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蒼き竜の継承者  作者: みなと劉


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第6話:風見の峠の夜

風見の峠の山小屋は、外見以上に居心地の良い場所だった。

 石造りの壁は厚く、外の冷たい風を完全に遮断してくれる。

 暖炉には薪が用意されており、ガルムが慣れた手つきで火を起こすと、小屋の中は温かいオレンジ色の光に包まれた。


「ここは昔からの旅人宿じゃ。管理人はいないが、利用者が次の人のために薪や基本的な備品を補充していく仕組みになっている」


「良いシステムですね」


 アルトはリュックサックを降ろしながら、小屋の中を見回した。

 木製のテーブルと椅子、二段ベッドが二つ、そして料理用の簡単な設備が整っている。

 壁には歴代の旅人が残した落書きやメッセージが刻まれていて、まるで冒険の歴史博物館のようだった。


『この場所...とても温かい気持ちを感じるわ』


 セレスがアルトの肩から飛び降りて、暖炉の近くに止まった。

 炎の光が彼女の蒼い鱗に反射して、まるで小さな宝石のように輝いている。


「多くの人々の優しい想いが残っているからじゃろうな」


 ガルムが夕食の準備を始めながら答えた。


「アルト、外の井戸から水を汲んできてくれるか?」


「はい」


 小屋を出ると、夜の山の空気がアルトの肌を刺した。

 昼間の暖かさとは打って変わって、峠の夜は肌寒い。しかし、空気は澄み切っていて、深呼吸すると肺の奥まで清められるような感覚がした。

 井戸は小屋の裏手にあった。

 手押しポンプを操作して水桶に水を汲みながら、アルトは周囲の静寂に耳を澄ませた。虫の鳴き声、遠くで鳴くフクロウの声、そして風が木々を揺らす音。

 都市では決して聞けない、自然の交響曲だった。

 しかし、その静寂を破る微かな音が聞こえてきた。

 遠くの方から、何かが地面を踏みしめる音。しかもそれは、普通の動物のものとは違う、不規則なリズムを刻んでいる。


「何だろう...?」


 アルトは竜心石に手を当てた。

 石は普段よりも強く脈動していて、何らかの危険を感じ取っているようだった。

 急いで小屋に戻ると、セレスが不安そうに羽を震わせていた。


『アルト、何かが近づいてくる。でも普通の生き物じゃない』


「僕も感じました。何か変な音が聞こえて」


 ガルムは料理の手を止めて、窓の外を覗いた。


「魔獣かもしれんな。この時期、峠では時々目撃される」


「危険ですか?」


「種類によるが、用心に越したことはない。窓と扉を確認して、しっかりと施錠するのじゃ」


 三人は手分けして小屋の戸締まりを確認した。

 幸い、建物は頑丈で、窓には鉄格子がはめられている。魔獣程度なら、簡単には侵入できないだろう。


「今夜は交代で見張りをしよう」


「僕も手伝います」


「いや、アルトは明日に備えて休め。わしとセレスで十分じゃ」


『私は夜でも目が利くから、見張りは得意よ』


 夕食は簡素だったが、心のこもったものだった。

 ガルムが作った山菜のスープと、村から持参した保存食のパン、そして薬草茶。

 山での食事は、普段の何倍も美味しく感じられる。


「じいちゃん、父さんもこんな風に旅をしていたんですか?」


「そうじゃな。ただし、トーマスは一人で旅をすることが多かった。竜語りの修行は、基本的に孤独なものじゃからな」


『でも、私たちがいるから、アルトは一人じゃないわ』


「そうじゃ。お前は父親よりも恵まれているかもしれん」


 食事をしながら、ガルムは昔の冒険談を聞かせてくれた。


「わしが若い頃、この峠で雪男に遭遇したことがある」


「雪男?」


「巨大な毛むくじゃらの生き物でな。最初は恐ろしかったが、実際に会ってみると意外に優しい奴だった」


『雪男は古代の森の守護者よ。本来は人間に敵意を持たないの』


「セレスも知っているのか?」


『竜族の記憶に残っているの。昔は人間と雪男と竜族が、みんな仲良く暮らしていた』


「そんな時代があったなんて、信じられません」


「信じるのじゃ、アルト。そして、いつかその時代を取り戻すのがお前の使命かもしれん」


 外では相変わらず、得体の知れない足音が聞こえている。

 時折、小屋の周りを何かが歩き回っているようだった。


「気になりますね」


「魔獣は基本的に臆病じゃ。こちらから危害を加えなければ、攻撃してくることは少ない」


『でも、忘却の霧の影響を受けた魔獣は、時々異常な行動を取ることがあるの』


「異常な行動?」


『本能が狂わされて、無差別に攻撃的になったり、逆に極端に人懐っこくなったり』


 その時、小屋の扉が軽くノックされた。

 三人は息を呑んで身を寄せ合った。

 コンコン、コンコン。

 規則正しいノックの音。まるで人間がドアを叩いているような、礼儀正しい音だった。


「まさか...人間か?」


 ガルムが慎重に扉に近づく。


「どちら様ですか?」


 外から、か細い女性の声が聞こえてきた。


「すみません...道に迷ってしまって...一晩泊めていただけませんか?」


 ガルムとアルトは顔を見合わせた。

 こんな夜中に、一人で峠を歩く女性がいるとは考えにくい。


『気をつけて。その声...何かおかしい』


 セレスが警告するように羽を広げる。


「お名前を教えていただけますか?どちらからいらしたのですか?」


 しばらく沈黙があった後、再び声が聞こえた。


「私は...私は...」


 声が徐々にかすれて、最後は不明瞭になった。

 そして、扉の外から足音が遠ざかっていく。


「やはり魔獣だったようじゃな」


「人間の声を真似る魔獣がいるんですか?」


「『ミミック』という種類の魔獣じゃ。人間の声や姿を模倣して、油断させようとする」


『本当に危険な魔獣ね。でも、純粋な心を持つ者には、その正体を見破ることができるの』


「セレスが警告してくれて良かった」


 窓の外を覗くと、月明かりの下に奇妙な影が見えた。

 人間のような形をしているが、動きがどこかぎこちない。それは小屋の周りを何度か歩き回った後、森の中へと消えていった。


「今夜は本当に気をつけないといけませんね」


「そうじゃ。ただし、過度に恐れる必要はない。この小屋は古くから旅人を守り続けてきた。きっと今夜も大丈夫じゃ」


 夜が更けるにつれて、外の音は次第に静かになった。

 ガルムが最初の見張りを引き受け、アルトは二段ベッドの下段で休むことになった。


『おやすみ、アルト』


 セレスが彼の枕元に丸くなって眠る準備をする。


「セレス、今日一日どうだった?」


『とても充実していたわ。新しい場所を見て、新しいことを学んで...そして、兄さんに一歩近づけた』


「明日はもっと大変になりそうだけど」


『でも、私たちなら大丈夫。お互いがいれば、どんな困難も乗り越えられる』


 アルトは竜心石を握りしめながら眠りについた。

 石の温かい脈動が、まるで子守唄のように彼を安らかな眠りに導いてくれる。

 しかし、その夜、アルトは再び鮮明な夢を見た。

 夢の中で彼は、美しい氷の洞窟の中にいた。洞窟の奥で、風竜ゼファーが待っている。

 しかし、ゼファーの周りには暗い影があり、何らかの危険が迫っているようだった。


『アルト...急いで...時間がない...』


ゼファーの声が夢の中で響く。


『封印が弱くなっている...このままでは...』


 夢は突然途切れ、アルトは冷や汗をかいて目を覚ました。

 まだ夜中だったが、竜心石が強く光っている。


『アルト、大丈夫?悪い夢を見たの?』


「セレス...ゼファーが危険な状況にあるかもしれない」


『どういうこと?』


 アルトは夢の内容を詳しく話した。

 セレスの表情がどんどん深刻になっていく。


『それは予知夢かもしれない。竜語りには時々、未来の出来事が夢に現れることがあるの』


「だとすると、急がないといけない」


『でも、無謀は禁物よ。準備を整えて、安全に進むことが大切』


 翌朝、アルトは夢の内容をガルムに報告した。


「予知夢か...トーマスにもそういう能力があった」


「どうすればいいでしょう?」


「予定を早めて出発しよう。ただし、安全は最優先じゃ」


 朝食を早めに済ませ、三人は風見の峠を後にした。今日の目的地は蒼氷の谷。より険しい道のりが待っている。

 しかし、アルトの心は決まっていた。

 ゼファーを、そしてセレスの家族を救うために、全力で前進するのだと。

 空を見上げると、雲の切れ間から青い星が見えた。

 それは昼間だというのに、はっきりと輝いている。


 まるで、彼らの決意を祝福するかのように。


第6話 完


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