第34話 銀色の夜明け
翠嶺の館の屋上に残る星屑が、夜明けの薄明に溶けていく。アルト・ウィンドブレイカーは、まだ冷たい朝露に足を浸しながら、遠くにそびえる帝都の城壁を見つめていた。セレス・サファイアウィングがそっと隣に寄り、翼の一枚でアルトの肩を包む。
「今日は第一回〈人竜合同委員会〉の日ね」
「うん。ここからが本当の正念場だ」
夜の祝宴で交わされた誓いは、あくまで序章に過ぎない。今朝、帝国宰相府の大理石の会議室に集うのは、人間側六名、竜族代表三頭、そして調和者アルトの総十名。そこでは、教会の〈調和法典〉に基づく初の法案――「災害対策協力規程」が審議される予定だった。
館の中庭を抜け、長い回廊を歩いていると、アリシアが慌ただしく走り出てきた。
「アルト様、セレス様! 大変です――」
「どうした?」
「委員会開始前に、衛士から報告がありました。広場の倉庫地区で、通行人が突然倒れ、意識を失っていると!」
アルトとセレスは顔を見合わせた。竜族と人間が初めて制度的に手を取り合うこの日に、何か仕組まれたのかもしれない。
「僕たちで様子を見てきます」
「私も同行します」
アルトの一言に、セレスが頷く。二人は青い光を纏いながら、足音を忍ばせて帝都の路地へ駆け出した。
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倉庫街。朝陽が鉄扉の隙間から差し込み、埃っぽい空気を琥珀色に染める。見つけたのは、数人の市民に囲まれた一体の身体。青年が床に横たわり、額に青白い文様が浮かんでいる。
「誰か、何が起きたか――」
「突然、頭が焼けるように痛くなって……気づいたらここに倒れてたんです」
青年は震えながら答えた。その手には、結界陣を思わせる赤い粉がわずかに付着している。
「竜族の力じゃない……暗黒魔法の痕跡だ」セレスが唇を噛む。
「大丈夫か?」アルトがそっと手を差し出すと、青年は驚いた表情で目を開いた。
「え……あ、はい。すみません、特に何もしていません」
「この粉はどこで手に入れた?」
「昨日、港で荷役を手伝っていたら、見知らぬ男から渡されたんです。『竜族と協力する奴らに災いあれ』って……」
その言葉に、アルトの胸が締めつけられた。成功したはずの調和への道は、すでに誰かの憎悪によって踏みにじられようとしていたのだ。
「君は回復魔法で大丈夫そうだ。すぐに帝都医療院へ送ろう」
「ありがとうございます!」青年の目に、安堵の光が戻る。
アルトは青年を抱き起こし、セレスとともに空を飛び立った。倉庫街に残された赤い粉が、朝の風にかき消される。
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帝都宰相府。大理石の柱廊を進むアルトとセレスの前に、ロバート王国から派遣された調和顧問、リカルド・ピースメーカーが待っていた。
「アルト殿、早い到着だね」
「倉庫街で暗黒魔法の事件がありまして……参加者に被害が及ぶ前で良かったですが、対策が急務です」
リカルドは資料を広げながら、眉を寄せた。
「数日前には市庁舎前でも似たような事案がありました。『純粋主義者』の残党、あるいは新たに暗躍する〈偽りの使徒〉か。対策委員会でも危険視されている組織です」
「ならば、第一次審議は中断して、緊急議題を追加しましょう」
「『反調和勢力によるテロ防止法』の草案を緊急提案しますか?」
アルトは深呼吸し、静かに頷いた。
「まずは全市民に向けて、皇帝陛下と私から声明を出しましょう。調和の道を慕う者たちを脅かす者は必ずいる。しかし、私たちは恐れず、共に立ち向かう――と。次に、人竜合同委員会の議員に対し、厳格な警備と身辺警護を要請します」
リカルドは資料にペンを走らせた。
「了解しました。では、緊急声明を即日発表。委員会も午後から再開、議題を二本立てとします。夜明けからここまでの流れも詳細に報告し、威嚇に屈しない決意を示しましょう」
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正午前。帝都中央広場。大理石の演壇の上に、マクシミリアン皇帝が立つ。広場を囲む群衆は真剣な面持ちで耳を澄ませている。
「帝国民よ――新たな脅威が我が国を揺るがそうとしている。だが我々は、決して後退しない。人と竜が手を取り合い、この国を築いた先人たちの志に背くことはしないのだ」
アルトも横に立ち、力強く続けた。
「純粋主義の残党、偽りの使徒――どのような名であれ、彼らは恐怖と憎悪を撒き散らす存在です。私たちは恐れず、正義と調和の力で迎え撃ちます!」
群衆から一斉に拍手と歓声が湧き上がった。空にはセレスとゴールデンクロウが警備飛行に就き、廃屋や高楼を監視している。
『これで安心だろうか』ゴールデンクロウが低く呟いた。
『憎しみは根深い。今日の声明だけでは収まるまい』
セレスが彼の胸元に寄り添い、そっと囁く。
『でも、これ以上後退はできないわ。私たちが先頭に立って示さないと――』
ゴールデンクロウは静かに頷いた。
『よかろう。我らの力を以て、帝国を守ろう。切り札はまだ隠しておる』
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午後。宰相府の大理石の会議室。人竜合同委員会の席上、冒頭で緊急議題が可決された。議員たちは真剣な表情で資料を読み込み、意見を交わしている。
「――まず、反調和勢力の摘発強化を。魔法警備隊の権限拡大と、関係者の厳罰化を求めます」
「人権の観点から慎重に。疑わしきは罰せず、透明な調査手続きを整備すべきです」
調和派、反調和派双方の代表が議論を重ねる中、アルトは議長席で目配せし、時折セレスがテレパシーで調整役を務める。だが――
「そろそろ本題の〈災害対策協力規程〉にも着手したいのですが……」アルトが切り出したその瞬間、窓外の雷鳴のような轟音が会議室を揺るがした。
「何事だ!?」
「――一斉に見てください」
窓の外、帝都の上空を黒い竜影が千鳥のように飛び交っている。青黒い稲光が、その龍影を刻々と浮かび上がらせた。
「――あれは一体」
「も、もしかして……ダークドラゴンの群れ?」
委員たちの声がざわめく。通報を受け、魔法警備隊の飛行部隊が背後の小窓から展開していく。
黒雲を背にした龍影は、一度も鳴かず、ただ低く唸りを上げながら都市の中心部へ向かっている。まるで、調和を破壊する使者のように――。
アルトは瞳をぎゅっと閉じ、剣の柄に手をかけた。
「来るぞ……本当の試練が」
その言葉に、会議室の全員が息を呑んだ。窓外の黒い群竜と、崩れかけた調和の危機。物語は、さらに深い闇へと進もうとしていた――




