とある蛇の話
私はこの物語を知っているーーー。
剣や魔法やあらゆる人種の混ざる世界。200年前から混沌に堕ちた愛しく狂おしい程に歪なこの世を。私は生まれ落ちる以前からよく知っていた。
そうーーー、此処は『ある物語』の世界なのだ。
私はこの世界で目覚める前は、こことは別のとても平和な世界に生きていた。
地球と呼ばれる星の日本という国。その世界にも争いや謀は当然存在していたがしかしそれでもその時に生きていた『私』はそういった命の危険には無縁の生を生きていたので、正直な話そこまでの危機感もなく。時には問題もあれども改めてふりかえれば大きな何事も起きることなく日々真面目に穏やかに生を全うしたような気がする。飢えも知らずいつ死ぬかと怯えるでもなく、あくまで己の人間らしさを欠くことなく、人並みに生きそして死んだのだ。そのこと自体に不満などは一切ない。それなりにいい人生だったと思う。
しかしその人生の中にどうしても見過ごせないものが1つだけあった。
いや、こうして新たに生を受けたからこそその重要さと異常さに気づいたという方が正しいのかもしれない。
それは私が私で在る前の『私』が好んでいた、とある物語。
その物語は、丁度その頃の『私』と同じくらいの年齢の少年少女に人気を博していたファンタジー世界での冒険物語だった。
その世界での『私』達からすれば、剣も魔法も天使も魔物もなにもかもが絵空事であり現実とは異なる夢物語でありそれと同時に決して自分達には無いその特別さや驚きに満ちた世界観に憧れと情熱を感じても仕方のないことだろう。
実際『私』もその物語にかなり心酔しており書籍を常に持ち歩いては読み返しまるで自分がその世界の一員になったかのように一喜一憂していたのは、懐かしくも少しだけ恥ずかしい思い出だ。
おっと、少々話が脱線してしまった。
重要なのは『私』の過去ではなく、物語の中身。
物語は、1人の少年を主人公に始まる。
その少年はデューク。紅い瞳と黒い瞳を持ち、髪は黒に部分的にシルバーが交じるその世界でもかなり特殊な容姿をしており、その背中には少年の身の丈程の大きな剣を背負いどこか影のある表情を浮かべながらもまだ幼さの残る美しい顔立ちをしていた。
彼は、自分がなぜ旅をしているかわからない。旅をする以前のことが全く思い出せないのだ。だがなぜか旅をしなければいけない気がして、ひたすらに旅を続けていた。
そんなある日、旅の途中で小さな村に立ち寄った時彼はある少女と出会う。
少女は村のはずれで老女と暮らしていたが森へ出掛けた際に魔獣に襲われそこを少年に助けられたのだ。
しかしホーリーのたった1人の家族だったおばあさんは魔獣に襲われ死んでしまう。
デュークがその仇を討ったが、ホーリーはもう行く宛もないと言って、デュークと共に旅立つ。
その後も絶えたと言われていた種族の鬼っ子を仲間に加えながら旅は続き、デュークは己の宿敵に出会うこととなる。
ルシフェルと呼ばれる銀色の長髪と怜悧な瞳を持つ男の絶対的な強さに太刀打ちできずやられるばかりのデュークだったが、彼はその戦いで能力を覚醒させることになる。
背中から生える対の翼。片翼が白く片翼が黒い。その翼の覚醒と同時にそれまで歯が立たなかったルシフェル相手に一歩も引かぬ戦いを魅せる。そうでなくてはと笑うルシフに、デュークは違和感を覚える。毎回自分を殺せるはずなのに去って行く姿。脅威のはずの力の覚醒も、むしろ待っていたかのような振る舞い。何より自分を知っているかのようなその言葉。お前は一体なんなんだ。デュークが食い下がろうとも、ルシフェルはまた会おうと囁き去っていく。
デュークは自分の過去を知るであろうルシフェルを追うこと、そしてこの世界を混沌へと堕とそうとする悪へ立ち向かうことを決意する。
あのルシフェルが服従せねばならぬ程の絶対悪。この世界を支配する悪の首領ザイクス。
ザイクスの手によって世界中にばらまかれた災厄の種は人々を恐怖と混沌に染めている。それを断たねばこの世界に平穏は訪れないのだと、デュークは悟る。敵はあの男だけではないのだ、と。
そして消える直前にルシフェルが言い残した『ゼインという男に気をつけろ』という言葉にあったゼインとは、ザイクスの手下の1人。道化師と呼ばれる男。その男もまた、これから自分達の進む未来に重要な意味を持つであろうことを思い、デュークは空を見上げた。
やらなければならないことが山のようにある。しかし自分には、大切な仲間がいる。
きっとこの旅を終わらせてみせる。そう誓いながら。
これが、私の知る物語の序章と呼ぶあたりのおおまかな流れなのだ。
ーーーそして、そのゼインと呼ばれる彼が、まさに今の『私』にとても深く関わっている。
物語の主役である少年少女達ではなく、悪の側である彼。
彼と私がどういった関係か気になっているだろう皆さん、大変申し訳ない。
私は『彼』ではない。
私は前世の生でも突出した部分の無い平凡であったから、この世界においても主役やその他の重要な登場人物になれる程の器も力も、どうやら持ち合わせていなかったらしい。
では一体『私』はこの世界で何になったのかと、気になる方も居るかもしれない。
私はーーーーー。
シャーッ
この鳴き声でお気づきの方も居るだろう。あの生物だ。
そう、ーーー蛇に生まれたのである。
ただの蛇である私が物語にどう絡んでくるのかと疑問の方も多いだろう。
だが、私は正確に言えば『ただの蛇』ではない。
真っ白な鱗に全身覆われた全長約1M程の滑らかかつ艶やかな肢体。蛇の中では中々の美形なのではないだろうか。瞳は宝石のアメジストを思わせる美しい紫。こんな風に説明するとまるでナルシストのように聞こえるかもしれないが、そうではないのでご安心頂きたい。
ようするに私が言いたいのは物語の中の主要な人物にはなれなかったが、人外の中には食い込めた、ということ。
この艶美な大蛇は私の知る物語にたしかに登場していた。しかも彼の最も近しい僕として。
だからこれは主人公側ではなく『彼』側から見た物語。
結局のところ、私は全ての結末を知りながらどうすることもできない脇役でしかないのだけれど、それについてはまた後程ーーー。