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ラストライフ  作者: 芦田れお
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第二章 業

 6年前の7月初旬、平日の昼下がりにその男は都営団地に建つ寂れたアパートの一室で女の腹に馬乗りになって彼女の首を絞めていた。安っぽい、抹茶ミルク色のペラペラのカーテンの隙間から夏の容赦ない西日が注ぎ込んできて、男の側顔と女の額を射し照らしていた。男の目は侮蔑を含んだ狂気で満たされ、女の瞳には自分の精一杯の抵抗が無力であることに対する無念が宿っていた。「や、やめ…て……」という声にならない息が女の強く噛み合わされた上歯と下歯の隙間から漏れ出る。すると、男はより一層の力を両親指に掛け、女の息が絶えるのを待った。先にも増して女が足を床に叩きつける音が激しくなったが、10秒程で急に途絶え、同時にこと切れてしまった。


「お前のような売女なんてのはなあ、生きてる意味ねぇんだよ」


 分かってんのか、と吐き捨てると男は作業着の上ポケットから大型カッターを取り出して、息を絶やした女の上着を切り破いた。女の半身が露わになると、下着の左ストラップにカッターの刃を掛け、持ち上げるようにして切り断ち、右ストラップも同様に断ち、いつものように、ブラジャーを引っ張り取ろうと手を掛けた。その瞬間、物音が後ろから聴こえた。ガタリ―


 なんだ、とビックリした男は目に入った対象を認識すると落ち着きを取り戻し、膝を地に着いたまま、それに対して体を180度向き直った。


「嬢ちゃん、出てきちゃダメだろ。まだ、終ってないんだよ」


 男は努めて冷静に、優しげに語り掛けた。


 2,3歳ばかりの幼女の目に宿っていた最大級の不安と恐怖は、男の優しい、親しみを込めた声を聴いたことで幾分か緩和したように見えた。幼女は、20㎝ほど開け放した襖にその小さな手を掛けて押入れの奥から男の様子を窺っていた。幼女の顔を見てそこに依然として大きな不安が存在するのを見取った男は言葉を紡ぐ―


「ママはな、今、お昼寝中なんだよ。さっき、俺とたくさん運動したから疲れているんだ。そっとして上げないとな」

「ママ、ねたの?」


 でも、今日、ママと公園に行くの。約束なの、と幼女はあどけなく言葉を続ける。


「いつ、ママ、おきるの?」

「……さぁ、いつだろうな。今日は、もう、起きないかもしれないな。嬢ちゃんも今日は早めに寝るといい」


 幼女の無邪気な問いかけに男は狼狽えた表情になりかけたが、それを顔の奥に引っ込めて諭すように言葉を返した。


「……やだ。」


 幼女は、低く、短く答えると涙を瞳に浮かべながら堰を切ったように泣きじゃくった。


「ユウガタになったら、いっしょに、ミンミさん、つかまえるって、やくそくしたもん!ママ、ウソついたらだめって、いってた!いつも、いってた!だから、ママ、ウソつかないよ!」


 えーん、うえーん、と泣き続ける幼女を見つめる男の目は、幼女を通してどこか遠くを見ているような様相を呈していた。しばらくそんな状態が続いたが、とうとう、自分と異なる感覚、価値観、情操を彼女が持つことを認めた男は、困ったような表情を湛えながら彼女に落ち着いた声で話しかけた。


「そうだな。約束は約束だもんな。そっか、嬢ちゃんはミンミさん捕まえに行きたいんだな。よし、じゃあ、今から行くか。」

「…マ…っ……ママも…ママも、いっしょに、いく?」

「ママはな、あとで、俺たちのところに来るよ。夕方になったら起きて公園にくるから、そしたら、3人でミンミさんを捕まえよう。それまでは俺と嬢ちゃんでミンミさんの住んでる場所を見つけようじゃないか。どうだ?」


 顔を下に俯かせて、しばらく考え込んだ幼女は、俯いたまま言葉を発した。


「それなら、いい…よ…」


 男は、ゆっくりと立ち上がり押入れの正面まで行くと襖を開け、幼女に手を差し伸べた。幼女は、男の大きな手に自分の手を預けた。子どもの小さく、丸く、しっとりとした“それ”を感じ取った男の手は、大事で貴重なものを握り締めるかのようにを“それ”を包み込んだ。


 そして、手を繋いだ二人はそのまま玄関から外界へと消えた。

続きは待ってね

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