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嘘と真のシュレディンガー

 誰か俺を殺してくれ。

 あるいは今すぐ自殺銃を調達する、とか。

 願わくば数時間前の、いや、こいつに初めて会ってときめきなんか感じちゃった俺を後ろから鈍器で殴りつけてほしい。


「なっしろざわー? ドライヤーは? 洗面所に置いてない」

「……洗面台の。下の。収納の。……たぶん奥の方に。しまってあると。思います」

「ん。サンキュー」


 俺はとりこんだまま床に放置している衣類の山に顔を突っ込み、声なき声で慟哭した。

 衝撃は驚愕に。驚愕は落胆に。落胆は悲嘆に、後悔に、羞恥の情に。

 脳裏をかすめた疑念は大当たりだったというわけです。

 

 あいつ、男だったんだなあって。


「ぬぅおおおおおおおおおおおぉぉぉ……」


 つらい! うおお! つらい! つらい以外の感情が死んだ!

 だってそうだろう、おっかなびっくり初めて家に女連れ込んだと思ったら超絶美人の男でした、とかあるか。ある。あった。あるんだなあそれが。冗談じゃない!


 さかのぼること数時間前、俺はミソノさんを連れて愛しの事故物件たる1LDK(わがや)に着弾した。近所の1Kより家賃の安い我が家の荒れ加減といったら惨憺たるものだった。なにせ片づけをする人間がいないのだから。とても女性を上げられたものではない。俺ははっきりそう言った。ミソノさんの答えといえば、


「それが?」の一言だった。


 ミソノさんは「片付けますから」と制止する俺を押し切って玄関に踏み入り、コンバースを脱ぎ捨てずんずん奥へ進んだ。俺より先にリビングへ到達して照明を点けるミソノさん。涼しい声が「散らかってるなー」と素直な感想を告げた。

 唯一の安全地帯のソファに腰を下ろしたミソノさんはすっかりくつろいでいた。仲のいい友達の家に遊びに来たみたいだった。俺の方が居場所を失ってしまったことは言うまでもない。ソファの上は唯一の安全地帯なのだ。

 俺はなかばパニックに陥っていた。生まれてこのかた自分の部屋に異性を入れたことなど、ない。いわばレベル1初期装備はじまりの村状態だ。その状態で? パッと見て日本語通じなそうな? 傾国の美姫も真っ青な美貌の君を? 虚言妄言の行き過ぎた奇人変人を? 彼女に家を追い出されて、知り合ったばかりの男に泊めろとのたまう不道徳を。

 どうやって対処しろっていうんだ?


「あ、ミソノさん、夕飯どうします?」


 脳内はとっくにビジーを起こして、もはやあらゆる要素を無視し始めていた。これを順応という。

 不遜な態度の目立つミソノさんだが、それは芝居がかった物言いのせいなのかもしれなかった。

 存外、けっこう優しい。夕飯どうする? と聞けば何か作ろうか、と言う。手持無沙汰になればその辺を片付け始める。外に干してある洗濯物を見て、雨が降るから早く取り込んだほうがいい、と言ってくれたのもミソノさんである。ぶっちゃけると俺は落ちかけていた。そのたびミソノさんの穏やかでない発言が俺の横面をはたくのだった。


「――仕事?」

「え、もしかしてミソノさんヒモ」

「決まった仕事なんてしなくても、一晩金持ちの相手をすれば半月は余裕で生きていけるだろう」

「……そうなんですか」

「いいか苗代沢、金は余るところには余っているんだ。だいたい週三だな。そのくらいの頻度で遊ぶ(・・)と、連中にとってちょうどいい税金対策になる」

「そうなんですかー……」


 顔を引き攣らせる俺に、ミソノさんは「一晩」の相場を告げた。俺の何か月分の給料とも知れぬそれに絶句し、少しして納得した。価値に足る美貌だと思った。容姿だけじゃない。その身に纏う高貴と粗野の拮抗して止揚に至る振る舞いだとか、おいそれとはお目にはかかれない魅力が多分にある。

 ミソノさんは、いっそ崇拝めいた感情を抱かせる特異な性質を持っていた。


「まあ、もうできないんだけどな。体を売るのは」


 ミソノさんはストレートにものを言う人だった。


「彼女さん、いるんですもんね」

「彼女……? ああ、彼女。しばらく二人暮らしだな」

「やっぱ、怒られたんですか」

「ソッコーでバレたし怒られた。知らない煙草の臭いがするって」

「あー……なるほど」

「ま、今は足がつかないことだけやってるよ。まだあいつに働かせるわけにはいかないしな」


 足がつかないこと、の中身については聞かなかった。下手に深入りすると底なし沼に足を突っ込みそうだった。

 久しぶりに包丁がまな板を叩く音を聞きながら、俺はミソノさんの話をどこか別の世界の話のように聞いていた。何もかもが浮世離れして現実味のない虚構の住人みたいなくせして、ミソノさんの家事のさまは手慣れたものだった。


 家庭じみた所作と非日常的な生活の様子、創作じみた「ユーリ」の話。

 この人のどこまでが本当で、どこからが嘘なんだろう。

 たったひとつ、はっきりしたのは野郎ってことだけだ。


「なーしろざわ……なにしてんだお前」

「感情の発露ですよ」

「はあ?」

「あんたのせいですよバカ!」


 乾かしたチョコレート色の髪をヘアゴムでまとめながら、ミソノさんはリビングに戻ってきた。俺が顔を埋めていたぐしゃぐしゃの衣類の山を見て、あーあ、とあきれている。歩くだけで花が咲き蝶が踊り狂うような美貌。俺はそいつを恨めしげににらんだ。そりゃあね。俺だって男なわけだよ。相手に恋人がいようが多少言動がおかしかろうが胸が絶壁だろうが、これだけの美人を家に入れるとなれば期待しない方がおかしいでしょう。

 ミソノさんはいささかムッとした表情で言った。


「年上に向かってなんだその言いぐさは」

「年上ェ!? 大して変わんないでしょうが!」

「はーっ。んなわけあるか。私がいくつだと思ってんだ」

「いくつなんですか」

「……たしか、思い出せる限りだと二百じゅ」

「真面目に答えろよ!」


 俺は衣類の山を適当にひっつかんでぶん投げた。ミソノさんはそれをこともなげに受け止める。俺は無性に腹が立った。


「真面目に答えてるだろう」

「どこがですか! どう見積もっても俺と変わらないか少し下じゃないですか!」

「そうか?」

「そうですよ!」

「若作りしてるつもりはないんだが」

「あああああああああああ」


 頭痛くなってきた。

 どうしてこの人と関わってしまったんだろう。

 神様。

 どうしてこいつと俺を鉢合わせたのか。弁明はあるか?


「それにしても、面白かったな。お前が私のこと女だと思ってたの。わかってて黙ってたんだが」

「テメーそれもう言うんじゃねえよ……!」

「ははっ。ユーリの顔で初々しい反応するのが可笑しくて可笑しくて」

「言うなって」

「ユーリはわりとすぐ気付いたし、お前もそうだと思ってたんだけどな」

「だから」

「脱ぐまで気付かないのはもう」

「やめてください……」


 そのときのことを俺はもう思い出したくない。今後一切言及するつもりはない。

 ともあれ、これが唯一ミソノさんについてはっきりわかっていることだった。裏を返せば俺はミソノさんについて、性別以外の確実な情報を何も知らない。不公平だと思った。

 ご承知の通り、俺はいらない意地を張りやすい性格だった。

 なにか派手に気晴らしになるようなことがしたかった。こんなとき、無趣味はつらい。せっかくの休みでも寝て潰してしまうのが常だ。思いつくことといえば、ダイナマイトで会社吹っ飛ばすとか。人格否定マシンこと部長の首をバットでへし折るとか。やすえさんのゴテゴテした宝石類を強奪して売りさばくとか。子供じみた妄想ばっかりだ。


「会社爆破してぇ」


 つい口に出たそれをミソノさんがどう解釈したのか。俺はミソノさんの特異性というものをもっとよく把握しておくべきだった。

 ミソノさんという奇跡の体現者について。


「いいな。それ」


 洗濯物をたたむミソノさんが応えた。


「たまには派手にやるか。今なら簡単にできそうだし」

「ほんとですか」


 まさかそんなわけないでしょう、のつもりで言ったはずだったのに。


「ああ。……そうだな、ほんの少し、干渉してみるか。どうだ苗代沢、乗るか?」

「あ、じゃあ」


 俺は安請けあいでその誘いに乗った。

 脳裏にチラついていたのは、ティラノサウルス付きの退職届を刷りまくった先輩の、憔悴しきって異様に真剣なまなざしだった。

誘いに乗ってしまった苗代沢。

そろそろ頃合いのようです。

次話「ラック・ザ・スライド」


調製中のため 2019/1/9 午前1時ごろ頃更新します。

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