笑っているうちは
真っ白な壁の診察室。
患者と精神科医が向き合う。
「最近どうですか」
「いや〜、相変わらずですね。死にたいなーって思いながら授業受けて、帰りにコンビニでアイス買って帰ってます」
「ずいぶん日常に馴染んで話しますね」
「だって毎日ですもん。今さら“深刻です!”みたいな顔するのも変じゃないですか?」
「慣れてしまった感じ?」
「うーん、慣れたというか……“またか”って感じです。雨みたいな」
「今日は降ってるな、くらいの」
「そうそう。希死念慮、天気予報みたいな」
「自傷衝動は?」
「あー、ありますあります。昨日もカッター探しました」
「探した」
「でも見つからなくて。“あー、片付けた自分えらい”って笑っちゃいました」
「止めようとした自分もいたんですね」
「いや、どうなんだろ。単にズボラなだけかも」
「その可能性も否定しません」
「先生たまに冷静ですよね」
「一緒に深刻になりすぎると、あなた多分もっと笑うでしょう」
「バレてる」
「笑ってる時って、何を隠してる感じがあります?」
「え〜。なんだろ。……怖さ?」
「死にたいのに?」
「死にたいのに、死ぬの怖いんですよ。矛盾してるでしょ」
「人間は割と矛盾のかたまりです」
「カウンセラーさんも同じこと言ってた」
「じゃあ私たち、教科書が同じですね」
「精神科界隈のテンプレ?」
「案外そうかもしれません」
「でも、なんか。“死にたいです”って泣くより、“死にた〜い”って笑うほうが楽なんですよね」
「周りが慌てないから?」
「それもある。あと、本気だと思われたくない」
「本気じゃないんですか」
「……分かんないです」
「分からない時点で、かなりしんどいとは思います」
「そうなんですかね。もっと大変な人いるし」
「比較を始めると、たいてい誰も助からないですよ」
「名言っぽい」
「今考えました」
「へえ、先生でも即興あるんだ」
「毎回原稿を読んでるわけではありません」
「ちょっと安心した」
「ちなみに、自傷した後はどんな感じになります?」
「静かになりますね。一瞬だけ。“あー、これでいいや”って」
「頭の中のノイズが減る」
「そうそう。それです。だからやめられない」
「でも、そのあと」
「虚無」
「即答でしたね」
「慣れてるので」
「慣れたくなかった?」
「……まあ」
「今、ちょっと笑わなかったですね」
「失敗した」
「失敗じゃないと思います」
「でも、泣くキャラじゃないんですよ、私」
「誰が決めたんですか」
「中学くらいの私かなあ。泣いたら面倒くさいことになるって学習した」
「だから笑う」
「ヘラヘラしてれば、“元気そうだね”で終わるから」
「終わらせたかった?」
「気づかれたくなかったんですかね」
「気づいてほしくもあった?」
「……それ聞くのズルい」
「仕事なので」
「カウンセラーさんも同じこと言う〜」
「職業病です」
「でも実際、気づいてほしいですよ。気づいて、“もう頑張らなくていいよ”って言ってほしい。でも重いじゃないですか」
「重いと言われる経験が多かった?」
「まあ。親とか、先生とか。“そんなこと言わないの”みたいな」
「だから冗談っぽく言うようになった」
「“死にた〜い笑”ならセーフかなって」
「セーフだった?」
「半分くらい」
「半分は?」
「誰も本気にしなくなりました」
「それは寂しかったですか」
「……どうなんでしょうね」
「今、また笑いました」
「便利なんですよ、この笑い」
「鎧みたいに?」
「そうそう。薄いけど」
「ずっと着てると疲れません?」
「疲れます。でも脱ぎ方分かんない」
「ここでは、少しずつ緩めてもいいですよ」
「診察室限定?」
「カウンセリング室でも可です」
「サービス範囲広いなあ」
「提携しておりますので」
「ふふっ」
「今の笑いは、少し違いましたね」
「え」
「ごまかす笑いじゃなくて、普通に面白かった感じの」
「……そういうの分かるんだ」
「仕事なので」
「それ便利ですね」
「便利ですよ。だから、あなたがヘラヘラしてても、“大丈夫そう”だけでは終わらせません」
「……困るなあ」
「困りますか」
「ちょっと安心しちゃうから」
「安心するのは悪いことではないですよ」
「でも依存っぽくなるじゃないですか」
「“頼る”と“依存”を、全部同じ箱に入れなくていいと思います」
「精神科の人って、その辺の言葉の切り分け好きですよね」
「曖昧なままだと、苦しくなる人が多いので」
「へえ」
「例えばあなた、“迷惑をかける”と“助けを求める”もかなり近い場所に置いてませんか」
「……あー」
「心当たりがある顔ですね」
「いや、だって、夜中に“死にたいです”とか連絡する人、普通に重くないですか」
「重い感情ではありますね」
「ほら」
「でも、“重い感情を持っている”と、“迷惑な人間”は別です」
「その理論、頭では分かるんですけどね」
「感情が納得しない」
「そう。感情、めちゃくちゃ反抗期」
「長い反抗期ですね」
「十年選手かも」
「かなり手強い」
「しかも最近、自傷衝動が来ると、“あ、またイベント始まった”みたいなテンションになるんですよ」
「イベント」
「開催されたくないタイプの」
「終わったあと疲弊するやつですね」
「そうです。特典なし」
「睡眠不足と自己嫌悪が付属します」
「嫌な豪華版だなあ」
「でも、その“また来た”って客観視できてるのは大事ですよ」
「そうなんですか?」
「衝動と自分が完全に一体化してる時は、“止める”という発想自体が消えやすいので」
「……」
「今、考え込んでます?」
「いや。“止めたい気持ちもある”って認めるの、なんか負けな気がして」
「何に勝負してるんでしょう」
「分かんないです。でも、“本当に限界な人”じゃなくなる感じがして」
「限界じゃない人は、カッター探しませんよ」
「それ言われると困る」
「困らせています」
「先生、たまに容赦ないですよね」
「ヘラヘラかわされるので、少し真っ直ぐ返してます」
「カウンセラーさんもそんな感じ」
「連携プレーです」
「こわ」
「ちなみに、最近一番しんどかったのはいつですか」
「昨日の夜かな」
「何がありました?」
「静かだったんですよ」
「静か」
「誰からも連絡来なくて、課題もやる気出なくて、音楽流しても頭入ってこなくて。“あ、自分って空っぽだな”って」
「その時、何しました?」
「ベッドで笑ってました」
「笑ってた」
「“終わってるな〜”って」
「泣きませんでしたか」
「泣けたら楽なんですけどね」
「泣くの、怖いですか」
「たぶん。一回泣いたら止まんなくなりそうで」
「今まで止め続けてきた分、溜まってる感じはありますね」
「先生そういうことサラッと言う……」
「外れてました?」
「いや、当たってるから嫌なんですよ」
「嫌でも、ここでは少しずつ見ていきたいです」
「なんでそこまで構うんですか」
「あなたが、“平気なふり”をかなり頑張ってきた人に見えるからです」
「……」
「今、黙りましたね」
「そういうの、不意打ちなんですよ」
「狙いました」
「最低だ」
「精神科医なので」
「免罪符みたいに使わないでください」
「では訂正します。あなたが、“誰にも心配かけないように壊れようとしてる人”に見えるからです」
「っ……」
「呼吸、浅くなってますよ」
「……そういうの、ずるい」
「今日は“ずるい”が多いですね」
「だって、笑えなくなるじゃないですか」
「笑わなくてもいいですよ」
「でも、笑ってないと、“本当にヤバい人”になる」
「あなたは、笑ってても十分しんどそうです」
「……」
「それに、診察室でくらい、“ヤバい”でもいいでしょう」
「……そんな簡単に言わないでください」
「簡単ではないですよ」
「……」
「今、泣きそうですか」
「……分かんない」
「分からないままで大丈夫です」
「……」
「ティッシュ取ります?」
「……ください」
「はい」
「……っ、なんか、こういうの、負けた感じする……」
「泣くことが?」
「……うん」
「私はむしろ、“ずっと一人で耐える”ほうが過酷だと思います」
「……」
「それに」
「……何ですか」
「ヘラヘラ笑ってる人が、やっと少し泣けたなら、それはたぶん、“終わり”じゃなくて、“始まり”ですよ」
その言葉のあと、部屋はしばらく静かだった。
けれどその静けさは、昨日の夜のような、空っぽの静けさではなかった。




