賞金稼ぎは子守唄を歌う act4
「うわぁ……」
ぽかんと口を開けたまま、わたしは目の前に広がった光景に驚きを隠せずにいられなかった。だって、今まで絵本や童話でしか見たことが無かったような大きな街が今ここにあるんだから。
レンガで舗装された道は街の中心まで伸びていて、その道の両端には所狭しと露店が並んでいるの。きれいな宝石やアクセサリーを売っていたり、とてもいい匂いのするパンをたっくさん並べたお店があったり、服やドレスを展示してあるお店―――何もかもが初めて見るものばかり。普段のわたしだったら、きっと子供みたいにはしゃいだんでしょうけど……
「どーしたんだショボくれて」
「…………」
ある一点をじっと見つめたまま動かないわたしをジンさんが不審がって声をかけてきた。わたしの視線の先には、「号外、号外!」と大声を出して紙切れを配り歩く人がいる。その紙切れを受け取った人々が、口々に「列車が」とか「爆発しただと!?」と驚きを隠せない顔をさせて歩いていたわ。
と、その時ネクロさんがスッとわたしの横を通り過ぎて道ばたにいくつも落ちているその紙切れを拾い上げた。
「オレたちが乗っていた列車の事件についての号外記事だな」
「なんて書いてあるんだよ」
「貨物列車が強盗の手によりジャックされ、その後制御を失い街に突っ込んで爆発した、とある。すでに犯人達らしき遺体……というか破片が見つかったらしいな」
よどみない口調で淡々と語るネクロさんに、わたしは心臓をぎゅっとわしづかみにされたような感覚に襲われたわ。あぁ、分かっているとはいえ現実を目の当たりにするとやっぱりへこむわ。だって、いくら巻き込まれたとはいえ、列車をそのまま残して逃げ出したんだもの。わたしが見殺しにしたようなものじゃない。きっとその爆発に巻き込まれてたくさんの人が犠牲になったに違いないわ。
思わずぎゅっとスカートの裾を引っ張ってしまうわたしに、ネクロさんは「あと、」と付け加える。
「スピードが出すぎて列車は途中で脱線したらしい。そのまま列車は街の外壁に突っ込み、爆発したとある。外壁は大破したらしいが死傷者およびケガ人は奇跡的にいないと書かれている」
「ほ、ホントに!?」
思わずネクロさんのズボンの裾を掴んで見上げるわたしに、彼は小さく頷いてわたしにも見えるように屈みこんで紙を見せてくれた。むずかしい文字は分からないから記事の内容は読めなかったけど、見出しにあった大きな写真には、大きく壊れた外壁とそれを見ている住人、あと脱線した時に外れた貨物室から羊が救出されている様子が写されていたわ。よ、良かった……あの羊さんも街の人も無事だったんだ。
脱力してしまって大きく肩を落としてため息をつくわたしに、ジンさんは「なんだこいつ」といわんばかりの視線を向けてきたけれど、気になんてならないわ。だってわたしのせいでたくさんの人が傷つくなんてやっぱり嫌だもの。
「良かったわ、本当に―――わたしてっきり」
ぐぎゅるるる。
なんというタイミングの良さか、わたしのお腹は盛大な音を立てて空腹を訴えてきた。ジンさんはわたしを指差して笑うし、ネクロさんは……いつもと変わりなくどこか宙を見ていた。いや、そこは何かリアクションをしてもらわないと逆に困るというか……でもジンさんみたいに笑われるのは恥ずかしいし……なんて微妙な乙女心を弄んでいると、ジンさんがわたしの手を引いて歩き出した。
「な、なに?」
「俺も腹減ったしな。何食いたい?」
「で、でもわたしお金なんて―――」
「なにガキンチョが遠慮してんだよ。オゴリだ、オゴリ。ほら、好きなもん選べ。俺のオススメは、あの肉をいっぱい挟んであるヤツだぜ」
そういってジンさんが指差した方向には、ジュウという肉の焼けるニオイがする露店。恰幅の良いおじさんが、鉄板の上でいっぱいお肉を焼いていて、付け合せの野菜と一緒に分厚いパンに挟んでお客さんにふるまっていた。その大きさといったら、わたしのアゴが外れちゃうんじゃないかしら! というほどだ。
「幾らお腹が空いてても、あんなには食べられないわ」
「残したら俺が食ってやるって」
「!? い、いいっ」
ケロッとした顔でとんでもないことをいうジンさんに、わたしは思わず顔が熱くなるのを感じてしまった。なんというか、その、食べかけを男の人が食べちゃうって特別な間柄じゃない限りしちゃいけないのよ! ってリサが言ってたし。
「えと、あ! あの小さい焼き菓子なんてどうかしら? あれならわたしも食べられそうだし……」
「あァ? ―――ふん、菓子なんざハラにたまらねぇだろ。もっとガッツリ食えるのを選べよ」
「ジンさんも好きなものを食べればいいじゃない」
「アホ、並ぶの誰だと思ってるんだ!」
「……じゃあ最初からジンさんが好きなものを選べばいい話じゃあ」
「俺はそんなに心が狭くねぇよ!」
フン! と鼻息を荒くしてふんぞり返るジンさん。あまりにも彼の声が大きいものだから周囲の人に聞こえちゃったらしく、道行くひとがわたしたちを見てクスクス笑っている。あれ、そういえばネクロさんの姿が見えないなと思って周囲を見回してみると、彼はわたし達から数メートル離れたところにいて、壁を背にして立っていた。面倒には巻き込まれたくない、という無言の声が聞こえたような気がしたわ。
わたしはふぅとため息をついて、できるだけ笑顔でジンさんに向き直った。
「―――えと、じゃあジンさんオススメのあれ食べてみたいな!」
「おっ、なんだ心変わりか。女ってのは気が変わるのが早ぇな。まぁいい、ここで待ってろ」
「あ、わたしも着いていく!」
とりあえず機嫌を取り戻したジンさんについて、わたしたちは露店の列に参加した。さすがジンさんのオススメというだけあって、列は大きな男の人ばかり。本当はあの焼き菓子を食べたかったんだけど、ご馳走になるんだものワガママを言っちゃあいけないわ。
鼻をくすぐるいいにおいに耐えていると、ようやくわたし達の番が来た。つるりと禿げ上がった頭のおじさんは、「らっしゃい」と威勢のよい声でわたしたちを出迎えてくれたあと、ジンさんの顔を見て「おぉ!」と嬉しそうな声を上げる。
「ジンじゃねーか! ここんとこ姿見せねーと思ったらひょっこり顔出しやがって!」
「へへっ、まー色々仕事がらみでな。オヤジ、いつものやつ4つな」
「4つ? わたしとネクロさんとジンさんとで3つで十分なんじゃ……」
「俺が2つ食うんだよ」
さも当然、といわんばかりの態度でそう語るジンさん。これ2つって、相当の量じゃないの? とも思ったけれど、この露店で買っていった男の人は皆2つ以上購入していることに気づいた。なるほど、だから大きな人ばかりなのね。でも、ジンさんってよく食べるわりに身長がネクロさんより―――いえ、それは言わないでおきましょ。言ったら最後、銃を乱射しまくるジンさんの姿が容易に想像できるもの。
そんなやりとりをジンさんとしていたら、ようやくわたしの存在に気づいたらしい店主のおじさんが、わたしのことを品定めするかのように見下ろしてきた。う、なんだか嫌な予感。おもわずたじろいでしまう私に、店主のおじさんはジンさんに小声で語りだした。
「ジン、マズイって」
「何がだよ」
「その子、攫ってきたんだろ? 今は自警団の連中がハバをきかせてるからあんまり出歩かせないほうがいいって。人買いのクチなら裏通りのバロウが詳しいぜ」
「なっ―――!?」
悪気はないんだろうけど、おじさんが話した内容はとんでもないものだった。
「わたしは誘拐されたんじゃない!」と今すぐにでも反論したかったけれど、踏みとどまる。なぜなら、わたしが今着ている服がボロボロだったからよ。あの銀行強盗事件といい列車事件といい、色々あったせいか、裾は破れ放題の血がかすかにこびりついている始末。うっ、命が助かったという安心感のせいで身なりのことなんかすっかり忘れていたわ。
しょぼくれるわたしに、ジンさんはガッハッハと大きな声で笑い飛ばして店主のおじさんからほかほか湯気を立てる包みを受け取った。
「こいつぁ俺の妹だよ、妹」
「い、妹!?」
「こいつすげぇおっちょこちょいでよ、すぐ転んだり壁にぶち当たったりするもんだからこのザマってワケよ」
「……」
流石にそれは無理があるんじゃないかしら! とか、わたしはそんなにマヌケじゃないわ! とか突っ込みたかったけれど、お店のおじさんはそれをすっかり信じてしまったらしく「そーか、そーか」と頷いた。そ、そりゃあわたしとジンさんの髪の色とか似てるけど……でも、ここで否定なんてしたら疑われてしまうに違いないわ。わたしは自分でもわかるくらいに引きつっている笑顔をおじさんに向けて「仲がいいでしょ」と答えてみせた。……棒読みになっても、この際無視して頂戴。
「そういうこった。んじゃなオヤジ。行くぞアンジェリカ」
「ジンさ―――、ジンお兄ちゃんわたしはエスカリーテよ、間違えないで!」
「おぉ、そうだったな。いくぞ、エスカ」
言うや否や、ジンさんはさっそく一つ目の肉野菜サンドを口の中に放り込んでその場から立ち去った。慌てて追いかけるけど、何だか周囲の目が嫌に刺さることに気づいた。そうか、ジンさんが大声出したときに聞こえたクスクス笑う声って、もしかしてわたしの恰好が無様だったからってコトかしら。ジンさんもネクロさんも、あれだけ乱闘があったのにわたしみたいに服がボロボロ、というワケではないし。そう改めて考えると、何だか恥ずかしくなってしまってわたしはジンさんの背後にぴったりとくっつき、なるべく周囲の視線を集めないように努力した。
「んぁ? ネクロのやふどこひっあ?」
「ちゃ、ちゃんと食べてから喋りましょうよ……えと、ネクロさんはあそこにいるわよ」
口の端から野菜切れを零しながら問うジンさんに、わたしは噴水広場のほうを指差した。ネクロさん、きれいな金髪だし背も高いからこれだけ人が多くてもすんなり見つけることができる。人ごみを縫うように彼に近づけば―――彼は街の人と思しき女の人に多数囲まれていた。彼女たちはキャーキャーと騒ぎながらネクロさんに熱心に話しかけているけど、彼は無言のまま鬱陶しそうに周りを睨みつけるばかり。
そんなネクロさんの様子を見て、ジンさんはパンの最後の一切れを飲み込んだあと、ケッと毒づき舌打ちをしてみせた。
「相変わらずよーモテることで。ま、本人は死体しか興味ねーからな。どんだけ色仕掛けしようとムダだが」
「……なんだか負け犬の遠吠えみたいに聞こえるけど」
「おまっ、にーちゃんに対してクチ悪くねぇか!? だいたい、俺だって結構……」
「あ、ネクロさんこっちに気がついたみたい」
なにか言いかけていたジンさんを無視してネクロさんを見ていると、ようやくわたしたちに気がついたらしく彼は女性達の間を優雅にすり抜けてこちらにやってきた。「あぁん、わたしに構ってぇ」なんて甘ったるい声がいくつかついてきたけれど、彼が何か一言二言呟くと、彼女たちは全員その場で縫いとどまってしまう。ナニを言ったのかは分からないけれど、ネクロさんはジンさんから肉野菜サンドの包みを受け取り、そのままかぶりついた。う~ん。同じ食べ物なのに、ネクロさんが食べると上品に見えるから凄いわ。
「お前も食うだろ?」
「え、立ち食い……? お行儀悪くないかしら」
「だったら俺がここで食っちまうぞ」
「い、いただきます!」
わたしの分の包みを開けながらそんなことを言うもんだから、わたしはジンさんから急いでそれを受け取って一口食べた。わぁ……男の人が好んで食べてるからどれだけ濃い味なのかしら、と思ったけれど、そんなことない。むしろスパイスの絶妙さといい挟んであるハーブの清清しさといい、最高の味だわ! 夢中になって頬張っていくと、意外とまるまる1個ペロリと平らげてしまった。お腹が空きすぎていた、ってのもあるけれど、大きな街は食べ物も美味しいのね。
「さぁ~て、ハラも膨れたしいつもンとこで酒でも飲むか。お前オゴれよな」
「なぜオレが」
「お前のせいで色々大変な目に遭ったんだから慰謝料代わりだよ!」
びしっと音がしそうなくらいの勢いで人差し指をネクロさんに突きつけるジンさん。そして、彼はズボンのポケットから幾枚かの硬貨を取り出し、わたしに投げてよこした。
「おい、嬢ちゃん。この通りをずっと真っ直ぐ行った先に赤い屋根のバカでかい屋敷があるんだ。そこを右に曲がって道沿いに進むとこぎたねぇ宿屋があるのよ。そこの受付に俺たちの名前で予約してあると言え。そうすりゃ泊まれるはずだ」
「え、えと……二人は?」
「ここからはオトナの時間ってワケよ。へへっ、朝には迎えに行ってやっからそれまで大人しくしときな。あ、ソレの釣りは駄賃だから好きなの買っていいからな」
「あ、ちょっ……」
イキナリ置き去りにされるとは思わなくて、慌てて二人を追おうとするんだけど……彼らはあっと今に人ごみの中に消えていってしまったわ。もう! そりゃあ酒場に子供を連れて行くなんてことは出来ないんでしょうけど、ほっぽっておくことないじゃない。二人が消えてしまったあたりを睨みつけたあと、わたしは足音を荒くして踵を返す。
「まったく! ……えと、この大通りを真っ直ぐ行ってお屋敷が見えたら右、よね」
きょろきょろと周囲を見回しながら、とりあえずわたしはジンさんに言われたとおりに進むことにしたわ。文句言ったってそこしか行くアテなかったし。日もだいぶ傾いてきて、そろそろ夜がやってくるはずだし暗くなる前にその宿屋についておきたいもの。わたしは、特に汚れているスカートの裾を隠すようにたくしあげ、走り出した。
「(それにしても、なんて大きな街なのかしら! 気をつけて進まないと迷ってしまいそう)」
建物の大きさにも当然驚いたけれど、大きな街は人通りも多い。大きな馬車が我が物顔で道の真ん中を走り、大きなカゴを背負った商人っぽいひとが行きかいしている。そろそろ閉店の時間なのかしら、屋台の片づけをはじめている人も見えるわ。時間があったらぜひ色々見て回りたいけど……剣やら銃やらを持った人もウロウロしているから危ないわよね。ちょっとぶつかっただけで殺されそうなくらいにコワイ人相の人だっていっぱいいるし。
「えと、ここが赤い屋根のお屋敷ね。ホントすごく大きいわ」
ジンさん達から分かれたところから進むこと十数分。立派な赤い屋根を持つ大きなお屋敷がわたしの目の前に現れたわ。ごつごつした鉄の門のまわりに大きなカベがお屋敷を囲むようにそびえ立ち、オバケみたいな顔をしたレリーフが掘り込まれている。お屋敷の庭はとてもキレイだけど、きっとここの家の人、いい趣味してないわ。だってお屋敷の使用人っぽい人が皆赤や青、黄色といったハデな色合いの服を着ているんだもの。
「あ、見惚れてる場合じゃなかったわ。さっさと行かないと―――うん?」
お屋敷の前の道を右に曲がろうとしたとき―――お屋敷から誰かが出て行くのが見えたわ。なぜだか気になってカベの隙間から覗き込むと、なんとあの列車で出会った女の人がいたわ! さすがにあの恥ずかしい恰好じゃなくてきれいなドレス姿に結い上げた髪型だったけど、あの濃い化粧の顔は一度見たらなかなか忘れられないわ。なんでこんなところに彼女がいるのかしら。貴族、ってふうには見えなかったけど。
「……頼むぞ。成功の暁には、貴女の提示した金額をお支払いすると約束しよう」
「ウフフ、気前の良い殿方で嬉しいですわミスター。では、私は野暮用があるのでこれで失礼いたします」
「野暮用?」
「えぇ。ずっと捜していた人が見つりましたの。まずはその方に『ご挨拶』しないと」
何だか怪しい笑みを浮かべてそう語る彼女。ずっと捜していた、と言う割には口調が何だかコワイわ。まるでカタキにでも会ったような感じ。そんな彼女の様子には気づいていないっぽい様子の隣にいた貴族のおじさんは、薄い白髪頭をガシガシ掻いてはぁと間の抜けた声を上げた。
「まぁ、頼みますぞ。あまり時間もないので手短にその用とやらを済ませるように」
「心得ていますわ。それでは御機嫌よう」
真っ赤な唇をぺろりと舌で舐めた彼女は、おじさんが用意したらしい馬車へと優雅に乗り込み、そのままどこかへ行ってしまった。あぁ、一応お礼を言っておきたかったんだけどタイミングが悪かったみたい。
「ちょいとアンタ! 何してんだい、そんなトコで!」
「きゃっ!?」
急に横から声をかけられてしまったので、わたしは驚いて思いっきり足を踏み外してその場に転んでしまったわ。いたた……何なのよ、もう! イライラしながら声のしたほうへ視線を向けると、そこにはわたしと同じくらいの年頃の女の子が立っていた。浅黒い肌に、気が強そうな黒い目。短く切りそろえられた髪はバサバサで艶がなく、おまけに着ている服も少年のようなものだわ。すらりと伸びた手足なんかはとてもしなやかだったけど、どうしてバケツなんて抱えているのかしら。
「そこはこの街を牛耳ってる貴族のジジイが住むお屋敷だよ。妙なマネしてたら即刻牢屋にブチ込まれるから気をつけな」
「そうだったの……」
わたしは服についたホコリを払い落としながら立ち上がって、一応その子にお礼を言っておいた。
「ありがとう。わたしこの街に着いたばかりで分からなかったから」
「だろうね。ってか、アンタも大方どっかの『飼い主』から逃げてきたクチだろう? その手の輩は多いからね、この辺」
「…………」
わたしの服を見て、そんなことを漏らす女の子。いや、当然の反応だとは思うんだけどショックは隠せないわ。弁解しようにも起きた出来事があまりにも多いから、わたしは深いため息だけつくことにした。
「まぁ、突っ込んだことは聞かないから安心してよ。ところで、行くアテなんかあるのかい? もうすぐ夜になるから危ないよ」
「えと、この道を曲がった先に宿屋があって、そこで予約を取っているらしいんだけど……」
「あぁ、なんだいアンタうちのお客さんだったのかい! そういうことは先に言ってくれよ!」
一気に顔を明るくさせた女の子は、手に持ったバケツを担ぎなおしてわたしにニッコリ笑いかけてきたわ。ウチのお客さん……ってことは、この子その宿屋で働いているのかしら?
「アタイはミューラって言うんだ。アンタは?」
「わたしはエスカリーテよ」
「そっか。でもおかしいな。あんたみたいな子供が予約取ってるなんて聞いてなかったんだけど」
「わたしが予約取ったんじゃないの。多分ジンって名前で取ってあると思うんだけど……」
「ジン? へぇ~。珍しいな、ジンが大人の女以外連れてくるなんて」
わたしを興味深くじろじろと見つめるミューラ。う、何だろう視線が物凄く痛いんだけど。わたしがたじろぐと、ミューラは一瞬で表情を切り替えてわたしの前を歩き出した。
「さ、こっちだよ。着いたらあったかいお茶でも出してやるから」
「本当? 嬉しいわ!」
わたしは思わず大きな声で喜んでしまった。だって散々歩き回ったんですもの、足が悲鳴を上げているんだもの。早くあたたかいところで休みたいって思ったんだ。
ミューラについていき、数分ほど坂道を登ると壁にひびの入った古くさい建物が見えてきた。看板は風化してボロボロだし、窓もひび割れている。けど、中に入ると暖炉のあたたかい火が燃えていて、色とりどりのお花がカウンターに飾られていた。床も机もピカピカに磨き上げられていて、よく手入れをされているんだなぁとわたしは感心しちゃったわ。
「エスカリーテ、ここは前払いだけど金持ってるかい?」
「あ、うん」
ジンさんから預かった数枚の硬貨を取り出してそれをミューラに手渡す。残念ながら一部屋しか空いてなかったみたいだけど、ジンさんもネクロさんも朝まで戻らないって言ってたから問題ないわよね。お金を渡すと、ミューラはにび色に光る鍵をわたしにくれた。
「あそこの階段を登って、一番奥の部屋があんたの部屋だ。あそこは夜になると星が良く見えるんだよ」
「本当に? ありがとう、ミューラ」
「礼には及ばないさ。ところで、さ」
「うん?」
「あんたが好き好んで着ているなら文句はないけど、そのボロっちい服取り替えないとトラブルに巻き込まれるよ?」
う、ごもっともな意見だわ。
でも、もう夜になってしまうしさっき見かけた市は店を畳んでしまっていたし―――明日の朝になるまでこのままかな、と落胆しかけたときミューラがアハハと笑いながら、わたしの手をギュっと握ってきた。
「アタイに任せな。接客のモットーは、いかにお客の要求に応えるか、だからね」