カフェオレは苦く、そう、 苦く
僕は彼が注文していたカフェオレを飲んだ。まだ口をつけていないやつ。こんな時は喉を潤す必要があるんだ。ろくに喋ってもいないのに、喉が渇いてしまっていたから。流石に坦々麺を食べる気にはなれなかった。いわんや、肉まんをや。
カフェオレは順当に苦かった。でも、今の状況よりは甘いのかもしれない。カフェオレを飲んでいない彼も苦い顔をしていたから。きっと空気が苦いんだ。ぴりぴりだか、じりじりだか、舌を焼きそうな、そんな空気だ。
「どう?飲む」「それ、元々僕のでしょ。飲むよ」「間接キスだね」「普段の君はそんなこと言わないよ」
言われてみて、その通りだと思った。勝手に飲んで、勝手に取って、勝手に返して、勝手に。ほとんどゼロ距離で接して、気分がノッたら、くっついて、離れて。いつもは一切の確認を取らないで、距離をつめるのに、今の僕は、普段ゼロのはずの、二人の距離を測ろうとしている。彼が離れたのか、それとも、僕が。
カフェオレを飲む彼の姿が、愛おしかった。猫のように、舐めるように、苦手なカフェオレを、飲む姿が。そうか、僕が飲むから、彼はカフェオレを頼んでるのか。そうだ、チュロスも、僕の坦々麺のように。
「で、どうなの」「なにが?」「未来の事」「未来の事なんて、分からないよ」
僕は分かっててはぐらかす。未来なんて、誰にも分からない。分からないから、どこへ行こうかなんて話になるんだ。どこかへは行かなきゃいけない。どこかってどこだろう。どこかへ行くその時には、僕の隣に、君は、いるのだろうか。
僕の目の焦点は、しばらく前から彼より先の、遠くに結ばれたまま、動かない。見えない未来を見ようとして、今の僕たちから目を離して。こんな独りよがりに未来を見ても、見たくないものしか見えないのが分かっているのに。
「ねぇ、聞いて。聞くだけで、いいから」
少しだけ濁った、彼の声で、僕は今に目を向ける。彼は、涙ぐんでいた。頬が少し赤く、カフェオレのカップを掴む手が、震えていた。彼が壊れてしまいそうで、僕の心臓はただ凍えていた。違うな。壊れてしまいそうなのは、今の、僕と彼の関係、だな。
「僕たちは、いつまで、こうしていられるんだろう」「いつまでも、って訳には、いかないかもね」
「でしょう?でもね、僕は、君と、ずっと一緒に居たいんだ」「ずっと一緒にいられたら、いいのにね」
「した後にさ、まどろみながら思うんだよ、なんかさ、今だけなんじゃないかなって」
鼻を啜る、その仕草に、凍えは増して、血が冷えて。僕は寒かった。揃いのダッフルコートが、本当にただの布キレになったみたいで。
彼は熱く、涙と共に、熱を零して、思いを吐き出して。
「僕たちが、僕たちとして一緒にいられるのは、後ちょっとの間だけなんじゃないかって」
「不安なんだ。僕は君が好きだ。でも、君は、僕が好きなの?その好きは、いつまで続くの」
瞳から、涙がこぼれ始めた。手の震えは、もうおさまらない。
「僕も君も男だから、年を取るよ、おじさんになるんだ。それは怖くないよ、でも、おじさんになっても、君は、僕を好きで居てくれるの?」
「僕は、君と、年を重ねたい。ずっと一緒なんて、無理でも。ずっと愛し合えなくても、君が、年を取るのを、眺めていたい、一番近い場所で」
「恋人が駄目なら、友達でもいい。友達でもいいよ。君が結婚しても、友達としてなら、いられるでしょ」
「せめて、ずっと、友達でいさせてよ」
もう駄目だった。僕たちの関係は完全に駄目になった。彼からの愛してる、好きだよを上手く言葉にして返せなかった、僕のせいだ。こんな町で、どんな未来があるんだなんて、腐ってた僕のせいだ。
彼の頬に手を伸ばして、涙にぬれたその目から、逃げないように。僕は彼に口づけをした。カフェオレの味が残ったままの、まだ少し、苦いキスだった。
驚いたからか、彼の涙は一瞬で止まった。僕の突然の行動の意味を、まなざしだけで問いかけてくる。僕はそれに答えなくては。唇に残る少しの熱さに、僕は身をゆだねた。
「好きだよ。僕は君が、好きだ。出会った時から、今も、これからも、ずっと」
「一緒に年をとろう。おじさんになっても、一緒にいよう。愛し合えるかどうかは、その、健康の問題もあるけどさ、多分出来るとは思う。あと、そうだな、いい歳のとり方をしよう。なんかこう、二人でさ、一緒にかっこいいおじさんに、あれ、かっこいいのか、おじさんって、その、おじさんは、どうなんだろう」
勢いに任せて思っている言葉を伝えようとしたのに、おじさんに引っ張られてどうにもしまらない。でもかっこいい事が言いたいんじゃないんだ。かっこつけたことが言いたいんじゃないんだ。僕は君が好きだって、それだけを伝えなきゃ。
「んふ」
あれ、鼻で笑われた。見ると、彼の顔がにやけ始めていた。僕の弱いところを攻める時も、こんな顔をするんだ彼は。
「そっか、そうだね、僕たち、かっこいいおじ、んふ、おじさんに、ならないとね、んふ」
「え、ああ、うん、そう、そうなんだけど、大事なのはそこじゃなくてさ」
「いや、いいよ、分かったから、すっごいわかったから。んふ」
なんだろう、元には、戻ってないよな、これ。でも、そんなに、悪くない着地点だと思う。
「あー、泣いたら、お腹すいちゃったね」
そう言うと彼は自然に僕の坦々麺に手を伸ばし、汁が飛び散るのもお構い無しにずずずと平らげ、あっけに撮られている僕を無視して、肉まんをほうばった。あれ、ちょっとまって、ちょっと、本当に、待って。
「坦々麺、結構辛いね。こういう時は口直しに、甘いものが欲しくなるよね」
多分僕のために、そう普段なら僕のために、残してくれるチュロスまで、彼は全部食べてしまった。
「これはね、罰だから」
「え」
口元にまだ坦々麺の肉味噌が付いてるのに、得意げに彼は言ってのけた。
「だから、次からはね、僕がこんな気持ちになる前に、言葉にしてよね、全部」
「あ、はい」
「よろしい」
え、でも、うん、罰、罰か。そっか。
こうして僕たちはミスタードーナツを後にした。今日も、現地解散だった。すっきりしたんだろうな、多分。彼はね。
まあでも、悪くない。そんなに悪くはないと思う。何にも決まってないし、何にも決めてないし、保証なんてどこにもない、どうなるかなんて、本当に投げっぱなし。未来を描いてみせるなんて、かっこいい事はできなかったけど、多分これが僕だし、僕たちなんだ、と思う、勝手にね。
だから、僕たちは、できればこのまま、ぶちまけながら、茶化しながら、時には一緒になって、少し離れてみて、そんな、二人で、居たいななんて、思うんだ。
これも、ちゃんと伝えなきゃね。せっかく頼んだ坦々麺と肉まんを、喰い逃すのは、もうごめんだから。