らない覚悟決めて、ムリしてさ。そんな風に、なんか切羽詰まって必死になってすることじゃなくない?そんなの、やっぱダメだよ。ダメ。ってか、このまま流れで灯ちゃんとしちゃったらさ、俺、自分の事軽蔑するし、許せない。灯ちゃんがムリしてるって解ってるのにそんなことできないし、したくない。だって、俺は、まだ灯ちゃんの本当の彼氏じゃないし。そういうのの前に、やっぱ、灯ちゃんのこと、友達だと思ってるから。大切にしたいんだ、君のこと。大切だから。君が何を考えてこんなことするのか解らないけど。解らないから。俺は君とこういうことしたくない。」
俯いて両手をぎゅっと握ってそれを見つめながらそう言って、奏太は自分の中のものを確かめるように一回目を瞑って、呼吸を整えた。大丈夫。大丈夫。俺はちゃんと向き合える。そう自分に言い聞かせて、奏太は灯の方に顔を向けて笑った。
「だから、こんな事しなくてもさ。俺、灯ちゃんの話しきくよ?ちゃんときくから。だから教えてよ。灯ちゃんが何に悩んで、何に苦しんでるのかさ。」
そう伝えると、灯が困ったような辛そうな顔をする。
「奏太君には解らないよ。絶対。」
「かもね。でもさ、それは話してみないと解らなくない?それに、解らなくたって、解決はできなくたって。打ち明ければ少しは心が軽くなるかもよ?一緒に頑張るって約束したでしょ?だから、灯ちゃんが一緒に頑張ってくれる気持ちになってくれるように、俺はちゃんと灯ちゃんのこと受け止めるから。だから信じて、俺のこと。」
そう付け加えると、灯が俯いて少しの間黙り込む。
「奏太君。わたし、本当に奏太君とだったら良いって思ってるよ。そうじゃなきゃ、こんなことできないよ。」
そう消えそうな声で呟く灯に、ありがとうと返す。
「でも、俺とだったら良いであって、俺とじゃなきゃ嫌だじゃないでしょ。」
そう返すと、灯の顔が悲観に歪む。
「やっぱ、奏太君はわたしを選んでくれないんだね。わたしじゃ、ダメなんだ。結局、わたしは・・・。」
そう言ってポロポロと涙を流す灯を見て、奏太はたじろいだ。
「いや。今はその話しはさ。ってか、それは、なんていうか。ほら。えっと。他のことが色々解決してからおいおい考えていこう。ね?」
「奏太君は解ってない。わたしにとっては奏太君に選んでもらうことが大切なの。なににおいても劣ってるわたしが宮守の後継者として認められるには、篠ノ宮の正統な後継者である奏太君に認めてもらうしかないの。奏太君と会って解った。いくらユウ君がわたしに譲ってくれようとしたって、わたしは奏太君の護手にはなれないって。なら、側女でいい。側女として奏太君にお仕えして、それで・・・。」
「いや。ちょっと待って。え?なに?意味分かんないんだけど。俺が何だって?篠ノ宮って何?何で俺がそれの正統な後継者なの、意味分かんない。ってか、ユウ君って誰?側女って何?俺に仕えるとかさ、そんなこと言われても、本当、意味分かんないんだけど。」
「奏太君。奏太君は特別な人なんだよ。篠ノ宮の御神木に選ばれた、次代の神憑。お姉さんじゃない、奏太君が御神木に選ばれた。奏太君が生まれたのは真冬なのに、御神木の桜が光り輝いて満開に咲き誇ったの。それはそれはとても幻想的な光景だったって。その時から、いずれ、奏太君をこの地にお迎えするって決まってたの。」
そう語る灯を見て、奏太は始めて背筋が寒くなった。灯ちゃんは何かおかしい。今更そう思う。
「外は危険なんだよ?神憑は祝福をもたらしてくれる特別な存在なのに、外の人は何も解ってない。だから平気で神憑をいらない物扱いして殺そうとしたんだよ。奏太君のお母さんは、生まれてすぐ殺されそうになったんだよ。ここにいればそんなことはなかった。外に出ちゃいけなかったんだ。ここにいなきゃいけなかったんだ。色々事情があって唯一残った篠ノ宮の血を継ぐ娘が外の家に嫁ぐことになったけど。そんなことがあって、やっぱダメだってなったのに。外にいさせちゃダメなんだってなったのに。なのに、奏太君のお母さんはここを抜け出して。奏太君だって、外で辛い思いしてるんでしょ?奏太君は特別な人なのに、外だと奏太君は惨めな思いしてるんでしょ?そんなのダメだよ。次代の神憑である奏太君がそんな扱いされるのは間違ってる。やっぱり神憑はこの地にいなくてはいけないんだ。御神木と同様、神憑もまた、この地に在って祀られるべき存在なんだよ。だから、ここにいて。奏太君のお世話は全部わたしがするから。奏太君が望むことならなんだって。野良仕事だってしなくていい。奏太君がしたいように、好きなようにできるんだよ?ここなら。」
泣きつくようにそう言う灯の言葉を聞いて、奏太は訳がわからなくなった。灯ちゃんはおかしい。何かが狂ってる。そう思うのに、灯が本当に自分を心配してくれているように思えて、でも、ここにいろという裏側には彼女の私欲も見え隠れしていて。全部本気で言っているように思うから、訳がわからなくて、混乱して。さっきは少し灯のことが不気味に思えて怖くなったけど、やっぱり灯がそんな悪い子には思えなくて、突き放せなくて。
「灯ちゃん。やっぱ。俺には全然灯ちゃんの言ってること意味解らないけどさ。とりあえず、一緒に帰ろう。大丈夫だよ。灯ちゃんが言うほど、外の世界は怖いとこじゃない。俺が惨めなのはさ、俺が悪いんだ。周りが悪いんじゃない。俺、かなり恵まれてると思うよ。全然苦労とかしたことないし、何不自由ない生活させてもらってるし。俺が惨めなのは、ただの俺のワガママで、そんな心配してもらうようなことじゃなくてさ。そりゃ、目を背けたくもなるし、逃げ出したくなるときもあるけどさ。でも、俺は、そんな俺の現実を生きていきたいんだ。普通の日常の中で、ありきたりのモヤモヤと葛藤して戦いながらさ、自分が何になるのかは自分で決めたい。だから、ごめん。灯ちゃんの言う特別な存在に俺はなれない。俺はありきたりの普通の人間で良いんだ。別に、特別じゃなくて良い。だから、ごめん。俺はここにずっといられない。」
そう言って、奏太は灯に手を差し出した。
「灯ちゃん、一緒に帰ろう。それで、図書館やファミレスで参考書や問題集開いて受験勉強頑張って。志望校何処にするかとか、高校生になったらどういう事したいかとか想像膨らませたりとかさ。息抜きでちょっとゲーセンとかカラオケ行ったりして。そんないつもの日常にさ、戻ろうよ。そういう訳分かんないのはいいから。普通にありきたりの現実を生きていこうよ。一緒に。」
「ムリだよ。だってわたしの現実はこっちで、そっちがわたしにとっては非現実で。わたしは奏太君をここに連れてくるために一緒にいて。奏太君をここから逃がしちゃダメで・・・。」
「灯ちゃんがムリって言うなら、俺だってムリだよ。そんな訳の分かんない現実受け入れるの。だからさ、とりあえず一回、一緒に帰ろう。で、俺の方の日常で過ごしながらゆっくり考えたっていいじゃん。灯ちゃんは俺と過ごしてた日常が非現実だっていうけど、でも実際こっちで過ごしてたんだしさ。俺と一緒にいた時間が、俺をここに連れてくるための偽りだったとしても。でも、今度は、こっちを灯ちゃんの現実にできないのか考えるために、一度戻って、また一緒に過ごしてみてよ。俺、灯ちゃんにこっちが怖いところじゃないって解ってもらえるように、こっちも楽しいんだって解ってもらえるように頑張るからさ。ね?そうだ。灯ちゃんが考えを譲れないって言うなら、勝負しよう。どっちが相手を自分の日常に引き込めるのか。今はどっちも譲れないなら、ムリにどっちかに押しつけるんじゃなくて、二人とも納得してどうするか選べるように。それならどう?俺の日常に灯ちゃんを染められたら俺の勝ち。灯ちゃんとのこの日常の方が楽しいって俺に思わせられたら灯ちゃんの勝ち。お互いにこっちの方が良いって紹介し合って、どっちの方が相手を楽しめさせられるかさ。心からそっちに行きたいって、そっちで過ごしたいって思わせられた方の勝ちで、勝った方の日常でお互い過ごすって事で。どうかな?」
そう粘って、それでも灯が自分の手を取ってくれなくて、奏太はなんだか悔しくなった。どうしたら俺の言葉をきいてくれるんだろう。どうしたら俺の気持ちを解ってくれるんだろう。俺が望むこと何だってしてくれるって言う癖に、それは俺がここにいること前提で、ここにいてできる事が条件で、全然俺の気持ちとか考えは無視なんだもんな。そう思うと少し腹が立ってくる。あー、なんでも自由にやって良いって言われるのもしんどいけど、こうやって自分の役割決めつけられてそれに合わせることを求められるのもしんどいんだな、ふとそんなことを思って奏太は、本当、俺ってワガママだなと思って何だか自分がおかしくなった。
「わたしは宮守の人間で、わたしにはお役目があって。楽しいとか楽しくないとか、自分がどうしたいとか、そういうのは関係なくて。考えちゃいけなくて。そうじゃなきゃダメだから、そうしないといけなくて。ここにいた方が奏太君のためっだって。だけど、ここの方が楽しいって・・・。解らない。どうしたら奏太君がここにいてくれるのか解らない。奏太君はここにいなきゃいけないのに。そっちよりこっちの方が楽しいって思ってくれなきゃ、奏太君はここにいてくれないの?奏太君にだってお役目があるのに。神憑として、奏太君だってここでしなきゃいけないことが。なのに。なんで・・・。」
そう思い悩むようにぶつぶつ繰り返す灯を見て、奏太はなんだか虚しくなって、灯ちゃんはずっとそうやって言い聞かされてきたんだねと呟いた。うちの親とは正反対だなと思う。うちの両親は、脳天気で、自分達も周りも皆楽しいのが一番だって思ってるような人達で。役割とかなんとかよりも、自分がそうしたいからを優先する人達で。子供達にも自由を選ばせる人達で。だから俺は、本当はこうしなきゃいけないんじゃないかって、自分と周りを見比べて悩むことがあって。自分の在るべき姿を指し示してくれない両親に腹を立てたりもして。でも、灯ちゃんを見てると、自分はこうでなきゃいけないとかこうしなきゃいけないとか、自分以外の人にもそうじゃなきゃいけないって言うのを押しつけなきゃいけないとか、そういうのって面倒くさいというか、辛そうだなって思う。そういうのに縛られてると、そうできなかったとき、訳がわからなくなって、どうして良いか解らなくなって、動けなくなって。灯ちゃん、凄く苦しそうだし。そう思うと奏太は灯のことがものすごく可哀相に思えた。
「ねぇ、灯ちゃん。灯ちゃんは灯ちゃんだよ。灯ちゃんがどうするかは、灯ちゃんが決めることだよ。誰かに押しつけられて決めるモノじゃない。俺も同じ。俺のことは俺が考えて、俺が決めなきゃいけないんだ。だから俺はこうあるべきだって、こうしなきゃいけないって、灯ちゃんに押しつけられたくない。自分の事は自分の心と向き合って自分で決めることなんだって、俺はそうやってうちの親に言われてきたんだ。そういうのがさ、何も期待されてないというか、何も望まれてないみたいに感じたりもしてたけど。でも、今解ったよ。俺はうちの親に無責任に放置されてたんじゃなくてさ、自分でちゃんと考えて決められる人間に育ててもらってたんだって。」
そう言って、奏太は差し出していた手を下ろした。
「灯ちゃんが考えを変えられないって言うなら、俺の提案が受け入れられないなら、それでいいよ。無理強いはしない。もう、一緒に行こうって言わない。だからといって、俺はここには残らない。灯ちゃんが一緒に帰ってくれなくても、俺は一人でも帰るよ。俺の居場所は、俺が自分で決めるから。」
そう自分の意思を伝え、絶望したような顔で自分を見上げる灯と目が合って、奏太は苦しくなった。そして視界の端に綺麗な青い鳥が見えて、ハッとする。
「行かなきゃ。」
自然とそう口から漏れて、奏太は青い鳥を追いかけた。
「待って。行かないで。」
縋るような灯の声が聞こえて振り向く。
「ごめんね。俺は行くよ。俺を捕まえたかったらさ、俺のこと追いかけて来なよ。そこから離れられないなら絶対、俺は捕まえられない。捕まってあげない。恋愛のごっこ遊びはもうお終い。俺のこと追いかけてこないなら、もうさようならだね。ほら、次は鬼ごっこだよ。俺にここにいて欲しいなら、俺のこと捕まてみなよ。鬼さんこちら。なんちゃって。」
そう言って悪戯っぽく笑って、奏太は走り出した。青い鳥を追いかけて。もう灯の方は振り向かなかった。