009 困らせる人怒らせる人
「っく、っクション」
カフェスタッフロボットが運んできたコーヒーを受け取り、口に運ぼうとしていたシキからいきなりくしゃみが出て、手に持ったコップが揺れた。
「シキ、大丈夫?」
同じテーブルを囲むマシロと話しをていたトウリは、シキの手元から珈琲の入ったカップを取ると、ポケットからハンカチを出してシキの手に近づけた。
「大丈夫だ、2,3滴こぼれたくらいだから、振ってれば乾く。
トウリの奇麗なハンカチを汚すことはない。」
トウリのハンカチを遮って珈琲のついた手を振っているシキに、滑車の音を立ててカフェルームを巡回していたスタッフロボットが近づいてきて、横から出したアームにティッシュを挟んでシキの手を丁寧に拭いて去っていった。
「可愛くて、なかなか気の利くスタッフね。」
呆然と見送るシキの隣でクスクス笑うトウリ、カフェスタッフに感心するマシロがバイバイと手を振るとカフェロボットの目が半月なり笑ったように見えた。
「カフェスタッフロボット可愛いくて、さすがヨウキさんが導入しただけありますね。
そう言えばさっきのシキさんのくしゃみ、きっと、ヨウキさんとか、アオバさんとか、タクトさんとかが噂してるんですよ。」
5階のカフェルームで自分のチームメンバーと一緒に一息ついていた茶菜は、後から隣のテーブルにやってきたマシロたちに、何かきっかけがあれば話しかけようと、うずうずしていて、チャンスとばかりに話を振った。
「ヨウキさんとか、アオバさんとか、タクトさんとか?」
困った後輩を見る目ではあるが、トウリとマシロの視線を勝ち取って瞳を輝かせたチャナとは逆に、チャナと同じテーブルにいるチームメンバーはどうフォローしたものかと内心困っている。
「とか、とか、とかって、省略して聞いてあげてください。
私たちグラスチームのメンバーは慣れてるんですけど、すみません、なんか、もう、うちのチャナがいつもいつも。」
チャナと同じチームで同期の女性が申し訳なさそうに頭を下げると、もう一人のチームメンバーの男性は片手で顔を隠して天井を仰いだ。
「本当に、年下の私でもちょっと恥ずかしいです。」
「杏に鳩羽まで、そういうなら、ちょっとだけ気をつけることにするよ。」
チャナは同じチームのアンズと1つ歳下のハトバに諭され素直に頭を下げた。
「気にしないで、チャナ、アンズ、ハトバも。
噂をされているというのは、きっと、あってると思うわ、私もね。」
マシロの隣で怪しい笑みを浮かべるココアに、パッと表情を明るくしたチャナは2,3度大きく頷いた。
「そうですよね!
くしゃみ1回は誰かに噂されていて、誹りと言われている説もありますけど、この場合はきっと良いことを言われている説の方だと思います。」
「私もそう思うわ、とりわけヨウキとアオバが、ふふふふふふふふ。」
隣のテーブルのチャナと笑い合うココアの横では、両腕を高いテーブルに乗せて体を乗り上げさせたニコがテーブル中央にふよふよ浮かぶ黄色くて小さなヒヨコに話しかけていた。
「ピヨちゃん、オーダーお願い。
ハワイコーヒーをバニラフレーバーで。」
テーブルの真ん中でニコの声に反応した小さなヒヨコがピッ!と声のする方に回転し、ピピッと鳴き声を上げると、奥の珈琲サーバーが稼働しだし、巡回していたカフェスタッフロボットが近づいて行った。
各テーブルの中央には小さなキャラクターがふよふよと浮かんでいて、入口に近いテーブルだとピンク色のツインテールを揺らす可愛らしいメイドが「オーダーしといたわよ。あ、あなたのためじゃないんだから。」とツンデレ風にオーダーを通していたりする。
「スマホでもオーダーできるけど、テーブルにいるキャラに頼む方が楽しいですよね。
これって、タクトさんの案でシキさんとトウリさんがプログラミング、ニコさんがキャラデザインして、ハードを製造メンバーが作ったって聞きました。」
ハトバが自分のテーブルの中央にいるホログラムのオウムに指を近づけると、口を開けて指をかむ動作をして、実体はないので何の刺激も受けないが見ているだけでくすぐったい。
その様子を満足気に見ているニコのもとにカフェスタッフロボットからオーダーしたコーヒーが届けられた。
「案を聞いてヨウキさんがすぐスケジュール化してセッティングしたと聞きました。
実現させるまでのスピードが半端ないですよね。」
アンズが憧れる気持ちを胸にホウッと息をはくと、よりかかっていたチャナが勢いよく手を挙げた。
「はい、はい、はい!私もそう思う。
今度行うマシロさんプロジェクトのテストゲームスタートもそうですよね!」
上げた手を握りこぶしに変えてマシロに迫るチャナに赤面するチームメンバーたち。
「ええ、そうね。
思ったより順調にスケジュールが進んでると思う。
サブプレイヤーに選ばれてるけどチャナと、ココアも、何か問題があったら言ってね。」
「問題や困ってることがあっても無くても、ヒヨコさんには勝てる気がしません!
だから、持てるもの全部使って体当たりするつもりです。
すごく楽しみです。」
元気のいいチャナに対して、落ち着き意味深に口角を上げるココアは不穏な言葉を口にしていた。
「今度の世界はチートなヒヨコがどう主人公を操るか、それ次第よね。
その二人を、私のテリトリーに誘い込めるのが楽しみだわ。
私のテリトリーで二人の関係をどうするか、ヒヨコがどうでるか、ふふふ、とても楽しみだわ。」
「うん、テストだけど楽しもうという二人の意気込みに、すごく期待してる。」
チャナとココアに対しての期待感を表すように、大きくワクワクと揺れているマシロの胸を見ながらチャナは、自分が言ったことはともかくとしてココアに対しても同じような期待感を向けているマシロに何となく無慈悲さを感じた。
「・・・マシロさんもすごく楽しそうですけど、タクトさんのことは心配じゃないんですか?
テストとは言え、彼氏が負けるのって嫌じゃないです?」
「んっ?」
思わぬことを聞かれて、マシロは?を頭上に出した笑顔で固まった。
チャナにとっては素朴な疑問を投げかけただけなのだが、同じテーブルにいた二人のチームメンバーは揃って顔色を変え、ハトバより僅差でチャナの近くにいたアンズが素早くチャナの袖を引いて自分の胸元に引き寄せた。
「ばか、何てことを言ってんの!
マシロさんはきっとタクトさんは絶対負けないって信じてるから、安心して言ってるのよ。」
相変わらず思ったことを口に出すチャナにアンズが冷や汗をかきながら耳元で小さく早口で囁くと、ハトバもそこに言葉を被せてきた。
「それはチャナさんが気にすることじゃないですって。
気になったとしても黙っていてください。
マシロさんを困らせてどうするんですか?」
アンズの胸元に体を預けたままのチャナはムゥと頬を膨らませ、「そんなこと言ってったって、、、」とぶつぶつ言っている。
そこに軽薄な声がいきなり割って入ってきた。
「また、チャナはチームメンバーを困らせているのか?」
「げっ茜哉、何しに来たの?」
金茶髪の男性が、前髪をふわっと払いながらアンズとチャナの前に近づいてきたが、隣の奥側のテーブルにいるシキを見つけると迷わずそちらに向きを変えた。
「何あいつ、人に話しかけておいて無視?」
「お疲れ様です!
ココアさん、ニコさん、マシロさん、トウリさん、そして、シキさん!」
一番最後に一番大きな声で自分の名を呼ばれたシキだが、自分の前に来た男性に全く覚えがない。
「えっと、誰だっけ?」
「ちょうどよかった、よかったらちょっとこっちで、また相談にのってもらえませんか?
ほら、あそこ、ボンッキュッボンッのチャイナドレスのおねーさんキャラがオーダー聞いてくれる人気のテーブルが今開いてるんで!」
「いや、だから、誰だっけ?」
金茶髪の男性は大げさなパフォーマンスで、両手をシキの肩に縋り付かせてシキの目を見つめたが、人と目を合わせるのが得意でないシキに顔の向きを変えられると、両手の力を抜きダランと落とした。
「なんっスかそれ?
この間は、結構踏み込んだところまで考えてくれたじゃないですか。
魔法世界のMAX値がどうとか、あと、なんだったかな。
あっ、そう、そう、主人公をどうするのかとか。」
金茶髪の男性は頭の後ろに手を組み、じれったいと言わんばかりに体を左右にくねらせている。
「この間?」
「そうです!カフェルームにまだ旧サーバーが置いてあったときです。」
シキとっては、企画の相談をオフィス内の誰かしらに受けるのは日常茶飯事であるため、この間がいつの何の話なのか、心当たりがありすぎて分からない。
自分を他のテーブルに引き連れていこうとする男性がどこの部署の何という名前なのかもまったく分からない。
「えっ!こんなに言っても思い出せないんですか?
薄情ですね!
俺ですよ、俺、数か月前にちょうどここで話してたじゃないですか!」
金茶髪の男性に見覚えが無く、薄情と言われ更に困ったシキは、要するに男性が相談したいことの話を具体的にすればいいだろうと考えた。
「前の話はともかく、今の話をしてくれ、そのさっき言ってた主人公が、何で、魔法世界のフィールドは幾つあり、1つのフィールドの規模はどのくらいか、とか。
そういうことを教えてくれ。」
「えー!何言ってるんですか?
企画のイメージを、現実にしていくことがプログラマーの仕事じゃないんですか?」
自分の周りにいる他メンバーによって只ならぬ気配になっていることに気がつかない金茶髪の男性は、まったく的外れな持論を言っているのだが、シキは真面目に説明を返し続けた。
「イメージをプログラム化するにしても、具体性がいる。
具体的に何もないなら、例えば「無」は「0」として、条件、選択肢がなければ「=0」としか返せない。
俺ができるかは条件を組み合わせていって結果を出すだけで。
ただそれだけだ。」
金茶髪の男性は髪をかき上げて冷たい声を出した。
「それだけって何ですか?
意外と使えないんですね。」
「そうだね、俺は使えないから、他の人に相談した方がいい。」
シキはさらに小さな声で付け加えた。
「子どもの頃は、よくそう言われてたし。」
「えっと?
最後なんて言ったか聞こえなかったんですが、まあいいや。
他の人って言われても、じゃ、プログラマーの中で一番できる人って誰なんですか?
、、、んっ?なんか寒気が?」




