あわぶくたった
子どもの遊び歌がございます。
なんの疑いもなく、無邪気に口ずさむ遊ぶ歌。
駆け回る姿を見てますと、他意もなく故意でもなくただただ無垢に遊戯に興じる子供等。
微笑ましくも好ましく思われるかもしれませんが、
それは光明の下だからではないでしょうか?
月光の下、薄暗い中で戯れる子供等の唱和した歌や光景を
あなたはどうご覧になられるのでしょう。
日本の国にもありますでしょうか?
水穂の国にもございます。ほら耳をすませば聞こえませんか?
***
「どこ?どこにいったの??綾」
暗がりの母屋を、手探りで探す幼い人影一つ。
長い黒髪をひとつに束ね、薄手の牡丹色をした寝着姿。
光明の明るさをとって、「明」。
それは流れの法師が授けてくれた少女の名前でありました。
黒い眼は不安気に、小さないつも一緒にいた弟を探しております。
いつも傍にいる子が、朝からどこにもいなかったのです。
***
綾と書いて、リョウと読む名前は産着の布に書いてありました。
親を探せど、そこは死肉で腐乱する戦場でのこと。
生きる者はおらず、いるとすれば落ち武者を狩る者たちだけであります。
両親が疫病で死に、姉は人買いに攫われ、兄は戦にとられてた明。
天涯孤独になった小さな明が生きてこれたのは、あの幼い弟がいたからです。
血に濡れた赤子を、明は戦場での武器や鎧を死体から追剥ぐ際に拾ったのです。
川面で洗い、綺麗と思われる布で包んではお人形のように慈しみました。
まだ、そこまで喋ることもできず、泣くことでしか伝えられぬ幼子。
抱きかかえていますと、次第に明の心に芽生えたものがあります。
「ずっとひとりで…大変だったね」
頬をなでると赤子は、小さな黒眼でこちらを見つめます。
その愛らしいことこの上ないこと、更には赤子の顔に笑顔が咲きました。
経緯はそれだけでした。
けれども明にはそれだけでも、十分でありました。
***
明が、流れに流れ十になる頃に戦火の火が遠い山間の里にはいりました。
物乞いをして、なんとか食いつなごうと考えた明は戸を叩きます。
戸から現れた家主は初老の老婆でありました。
並んで立っていたのは細い娘であります。
二人は驚いた顔で明を見つめました。
「すみません。ご飯のあまりか、端切れはありませんか……お腹がすいて
お腹がすいて…もうだめなのです」
娘はそっと屈んで明の視線と同じくします。
その視線にはいつものような嘲りも侮蔑もありませんでした。
ただ、慈しみ深く見つめる視線があるだけでした。
しかし、明にとって久しぶりのその眼差しに動揺を思いました。
優しい人は易しくない。
明の胸にこの教訓は生きておりました。
けれども。抱き寄せられたあたたかさ、耳元で囁かれたのはぬくもりの言葉です。
「………すきなだけここにいなさい」
***
通されたのは母屋。
角部屋のこじまりとした小さな部屋に、机と箪笥が並ぶだけの殺風景な
部屋でありました。
「さぁこれに袖を通しなさい」
渡されたのは薄紅色の柔らかい小袖でした。
手触りなど今まで触れたことのないくらい、なめらかなもので、明はなかなか
着ることなどできないでいました。
「では手伝ってあげよう」
娘はそう言うと、明の背中の綾を取り、ぼろぼろの明の服を脱がせます。
髪も結えられ、顔も洗われ、土に汚れた肌がみるみるうちに白い象牙の肌が
現われました。
娘は満足そうに微笑むと、綾を拾い上げます。
「この子も、綺麗、綺麗しないとね」
「………綾を返して」
明は綾を持つ娘の袖を掴みます。
驚いた娘は明を見つめますと、その必死の形相に、言葉なく綾を返します。
すかさず明は綾を抱き寄せると、ずっとあやすのでありました。
「大事なの?」
「………明の………家族ひとりしかいないの、もうどこにもいないの……」
「そう……」
細い娘は……静かに…一言いいました。
「あなたは明というお名前なのね」
「……うん」
娘は微笑むと、そっと頬をなでます。
黒い娘の髪に、小さな桜の花飾りが挿してあるのが見えました。
「いいお名前ね…。大切に…するのよ」
***
その夜―明は夢を見ました。
それが夢と思えたのは、現とは思えないほど不安定な意識と、
覚束ない足取りだったからなのかもしれません。
寝床にいるはずの明は、なぜかどこかの広い場所にいました。
それも明だけではないのです。
同じ薄紅色の服を着た者が、男も女も若いのも老人もいました。
ただ子供だけはいません。
彼等はみな無言で、なにか面を被っております。
明にも面が手渡されました。
笑っている顔のお面です。
面を被れば今度は、手をつながされました。
輪になって、くるくる回ります。
その輪の真中に、人がいます。顔が、見えません。
歌いました。
みんななにかを歌っているのですが明には聞こえません。
あまりにも声がバラバラに、響き合って何を言っているのかが聞こえません。
時々立ち止まっては、手が離れ、一斉に真ん中の人に向かいます。
誰かが言いました。
「まだ贄ない」
***
目が覚めると、そこは昨日からお世話になった母屋の一室。
背中に冷や汗の筋が流れていきました。
頬触れれば汗で濡れております。
咄嗟に、突発的になにか明の脳裏にずっと警笛が響いていました。
―ここはなにかよくない―
「おい、女の子…飯ができたよ」
「えっ」
襖があいて、そこに小さな老婆が立っておりました。
柔和な顔の老婆は手招きし、明も急いで寝着から着替えます。
老婆の後を続いて歩く、明はその曲がった背中に言います。
「……あの、細い女の人……えっと名前はなんていうのでしょう…
その人は……?もしかしてご飯を?」
「あぁ、アレは……………………………そうご飯だよ」
耳が遠いのかよくわからない返事をされ、明は困惑しながらも
何も言えなくなりました。
***
朝餉には綺麗に刻まれた山菜と、白いご飯。
味噌汁に、うかぶ茸と葱。漬け物と、お肉が並んでいました。
食卓には、今まで一度も見なかったのにたくさんの人が一列に並んでおりました。
その末席に、明は座ります。
「どれもとれたてだよ。さぁ、女の子。お食べ」
「あの…………。あたし、明と呼んでください」
「さぁさささ、食べな。このお肉なんか柔らかくて美味しいよ」
「さぁさぁ、白いご飯によくあうんだ」
「漬け物よりもかい?」
「あぁ肉はいいよな」
誰も「明」と呼んでくれません。
箸を掴み、すくい取るように山菜やご飯を食べます。
けれども、どうしてもお肉に手を出す気が起きませんでした。
(もうここを出よう……綾と一緒に)
***
綾を探します。けれど、部屋にはいませんでした。
声ひとつ聞こえてきません。
(きっとあの女の人が預かっているのかもしれない)
明はあの女の人を探します。
細い、女の人の部屋を探します。思ったよりも母屋が広く、とてもじゃないけれど
わかりませんでした。明は家の人らしい者に尋ねます。
「細い、女の人を見かけませんでしたか?」
「それだけじゃわからないな」
「でも名前がわからないの…。あたしを迎えてくれた人」
「あぁ………今朝会ったよ」
みんなその一言で片づけられます。
誰も女の人の名前を言いませんでした。
綾を探しました。
探しました。
どこにも、どこにもいません。
そうしているうちに太陽の光明は消え、深い闇の夜になったのでした。
***
「どこ?どこに行ったの?綾」
薄暗い廊下を手探りで探します。
探す中でずっと、今朝から胸騒ぎが収まりませんでした。
落ち着きません。
どうにも不安があって、明は早くこの里からでなくてはならないと
明の心は塗りたくられていました。
そんな時、聞こえてきたのです。
ぞろぞろと、歩く人の足音。
***
つけた先、覗き見る光景を、明は異様なものを見る心地でした。
面をかぶり、手を繋ぎ、回る人。
回る人。右左と交差する足、蠢く影。
踊るように、歩く人たち、その人たちはなにか口々に言っています。
けれど何を言っているのか。
明にはわかりません。
わからないけれど、ひとつだけわかることがありました。
その場所には、赤い着物がたくさん脱ぎ捨ててあります。
空間一面に赤い布が脱ぎ散らかせています。
その赤に、白い骨が落ちています。
傍には桜の粉々に壊れた髪飾りが落ちていました。
他何も、残っておりませんでしたが、白い骨が同じように散らかっていました。
動悸がします。
聞こえるように思えるくらい大きく鳴り響く動悸。
輪の中を見つめました。
そこには。
「綾!!!!!!!!!!!」
***
走り込み、その輪の中に分け入りました。
中に、輪の真ん中に、綾が赤い服を着せられていました。
何も知らない無邪気な顔は、明を見てただ笑い声をあげます。
抱きしめ、守るように綾を抱えると周りの輪の人間を、明は睨みます。
怖い気持ちも確かにありました。
けれども怒りの方が勝っておりました。
「なにするの…?」
「…………」
「綾をどうするつもりだったの?」
「………………」
「……あの女の人どうしたの……?」
「………………………」
「あれ、女の人の髪飾りだよね……」
「…………」
「……………白い骨があったよ…あれ…なに?」
「………………」
「答えてよ!!!!!!!!!!」
なにも動かなかった彼ら輪の人間。
けれども、誰かが言いました。
「お腹へった」
すると次々に言います。口々に声をあけてつぶやきます。
「おなか減ったお腹へった」
「お腹へったへった」
「腹減った…減った」
「減った減った減った減った減ってうまそう、うまそう………」
呟きが、どんどん大きく、大声になっていきます。
地響きと錯覚するほど大きくなっていきます。
彼等はまわりました。口々に何かを歌いながら言います。
「あぁぶくたった…にえたった……」
歌いながら俊敏になっていく、輪のまわり歩き。
仮面の穴から覗く眼はどれも明と綾を見ています。見つめています。
「沫噴くたった贄たった~贄たか童だが食べてみよう」
輪が止まります。
そして、輪の手が外れ、みんながこっちに歩いてきました。
明と綾に、手を伸ばして歩いてきました。
逃げようとすればたちまち、人が塞ぎます。
(もう助からないの?)
ぎゅっと目を瞑ります。
視界が黒く、けれども触れる感触がすれば身をよじりました。
(綾だけは……)
目を開き、掴みかかる人間に手当たりしだいに噛みつきました。
綾を取られないように綾を掴みました。
綾の産着、その名前がこんな時に、目に入ります。
一人でした。
家族でいた記憶など四つを最後に終わってしまいました。
けれども思い出したのは、父と母の声。
―「おにいちゃんは佐彦。おねえちゃんは冬音。おまえは明」
これは父でした。
―「どうして名前なんてつけるの?農民は……そんな必要ないって…みんないうよ?」
少し怒り気味に話すのは一番上の姉でした。
―「あら、そう?でもあなたたちは私達の子供だもの。これからずっと一緒なのよ。
名前がないとどうもうまくいかないし、それにね。ちゃんと意味があるのよ」
そんな姉に、語りかけるのは母でした。
―「…ずっと一緒か。そうだね…、なんか名前あると母ちゃんも父ちゃんも
傍にいるみたいに思えるかもしれない」
照れて笑うのは三兄弟で真中の兄でした。
―「あたしはなんで明なの?」
笑って、頭をなでられます。父は撫でながら言いました。
(うそつきだと思った。だってみんな今いない。明をひとりにして、みんないなくなって…)
冬音と明と佐彦にたくさん大きくなってもらう為に、暮らしていけるように
働いて働いた父も母も、それが原因で体を壊していなくなりました。
冬音はある日、突然いなくなってしまいました。
二人になった佐彦さえ、明の手を握り言いました。
―ひとりじゃないからな。明、絶対守るから―
守ると言ったのに、佐彦も明を一人にしてしまいました。
けれども、今、綾を守りたいと思った時、
明はそんな家族の嘘に、微笑むことができました。
「綾……絶対に……なんとかするね」
明の、髪も寝着も、もはやボロボロになっておりました。
肌もすり切れ、髪は乱れました。それでも足を動かし、もがくことを止めませんでした。
けれども幼い子供に力があるわけでもありません。
その些細な抵抗はすぐに取り押さえられました。
―トントントン―
大きく、鈴の音と一緒に大地を叩く、そんな音が明の耳に聞こえました。
****
あわぶくたった にえたった
にえたかどうだか たべてみよう
ムシャムシャムシャ
まだにえない
あわぶくたった にえたった
にえたかどうだか たべてみよう
ムシャムシャムシャ もうにえた
ごはんをたべてはぁみがいてゴシゴシゴシ
おふろにはいってばしゃばしゃばしゃ
おふとんしいて、ねましょう
トントントン
なんのおと?
かぜのおと
あぁよかった
トントントン
なんのおと?
ゆきのおと
あーぁよかった
トントントン
なんのおと?
…………………
****
トントントン
鳴り響くのは大地を叩く杖とその杖につく鈴の音。
音は広間に響きわたり、まるで輪の人間たちに迫ってくるほど強い音でした。
暗がりから現れたのは人影二つ。
ひとりは黒髪短髪で悪人面の僧の姿の男でありました。
琵琶を背負った紺色着物姿の男は、強面のまま、輪の人間たちを睨みます。
もう一人、僧と二人で輪の人間たちを挟み込む形で現れたのは青年でした。
少し日に焼けた肌、黒髪にまだ幼い顔の目元涼しい青年は、声をはさみます。
「風の音」
輪の人間たちは現われた二人を交互にみつめておりました。
トントントン
再び、僧の杖がなります。
続けて青年も淡々と言葉を続けます。
「雪の音」
トントントン
僧の鳴らす杖と鈴音にのせて、青年は一呼吸おいて言いました。
顔色一つ変えず、平然と、言い放ちました。
「この赤い服のみんなの……聲」
大地に落ちていた赤い布が一斉にはためき、宙に舞い上がりました。
****
朝焼けが空に訪れる光景を仰ぎ、振り返る相棒の顔はどこか疲れていました。
「遼さん……もうすぐ夜があけますよ」
遼は肩を落とし、面倒くさそうに応じると、膝に眠っている子供に目を落とします。
ぎゅっと握りしめている明の、腕の中に眠る産着の赤子を見つめていました。
「綾」と書かれた産着の赤子は、泣き疲れてもう眠っております。
仕事もひと段落つきました。言葉で結び、歌いで閉じれば、もう禍が暴れることは
ありません。
「……まさかお前と仕事がかちあうとは思わなかった。
…お前この仕事どこからひきうけた?」
「…………たまたま仕事で嘉原にいくことがあったんです。
そこで若い女性に出会い、頼まれました。その時に、私のいく方向に彼女の
故郷の村があるらしくて。
明と佐彦という子がいると…様子を少しだけ見てほしい…って。
行ったら村も、なかったんですけどね」
「本当に仕事か???若い盛りだ…お前ついに…」
「……梅さんにいいますよ。そしたらきっとあなたのこと地の果てまでも蹴り飛ばします」
「…………うぅ寒い、あいつの名前だすな」
「茶化すからです」
そう言って、遼のもとにおりてきてはすぐにしゃがみ込みました。
気の強そうな太い眉、その下に瞑った目が開いたのを聡介はまだ見ていません。
「様子を見て」そう頼まれた明という女の子は、気を失ったまま目覚めません。
「………人の本能ですか?空腹って…ほんとものすごく貪欲ですね。
憑いた餓鬼があれ程まで、人を…………こんな小さな女の子まで………」
「…言葉に気をつけろ、聡。
言霊使いであるお前が、変に呪わしい言葉でも吐いてみろ。ただじゃすまないぞ」
「………はい。でもじゃあ教えてください。目は覚ましますか?
それにあの憑かれた里人には……なんにも言わないんですか」
「…………聞かれれば本当を言うさ。嘘は重ねればご法度だ……だが、知る覚悟が
ない相手に言えば……ただの人殺めになっちまうな」
「………じゃあこの子たちは…」
「眼は覚めるだろう………だが……まぁ、ちょっと心に傷があいちまうかな…。
師匠のところに預けてくるつもりだ。寺だし、俗世と離れたほうがいいかもしれん。
お前がそうしたみたいに、な」
「………」
聡介は明の髪を優しく梳くと、しばらくして立ち上がります。
「行くのか?」
「はい、お元気で……ってそうだ。遼さんは今回の件どこで?」
「別にお前と一緒だ」
「はい?」
「……………若い…こと切れる寸前の男にあったんだ。
まぁ、負け戦だったわ……で、戦の怨嗟を解すのも俺らの役目だろ?
そん時に会った奴が、俺の足つかんで言うんだわ…。
なんだと思って、耳を傾ければ…呼んでるんだ。………明って…な」
「…で探したんですか…私みたいに」
「まぁ……そういう…こった」
聡介は、笑顔をよこすと。
そのままどこかへまた流れていきました。
遼は見送った後、小さな明と綾を見つめてなにか口ずさもうとしましたが
やめました。
「…子供守り寝かすような…そんな優しいの…言霊使いは歌えなぇな…」
****
あなたは遊んだことがありますか?
輪になって、真ん中の子をムシャムシャムシャ、と。
これは水穂の国に伝わる恐ろしいお話である為に、表だって伝えることはありません。
けれども幾つもの命が葬られたからには、言葉で鎮めなくては
再び溢れ出してしまいます。
ゆえにこれは遊び歌とされました。
名を贈られし庇護のもとの子が歌うと
鎮めはより、優しくたゆとうものとなりますゆえ。
さてお話しはこれにておしまい。
日本列島の皆様にも似たようなお話しが伝わっていらっしゃるかもしれません。
どれが虚実で真実か、あなたの心がとる言葉の万華鏡の彩を信じたほうがよいかもしれませし、
疑った方がよいかもしれません。
ではこれにて「あわぶくたった」の閉幕でございます。
稚拙乱文、真にお詫び申し上げます。
「人鬼伝 隠書 」 記し人 聡介