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「女の子が待っている、と言っていませんでしたか」
結局、とっぷりと日も暮れてしまい、ふたりは手近な酒場で向かい合っていた。
リュシアンは煮込みのようなもの、ローズは焼いた小麦の皮で肉を包んだものを注文した。
儀礼的に酒も頼んだが、警戒を解いていないからか、ローズが手を付ける気配はない。
「言ったよ。王都中の女の子が、僕の演目を待ってるからね」
とぼけたように躱す彼の頬は、久々に過ごしたリュートの余韻で紅潮している。
「リモネラ嬢の身の上話を思い出しました」
程なく料理が到着し、ローズは皮包みを手に取るとがぶりと噛みついた。大きなひとくちが齧り取られ、仮面の下へ消えていく。
「ああ、よく覚えてたね。婚約者とうまくいかなくて悩んでた。彼女たちから物語のヒントをもらって、僕はみんなのための戯曲を作る」
リュシアンは場違いなほど上品にスプーンで煮込みを掬い、高貴な口に合わなかったのか顔を顰めた。
「……花園のどなたかが、恋人なのかと」
「あはは。花園は見て楽しむものだよ。摘み取るのは野暮のすることさ」
口直しに安ワインを煽ったものの、追い打ちのような渋さに途方に暮れた顔をしているリュシアンに、ローズが珍しく言い募った。
「では、やはり学園時代にご執心だったというピンク髪の」
「君までそんなことを言うの? あれは弟のアスランが……。そういえば、君もピンク髪だって言ってたよね」
ローズはフードから覗く己の髪にちらりと目を遣る。
「ええ、まあ。この見た目で得なことなどありませんが。……可憐なご令嬢と違って、騎士にとっては舐められるばかりで」
ローズはそこで言葉を切った。店の外から、鋭い殺気が近づいてくるのを感じたからだ。
神経を研ぎ澄ませて気配を探る。裏手まで囲まれてはいないようだ。
「リュシアン様、そちらの赤い扉から逃げてください」
囁くように告げる。ローズの体が、わずかに沈み込んだ。
しかしリュシアンは動かない。ローズは押し入ってきた暴漢に駆け寄った。すかさず1人に足払いをかけ制圧する。
倒れた男が卓にぶつかり、弾みで杯が倒れ、酒が飛び散る。悲鳴と怒号と皿が飛び交い、酒場は大混乱だ。
「リュシアン様、早く!」
押し入ってきた暴漢はあと4人。主を守りながら戦うには、数が多すぎる。焦ったローズの声に険が混じる。
「リュシアン様!」
聞き分けのない主を振り返ると、そこには。
迷子の子供のように途方に暮れたリュシアンがいた。
「……っ。出て! 右の扉から!」
一瞬の虚を突いてがら空きの背中を切り付けられたが、構ってはいられない。頷いたリュシアンが扉の向こうに消えるのを見届けてから、ゆっくりと振り向いた。
仮面の下に垣間見える唇が、残忍な弧を描く。
焔立つような己の殺気が、聊か私情を含みすぎていることには、今は目を瞑ってもいいだろう。




