その1
商業区の入口には、二人の兵士が立っていた。暑い中、鎧の中は想像以上の暑さに違いないのに、二人は微動だにせず真直ぐ前を見ていた。国王への忠誠心、情熱、執念がこの二人を暑さから守っているかのようだった。
「あ、此所です!」
商業区の入口から数十m離れた所に、あの少年がいた。
額からは汗が流れ、タンクトップが少し滲んでいた。そして、少年は横を見ると、数メートル先に、体を覆い被さるくらいの大きな茶色の布を被り、歩いていた。
「有り難うございましたぁ!」
少年は大きな声で、男にお礼をした。男は聞こえていないのか、何も言わず歩いていた。少年はため息を付くと、その男の後ろ姿を見つめた。
「クールな人だな・・・でも、よかった。この歳で迷子だなんて・・・情けない。」
少年の呟きは、人込みの中に消えていった。そして、商業区の入口の方を振り向き、歩き始めた。
◆◇◆
商業区の中は高い建物が並び、木が等間隔に植えられていた。行き交う人々の殆どが、幾つもある建物で働く【労働者】である。そして、【労働者】が住む場所も此所、商業区の奥にある住民区で暮らしていた。
「♪♪〜〜・・・」
少年は鼻歌を歌いながら、商業区と住民区の間に掛かる通路を歩いていた。
「【ネロス】―――!」
ほんのりと明るいその通路の奥で、金髪の少女が手を振っていた。
「あ!【レミナ】!久し振りぃ!」
少年【ネロス】は手を振る少女を見るや、笑顔になり少女の所まで走った。そして、少女から数メートルでスピードを緩めると、歩き始めた。少女【レミナ】も白いワンピースを揺らしながら【ネロス】に近付いた。
「えへへっ・・・久し振りだね【ネロス】。また背伸びたんだね?」
「うん。だいぶね・・・」
「いいなぁ・・・私はあの時のままだもん。あの時の【ネロス】は私の胸くらいしかなかったのに・・・今じゃ逆に私が【ネロス】の胸くらいしかないよ。」
「その内伸びるよ。それよりも祖母様、元気にしてる?」
「勿論よ!それに祖母様ったらもう八十九歳になるのに、未だに男をナンパしているのよ!本当、信じられないわ!」
「ハハッ!それくらい元気なら長生きするね。それじゃ、今から祖母様に会いに行くね、それじゃ。」
【ネロス】は【レミナ】の横を通り抜けた。
「・・・待って!」
突然【レミナ】は、【ネロス】の右手を掴んだ。【ネロス】は不思議に思い振り替えると、【レミナ】は、ほのかに頬を赤くさせながら【ネロス】をジッと見つめていた。
「どうしたの?」
「あ、あのね・・その・・・ば、祖母様に会ったあと・・・・・・い、一緒に・・【建国祭】に行かない?」
「え・・いいよ!」
「本当!それじゃ、時間になったら祖母様の所に迎えに行くね!」
「うん、わかった。」
そして、【レミナ】は手を放して遠く離れて行った【ネロス】を姿が見えなくなるまで見つめていた。しかし、その表情は少し暗く、残念そうにしていた。
「まだ気付いてないんだね・・・私の気持ち。沢山、アタックしたのに・・・」
【ネロス】の反対側の道を振り向いた【レミナ】は何かを考えるように腕組みをして歩いて行った。
「今日の【建国祭】で告ろうかしら・・・・・・なんてね。告白は【ネロス】からしてもらいたいなぁ・・・」
その呟きと共に【レミナ】は、商業区で行き交う人々の中に溶け込んで行った。
♪
【ネロス】と【レミナ】が言っていた【祖母様】とは、この大国がまだ小さな村だったころの村長の家系に位置して、二人にとってはもう一人の母親のような存在の人物である。国王とも友人関係にある【祖母様】はこの大国では知らない人がいない有名人であり、変人である。
「懐かしいなぁ・・あれから十年も経つのに全く変わってないや。」
【祖母様】の住む家は、今では珍しい藁で出来た大きな屋敷のような家だった。他の家々は全てが、レンガやコンクリートで出来ているのに、此所だけが歴史から外れたような雰囲気だった。古臭い風貌だが、力強い印象を醸し出していた。
「【祖母様】!ただ今帰りました!」
家の中は外見とは違い、少し狭い土の廊下が進んでいた。そして、奥の方で小さくとてもかわいらしい動物が“ミュミュ”と鳴きながら【ネロス】の方に駆寄って行った。
「あ!バルバトス!」
可愛い外見とは全く異なる、強そうな名前を持つその動物は【ネロス】の足に抱き付き、のじ登ると肩に座り、【ネロス】の頬をすり寄せていた。
「おや、【ネロス】かい?」
そして、バルバトスが出てきた部屋から姿を現したのは、しゃがれた声とは裏腹にまっすぐと伸びた姿勢で近付いて来るかわいらしいお婆さんだった。色とりどりの服装は、この大国では着る人が殆ど着ない民族衣装【カシューシ】だった。
「あ、【祖母様】。元気にしてた?」
「勿論じゃ、お前が来るのを楽しみにしてたからのぉ・・・さぁさぁ、こんな所で突っ立ってないで、はよぉ中に入りなさい。」
【祖母様】の後ろを、【ネロス】は懐かしそうに壁にかけられている絵や写真を眺めながら歩いて行った。
♪
「どうなんじゃ?あっちでの暮らしは?」
「なかなかいい所だよ!町の人達もいい人ばかりだし・・・」
「そうかそうか、それはよかったのぉ。」
【ネロス】と【祖母様】は土の廊下を抜けた広い居間で、紅茶を飲んで楽しく会話をしていた。家の中にある全てが懐かしく、また少し涼しいのに温かい紅茶を飲むのはこの家だけである。そんな雰囲気が【ネロス】の中で一番落ち着く場所だった。
「【祖母様】。一人でこの家に住むの寂しくない?」
「【レミナ】がおるからのぉ・・・寂しくはないが、やはり・・・」
「やはり?」
「男が欲しいかのぉ」
【祖母様】の言葉にさっき口に含んだ紅茶を吐きそうになった【ネロス】は、無理矢理飲み込むと激しく咳き込んだ。
「なんじゃ?わしはこれでもモテモテなんじゃぞ?」
「ゴホッ・・ゴホッ・・いや・・・別に悪いとは言ってないしさ・・・別に男はいらなくない?」
「何を言っておる!わしは男がいるからこんなに若くいられるのじゃぞ?それに、お前こそ【レミナ】の事が好きなんじゃろ?」
今度は思いきり紅茶を吐いた。【ネロス】は咳き込みながら、口を拭くとニヤニヤ笑う【祖母様】を睨んだ。吐いた紅茶はそばにいたバルバトスが“ペロペロ”と小さい舌で一生懸命舐めていた。
「図星じゃな?どうじゃったぁ?【レミナ】は?ときめいたじゃろ?」
「そんな関係じゃないよ。只の友達だろ?」
「なら、あっちで作ったのか?」
「作ってないよ。それに、僕なんかに作れるわけないじゃないか・・・【例のあれ】を押さえるために夢中だったんだから・・・」
「【例のあれ】ねぇ・・・」
二人は静かに紅茶を飲んだ。【ネロス】が言った【例のあれ】で、その場の雰囲気が暗くなったような感じがした。
「【例のあれ】は・・・・今も出ているのか?」
「今は大丈夫だよ。コントロール出来るようになったし・・・」
「そうか、それはよかったのぉ・・・心配してたのじゃぞ?もしかしたら、【例のあれ】で友達が出来なかったりしてないか・・・」
「友達はいるよ。みんな優しく、楽しい仲間だよ。」
「そうか・・・」
【祖母様】は最後の一口を飲み干すと【ネロス】を見つめた。淡い青色の瞳に【ネロス】の顔が写っていた。
「【レミナ】は待っていたぞ?十年間も・・・一人で・・【例のあれ】に縛られているお前をじゃ・・・・」
「・・・」
「何故、十年間も帰って来なかったかは知らんが・・・」
【祖母様】の言葉はしゃがれていたが、優しく【ネロス】を包み込むような感じだった。【祖母様】はもう一杯紅茶を自分のカップに注ぐと【ネロス】のカップにも注いだ。
「【レミナ】の気持ちも・・・考えてやってくれんかのぉ?」
「わかってるよ。今日の【建国祭】は【レミナ】と一緒に楽しむから・・・」
「おぉ、そうかい!なら、今日は朝帰りじゃな!」
「はぁ?」
【祖母様】の言葉に【ネロス】は驚き、そして数秒後、赤面した。
「なんじゃ?そのつもりだったのか?・・・優しく抱き締めるんじゃぞ?なにせ、まだ処じ」
「やりませんから!祭終わったら、直ぐに帰りますから!」
「なんじゃ、つまらんのぉ・・・もう十八なんじゃろ?」
【祖母様】は“グビグビ”と音を発てて、カップの中の紅茶を飲んだ。【ネロス】も赤面しながらも“チョロチョロ”と飲んでいた。
「そうじゃ、二人に耳寄りの情報があるんじゃよ。」
「何?」
「今日はこの国に【歌姫】が歌を歌うんじゃよ。二人にも、国王に頼んで特等席を用意しようか?」
「【歌姫】ってあの【歌姫】?」
「そうじゃ。」
【ネロス】はうなりをあげて考えた。隣りでは、バルバトスが【ネロス】に寄り掛かり寝ていた。
「・・・いや、いいや。」
「・・・そうか。なら、二人で自由に楽しむがよい。」
【祖母様】は最後の一口を飲むと、立ち上がった。
「どっか行くの?」
「ちょいとそこまでじゃ・・・留守番頼むぞ?」
「わかった。」
【祖母様】が出て行ったあと、【ネロス】はバルバトスを起こさないように寝転がると天井をジッと見つめ、そして瞼を閉じた。
◆◇◆
妖艶に光る火の明かりの中、茶色の布を被った男はまっすぐ続く石畳の路地を歩いていた。空は茜色に染まり、人々の賑わいが遠くから聞こえて来た。
「・・・・」
無言のまま歩いている男の前に広がるのは、只、永遠に続くような路地の向こうにある大きな壁だった。その壁から数十メートルの所には大きな窓ガラスがはめられていた。
「・・・」
その時、一陣の風が吹いたのと同時に男は消えていた。
「・・・」
そして、現われた所は窓ガラスの内側だった。頭半分を窓ガラスから覗かしていた、その外側の外壁の溝には砂がまるで蛇のように“ウネウネ”と波打ち、窓ガラスの内側に入り込んでいた。