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笑っているうちは

作者: くろねこ
掲載日:2026/05/21

真っ白な壁の診察室。

患者と精神科医が向き合う。


「最近どうですか」

「いや〜、相変わらずですね。死にたいなーって思いながら授業受けて、帰りにコンビニでアイス買って帰ってます」

「ずいぶん日常に馴染んで話しますね」

「だって毎日ですもん。今さら“深刻です!”みたいな顔するのも変じゃないですか?」

「慣れてしまった感じ?」

「うーん、慣れたというか……“またか”って感じです。雨みたいな」

「今日は降ってるな、くらいの」

「そうそう。希死念慮、天気予報みたいな」

「自傷衝動は?」

「あー、ありますあります。昨日もカッター探しました」

「探した」

「でも見つからなくて。“あー、片付けた自分えらい”って笑っちゃいました」

「止めようとした自分もいたんですね」

「いや、どうなんだろ。単にズボラなだけかも」

「その可能性も否定しません」

「先生たまに冷静ですよね」

「一緒に深刻になりすぎると、あなた多分もっと笑うでしょう」

「バレてる」

「笑ってる時って、何を隠してる感じがあります?」

「え〜。なんだろ。……怖さ?」

「死にたいのに?」

「死にたいのに、死ぬの怖いんですよ。矛盾してるでしょ」

「人間は割と矛盾のかたまりです」

「カウンセラーさんも同じこと言ってた」

「じゃあ私たち、教科書が同じですね」

「精神科界隈のテンプレ?」

「案外そうかもしれません」

「でも、なんか。“死にたいです”って泣くより、“死にた〜い”って笑うほうが楽なんですよね」

「周りが慌てないから?」

「それもある。あと、本気だと思われたくない」

「本気じゃないんですか」

「……分かんないです」

「分からない時点で、かなりしんどいとは思います」

「そうなんですかね。もっと大変な人いるし」

「比較を始めると、たいてい誰も助からないですよ」

「名言っぽい」

「今考えました」

「へえ、先生でも即興あるんだ」

「毎回原稿を読んでるわけではありません」

「ちょっと安心した」

「ちなみに、自傷した後はどんな感じになります?」

「静かになりますね。一瞬だけ。“あー、これでいいや”って」

「頭の中のノイズが減る」

「そうそう。それです。だからやめられない」

「でも、そのあと」

「虚無」

「即答でしたね」

「慣れてるので」

「慣れたくなかった?」

「……まあ」

「今、ちょっと笑わなかったですね」

「失敗した」

「失敗じゃないと思います」

「でも、泣くキャラじゃないんですよ、私」

「誰が決めたんですか」

「中学くらいの私かなあ。泣いたら面倒くさいことになるって学習した」

「だから笑う」

「ヘラヘラしてれば、“元気そうだね”で終わるから」

「終わらせたかった?」

「気づかれたくなかったんですかね」

「気づいてほしくもあった?」

「……それ聞くのズルい」

「仕事なので」

「カウンセラーさんも同じこと言う〜」

「職業病です」

「でも実際、気づいてほしいですよ。気づいて、“もう頑張らなくていいよ”って言ってほしい。でも重いじゃないですか」

「重いと言われる経験が多かった?」

「まあ。親とか、先生とか。“そんなこと言わないの”みたいな」

「だから冗談っぽく言うようになった」

「“死にた〜い笑”ならセーフかなって」

「セーフだった?」

「半分くらい」

「半分は?」

「誰も本気にしなくなりました」

「それは寂しかったですか」

「……どうなんでしょうね」

「今、また笑いました」

「便利なんですよ、この笑い」

「鎧みたいに?」

「そうそう。薄いけど」

「ずっと着てると疲れません?」

「疲れます。でも脱ぎ方分かんない」

「ここでは、少しずつ緩めてもいいですよ」

「診察室限定?」

「カウンセリング室でも可です」

「サービス範囲広いなあ」

「提携しておりますので」

「ふふっ」

「今の笑いは、少し違いましたね」

「え」

「ごまかす笑いじゃなくて、普通に面白かった感じの」

「……そういうの分かるんだ」

「仕事なので」

「それ便利ですね」

「便利ですよ。だから、あなたがヘラヘラしてても、“大丈夫そう”だけでは終わらせません」

「……困るなあ」

「困りますか」

「ちょっと安心しちゃうから」

「安心するのは悪いことではないですよ」

「でも依存っぽくなるじゃないですか」

「“頼る”と“依存”を、全部同じ箱に入れなくていいと思います」

「精神科の人って、その辺の言葉の切り分け好きですよね」

「曖昧なままだと、苦しくなる人が多いので」

「へえ」

「例えばあなた、“迷惑をかける”と“助けを求める”もかなり近い場所に置いてませんか」

「……あー」

「心当たりがある顔ですね」

「いや、だって、夜中に“死にたいです”とか連絡する人、普通に重くないですか」

「重い感情ではありますね」

「ほら」

「でも、“重い感情を持っている”と、“迷惑な人間”は別です」

「その理論、頭では分かるんですけどね」

「感情が納得しない」

「そう。感情、めちゃくちゃ反抗期」

「長い反抗期ですね」

「十年選手かも」

「かなり手強い」

「しかも最近、自傷衝動が来ると、“あ、またイベント始まった”みたいなテンションになるんですよ」

「イベント」

「開催されたくないタイプの」

「終わったあと疲弊するやつですね」

「そうです。特典なし」

「睡眠不足と自己嫌悪が付属します」

「嫌な豪華版だなあ」

「でも、その“また来た”って客観視できてるのは大事ですよ」

「そうなんですか?」

「衝動と自分が完全に一体化してる時は、“止める”という発想自体が消えやすいので」

「……」

「今、考え込んでます?」

「いや。“止めたい気持ちもある”って認めるの、なんか負けな気がして」

「何に勝負してるんでしょう」

「分かんないです。でも、“本当に限界な人”じゃなくなる感じがして」

「限界じゃない人は、カッター探しませんよ」

「それ言われると困る」

「困らせています」

「先生、たまに容赦ないですよね」

「ヘラヘラかわされるので、少し真っ直ぐ返してます」

「カウンセラーさんもそんな感じ」

「連携プレーです」

「こわ」

「ちなみに、最近一番しんどかったのはいつですか」

「昨日の夜かな」

「何がありました?」

「静かだったんですよ」

「静か」

「誰からも連絡来なくて、課題もやる気出なくて、音楽流しても頭入ってこなくて。“あ、自分って空っぽだな”って」

「その時、何しました?」

「ベッドで笑ってました」

「笑ってた」

「“終わってるな〜”って」

「泣きませんでしたか」

「泣けたら楽なんですけどね」

「泣くの、怖いですか」

「たぶん。一回泣いたら止まんなくなりそうで」

「今まで止め続けてきた分、溜まってる感じはありますね」

「先生そういうことサラッと言う……」

「外れてました?」

「いや、当たってるから嫌なんですよ」

「嫌でも、ここでは少しずつ見ていきたいです」

「なんでそこまで構うんですか」

「あなたが、“平気なふり”をかなり頑張ってきた人に見えるからです」

「……」

「今、黙りましたね」

「そういうの、不意打ちなんですよ」

「狙いました」

「最低だ」

「精神科医なので」

「免罪符みたいに使わないでください」

「では訂正します。あなたが、“誰にも心配かけないように壊れようとしてる人”に見えるからです」

「っ……」

「呼吸、浅くなってますよ」

「……そういうの、ずるい」

「今日は“ずるい”が多いですね」

「だって、笑えなくなるじゃないですか」

「笑わなくてもいいですよ」

「でも、笑ってないと、“本当にヤバい人”になる」

「あなたは、笑ってても十分しんどそうです」

「……」

「それに、診察室でくらい、“ヤバい”でもいいでしょう」

「……そんな簡単に言わないでください」

「簡単ではないですよ」

「……」

「今、泣きそうですか」

「……分かんない」

「分からないままで大丈夫です」

「……」

「ティッシュ取ります?」

「……ください」

「はい」

「……っ、なんか、こういうの、負けた感じする……」

「泣くことが?」

「……うん」

「私はむしろ、“ずっと一人で耐える”ほうが過酷だと思います」

「……」

「それに」

「……何ですか」

「ヘラヘラ笑ってる人が、やっと少し泣けたなら、それはたぶん、“終わり”じゃなくて、“始まり”ですよ」


その言葉のあと、部屋はしばらく静かだった。

けれどその静けさは、昨日の夜のような、空っぽの静けさではなかった。

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