少女の絵
◯
ちょうど同じ頃、狭野は昨夜まで祭り会場だった場所をふらふらと散策していた。
部分的に草の刈られた河川敷。
昨夜は屋台が並んでいたそこには今は何もなく、ゴミもほとんど落ちていない。おそらく夜のうちに清掃が行われたのだろう。
(確か、この辺りだったかな)
しばらく歩くと、狭野はある場所で立ち止まった。特に目印も何もない、平らな土地。
昨夜はこの辺りに、ベビーカステラの屋台があった。
狭野はその場所に立って、きょろきょろと辺りを見回した。
昨日はここで、あの少女に会ったのだ。
水色の浴衣を着た中学生くらいの女の子。おそらくはすでに亡くなって、幽霊となった彼女の姿は、なぜか狭野の目にだけは見えていた。
しかし今は、どこを捜しても見当たらない。
(また、夜になったら会えるのかな?)
会いたかった。
もう一度。
彼女のことを思い出す度に、胸の奥がきゅっと締め付けられるような感じがした。
誰かに対してそんな風に思うのは、狭野にとって生まれて初めての経験だった。
幽霊に対して恋心を抱くなど、おかしな話だという自覚はある。
けれど、惚れてしまったものは仕方がない。
それから毎日のように、狭野はこの河川敷へと通った。
しかし、件の少女はあの祭りの一件以来、昼夜を問わず、一度も姿を見せることはなかった。
いつしか夏休みも終わりに近づいて、このままもう二度と会えないのではないか、という不安が狭野の中で大きくなっていく。
時間が経つにつれ、記憶の中の少女の姿も、段々と朧げになっていく。
(……忘れたくないな)
彼女の姿を忘れないよう、狭野はそれを絵に描き起こした。
授業用のノートに色鉛筆で、拙いながらも確かな形にしていく。
水色の浴衣。
ゆるく結い上げられた黒髪。
白い肌に、赤く熟れた唇。
その美しい姿を毎日一枚ずつ、狭野は河川敷の土手に座って描き続けた。
「ちょっと笙悟。まだ幽霊なんて本気で言ってるの?」
時折、高原が様子を見にやってきた。
ここのところ遊びの誘いを断り続けている狭野に対し、不満を持っている顔だった。
毎日毎日飽きもせず同じ少女の絵を描き続ける彼を見て、高原は「幽霊に取り憑かれている」と言って揶揄った。
狭野は特に否定もしなかった。
いっそ枕元に化けて出てくれればいいのにとさえ思った。
あの子に一目会えるのなら、もはや方法などは何でも良かった。
それをそのまま高原に伝えると、途端に彼女は膨れっ面をしてどこかへ走り去ってしまった。
そうして迎えた、夏休み最後の日。
この日は高原ではなく、珍しい客が狭野の元を訪れた。
いつものように河川敷の土手に座って絵を描いていると、不意に後ろから声を掛けられた。
「高原が怒ってたぞ」
落ち着いた少年の声。
肩越しに振り返ってみると、そこにはいつのまにか、袴姿のクラスメイトが立っていた。
静かにこちらを見下ろす、形の良い切れ長の目。中性的で女子からの人気も高いその顔は、いつだったか高原が「狐顔」だと形容していた。
「祓川か……。珍しいね、こんな所まで来るの」
予想外の相手に、狭野も今回ばかりは驚いていた。
祓川はいつも、家の仕事で忙しい。
神社の跡取りとして色々とやることがあるらしく、普段から同年代の人間と遊ぶこともなければ、こうして境内の外をほっつき歩いている姿もまず見ない。
「今朝も、高原がうちに来た。最近、君がなかなか相手をしてくれないと愚痴を言っていた」
「まあ、僕も忙しいからね」
言いながら、狭野は再び川の方へ向き直り、手元のノートへ視線を落とした。
「忙しいというのは、その絵を描くことか?」
「そうだよ」
「高原の誘いを断るほどのことか?」
まるで非難するように言われた気がして、狭野は再度後ろを振り返った。
お互いに無表情のまま、牽制し合うように見つめ合う。
やがて先に口を割ったのは狭野の方だった。
「僕には僕のやりたいことがある。この絵は、僕にとってとても大切なものなんだ。だから、誰にも邪魔をされたくないんだよ」
それを聞いた祓川は、「そうか」と他人事のように相槌を打つと、
「君は自由でいいな」
と、どこか諦めたような口調で言った。
そんな彼の反応に、狭野は妙な違和感を覚えた。
祓川はそのまま無言で踵を返すと、もう用はないとばかりに神社の方へと戻っていった。
彼の背中が見えなくなると、辺りにはひぐらしの声が響き始めた。空はいつのまにか茜色に染まり、山の向こうに夕日がゆっくりと沈んでいく。
夏が終わる。
結局、あの少女に会うことができたのは、祭りの夜のたった一度きりだった。
(また、次の夏になったら会えるのかな)
夏の終わりがこんなにも寂しいものだと感じたのは、生まれて初めてだった。
それが、小学五年の夏の思い出。
忘れもしない、二〇〇五年の八月のことだった。




