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エピローグ

 鮮やかな橙の焔に目を細め、冬の夜更け白い息を吐く。左手のスマートフォンからは通話の切れた電子音が無機質に流れている。俺はそれを聞いて腑に落ちた心地でやはり白い息を吐く。洋画で聞きかじったボキャブラリーで悪態ひとつつけば、踵を返してその場から立ち去った。


 人生における正解とは何だろう。

 そんなことを考えながら、俺は茫然と朝のニュースを眺めていた。結局、一睡もしていないがもう関係ない。この朝より、俺は帰属組織を失った。社会の枠組みから外れたのだ。なんなら、今この瞬間にもドアが叩かれ(チャイムは壊れている)令状を持った警察官が現れてもおかしくないのである。

 さて、報道機関というのは優秀なもので、さっそく未だ燻り続けるテナントビルの瓦礫の山を画面越しに確認することができた。「今後、原因について調査が――」と、アナウンサーの声を聞いたところで俺は続きを聞くのをやめた。ソファに転がってスマートフォンのロックを解除し、数度のタップとスワイプを繰り返す。コール。無料通話アプリの調子外れに楽観的なメロディ。あの人は出なかった。既読のつかないメッセージを見て湧き上がる、種々の負の感情に嫌気が差した。これ以上、心を濁らせる前に。俺は睡魔の誘いに乗ることにした。


***


『本日未明に発生したテナントビル爆発事故について、現場の建物に貯蔵されていた可燃性ガスに、何らかの原因で引火したことにより爆発したとのことが捜査関係者への取材で明らかとなりました』


 朝とは別のアナウンサーの声で報じられるニュースに目を覚ました。めやにのこびりついた目元を擦りながら上体を起こす。視界に飛び込んできたテレビ画面。焦点が合い、テロップの文字を認識する。


 テロップ表示の名前に俺は言葉を失った。


『――この事件に関して、高圧ガス保安法違反の疑いにより、現場の建物に入居していた情報サービス企業の従業員・戸島靖枝容疑者が逮捕されました』


 バブル期を彷彿とさせる厚化粧。むせ返る香水の匂い。社のお局。

 やすえさん。


『――容疑者は「危険物取扱者の資格を持っているから大丈夫だと思っていた」「持っているすべてのボンベの栓を開けて水素セラピーを行っていた」などと供述しており、建物内にガスが充満し、静電気のような小さな火種でも爆発が――』


 ちょっと、待て。

 えっ。

 えっ?

 俺は?

 俺の青い衝動的テロリズムはどこへ行った?


「ミソノさ――」


 朝そうしたときよりもずっと速く、躊躇いなく通話ボタンを押した。鳴り続けるコール音。わからない。まったく、理解が及ばない。これは偶然か? それともあの人は知っていた? 話してない。職場のこと。やすえさんのこと。赤ボンベの群れ。アルミパウチのつくりたて水素水。知っていて、あんなものを俺に渡したのか?

 ジジイの渋々といった声が反芻される。


「――平賀源内が持ってたやつだよ。エレキテル。ちょっと改造したけどな」


 遠隔で起動できるように。


 くわえ煙草のジジイはそう言って、俺はなんでそんな意味のない改造を、とぼやいたのだった。

 はじめはあの針金のついたみょうちきりんな木箱に、本物の爆薬でも仕込まれているのかと思った。それをPHSで起爆できるようにしたこと。それがミソノさんのした仕事なのかと思った。違う。あの人は何もしていない。ジジイのコレクションを渡すことに、協力したくらいだ。発案はあの人だ。でも、それだけだ。あの人は俺の衝動的テロリズムを唆しただけで、実際には何もしていない。手を動かしたのは俺だけだ。


「――出ない」


 舌打ちひとつかましてコールを止める。伸びた髭もそのままに、弾かれたようにアパートを飛び出した。景色は夕方の橙に染まりつつあった。つい半日前に見た、あの爆炎と同じ橙色だ。冷たい空気を切り裂いて走った。行き先は決まっている。


「――ミソノさん!」


 薄汚れたガラスのはめ込まれたドアを蹴破る勢いで押し開けた。ドアベルの音はいつもと同じ安っぽさで、カウンターの内側で煙草をくわえたジジイが何事かと俺を見た。


「なんだてめェ、ドア壊れたらどうす――」

「ミソノさん来てます!?」


 言いながら店内を見渡す。いつもそこに座っている、というカウンター席の最奥。あの人の姿はなかった。店内に漂う煙にあの甘い芳香は感じられなかった。

 ジジイは心底嫌そうな顔で煙を吐き出した。


「来てねえよ。なんだなんだ、惚れてんのか? ミソノちゃんに。いやぁ、てめェにゃ手が届かんだろうがよ」


 俺はジジイの言葉を無視して同じ質問を繰り返した。その日、ミソノさんは喫茶店に来ていなかった。俺はその後も居座って泥水コーヒーを飲んだ。ミソノさんは来なかった。通話は繋がらなかった。メッセージに既読がつくこともなかった。


 真冬の深夜に起きたテナントビルの爆破はひとつの事故として収束していった。ニュースは俺が持ち込んだ小箱のことなど一切報じることはなく、逮捕されたやすえさんの入信する宗教法人と水素ガスの関連性を取り沙汰し、しまいにはその宗教法人について特集が組まれていた。なんでも、近年設立された新興宗教らしく、著名人も多数入信しているとのことだった。

 正体不明の無法者に煽られた現代の若者のテロリズムなど、ワイドショーと変わらないニュース番組のどこにも入る隙はなさそうだった。


 二週間が経った。

 俺は書類不足で失業保険も申請できないまま、学生時代ぶりの長期休暇に突入していた。

 ベランダに出ると、泣きそうな曇天の下で寒風にさらされた。体を震わせ、数年ぶりにオイルライターの火を点ける。興味本位で手を出した学生のとき以来だ。最初で最後の一本は、椎名林檎好きの先輩からもらったハイライト。ヤニクラを起こして、あれから一本も吸っていない。

 同じものはなかなか見つからなくて、結局インターネットで取り寄せたそれはパッケージを開けた瞬間から甘い匂いがした。けれども、勢いよく吸い込んだ煙は熱くて、辛くて、それにチョコレートのフレーバーが付加されてめちゃくちゃな味になって、俺は思わずむせ込んだ。

 吸い込んだ煙も、煙草の先から立ち上る煙も、あの人が燻らせた甘さを持つことはなかった。街中の喫煙所から煙るような、一般化された煙草の臭い。


 まるで薄氷の上踏み歩くような爆破計画について、あの人はどこまで考えていたのだろう。どこまで知っていたのだろう。しかし、やすえさんが水素ガスを溜め込んでいたことを知っていたからといって、それがあの夜に漏れてビル内に充満することなど予測できるはずがない。不倫がバレてむしゃくしゃして、やすえルームを水素ルームにするなど誰が想定できよう。むしろこんな乾燥した真冬だ、俺がPHSで源内さん(エレキテル)を作動させなくったって、別の要因で静電気が発生したかもしれない。換気で爆発しうる量のガスが足りなくなったかもしれない。蜘蛛の糸でも歩くような綱渡りだ。それぞれは独立した事象で、なんの関連性もないのにあの夜を導いた。

 奇跡の計算。ミソノさんがそんなことを言っていたっけ。まさしくそうなのだろう。あの人は奇跡を体現してしまう。単純で、互いに独立した事象を強制的に一つの結末を作り上げる。予定調和。神の所業だ。きっとあの人なら、一頭の蝶の羽ばたきから嵐を予測しかねない。


 そんなことはどうだっていい。


 俺はスマートフォンに目を落とした。既読のつかないメッセージの日付は二週間前のあの日で止まっている。正直、あの人に虚言癖があろうが、定職に就いてなかろうが、バールで躊躇なく人を殴れようが、人智を超えた所業をなしとげようが、そのあたりは重要ではない。


 三年間、未来の見えない寂しい社畜生活を送ってきた俺にとって、あの人は久しぶりの友人だった。


「……思ってんの、俺だけだったらやだなあ」


 たった数日の付き合いでも、納期とか税金とか個人年金とか、気の重い話をしなくて済む奴ってのはなかなか重要なもので、ミソノさんがうちに押しかけて来たのは迷惑千万だった、といってしまえば嘘になる。

 黒い紙巻きの先から立ち上る煙を見つめていると、どうにも感傷的になって良くない。

 寒いし吸えないしもう戻るか、と火をもみ消したときだった。


「――苗代沢!」


 凍てついた冬の空気に良く似合う、凛然とした声が響き渡った。

 俺は弾かれたように振り返り、ベランダの下を覗き込んだ。アスファルトの上、こちらを見上げて手を振るその姿は見間違えようがなかった。長いチョコレート色の髪を寒風に踊らせて、皮肉っぽい笑みは二階のベランダからよく見えた。


「連絡しようと思ったんだが、お前の連絡先の入ったケータイを壊されて――」


 たぶん、ミソノさんのケータイ壊したの、彼女さんだろうなあ。

 ミソノさんの次の言葉は容易に予測がついて、その言葉を耳にする前に苦笑いが浮かんだ。


「前と同じく、家を追い出されてだな。よろしく」


 有無を言わせないアルトの声は相変わらずだった。

 俺は、今開けるんで、とため息交じりに言って玄関へ向かった。

 今後のことはおいおい考えればよかろう。

 人生なんてそんなもんだ。

 明日が見えないまま、手探りで生きて、生きあぐねて、死ぬまで惰性で生きたとて、最期に満足した瞬間を一つでも思い出せれば、それでいい。

ご愛読ありがとうございました。

爆破する話の本編はこちらで完結となります。

後日あとがきを上げて終えようと思います。

きっと来月あたりに苗代沢再就職活動編を連載します。

実はそこそこ長いお話の序章です。


よろしければ、感想、評価等お待ちしております。

人生、気楽に生きていきていきたいですね。

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