第10話:氷の洞窟の秘密
記憶の扉をくぐった一行は、氷の洞窟の入口に立っていた。
洞窟の奥から漂ってくる空気は、これまで経験したどの場所よりも冷たく、そして不思議な魔力に満ちていた。
洞窟の壁は完璧な氷で覆われ、その表面には古代の文字や絵が浮かび上がっている。
「すごい...まるで氷の宮殿みたいです」
『この洞窟は、古代竜族の最も神聖な場所の一つじゃ』
グラシアが敬虔な面持ちで説明する。
『ここには、竜族と人間の最初の契約が刻まれているのじゃ』
洞窟の壁面を見ると、確かに竜と人間が手を取り合っている絵が彫られている。
それは数千年前の光景を表しているのだろう。
『兄さん、この奥に他の家族がいるの?』
セレスが希望を込めて尋ねる。
『そうじゃ。父上と母上、そして姉上も...みんな忘却の霧によって深い眠りについている』
ゼファーの声には悲しみが混じっている。
『しかし、眠っているだけじゃ。霧の源を断てば、きっと目覚めてくれる』
アルトは竜心石を握りしめた。石はこれまでになく強く光っていて、まるで重要な瞬間の到来を告げているようだった。
「みんなを必ず助け出します」
『ありがとう、アルト。君の決意を感じる』
洞窟の奥へ進んでいくと、通路は複数に分かれていた。
しかし、不思議なことに、どの通路も同じように見える。まるで迷路のような構造になっている。
『この洞窟にも試練が仕組まれているのじゃ』
グラシアが氷の魔法で通路を調べながら説明する。
『真実を見極める心がなければ、正しい道は見つからない』
「真実を見極める心?」
『そうじゃ。外見に惑わされず、本質を見抜く力じゃ』
アルトは目を閉じて、心を静めた。
竜心石の導きに従って、内なる声に耳を傾ける。
すると、一つの通路から微かに温かい感覚が伝わってきた。それは家族の愛のような、優しい温もりだった。
「あちらです」
アルトが指差した通路に向かって歩いていくと、やがて広い空間に出た。
そこは円形のホールになっていて、中央には美しい氷の台座があった。
台座の上には、三体の竜が深い眠りについている。雷竜のサイラス、治癒竜のルナ、そして氷竜のオーラ。セレスの家族だった。
『お父さん!お母さん!姉さん!』
セレスが感動的な声を上げて、家族のもとに駆け寄る。
しかし、三体の竜は氷の魔法によって完全に凍結されていて、呼びかけにも反応しない。忘却の霧の力によって、深い眠りに封じられているのだ。
『なんて美しい...でも、なんて悲しい光景なの』
セレスの声が震えている。
『大丈夫じゃ。必ず目覚めさせることができる』
グラシアが慰めるように言う。
『しかし、そのためには忘却の王を倒さねばならん』
ホールの奥には、さらに深い洞窟への入口があった。
そこから漂ってくる空気は、邪悪な魔力に満ちている。
『あそこが忘却の王の住処じゃな』
ゼファーが緊張した面持ちで言う。
『みんな、準備はいいか?これから最後の戦いが始まる』
アルトは父親から受け継いだ短剣を抜いた。
刃には竜族の祝福が込められていて、青白い光を放っている。
「行きましょう」
一行は慎重に最奥部へ向かった。通路は次第に暗くなり、壁面には不気味な文字が刻まれている。
それは忘却の呪文らしく、見ているだけで記憶が曖昧になりそうな恐ろしい魔法だった。
『気をつけろ。この文字を直視してはいかん』
グラシアが警告する。
やがて、最奥部の巨大な空間に到着した。
そこは天井が見えないほど高く、中央には巨大な魔法陣が刻まれている。
魔法陣からは黒い霧が立ち上り、それが忘却の霧の源であることは明らかだった。
そして、魔法陣の中央には、恐ろしい姿の存在がいた。忘却の王。
それは竜のような形をしていたが、鱗は漆黒で、瞳は深い虚無の色をしている。周囲には暗黒のオーラが漂い、近づく者すべての記憶を奪おうとしている。
『ついに来たか...竜語りと蒼竜よ』
忘却の王が低い声で話しかけてきた。
その声は心の奥底に響き、恐怖を呼び起こす。
『我は長い間、この時を待っていた。貴様らの記憶を奪い、完全な忘却の世界を作り上げるために』
「あなたが忘却の王ですね」
アルトが勇気を振り絞って答える。
「なぜこんなことを?竜族と人間の平和を壊す理由は何ですか?」
『平和?』
忘却の王が嘲笑うように言う。
『そんなものは幻想に過ぎん。記憶があるから苦しみがある。過去があるから悲しみがある。すべてを忘れれば、真の平穏が訪れるのじゃ』
『それは間違っている!』
セレスが怒りを込めて反論する。
『記憶があるからこそ、愛がある。過去があるからこそ、未来に希望が持てるの』
『愚かな...』
忘却の王が魔法陣から立ち上がる。
その巨大な体は洞窟全体を震わせるほどの威圧感を持っていた。
『では、貴様らの記憶を奪って、その愚かさを思い知らせてやろう』
戦いが始まった。
忘却の王が放つ暗黒の魔法は、触れるだけで記憶を奪う恐ろしいものだった。
『みんな、離れすぎるな!』
グラシアが氷の盾を作って防御しながら叫ぶ。
ゼファーは風の魔法で忘却の王の動きを封じようとしたが、相手の力はあまりにも強大だった。
『くそ...一筋縄ではいかんな』
その時、忘却の王が最も恐ろしい攻撃を仕掛けてきた。幻覚の魔法。
突然、アルトの視界が歪み、目の前にセレスが苦しむ姿が現れた。
幻覚の中で、セレスが忘却の霧に飲み込まれて消えていく。
「セレス!」
アルトが幻覚に向かって駆け出そうとした瞬間、本物のセレスが彼を止めた。
『アルト!それは幻覚よ!私はここにいる!』
セレスの声が幻覚を打ち破る。
アルトは我に返り、竜心石の力でほんものの現実を見極めた。
「ありがとう、セレス。君の声で目が覚めた」
『私たちの絆は、どんな幻覚よりも強い』
二人の絆を見た忘却の王は、さらに激しい攻撃を仕掛けてきた。
しかし、アルトとセレスの心は完全に一つになっていた。
「セレス、一緒に戦おう」
『もちろん!』
竜心石とセレスの鱗が共鳴して、美しい蒼い光を放つ。その光は忘却の王の暗黒を押し返していく。
『この光...まさか、真の調和の力か?』
忘却の王が驚きの声を上げる。
『そんなものは伝説に過ぎないはず...』
「伝説ではありません。これは本物の絆の力です」
アルトとセレスの光は、グラシアとゼファーの魔法と融合した。
氷の力と風の力が蒼い光に包まれ、さらに強大な力となって忘却の王に向かっていく。
『うおおおお!』
忘却の王が苦悶の声を上げる。
『記憶の力...愛の力...絆の力...我には理解できん!』
しかし、戦いはまだ終わらなかった。
忘却の王は最後の手段として、洞窟全体を忘却の霧で満たし始めた。
『貴様らもろとも、この洞窟を永遠の忘却に沈めてやる』
霧が濃くなっていく中、アルトは大切な記憶を思い起こした。
祖父との穏やかな日々、セレスとの出会い、仲間たちとの冒険。
「僕は忘れない。絶対に忘れない」
『私も忘れない。家族との思い出、アルトとの絆、すべてを』
二人の強い意志は、忘却の霧を押し返していく。そして、ついに竜心石が最大の力を発揮した。
蒼い光の波動が洞窟全体に広がり、忘却の王を包み込む。その光は破壊ではなく、浄化の力だった。
『これは...何じゃ...暖かい...』
忘却の王の声が変わっていく。
暗黒のオーラが消え、その正体が明らかになった。
それは古代の竜王だった。長い間、忘却の霧に心を支配され、本来の姿を失っていたのだ。
『我は...我は一体何を...』
「大丈夫です。もう忘却の霧の影響はありません」
アルトが優しく語りかける。
『長い間、苦しかったでしょうね』
セレスも慰めるように言う。
古代竜王の瞳に、本来の優しさが戻ってきた。
『ありがとう...竜語りよ、蒼竜よ。汝らのおかげで、我は自分を取り戻すことができた』
忘却の霧が完全に消えると、洞窟に温かい光が満ちた。
そして、氷の台座で眠っていたセレスの家族が、ゆっくりと目を覚まし始めた。
『セレス...我が娘よ...』
サイラスが目を開けて、愛しい娘を見つめる。
『お父さん!』
『セレス、よく頑張ったね』
ルナが優しく微笑む。
『妹よ、立派に成長したね』
オーラも嬉しそうに羽を広げる。
家族の再会に、その場にいる全員が感動の涙を流した。
長い苦難の旅が、ついに報われた瞬間だった。
『アルト、本当にありがとう』
セレスが涙を浮かべながら言う。
『君がいなければ、この日は来なかった』
「こちらこそ、セレス。君との出会いが、僕の人生を変えてくれた」
古代竜王が一行に深く頭を下げた。
『汝らの勇気と愛に、心から感謝する。これからは真の平和な世界を築くために、力を尽くそう』
氷の洞窟での最後の戦いは終わった。しかし、これは終わりではなく、新しい始まりだった。
竜族と人間の真の調和の時代が、ついに幕を開けようとしていた。
第10話 完




