2 巻き込まれるのは主人公の証。①
何なんだ一体。
自宅に戻りラノベを耽読し、飯を食い、風呂に入ってからもずっと俺の腹の虫は治まらないままだった。
あいつら、死ぬだのひとつきにされるだの好き勝手いいやがって。冗談にしたってたちが悪い。登校初日から幸先が悪いってレベルじゃない。
晴れて目標である男友達を作ることには成功したが、相変わらず女子とはお近付きになれないし、男女で相殺。結果とんとん……なわけないよな。
しかも初対面なのに高確率で嫌われるってどういうことだ。あの態度……嫌われてるってことでいいよな。じゃなかったら面と向かってあんなどぎついこと言わないだろうし。仮に言わざるを得ない状況だったとしてもオブラートに包むのが世の常だ。死ぬとか直接的に言うんじゃなくて、あなたは生きてる価値がないとかな。それはそれで手痛いが。
それに朝霧が口にした未来予知というのも気になる。
本人は大真面目に言ったつもりのようだが元が中二病だしな。信じろと言う方が無理な相談だ。俺は好い鴨じゃない。ただまぁ、一方的に違うと決め付けるのも何だか後味が悪い。だから一度本当のことだと仮定して物事を考えてみようと思う。
心臓をひとつきにされると朝霧は言っていたが、俺が思うに、何らかの比喩的な表現じゃないだろうか。ほら、女子の何気ない一言で心臓にグサっとくるとかさ。ひとつきにされるよりそっちのがよっぽど有り得そうだ。
血だまりに沈む先輩は深い水の底に沈むイメージを漠然と口にしたもので、この世のものとは思えない影というのは俺の影を大袈裟に言っただけだろう。
QED、証明終わり。
きっと茅ヶ崎の穏やかならぬ発言も相俟って、俺の不安感をより一層煽っていたに違いない。
ベッドに横になる。
そしてベッドに備え付けられた本棚に手を伸ばし、ラノベを一冊抜き取る。
まだ時間もあることだし眠くなるまで読書に励もう。短い春休みも過ぎ去ったことだし、それこそ読む時間は限られているからな。
本当はオサケン(幼馴染みが中二病で痛すぎる件について。の略称)の最新刊を読みたくて堪らないが、まだ発売していな、ん? 最新刊?
「……あ」
思い出した。
そういや今日がオサケン最新刊の発売日だった。
朝霧の言葉を反芻しながら帰路に就いていたせいですっかり記憶から抜け落ちてがやった。うっかり八兵衛に引けを取らない間抜けっぷりだ。要反省。
時計を見るとまだ九時を回ったばかりだった。
九時をまだと言っていいかはともかく、俺のよく利用する書店の閉店時間は十時。自転車を走らせれば十分も掛からない。
だが飯も食って風呂にも入った。時間的には間に合うが悩みどころだ。むしろ間に合うってのが悩みの種だ。営業時間を過ぎていたらきっぱりと割り切れるのに。
「さて、どうしたもんかな」
主人公を目指していた時の癖か、つい声に出してしまう。
「間に合うのであれば買いに行くべきか。いややっぱり行かないべきか。うーんどうしよう?」
首を捻る。
と、同時に俺の目の前を浮遊するナニか。
「悩んでいるのであれば買いに行って然るべきです。でなければあとあと後悔の念に駆られますよ。今こそ踏ん切りをつける時です」
「……」
唖然とする。天使がいた。
白い羽根が何重にも折り重なる翼。頭上には光のわっか。その身に纏っているのは純白のワンピース。
この風貌こそ紛うこと無き天使のそれだろう。
しかし……思った以上に小さかった。
俺の顔よりも小さく、手のひらほどの大きさしかない。まるで小人のようだ。
「あのう、さしもの私も無反応だと少し傷付くのですが」
「わっ!?」
いきなり眼前に迫られ、驚きのあまり部屋の隅まで跳び退いた。一瞬本気で心臓が止まるかと思った。
胸を押さえながら部屋の一隅にへたりこんでいると、
「正直言って、買いに行かず家でおとなしくしてる方が何倍も利口だと思うぜ、おれは」
「どわぁ!?」
今度は耳元で囁かれ、カーペットの上をゴロゴロと転がり机の角に頭をぶつけた。色々な意味で痛い。
痛みを忍びながら上体を起こすと、うーんなんてことだろう。今度は悪魔みたいなものがいた。例によって宙に浮いている。
大きさは先ほどの天使と変わらず、頭には矢印のような黒いツノ。それにぶらんと垂れ下がる尻尾。俺口調だが女だった。胸がある。そしてこちらもワンピースを着衣し天使とは真逆の黒一色。
……訂正しよう。
悪魔みたいなじゃない。
本物の悪魔だ。
「こら悪魔。オーサーが怯えているではありませんか」
バサバサ、いや、パタパタと羽根を動かし、天使が悪魔に近付いた。
「バーカ。それはこっちの台詞だ。お前の方こそオーサーを驚かせてんじゃねーよ」
「あまつさえ己が非を認めず他人に罪をなすりつけようとは。落ちるとこまで落ちましたね。オーサーも悲しんでいますよ、あなたの行いを」
「いつまでもカマトトぶってんじゃねえよ。猫被るのも大概にしろ」
目の前で散る火花。
いつまで続くのだろう。この睨み合いは。って俺も悠長に傍観してるんじゃないよ。
「お前らは、一体何者なんだ?」
「天使です」「悪魔だ」
若干食い気味に即答された。
俺はあーうん、そうだよなと適当に相槌を打ってから、
「天使と悪魔がどうしてこんなところにいるんだ?」
「ふつーの質問だな」と悪魔。
普通で悪かったな。
「私達はオーサーの心のうちに潜む天使と悪魔です。オーサーの分身と置き換えてもらっても構いません。基本的にオーサーが困っている時に良い方向へ導くのが役目ですね」
「なるほどな」
言ってる意味がいまいちよく分からないが、オーサーというのはひょっとして俺のことを指して言ってるのか?
「うーむ……」
腕を組み考える。
突如俺の前に現れた自称天使と悪魔。
そいつらは俺の心に住み着き良い方向へ導くと表明してきた。
まるで俺、ラノベの主人公みたいじゃん!
「……って、んなわけあるかーーーーっ!」
そうだ。これは夢だ。こんなことが現実で起きるはずがない。
無論そう言える根拠はある。なぜならこの一年間、俺が祈りに祈っても不思議なことは一切起こらなかったんだからな。むしろ起きてもらったら困る。だから夢。妄想と置換してもいい。
「なんだよ天使と悪魔って! そんなベッタベタなテンプレでこの俺が騙せると思ったら、」
「うっっっっさいわボケーーーーっ!」
例によって怒りを露にしながら彩葉が飛び込んできた。
「兄貴さぁ、今何時だと思ってるわけ?」
明らかに怒気を孕んだ声。時計を見ると、あれからまだ十分しか経っていなかった。時間の経過が遅いことに驚きだ。
っと、今はそんなこと思ってる場合じゃない!
「天使! 天使と悪魔が現れたんだ! ほらそこに――」
俺が指差した先には何もおらず、天使と悪魔は跡形もなく消え去っていた。
「あ、あれ? おかしいな」
「おかしいのは兄貴の頭の方でしょ。小説の読みすぎで現実と小説の区別がつかなくなったんじゃないの? お願いだから世間を騒がせるような事件だけは起こさないでよね」
いつも以上に酷いことを言う。今のは心臓にグサッときた。まさかとは思うけど、彩葉のこの台詞を朝霧達は示唆していたんじゃないだろうな。
つうかさっきのは本当に俺の妄想だったのか? だとしたら本格的にヤバそうだ。一度精神科で話を聞いてもらった方がいいかもしれない。
「大体兄貴は……あー、まぁいいや。説教はここまで。次うるさくしたら思いっきり叩くからそのつもりで」
目が本気だった。
今度から、いや、今から全力で静かになろう!
俺が口を真一文字に結んだのを見取ってか、彩葉が身を翻した。頭頂に近い位置に左右に束ねられた髪が交互に揺れる。
「あ」
ドアノブを掴んでいた彩葉が振り返る。
「そういえば兄貴、最近露乃ちゃんと喋った?」
「いや、まともな会話の一つもしてないな」
会話以前に目しか合わせてもらえてない気がする。
「ふーん」
興味無さげに俺から目を逸らす彩葉。
「たまには自分から話し掛けたら?」
これまた謎めく言葉を残し、今度こそ彩葉は部屋から出ていった。
「ふむ」
文字通り意味もなく呟き落とす。
今の言葉にどういう意味が含まれているのか、それこそ考えるだけ無駄だろう。彩葉とは十四年近い時間人生を共にしているけど、あいつの考えてることを理解したのは極稀にしかない。あいつはあいつ独自の行動理念に基づき行動しているからな。なんというか、未来を見据えて動いてる感じ。とにかく不出来な俺とはえらい違いだ。成績は俺の方がいいけどね。
けどまぁ、たまには彩葉の言葉を吟味するのも悪くないか。そういえば今日久しぶりに露乃に話し掛けた気もするけど、あれはノーカンにしておこう。
俺は再度時計に目を遣る。
まだ時間は十分にある。それに少し動いて汗もかいた。今更外出したところで気にもならない。帰ったらシャワーでも浴びりゃいいさ。
思い立ったが吉日。俺は出掛ける準備を済ませると、肌寒い闇夜へと繰り出した。
誤字脱字、感想等あればお気軽にどうぞ!
次回一週間以内に投稿予定。