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──壁が、聳え立った。
いや、壁ではない。人だ──と、リュシアンが理解するのにひと呼吸必要だった。
鈍色に光る重装鎧。よく見れば、見上げるほど背が高いわけでもないのに、とにかく圧倒的なオーラがそれを巨大にみせていた。
「……で、この鎧が、なんだって?」
リュシアンが聞き直すと、リーンハルトは揶揄うように眉を跳ね上げた。
「何度も言わせるな。お前の護衛だ」
「ハッ、ローゼンステインと申します!」
鎧は"Ut"の音階で名を名乗ると、ガシャンと踵を打ち付け敬礼した。仄かに鉄の臭いが漂う。鎧に隠れて見えないのに、その身体が鍛え抜かれていることは明らかだ。
「武で知られる辺境伯領の掌中の珠だ。無理を言って貸してもらった。ローゼンステインを側に置く限り、この王都でお前を害せる者はいないだろう」
リーンハルトは執務室の机に肘をつき、長い指を組んだ。
「学園での髪切り事件をきっかけに、私の婚約も一旦は白紙となってしまった。改めて婚約を締結するには時間もかかるだろう。アスランは臣籍降下させてしまったし」
リーンハルトはふ、と言葉を切った。
学園を卒業して間もない、立太子を済ませたばかりの青年ではあるが、リーンハルトには既に為政者の風格がある。
「この状況で万一のことがあれば、リュシアン、第二王子のお前にすべてが行く。阿るものも、弑そうとするものも桁違いに増えるだろう。──それから」
リーンハルトはにやりと笑った。これは王子ではない、兄の顔だ。
「お目付け役も兼ねている。方々に種を撒いたりして、王統を混乱させぬようにな」
「ちょっ、兄上。言い方!」
リーンハルトにはこういうところがある。権謀術数渦巻く王宮で、肉親でさえ自分をチェス盤の駒のように扱う。
なのに、この腹違いの兄だけは、時折こうやって気安い一面を見せるのだ。
「お前も花園なんか作るのはやめて、一人に絞れ。多少の家格の差であればなんとかしてやろう。──ああ」
リーンハルトは、名乗ったきりで微動だにせず直立している鎧にちらりと目を遣った。
「お前、学園であのピンク髪にご執心だったそうじゃないか。せめてもの情けに、護衛はピンク髪を選んでやったぞ」
「ピンク髪って……。あれは、アスランがべた惚れの平民の子を揶揄ってやっただけだよ。僕は、髪の色なんかどうでもいいし」
それにたとえ、ほんとうにピンク髪が好みだったとしても……。
「僕は、ゴリマッチョの男に、興味はない!!」
リュシアンが叫ぶと、リーンハルトは耐えきれないというように声をあげて笑った。




