ジャムってしまった人生は
深夜のオフィスで自分語り
助けてくれ、たすけてくれ、救けてくれ、誰でもいい、何でもいい、三日で復活した救世主でも、天上天下唯我独尊でも、あるいは秘密結社イルミナティ、地球の裏側の太陽神インティ、もしくは膨れ上がった欺瞞だらけの新興宗教、メンヘラクソビッチ、ウシジマくんでもコンビニの前でたむろしてるヤンキーでも、種別は問わない。
「たすけてくれぇ……」
口にすると切迫感が増してくる。噴門がきゅっとすぼまって胃がキリキリ痛くて吐きそうで、心臓の鼓動は苦しく思えてきて、すると連鎖的に息さえ整わなくなって、口の中はからからに渇いて涙が出てくる。実際のところは極度のドライアイで、流れる涙なんてないことは百も承知だけどさ。
「たす、たすたすたすー。たーすーけーてーくれー」
笑いながら調子を変えて言ってみたところで変わるもんでもねえな。
下の名前は好きではないので苗字だけ名乗っておこうと思う。俺は苗代沢という、苗代沢家に生まれた長男で、一人っ子で、平々凡々な家庭で何不自由なく育った。いやそれは嘘だ、不自由はあった、高すぎる身長とか、反比例して壊滅的な運動神経とか。デカいだけでトロくてろくすっぽ使えねー。いわゆるデクノボーってやつだった。でもって、背ばっかでかくったって女にはモテないから、俺はそりゃあまあ不遇な青春時代を送ったさ。ガリガリの身長二メートル弱、ついたあだ名はスレンダーマン。もちろんカッコいい意味なんかなくて、有名なインターネットミームが由来だ。あとは、そうだな、よほど陰気臭い顔をしてたのか、ガリゾンビ。それは陰で言われてた中傷で、表じゃ鶏ガラくんだった。どっちがマシだったんだろうな。
大学生になった俺は見事大学デビューを果たした。ラケットよりもジョッキを握る回数の方が圧倒的に多いテニスサークルと、派手に飲み散らかすことで有名な軽音サークルを兼部して、俺は弾けに弾けた。頭なんか三回ブリーチかけてからマニパニで真っ青にしたことだってある。音楽なんて五線譜もコードもまともにわかりゃしないが、バイトの初任給で買ったテレキャスターをトロフィーみたく持ち歩いて適当にピックを掻き鳴らしていた。親に大金を払わせて獲得したモラトリアムを大いに活用した俺のギターの腕前はそこそこ上達して、ラストライブじゃそりゃあ盛り上がった。ボーカルがサークルきってのイケメン野郎だったせいかもしれないけど、そこは置いておこう。まあ、なんだろう、あれが人生の絶頂だった。そうだろう。なにせ俺は今、深夜のオフィスで、警備員の目を忍んで真っ暗な中、モンスターエナジー片手にキーボードを叩いているんだからさ。
転機は大学三年生の夏あたりからだった。この極東の壮年国家には悪しき風習がある。その名を就職活動といい、種々のリクルートカンパニーズどもが、企業学生問わず骨の髄までしゃぶり尽くす一大イベントだ。大学三年といえばゼミ配属が始まって、一方で講義は少なくなって、俺はまさしくこの世の春とばかりに遊びまわっていた。仲間集めて渋谷のクラブに入り浸って、テキーラのショットをあおって、たまには恵比寿だとか六本木に出向いてお高そうなオネーサンにちょっかいかけて、それでもどういうわけか、俺に女は箸にも棒にも引っかからなかったんだが、そこは割愛しよう。
そうして遊びまわっていたら、俺は波に乗り損ねたわけだ。
仲間連中はその辺要領が良くて、今の俺の年収の倍以上は固いだろう外資コンサルやら商社やらの内定を早々にもらっていたりした。お前ら、いつの間にそんなことしてたんだよ。なんだよインターンって。留学? いつ行ってたの? はあ、さいですか、ええ、はあ。俺? 知らねえよ。うるせえ。
将来何したいとか、何歳までに家庭持つとか、家建てるならどこだとか、そこまでの明確なビジョンをさ、まだ青臭いガキがどうやって背負えばよかったっていうんだ。俺にはいまだに理解ができないが、まあ、仲間連中は俺とは違ったんだよな。あいつらはもう、俺が大学でやりたかったことは全部高校までに済ませていて、おかげでモラトリアムを人生における有効活用ができてたってわけでさ。
それで、俺がどうなったかって?
「たすけてくれ」
こうだ。
「たすけてくれ。無理。絶対無理じゃん? いや無理。はあ? 無理でしょ。ウケる。はは。無理」
こうなった。
文字通りのガリゾンビになって、ブルーライトに照らされてなお青白くなった顔で隈作ってキーボードを叩いている。
「うるせェーぞ苗代沢ァ! 黙ってやれ!」
先輩の声が二徹の耳にギャンギャン響いた。すいません。俺は反射で謝罪を返し、無茶な仕様変更によりエラーを吐き続けるコードの修正を再開した。
時計は三時のおやつの時間だ。十五時ではなく、三時。クラブでオールしてるときはあんなに元気だったんだけどな。三時なんて、ああ、若かったんだな、俺。
ビッグウェーブに乗り遅れた俺が就活を開始したのは四年の六月に入ってからだった。意図せず経団連様に従ってしまったわけだ。そんな時期、しがない文系大学生の俺にまともな就職先が残っているわけがなかった。残っていたとしても、まともな企業は今の今まで遊び歩いていた、就活対策なんて雀の涙ほどもしたことのないクズ大学生を採るわけがなかった。俺はめでたく孫請け以下のブラックSEとなった。残業代? みなし残業代って書いてあるっしょ? 住宅手当? あるけど基本給に含むって書いてあったよね? 週休二日制? どこに完全って書いてあった?
はい、そうですね。
それ以外に何が言えよう?
すべては自業自得、自身が招いた罪の重さなのだ。今月の残業はついに百六十時間を超えた。もちろんこれはあふるる愛社精神によるサービス残業なので手当てはつかない。入社三年目の俺の月給は初任給からびた一文たりとも上がらず、むしろ年々増加する重税に右肩下がりだ。
俺の人生は完全にどん詰まりだった。
たすけてくれ。
そう、助けてくれ。俺を救ってくれ。何が未来仏だ。五十六億年後だか五億六千万年後だか知らないが、遅すぎる。太陽が赤色巨星となったその頃、人類はとっくに滅んでいて、まあ、それも救済っちゃ救済かもしらんが。まあまあ、固いこと言わずに。今すぐ人類滅ぼしてくれ。ビバ・ハルマゲドン。黙示録のラッパ吹きは今、七つ目の封印はもはや解き放たれた。さあ、今から核戦争だ。西や東のお偉方、スイッチを押したまえ。
「会社爆破しよう」
帰ったら一平ちゃん食おう、と同程度のノリで呟いた。
「ああー? んなことできたらもうやっとるわ、仕事しろ」
「爆破しましょう」
「仕事をしろ」
「しましょう。爆破」
明日学校爆発しねえかな、と呑気に雲を眺めて言うのとは違う。
俺は真剣だった。真剣に会社を、このオフィスをサーバーごと吹っ飛ばそうと思っていた。
もちろんそれは二徹を積んだ深夜残業の頭が考えることで、朝になったら忘れてるんだろうが、でも、俺は真剣に、心の底から会社を、何でもいい、黒色火薬を詰めるでも、テルミットですべて溶かすでも、プラスチック爆弾をパクるでも、まだ学生で科学実験やってるやつにTNTを作らせるでも、なんでもいいから全部、何もかも、吹っ飛んでほしかった。溜まったタスクをリセットして解放されるには爆破しかないと思ったんだ。
しかし、本当にやることになるとは思わなかったな。
会社爆破しよう、なんて沸いた思考をわずかその一週間後に実現するだなんて、まあ、すべてはあいつのせいなわけです。
なんで出会っちまったかな。
「あいつ」との邂逅は次話
「ローディング・エンカウント」
2019/1/3 14:00更新です