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言葉くくり~とおりゃんせ~  作者: 遠野根っこ
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言葉くくり


物語の幕開けです。


ここに登場するはひとりの幼子。

農家に生まれ、親の言うことをよくきく優しき子です。



    

ここは水穂の国と呼ばれる天外の世界。

簡単に言えば日本列島を逆さにしたような珍妙な国でございます。

見かけはそっくりしかしこの国、珍妙にて変容。ここでは人の嫉妬、憎悪など。一〇八の災いものが人の世を蔓延り、人心を惑わし悲劇を生むのでございます。

されど祓い士はおります。

不肖、私の仕事はそれにあたります。

言葉にすればそれを縛る「言霊使い」と申す生業。人に語り、語られることで縛りは強くなり、唄などになれば格別でございます。

昔話などになれば言霊使いの本懐であります。


さてここで水穂の国に多く唄われる歌の原型をお話ししましょう。なあに、そう構えず聴いて下され。


言霊は(うつつ)の万華鏡、あなたの心の言祝ぎになれば私は幸いでありますゆえ。


   ***


空を見上げて穴があくまで見つめてみても空の端から端にかけてまったく雨雲がありません。


農家の末子聡(そう)(すけ)は家族が帰ってくるのを待ちながら、器用に草鞋を編んでおりました。

しかしそれも終わり、暇を持て余しているところ、呆然と空を見上げておるのです。


お腹がクルクルなりました。もう、ろくに最近食べておりません。


村人が口々の今年は不作だと嘆いており、両親も同じように苦悶している様子でした。

七歳になる小さな聡介でもことの重大さを感じとり、腹が減っても泣かずに我慢しておりました。


「腹減ったな」


しかし、誰もいない家でついぼやくのです。


気を紛らわす為にも西の美空の方角を見、小さく祈るのでした。そこは天神様が祀られている神社があります。

藁で擦り切れ紅くなった小さな両手を合わせ。


「どうかどうかお願いします。はやく雨がふってお米いっぱい実りますように」


 ***


 数日後、朝起きると聡介の母親が身支度に忙しく走り回っておりました。

寝ぼけ眼で挨拶をすれば、父親が早く小川で顔を洗えて急かすのです。


いったいどうしたのだろう、と不思議に思いながらも言われた通りに小川へ行きます。


冷たい川水を縁の欠けた桶で掬い取り、勢いよく両手ですくって顔を洗います。

手ぬぐいで拭き、すっかり目が覚めた後家に戻りました。


そういえば他の兄たちはどうしたのでしょう。

聡介よりとっくに早く起きて、田んぼでもいったのでしょうか。


テーブルの前に座ると、並べられたのは美味しそうな薩摩芋や蓮根の胡麻和え、白いご飯が茶碗に少し、盛り付けられ、おまけに味噌汁まであるのです。


聡介は驚いて、思わず母親に言いました。


「おっかさん、これみんなで食べないの?おれひとりぶんなの?」

「そうだよ。たーんとお食べ、しっかり噛むんだよ」

「うん!」


お箸を掴むと、勢いよくほおばり、歯で噛みました。

ひろがるあったかいご飯の風味に至上の喜びのような顔をして聡介は朝食を食べたのです。

 

台所に食器を持って洗っていると、母親が「美味しかった?」と訊きました。


「もちろんだよ、おっかぁ。おれもっとたくさん草鞋編める気がする」


元気よく答えました。

母親はしばし聡介の顔をじっとみつめていました。

どうしてだか悲しそうに見えたので、聡介は一人で食べきったことを申し訳なく思ったのでした。


「聡、支度をするぞ。早く来なさい」

「うん、すぐ行く」


台所をあとにして、父の呼ぶもとへと駆けて行きました。


  ***


 着せられたのは今まで見たことも着たこともないほど上等な衣装でした。


白装束に紺の袴をはいて、首から管玉の通った首飾りをぶらさげています。

髪は櫛で梳かされ、顔には痒い薄化粧をされました。

黒いボサボサの髪は艶々に。

顔は女の子と見間違えるばかりに整えられました。


聡介は父親に尋ねます。


 「きょうはいったいなんなの?おっとう」

 「聡、今日は七五三だ。お前は七つ。天神様にお参りに行こうと思ってな」

 「だからおれはあんなにご飯も、こんなおめかしもしてくれるのか?なんだか悪い」


すると父親はギュッと聡介を抱きしめます。


どうして急に抱きしめるのだろう、と父親の顔を見ようにも抱きしめられているので顔が見えません。

ただ父親の低くあたたかい声が耳に囁かれます。


「こんなに大きくなったんだな。聡…お前は優しい子だな」

「なんだよ、おっとう?急に気色悪いよ」

「そうだな。すまん」


と言って父親が子をそっと離しました。


      ***


ここは何処だろう。


天神様への細道を、父親の手に牽かれて歩きます。


草木が生い茂り、振り返ってももう来た道が分かりません。


「天神様へは遠いの?」

「もう少しだ」


訊けどもそう言うだけで一度も父親かこちらを振り向きません。



何か悪いことをしたのかな。



聡介の不安は増すばかりでした。


     ***


聡介と父親の前には荘厳な雰囲気の門が立ってありました。


大きな父親の倍の倍あります。見事な門造りに、呆けておりますと、「其処の者」と声がかかりました。

見れば門番が二人立っており、厳めしい顔で睨んでいます。


怖い、と怯えておりますと、父親が頼みました。


「ちょっととおして下さい。うちの子が七つなのです。天神様にお礼を納めに参りました。どうかどうか」


門番は聡介を見ました。


怖くて怯えていると、門番は意外にも厳めしい顔を解きました。

しかし見せた顔は困惑といった表情であります。


女と間違えられたのか、と恥ずかしく。

聡介は顔を下に向いてしまいました。


「わかった。なれば御用のあるお前は帰れ。子だけここに置いていけ」

「はい」


父親は聡介の手をそっと離しました。

わけのわからぬ不安がいっぱいになり、思わず聡介は父親に訊きました。


「何時に迎えにくるの?」


しかし、門番に急かされ父親に声が届いたかわからぬまま、中にいれられました。


    ***


七五三は聡介一人でありました。


なにか高い木の組んだ台に載せられて榊の木と、祝詞を捧げられました。


緊張と不安で身が小さくなった聡介は半ば泣きそうになりました。


祭事がすんだ後、聡介は奥の間へと通されます。

見上げればもう太陽は天高く上っておりました。


今頃、家族のみんなは働いているのかな。


もう一度仰いだ空の色はいつか見つめた美空と同じ青でした。


    ***


奥の間は暗く、仄かに生じた隙間からの光しか漏れてきません。寒くて震えておりますと。


「寒い?」


と声をかけてきた者がおりました。

白装束に赤の袴。髪は漆黒で瞳は鳶色。

肌の白い巫女が控えておりました。


優しげな風貌に聡介は、少し不安が和らぎました。

頷くとすぐに襖の奥に消え、戻ってきた時にはあったかそうな黒い布を持って来たのです。


 「これをかぶればいいの?ありがとう」

 「いいのよ。いい子にしていてね」


お礼を言ったその時、巫女に口をふさがれました。


黒い布が聡介の口につっこまれ、両歯を閉じることもできません。

声もあげられずにいると、巫女は優しげな風貌とは一転して敏捷に聡介の首の頚動脈に手刀を打ちつけたのです。


僅かな間に聡介は気絶させられたのです。


***


儀式は密やかに執り行われました。


大きな木の桶は子供一人分が入る大きさです。

それが深く、小さな穴にゆっくりと下ろされていくのでした。

各々道具を持った人々は聡介の村の人々でした。


彼らは機械的に黙々と穴に土も持って行きます。

祭司はなにか経を唱え、巫女たちは榊を振り振り、塩を蒔きます。

炎が中央で天に願いを届けるように燃え上がります。


そして人々は願うのです。

早く日照りが終わり、雨雲がやって来て豊作となりますように。


    ***


目を覚ますとそこはあたたかい場所。

顔満面に射す光が瞼越しでも眩しくありました。


指を少し動かし、手をつきます。

すると柔らかい布の感触がしました。

けれども腰も足首も妙に固い感触の上にあります。

不思議に思って目をあければそこはみたことのない天井がありました。


天井…ではなく暗い板。


さっきまで感じていたものはなんだ、と心細げに思います。


光があったと思ったのは錯覚でありました。


妙に静かで生き苦しい感じがいたします。


誰か呼ぼうと思えども、なんだか咽て声が出ません。

独りぼっち、怖いという衝動が一気に体の底から駆け上がりました。


( 開けて…開けて…開けて )


ドンドンとところかまわず拳を打ち付けます。

けれど返事は全くありません。


もしかしたら誰にも届かないかもしれない。

聡介は悪い考えを拭い去るように叩いておりました。


( 開けて開けて ここを開けておっとうが迎えにくるんだ。もう七五三はいいから早く帰りたいよ。帰りたいよ )


やがて意識が遠のくまでずっと、必死に打ち据え続けました。


     ***




とおりゃんせ とおりゃんせ


ここはどこの細道じゃ

天神様の細道じゃ

ちょっと通してくだしゃんせ

この子の七つのお祝いに お礼を納めに

参ります

行きはよいよい 帰りは怖い

怖いながらも 


とおりゃんせ とおりゃんせ





     ***



街道の最中に団子屋があります。


暖簾をあげて、朱色の布がかぶさった長椅子に腰をかけながら、

威勢よく出迎えた茶屋の娘に「串団子三つ」注文いたしました。


「はい、まいど」


と笑顔で受ける娘の声は、気持ち清々しく感じます。


手渡された緑茶の入った湯のみがお盆に乗って置かれました。

湯のみの中から一つを取り、飲むと体の芯からぬくもった感覚を味わいました。


荷を膝に置き、連れがやって来るのを待ち呆けています。



ここは京都のあがり街道。



待っている時間、目の前でいろんな人が行き交って行きます。

面白そうに様子を見ては、待ち人が来るか来るかと見ておりました。


「おーいおいおい待ったか?」


「うわぁ、久しぶりやねぇ。元気にしてはったぁ?」


黒髪短髪で悪人面の僧の姿。

琵琶を背負った紺色着物姿の若い男は愛想の良い声でこっちに軽重な足取りでやって来ます。

もう一人は優しげな風貌、髪を後ろに結い上げた色白の鶯色した小袖を着て、手を振って上品に歩いて来ます。


席について三人並んで、

それぞれ注文した串団子と緑茶を手にとって、一息つきます。

あまりの甘味の素晴らしさに、女は言いました。


「あぁん、素敵なでりしゃす~♪」

「また姉さん南蛮語かよ。水穂の生まれだちゃんと言葉話しやがれ」


僧風の男は溜め息混じりに言いながら、串を銜えます。


「あぁれまぁ、古いねぇ。そんなんじゃ海の果てから入ってきたもんを縛れまへん。なぁ?」


食いかけの団子を一つ残し、膝の上の皿に戻します。

荷物は足の間に挟んで置いきました。

女の顔を見やっては「そうなのですか?」と訊きます。


「あんた『桃太郎』知らん?あれが縛って紡いだ言霊話や。難儀やったで」

「はいはいはい、俺だって気の毒な奴をみかけたな。とても男前なんだ。

だけどあんまり女を相手しないからな。

女から寄せられた妬み、独占欲、振られた腹いせの恨みだの。

降り積もって近江の鬼と成り果てた。

解いたら、そいつ傷心でさ。どっか流離いにいっちまった」

「あんた、なんで繋ぎとめておいてくれなかったの。あたいが癒して嫁に行ったのに」

「馬鹿言え。馬鹿を。これ以上人生気の毒にしてたまるかって。


あっ…やべっ」


あわてて口を塞いだが、後の祭り。男の足は思いっきり踏みつけられ、通常の五寸倍になったのでありました。

二人のやりとりに、含む笑いをしておりましたが

とうとう含み切れずに、思わず大笑いしてしまいます。


「お梅さんも、遼さんも相変わらずですね。

 変わんなさすぎて、怪異・物の怪にでも憑かれているのかと思うくらいだよ」


「馬鹿おっしゃい。憑かれればこの仕事の帯締め時だって。

 …あんたはずいぶん変わったね。背も伸びたし、すっかり男だね。

 あと十年若かったらほっとかなかったな。あたしは」


と言いながら敏捷な動作で串団子一個を串ごと梅に持っていかれました。

もう団子は梅の口の中に放り込まれます。


「で気持ちは変わんないのかい?俺達の生業に足をつっこむっていうのは。

 若いんだから。それに腕も立ちそうだ。仕官したらどうだい?」


神妙な顔で見つめる遼に、一息ついて真摯に話します。


「人殺しはしたくありません。おれはもう迷いは露ほどありません」

「言霊使いは伊達じゃあらへん。うさんくさくて牢につながれるときもある。あんたの隣の男なんぞ経験者やよ」

「うるせぇ、三日で終わったわ」

「あらそんなに?流浪の僧っていう肩書きおかしいんやわ。改名したら?」


梅と遼の二人はギャーギャー騒いでしまいます。ついに店員さんに「他のお客の迷惑」と注意されてしまう始末。

申し訳なさそうに肩をすくめる二人を見て、


聡介はゆっくり語ります。


「村の為に七つの頃、人身御供から救ってくださった恩人のお二人。

そのすすめを軽んじているわけではありません。


ですが恐ろしいのであります。

人の心は真に弱い脆きものであるということがとても。

飢えと貧困に喘いだ末、親が子を生贄に捧げてしまうほどに人心が荒廃するものであるということが本当に恐ろしい。

そしておれはあれがいまだに、

悪霊に憑かれ人心乱れ惑わされたと断言できない…」


誰にも会わなかったほかの兄弟たち。


思い出すのは母の悲しそうな顔。


抱きしめた父の腕の強さ。


聡介は思うのです。


あの行為は憑かれた者がする行動なのだろうか。

あれは良心の呵責というものなのではなかろうか、と思わずにいられないのです。


けれども疑いはいつも蓋をして底に沈めて起きます。



必死に暗闇をもがいた桶の中の出来事。

涙を流しながら、痛む拳を握り締め、抱いたのは仄暗い深い闇でした。

正体の解らぬその心持ちに怯え、幼い聡介はきつく蓋をしたのです。


今ではその心持ちの正体が解るのです。

解るゆえに二度と蓋をあけて覗くことはありません。


蓋をはずせばそれが噴出し、聡介を絡め取る恐ろしさを今でも感じずにいられないのでありました。


「皆さんの代金は払いました。私はもう行きますね」


荷物を片手で持って背に負い、片手を着流しの中にしまいます。


懐刀の固さが手に触れました。

伸びた黒髪を赤紐で縛り、藍色の着流し姿の若い青年は背を向けました。


「そういえばお前の縛った言霊は歌になったそうじゃないか。聡、だがおめぇ…大丈夫か?」


心配そうに遼はその若い頼りない背中に声をかけます。振り向けば聡介は笑って言うのです。


「とりあえず、大丈夫です」


壮年の男の目には若い笑顔から混迷も疑念も感じ取れました。

玄人の言霊使い梅にもかの人にかかる不安な雲行きが見えました。

しかし二人は何も言いませんでした。

聡介の決意の固さを思い知りましたし、一人流れ生きていく言霊使いの宿命か己にかかる疑念は

己でしか晴らせぬものと分かっておりました。


見守る二人に不恰好な笑顔を向けながら

これから何度も人に贈ることになる別れ文句を語るのです。


「私の縛った言葉が

少しでも心を惑わせるものを落とし、退ければ。

心に言祝ぎを贈れるようになれれば

幸いでありますゆえ」


若い言霊使いの卵は流れて行きました。


***


さてお話しはこれにておしまい。

日本列島の皆様にも似たようなお話しが伝わっていらっしゃるかもしれません。

どれが虚実で真実か、あなたの心がとる言葉の万華鏡の彩を信じたほうがよいかもしれませし、疑った方がよいかもしれません。


ではこれにて「とおりゃんせ」の閉幕でございます。

稚拙乱文、真にお詫び申し上げます。


      「童謡集第五巻より」 




童歌は好きでした。

あのどこか不思議で、いいリズムの調子が好きなのですが

皆様はどうでしょう。

この物語にでてくるものは、限られております。

でも調べればたくさんあるんです。

きっかけに皆様の興味が広がれば、幸いです。



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