2 巻き込まれるのは主人公の証。②
蛍の光が流れる前に(正しくは別れのワルツだっけ?)近所の書店に辿り着いた俺は、無事お目当てのラノベを購入し、気分よく家路を目指していた。
目に優しいグリーンのブックカバーに丈夫そうな栞まで貰えたし、何だかんだで今日はついてる。
転校生や朝霧に心ないことを言われたりもしたが、胸の感触を味わったり友達ができたことで相殺どころかプラスに転じたことだろう。いやほんとおっぱいの柔らかな感触は堪らなくよかったなぁ。
……おっと、そんなのほほんとした思考回路でいたら自転車とはいえ事故ってしまうかもしれない。夜で視界も悪いことだしもう少し注意を払うことにしよう。
「おーい藤咲ー」
注意を払ってすぐ何者かに呼び止められた。
ペダルを踏む足を止め、ブレーキをかけ徐々にスピードを緩める。
こんな時間に誰だ?
一瞬警察の線を疑ったが、俺の名前を知ってるということは違うと考えていいはず。
キョロキョロと見回す。幸い暗闇には目が慣れた。
細い路地。声がしたと思しき箇所に人の姿を認める。
その人物が街路灯のもとにさらされた。
「よっ」
日下部だった。
片手を上げ如才ない笑みを湛えている。
「悪いな、呼び止めたりして」
「日下部じゃないか。どうしてそんなところにいるんだ?」
「いやー俺んちこっからすげえ近いとこにあんだわ。今は夜風に当たりたくて散歩中っつうわけ」
散歩で路地裏なんて通るのか。
俺の望む答えとは違ったが、そこは触れないでおく。
「俺を呼び止めたのは?」
「ダチを呼び止めるのに理由なんているかよ。と言いたいところだが、実は藤咲にお願いしたいことがあってな」
頼みの次はお願いときたか。
「まぁ俺のできる範囲でなら別にいいけど」
「ああ、その……これをお願いと言っていいか分からんけど、実はお前に相談したことがあるんだ」
「相談?」
初めて受ける友達からの相談。
な、なんて甘美な響きなんだ。そんな大役を俺なんかが引き受けてもいいのだろうか。
「……駄目か?」
俺が悩みあぐねているのを見兼ねてか、日下部が眉根を寄せる。
「いや、駄目なんかじゃない。むしろ全然オッケーだ」
サムズアップしてみせる。
すると穏やかな表情を作り日下部が肩に腕を回してきた。
「ありがとな! 持つべきものは友達だぜ!」
「おいおい、よしてくれよ」
少し照れる。
「そいでよ、ここじゃなんだから少しばかり場所を移したいんだがいいか?」
「構わないぞ」
「それじゃあ脇道にでもチャリを停めて俺の後についてきてくれ」
「んん?」
わざわざ自転車を置いていく必要があるのか?
「この路地裏を通っていくからよ」
そう言って路地裏を指差す日下部。
確かにそこはゴミ袋やらビルの住人が放置したであろう荷物がやたらと目に付き、とても自転車を押していけそうにない。
しかしいくら場所を移すからって、わざわざこの狭い路地を選ぶ必要性を感じない。
怪訝な顔を浮かべる俺に、日下部はいかにも申し訳なさそうな声色で、
「お願いだ藤咲! 友達の、俺の相談に是非とも乗ってくれ……!」
「そのくらいお安い御用だ!」
断るという選択肢は俺にはなかった。
☆ ★ ☆
入り組んだ路地を抜け、連れ立って入ったのは路地から少し歩いた先にある工事現場だった。
この時間帯だから人っこ一人いなければ当然人気もない。そうでなくともこんなところに作業員以外の人間が立ち入るわけもない。
「勝手に入ってよかったのか?」
普通に考えたらいいわけないだろうが、良心の呵責から訊かずにはいられない。
そんな俺の言外の意味を汲み取ったのか日下部が、
「あまり褒められたことじゃねえのは確かだが、もしなんかあったら責任は全て俺が取る」
そこまでしてここに来る理由があったのか訊くのは野暮なんだろうな。
閑散とした工事現場に一陣の風が吹く。
束の間の沈黙。
「……それで、相談したいことってなんだ?」
切り出すも、日下部は俺に背を向け押し黙ったままだ。
友達の相談だし無碍にはできないと了承したはいいが、よくよく考えてもみるとこいつにはホモ疑惑があった。
まさか俺をこんな人気のないところに連れ込んだ理由がそれだとは思いたくはないが、しかし万が一ということもある。
ここは一つ鎌をかけてみるか。
「そういや日下部って、俺のことどう思ってるんだ?」
「……」
完全なる無視。反応すらしやしねえ。
「おい訊いてるのか?」
肩を掴んで強引に振り向かせる。
刹那、
「――っ!?」
俺の頬を何かがかすめた。
それは鈍い光を放つ銀色で切れ味のある何か。
思わずよろける。何が起こったのか思考が追い付かない。しかし悠長にしている暇はなかった。
「がはっ……!」
日下部の左手から黒い球体が放たれ、それが俺の腹部に命中した。
球体が腹部にめり込み、否応なく後方まで吹っ飛ばされる。
「ゲホッゲホッ」
ギリギリのところで踏ん張り、どうにか倒れるまでには至らない。
「な、何なんだよ一体……!?」
切られたと思しき箇所に触れる。当たり前だが血が出ていた。傷が浅いのかそこまで痛みはない。むしろ腹の具合の方が最悪だ。
俺は焦りの色を浮かべ、日下部を見た。
日下部は笑っていた。右の手に手のひらほどしかない短剣を握りながら、卑しく口角を上げて。
「おい日下部。これはどういう冗談だ? まさか俺を殺そうとしてるんじゃないよな?」
日下部は答えない。
それよりか俺にじりじりとにじり寄っている。
「くそ、まただんまりかよ!」
日下部から過不及ない位置にまで距離を取ろうと走り出した瞬間、日下部がとても人間とは思えない動きで跳躍。その跳躍力も相当人間離れしたもので、俺の行く手を遮るように眼前に降り立つ。
「鬼ごっこはアマリ好きじゃネエんだ。大人シクここで死んでくれねエカ?」
口調こそ日下部そのものだが、部分的にノイズが走ったように聞こえる。
それに……日下部の後ろに見える黒いオーラのようなもの、これが朝霧が予見していた影なんだろうか。
けどこの世のものとは思えないほどではない気もするし、そもそも日下部じゃなくて俺の背後と朝霧は言っていた。
頭を使うことで冷静さに磨きが掛かったが逆にそれがいけなかった。
ノーモーションからの突進。いきなりのことに反応が遅れ、日下部が手にしていた短剣が俺の胸を――貫かなかった。
ガキィンと鉄を打ったような音が生じ、心臓へのダメージはない。
主人公補正なんて大層なもん持ち合わせちゃいないが、まだ生きてる。胸ポケットに何か入っていてそれが守ってくれたらしい。
驚いた様子の日下部から数歩距離を取った俺は、胸ポケットに入っていた物を取り出した。
正方形の黒い箱だ。大きさは胸ポケットに入るだけあってジュース缶よりも小さい。黒光りしている。頑丈なのか傷一つ付いていない。
ところで……これは何だ?
「悪運の強い野郎ダ。次は確実に仕留メル」
俺が箱相手に腐心していると、またしても手から黒い球体を作り出し放とうとする。
「くそっ、どうすりゃ助かるんだよこの状況!」
この状況を打開できないか手に持つ箱をルービックキューブのように回すも、切れ目の一つすら見当たらない。箱の形状してるのに開けられないとはこれいかに。
「ええい、天使でも悪魔でもこの際なんでもいい! 誰でもいいから俺に助かる方法を教えろー!」
「ようやく呼んでくださいましたね、オーサー」
素早いレスポンス。左肩のところには先ほど見た天使がいた。
「ケッ、呼ぶのが遅いからこちとら身が縮んだぜ」
悪魔……てことはやっぱり、さっきのは俺の夢でも妄想でもなかったってことか。
天使と悪魔が俺の前に出る。相変わらず小さいがその背中はとても大きく見えた。
「聞けオーサー! その手に持ってる箱を真上にぶん投げろ!」
「さぁその手にしている箱を天高く放り投げるのです!」
同時に二つのことを言われるが同じ意味にしか聞こえない。選択肢の意味、あってないようなもんじゃねえか。
だが……いいぜ、やってやる。ええいままよのノリじゃないが、それこそ今は藁にもすがりたいからな。後は野となれ山となれだ!
「いっけええええええええぇぇぇぇ――――!!」
天使と悪魔の言葉を鵜呑みに、俺は手に持つ箱を力の限り上空に向かって投擲した。肩はいいからかなり真上に飛ぶ。
それに合わせて俺目掛けて球体が飛んでくる。さっきより一回りも二回りも大きい。
「くっ……!」
言う通り投げたというのに何も起こらない。今度こそ万策尽きたかーー
「パンドラ!」
どこからか声が聞こえ、いきなり前方に何か降ってくる。砂埃が舞い、とっさに腕で顔を覆う。
眼前にはあの転校生の少女。
「茅ヶ崎……?」
俺が呆気にとられるのも無視して、茅ヶ崎が飛んでくる球体を片手だけで無力化した。黒球はスポイトで水を吸い上げるように茅ヶ崎の手のひらに吸い込まれていく。
「……パンドラ。眠りへと誘う籠」
茅ヶ崎が発声するのと同時に、日下部の足元が円状に強い輝きを放ち、瞬く間に漆黒の籠を作り上げた。
「そウカ。お前ガ、お前コソが、神話シリーズ保有者……!」
聞く耳持たずといった様子の茅ヶ崎は、籠を掴み恨みがましい目を向ける日下部に手のひらを向け、
「……眠れ」
その一言により籠は弾け、マリオネットの糸が切れるように日下部が膝をつき地面に倒れ込んだ。
「お、おい。殺したりしてないよな?」
心配になり日下部のもとへ駆け寄る。いくらなんでもせっかくできた友達にたった一日で死なれたくはない。たとえそれが偽りの友達だったとしてもだ。
「……大丈夫」そう言える根拠でもあるのか茅ヶ崎が俺の目を見て言う。「眠ってるだけだから」
「そうか。それならよかった。とりあえず安心したよ」
そう言ってうつ伏せの日下部を仰向けにすると、ちょっ。額から血出てんですけど!?
「……大丈夫」俺が明らかに動揺しているのに気付いたのか茅ヶ崎が言った。「ただのトマトケチャップ」
「なんだトマトケチャップかよ。驚かせやがって。って、んなわけあるか!」
我ながら程度の低いノリツッコミだ。まさかとは思うけど、眠ってるというのは永眠ってオチだったりしないよな? ブラックジョークにもほどがあるぞ。
「……血が出てるのは倒れた際に石で額を切ったから。眠らせたというのは本当。これで」
茅ヶ崎が左手に持っていた黒い箱を見せる。先ほどまで俺が所持していたものだ。
「……眠らせた。あの場では、こうする他なかった」
表情は相変わらず無表情のままだが、声のトーンが幾ばくか下がっていた。
どうやら反省しているみたいだ。別に茅ヶ崎を責めてるわけじゃないんだけどな。
「分かった。お前の言うことを信じる。それで、その箱は何なんだ?」
「……この箱は、」
「廻。この場から早急に立ち去った方がいい。少々厄介なことに巻き込まれるぞ」
「……え?」
この「え?」は茅ヶ崎ではなく俺が口にしたものだ。
箱が喋っていた。それに目と口まで付いていた。
さっき見た時は何もなかったのにどうやってやがる。箱が喋るなんていくらなんでもファンシー――もとい、ファンタジーだ。どう考えても普通じゃない。いや、天使と悪魔が存在してる時点で相当アレな気もするが、そういえば天使と悪魔はどうした?
周囲を見回すも雲散霧消したあとのようにそこには何もなかった。
突然現れて突然消える。もしかしたら規則性か出現条件があるのかもしれないが今は考えるのも億劫だ。
パンドラと呼ばれる箱の言葉に頷き返すと、茅ヶ崎はやにわに俺の腕を掴んで、
「……逃げる」
「逃げるって、何から?」
俺がそう訊くと、茅ヶ崎が俺の入ってきた方向を指差した。
遠くの光が見える。どうやら警察が駆け付けたらしい。この騒音に近隣の住民が通報でもしたんだろうか。
「逃げるのはいいけど、どっから逃げようってんだよ」
茅ヶ崎に倣い、俺は周囲を見渡し別の入り口がないことを教えてやる。逃げ場がない。完全に袋の鼠だ。
しかし茅ヶ崎は事ここに至っても無表情を崩さす――その表情以外見たことないが――腕の次に今度は俺の手を握ってきた。少しドキッとする。
「……パンドラ。漆黒の翼、お願い」
「承知した」
ノコギリザメの吻のような口が開かれた瞬間、そこから黒い光が放たれた。
そして茅ヶ崎の背中からサナギが羽化するように生える黒い翼。
これが今言っていた漆黒の翼なんだろうか。
なんというか、すごく綺麗だ。
「……飛ぶから」
言うが早いか、茅ヶ崎は両翼をしきりにばたつかせると――飛んだ。文字通り上空に、天高く羽ばたいた。
「うおおおおおおおおおおっ!?」
何が起こっても驚かないつもりでいたが無理だった。
空を飛んでるんだから当たり前だが、思った以上に高い。それに早い。
言い忘れてたけど俺、高所恐怖症なんだ……!
「喚くな小僧。振り落とされたいか」
地獄の底から響くような重低音。箱の分際で無駄にイケボだ。
「……大丈夫だから。わたしの手、しっかりと握ってて」
茅ヶ崎にまで心配される始末。こうなったら何も言わないのが吉だ。おとなしくお口チャックに徹する。とにかく下さえ見なければ問題ない……やっぱりこえー!
闇夜に紛れながら飛ぶこと一分。下ろされたのは人目につかないような空き地だった。ここからなら家も近い。
「あー死ぬかと思った……」
間の抜けた声を上げその場にへたりこむ。するとパンドラと呼ばれる箱がふんと鼻を鳴らす(見た感じ鼻はないけども)。
「この程度で音を上げるなど高が知れる。廻よ、盗人であるこの男をなぜ助けた?」
「……この人が助けを求めていたから。それなのにみすみす見逃すなんて真似、わたしにはできないよ」
「ふむ、ならば致し方あるまい。おい小僧、貴様が生きながらえているのはこの娘のお陰だ。廻に感謝するんだな」
「そりゃ茅ヶ崎には感謝してるさ。むしろ感謝し尽くしても足りないくらいだ。本当にありがとう。それから……お前は、いや、お前らは一体何者なんだ?」
「……」
無言。
お互い俺の質問に答えようとしない。
俺は日下部を思い出す。さきほどのあいつは口を閉ざしてから別人のように豹変した。まさか茅ヶ崎も急に俺を襲ってきたりしないよな?
そんな俺の訝しげな眼差しに気付いたのか、茅ヶ崎がおずおずと口を開く。
「……今日はもう遅いから、このことについては明日話をする。それじゃ、駄目?」
表情にこそ出てないが、その身長差からか茅ヶ崎が上目遣い気味に言った。ほんの僅かだが目が潤んでるように見えなくもない。
「あーもう、分かったよ」
不承不承ながら俺は首を縦に振った。
こんなことが起こったあとだしそりゃあ物分りもよくなる。そこいらをゾンビよろしく警察が徘徊していそうだ。そうでなくとも蒲田区は犯罪の温床みたいな節があるからな。先週から続いてる通り魔事件とか未だに解決してないみたいだし。
俺の言葉に茅ヶ崎が微笑んだ。ような気がした。笑ったら可愛いと思うから口角だけでも上げてくれないかな。いやそれだと目が笑ってないから不気味極まりないか。言っといてなんだけどさ。
茅ヶ崎の言葉を信じて今日は解散する次第となった。
ここが男の見せ所だろうと家まで送っていこうか提案するも逆方向みたいだからとやんわり断られた。まぁ仮に茅ヶ崎に狼藉を働こうとする輩がいたとしてもこの箱が指一本触れさせやしないか。
やれ思い返してみても今日は目まぐるしい一日だった。まるで本物のラノベ主人公のようだ。それならやる気の満ち満ちていた去年に起こってくれよな。今の俺には主人公になりたい意欲などからきしなのだから。
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次回一週間以内に投稿予定。