第4話:竜心石の導き
翌朝、アルトは今まで経験したことのない鮮明な夢から目覚めた。
夢の中で彼は青い空を飛んでいた。
セレスと一緒に雲の間を駆け抜け、美しい島々を見下ろしていた。
そこには色とりどりの竜たちと、彼らと共に暮らす人々がいた。
しかし、夢の終わりに現れた暗い雲の記憶が、胸に重い影を落としていた。
『おはよう、アルト。良い夢を見た?』
セレスが心配そうに見上げている。
昨夜から彼女の声がより鮮明に聞こえるようになっていた。竜心石の効果だろう。
「君の故郷の夢を見たよ。とても美しい場所だった」
『私の記憶が、あなたにも流れ込んでいるのね。竜語りと竜族の絆が深まると、そういうことが起こるの』
アルトは胸元の竜心石に触れた。
石は温かく、微かに脈動している。
まるで第二の心臓のようだ。
「今日は特別な一日になりそうだね」
朝食の時間、ガルムは普段とは違う緊張した面持ちだった。
「アルト、今日の午後の件じゃが...準備はできているか?」
「はい。でも正直、何をすればいいのかよく分からなくて」
「心配するな。竜心石が導いてくれるじゃろう。お前の父親もそうだった」
ガルムは古い革袋から、見たことのない道具を取り出した。
「これは『記憶の水晶』じゃ。古い遺跡で使うもので、過去の出来事を映し出すことができる」
「過去の出来事?」
「その場所で起こったことを、魔法的な残響として記録している。特に強い感情や魔力が関わった出来事は、長い間残り続けるのじゃ」
水晶は手のひら大の透明な石で、内部にかすかに青い光が宿っていた。
「お前の父親は、この水晶を使って禁足の森の秘密を調べていた。今度はお前の番じゃ」
『その水晶...とても古い魔法の香りがするわ』
セレスが興味深そうに羽を震わせる。
「セレスも何か感じるんですか?」
「竜族は魔法に敏感じゃからな。特に蒼竜は、記憶や時間に関する魔法との親和性が高い」
朝の放牧を終えると、アルトはマリアの薬師店を訪れた。
セレスの傷は完全に治っており、もう薬は必要なかった。しかし、今日は別の相談がある。
「マリアさん、竜心石についてご存知ですか?」
「竜心石?」
アルトはペンダントを見せた。
マリアの目が驚きで大きく開かれる。
「まあ...本物の竜心石じゃない。こんなに美しく光るものは滅多に見られないわ」
「祖父から受け継いだんです。父の形見だそうで」
「あなたのお父さんは...もしかして竜語りだったの?」
「ご存知なんですか?」
マリアは奥の部屋から古い本を持ってきた。
「実は、私の祖母の記録にも竜語りのことが書いてあるの。トーマス・ウィンドブレイカーという名前も出てくるわ」
「本当ですか?」
マリアはページをめくって見せた。
そこには確かに父の名前が記されている。
「『今日、若い竜語りが傷ついた風竜を連れてきた。トーマスという青年で、竜との絆の深さに驚かされた。彼なら、失われた古い知識を復活させることができるかもしれない』」
『あなたのお父さんも、竜を助けていたのね』
「風竜?」
「そうよ。風を操る力を持つ竜族。でも、その後の記録がないの。おそらく...」
「病気で亡くなったからですね」
「そう。でも、彼の志は息子であるあなたに受け継がれているのね」
マリアは微笑んで、小さな袋をアルトに手渡した。
「これは『真実の粉』。記憶の水晶と一緒に使うと、より鮮明に過去を見ることができるわ。今日の調査に役立つでしょう」
「ありがとうございます」
「気をつけてね、アルト。古い遺跡には、時として危険な記憶も眠っているから」
午後、アルトとガルムは禁足の森へ向かった。
ガルムは長い間この森に入ったことがなく、緊張している様子だった。
「最後に来たのは、お前の父親と一緒だった時じゃな。もう二十年近く前のことじゃ」
「父さんと一緒に?」
「そうじゃ。あの時も、今日と同じように記憶の水晶を持参した。しかし、途中で引き返すことになってしまった」
「なぜですか?」
「お前の母親が産気づいたからじゃ。お前が生まれる日だった」
森に入ると、セレスが落ち着かない様子を見せ始めた。
『この森...何かが変わっているわ』
「どう変わってるの?」
『魔力の流れが活発になっている。まるで何かが目覚めかけているみたい』
ガルムも同じことを感じているようで、頻繁に立ち止まって周囲を確認していた。
「確かに、以前とは空気が違うな。まるで古い魔法が蘇りつつあるような...」
石の祭壇に到着すると、アルトは驚いた。
数日前にセレスを見つけた場所が、明らかに変化していたのだ。苔に覆われていた石文字がより鮮明になり、祭壇全体がかすかに青く光っている。
「すごい...こんなにはっきりと文字が読めるなんて」
『これは古代竜語ね。「調和の祭壇」と書いてある』
「調和の祭壇?」
ガルムが記憶の水晶を取り出した。
「この祭壇は、人間と竜族の絆を深めるために作られた特別な場所じゃ。お前とセレスの出会いも、偶然ではないのかもしれんな」
アルトは竜心石を握りしめて、祭壇の中央に立った。
すると、石がより強く光り始める。
『アルト、私も一緒に』
セレスが彼の肩に止まると、祭壇全体が温かい光に包まれた。
「今じゃ!真実の粉を撒くのじゃ!」
アルトはマリアからもらった粉を空中に振りまいた。
すると、記憶の水晶が激しく光り、空中に映像が浮かび上がった。
最初に現れたのは、数日前のアルトとセレスの出会いの場面だった。しかし、映像は徐々に時を遡っていく。
次に見えたのは、若いガルムと青年時代のトーマスが同じ場所に立っている光景だった。
トーマスの肩には美しい風竜が止まっている。
『お父さん...』
セレスが感動の声を上げる。
「あの風竜は...」
『私の兄さんよ。ゼファー。家族の中で一番年上だった』
映像の中で、トーマスとゼファーは何かを調べているようだった。
祭壇の周りの石文字を読み、古い巻物と照合している。
さらに時が遡ると、もっと古い時代の光景が現れた。多くの人間と竜たちが祭壇の周りに集まり、何らかの儀式を行っている。
人間たちは美しい服を着て、竜たちは様々な色の鱗を輝かせていた。
『これは...調和の儀式ね』
「調和の儀式?」
『年に一度行われていた特別な儀式。人間と竜族の絆を更新し、お互いの理解を深めるためのもの』
儀式の中心には、巨大な蒼い竜がいた。
その竜は他の竜たちよりもはるかに大きく、威厳に満ちている。
『竜王アズライト...私たちの始祖よ』
「セレスの先祖?」
『そう。すべての蒼竜の母』
しかし、映像は突然暗転した。
次に現れたのは、空を覆う黒い雲だった。
忘却の霧がゆっくりと森を覆い、人々と竜たちが慌てて逃げ惑っている。
『あの時の記憶...』
セレスが震え声で呟く。
映像の中で、竜王アズライトは最後まで人々を守ろうとしていた。
しかし、霧の力は強大で、やがて彼女も光に包まれて姿を消した。
「竜王も霧に...」
『でも、消えたのではなく封印されたのよ。どこかで眠っているはず』
映像が終わると、祭壇の光も徐々に薄れていった。しかし、アルトの竜心石はより強く輝いている。
「すごい体験だったな...」
ガルムが感慨深そうに呟く。
「じいちゃん、父さんは何を調べていたんでしょう?」
「おそらく、忘却の霧を解く方法じゃろう。そして、失われた竜族を取り戻す術を」
その時、祭壇の石文字が新たに光り始めた。
今まで見えなかった文字が浮かび上がってくる。
『「蒼き血と語る心が一つになる時、失われし絆再び結ばれん。星の導きに従い、三つの試練を越えよ。されば封印解かれ、調和の時代再び訪れん」』
セレスが古代竜語を翻訳してくれる。
「三つの試練?」
『詳しくは分からないけれど...きっと私たちが受けるべき試練のことね』
ガルムが石文字を見詰めている。
「お前の父親も、この文字を見たじゃろう。そして、いつかお前がここに来ることを予見していたのかもしれん」
「でも僕は...まだ竜語りとして何もできていません」
『そんなことないわ。あなたは私を助けてくれた。それだけでも立派な竜語りよ』
その時、空から美しい鳴き声が聞こえてきた。
三人が見上げると、一羽の青い鳥が旋回している。
『あれは...伝令鳥?』
「伝令鳥?」
『竜族が使う特別な鳥。重要なメッセージを運ぶの』
鳥はゆっくりと降りてきて、アルトの前に小さな巻物を落とした。
巻物には古代文字で短いメッセージが書かれている。
『「北の山、氷の洞窟で待つ。月が満ちる前に来たれ。―風竜ゼファー」』
「ゼファー!セレスの兄さんからだ!」
『本当に?兄さんが生きてるの?』
セレスの瞳が希望の光で輝いている。
「北の山...あそこは険しい道のりじゃが」
「行きましょう、じいちゃん」
「しかし、お前にはまだ早すぎるかもしれん」
『でも、これは私たちに与えられた最初の試練かもしれないわ』
アルトは竜心石を握りしめた。
石は温かく、まるで「行け」と背中を押しているように感じられる。
「行きます。セレスの家族を見つけるためにも」
ガルムは長い間考え込んでいたが、やがて頷いた。
「分かった。ただし、十分な準備をしてからじゃ。北の山は危険な場所でもあるからな」
森を出る時、アルトは振り返って祭壇を見つめた。
古い石は再び静寂に戻っているが、確実に何かが始まっているのを感じる。
『アルト、怖くない?』
「正直、怖いよ。でも同時にワクワクしてる。やっと自分の本当の使命が見えてきた気がするんだ」
『私もよ。家族に再会できるかもしれないと思うと、胸が躍る』
夕食の時間、ガルムは北の山への旅の計画を話してくれた。
「三日間の道のりじゃ。途中、山小屋で一泊する必要がある」
「危険はありますか?」
「野生動物もいるし、天候も変わりやすい。それに...」
ガルムは声を潜めた。
「最近、山で魔獣の目撃情報があるのじゃ」
「魔獣?」
「忘却の霧の影響で生まれた、歪んだ生き物たちじゃ。普通の動物よりもはるかに危険」
『でも、竜語りと竜族が一緒なら、きっと大丈夫』
セレスが勇気づけるように鳴く。
「そうじゃな。お前たちの絆があれば、困難も乗り越えられるじゃろう」
その夜、アルトは明日からの旅の準備をしながら、胸の高鳴りを抑えることができなかった。
ついに本格的な冒険が始まるのだ。
竜心石は枕元で温かく光り続け、まるで明日への希望を灯しているようだった。
『アルト、明日から私たちの本当の物語が始まるのね』
「そうだね。どんなことが待っていても、一緒に乗り越えよう」
『もちろん。私たちは運命の仲間だもの』
窓の外では満天の星が輝いている。
北の空には、特に明るく輝く青い星があった。
それはまるで、彼らの旅路を祝福しているかのようだった。
そして、遠い北の山では、美しい風竜が洞窟の入り口で空を見上げていた。
長い間待ち続けた再会の時が、ついに近づいているのを感じながら。
第4話 完




