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解説:幻想博物誌  作者: 邨野節枯
ミニュ編
8/11

度量衡について

 度量衡は色々とありますね。特に昔の単位の体系は複雑です…というか、体系ではなくそれぞればらばらと言った方がいいのかも知れません。重さだけでも色々単位がありますからね。

 これらの単位というのは、相互に良く分からない比率で、補助単位に換算される事が沢山ありました。いわば十進法ではない体系ですね。十六進や二十進等で、計算するととても面倒臭い……と十進法で計算すると思う訳ですが、実際の所それは単なる慣れに過ぎません。ポンド、オンス、ドラムなどを取ってみても、普段使っていれば、それぞれの単位が直感的にどの程度の重さでどの程度の量が有るのか分かるわけですから。


 問題は、他の単位に換算する時に比率がバラバラだと、つまり色々な進法が混在していると、計算が面倒になるという所でしょう。特にこれは貨幣の場合、複雑でした。一見すると度量衡も複雑で、なかなか面倒なものに見えます


 ただそれでも今でも残る程、影響力のある単位はありますね。それらが残るのは単に習慣だからではなく、生活に便利だからでもあります。

 喩えば、有名なヤードポンド法のグレインやポンドは、元々大麦の粒の重さと、一日一人当たりの消費量から作られていたりします。

 要するに「一日分」という、非常に理解し易い単位です。私達も、「一食分」とか「一人前」等の単位の様なものを使ってますね。混ぜるだけで出来るちらし寿司等には、グラムだけではなく、何人前か書いてます。そうでなくグラム表記だけでは、当たり前ですけどよく分かりませんからね。


 なんであれ、ポンドは元々、そういった生活に密着した「一日分」と言う分量の麦版な訳です。ただ、その麦の重さが当たり前になって、その他の物の重さまで量るようになったので、重さの単位という地位を得ています。


 勿論、現代では食生活も変わりましたし、別にこのポンドが「一日分」という意味を持たなくなりました。ですから、利便性を失ってやがて廃れるでしょう。

 ちなみに、このポンドにも貴金属や薬の取引用に、同じ名前なのに重量が異なったり、補助単位間の比率が異なる「トロイ衡」や「薬衡」が存在したりします。それらは、国際的な取引等、遠隔地交易で取引されるものでしたし、貴重品なので重さの取り扱いも厳密でしたから、単位として安定しており、長い期間その重さが変化しなかったようです。

 そこで、面白い事が起こります。「一日分の麦」を意味したポンドは、年々重くなって行ったのです。租税の改正か、食糧事情の変化か、理由は良く分かりませんが、普通のポンドとトロイ衡はどんどん乖離していきました。一人分のパンの重さが、増えていったのでしょうかね。または、銀貨の品位が低下する中で、金銀の重さによって決められた通貨単位と、実際の相当する貨幣の重さが異なっていったのかも知れません。


 主人公が長々と隊商の長と話している時に、「市場の竿秤」と「金銀の秤」について言及しているのは、その常用ポンドとトロイオンスの違いの様なものです。量るものによって、単位が異なっているのです。その差は「二割程」と主人公は考えています。


 さて、現代の私達は、メートル法に慣れていますし、それを統一された基準として使えば、計算がとても簡単にはなります。複数の単位を用いていた時代の事を考えると、換算するのにとても面倒だっただろうなに感じます。でも、それは私達が計算を容易く行えるよう訓練されているからです。

 何キログラムの物を何十個と言われて、さっと計算できれば問題ありませんが、なかなかそうはいかない場合もありますね。特に昔の人の多くはそうだったでしょう。そもそも「数」と「量」の関係は自明でもありませんでした。デカルトの時代になって、やっと幾何的な連続的な数、つまり量は、ものを数える時の離散的な数と同じ事だと考えられる様になったそうです。


 ともかく、計算が複雑になる位なら、新しい用途に向いた単位を作って、それで数えてしまえば良い訳です。各単位が換算するのに不都合に思える、何故か奇妙な比を持っているのは、結局はそれぞれの単位が何をどう量るのに向いているかです。あとは、その単位を直感的に把握できれば、別に不都合はありません。


 「樽」でも「駄」でも定義してしまえば、日常使い易い単位になります。現代でも「コンテナ」や「郵袋」といった、ある程度共通していて輸送等に便利な規格がありますが、実用的な「ユニット」として使われてますね。また何平方メートルかより、布団が何枚敷けるかの方が、多人数に部屋を割り当てる場合は便利です。


 よく考えてみれば、むしろメートル法の方が、元々地球の円周の四分の一の、さらに一千万分の一という、あまり生活と直接関係がない上に、それ程必然性の無い物を基準にしています。もし地球人以外が見れば、物凄くどうでもいい基準なんです。大体、北半球のヨーロッパ人が共通単位として用いようとしたというだけであって、絶対的なものではなく歴史的な偶然の産物だとも言えます。地球は洋梨型で、北半球と南半球で子午線の長さは違いますからね。そもそも緯度で赤道から極点まで九十度としているのだから、九百万分の一にしてくれていれば、一度が大体百キロになって地球儀が見易かったかも知れません。

 まあ言ってしまえば、秒でも分でも時でも、地球のある地質年代以外では正確ではない単位です。また一光秒や、一光年等の光の届く距離を基準にした単位でも、地球の自転や公転の周期が基準になっている時点で、実はかなりなんというか、絶対的でもない単位ではあります。

 ともかく、メートル法という統一された単位を基準にする事で、あらゆる量を相互に簡単に変換できるという、確かに大きな利点はあります。遠く離れたところに行っても同じ基準なら、確かに損もしません。ただ、沢山の駄馬を運用していたりする場合、平均的な馬の運べる量を決めて単位にすれば、馬の数がそのまま輸送可能量になりますし、食料だって一日分を単位にしていた方が、計量も計算も楽です。


 あまりいい喩えではないかも知れませんが、例えばです。

 米三百六十リットルは、どの位か?と言われて、さっと想像出来る人は少ないと思います。

 さて、一日三食で、毎食夫婦で一合、子供は二人で三分の二合、家族で一日当たり五合食べているとします。これを一月約三十日で一斗五升、十二ヶ月で一石八斗、残り閏月の分等を足して、少し丸めて米俵五俵としたら、昔の一人扶持という単位で、三百六十リットル程です。

 昔の基準は核家族でも無ければ、朝晩二回の食事で一回二合半という凄まじい量で、武士一人が生活を賄えるという感覚だったみたいですが、要するに「一人一年分」という直感的にどの位の価値や量があるか、分かり易い単位です。


 物語中、色々な単位が出てきますが、余り複雑に考えず、大体この位というイメージを描いて頂ければと思います。設定上は一々十八世紀初頭位のデータを元にするなどして計算していますけども、そんなに正確なものではありません。

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