035 タクトとシキ
数年前、学生だった頃、情報科のある大学に編入し、それに気がついたのは、割とすぐの頃だった。
科目教授の名前と顔、研究室、教室、購買に学生食堂などの位置など、最低限必要なことを覚えた頃には、背の高さ高く多少目立つのもあるためか、よく人に声を掛けられるようになった。
「タクトさん、もう、ランチ食べ終わったの?
それなら食後のお茶なんて一緒にどう?
私良い店知ってるの、それか、タクトさんのお勧めのとことかあったら教えて欲しいな。」
編入後の最初の授業で声をかけてきた同じ学科の可愛らしいショートカットの女の子。
「編入したばかりだし、この学校って広い上に、似た建物ばかりで迷わない?
私、また、案内してあげようか?
でもタクトさん記憶力すごいから、もう私より詳しくなっちゃってるかも?」
編入の手続きのために事務室の位置を聞くとそのまま案内してくれた、可愛らしい服がよく似合う女の子。
「同じ講義取ってるでしょ。
先輩たちのレポートとか、過去問とか、私結構持ってるから、見せてもいいし、他にもアドバイスできると思うわ。
でも、編入テスト満点に近かったと聞いたから、逆に私が教わった方がいいかも。」
科目教授の伝言を伝えに来てくれた、スレンダーで艶のある奇麗な髪の女の子。
名前は何だったかな、最初に彼女たちからそれぞれ自己紹介されたと思うけど、誰の名前も記憶にない。
だけどせっかく声を掛けてくれたので、お礼を言っておこう。
「有難う。」
皆一様に頬を染めて、明るい笑顔で思い思いに喋りながら一歩近づいてきて、自分の腕に手を乗せてくる子もいる。
いつもなら、このような誘いは断らずそのまま声を掛けてくれた彼女たちと一緒に行くのだが、今日はそれはやめておこう。
「ごめん。」
誤りの言葉を聞いて顔が曇った彼女たちはが、何か喋り始めようとしたけど、その前に遮った。
「残念だけど、これからちょっと行くところがあって、だから、もしよかったらまた誘って?
大学近くの美味しい店とかまだ分からないし、構内まだまだ迷うんだよね。
もちろん、過去のレポートや問題は歓迎かな。」
彼女たちは、自分を引き留める言葉を発しようと開いた口を閉じて、たくさんの瞬きをして、再び頬を染めた。
「うん、もちろん、じゃ、明日のお昼とかはどう?
確か、午前中は同じ講義よね、学食じゃなくて、私美味しいとこ知ってるから。」
「私も、せっかくだし一緒に行くわ。」
「私も、先輩からもらった資料とか見せてあげるから。」
そう言われれば、断る理由もないので、前提条件を付けて可能性を残す前向きな返事をする。
「うん、用事が無ければ、もちろんいいよ?」
息をするより簡単なことだ。
断ったのは、女の子たちから声を掛けられる前、学食から出た後、白衣を着た学生が俺の後を歩いていたことに気がついたからだ。
数日前に見かけた白衣を着た黒縁眼鏡の男子学生。
その時彼は、両手に抱えた大きな箱が邪魔で前がよく見えていない様子で、箱の横から覗き込んで何度も周りを見回していた。
それでも行く先が分からなかったようだ。
考えこんだ風に下を向き迷ったあげくに進む先を決めたようだが、行ってしまったはずの彼は、また同じ場所に戻ってきていた。
声を掛ける気はなく、ただ何となくゆっくりとすれ違ってみると、白衣に、大きな箱の中の実験容器、微かなエタノールの匂い、「薬学料って、どっちだったかな?」呟いて歩き出すと、たぶんそれが聞こえたんだろう。
俺が歩きだすと、すれ違った俺の背を目印にするように後をついて歩き出した。
薬学科にはもちろん用はない、偶々場所を知っていたので近くまで行くと、後ろをついて来ていた彼は、目的の場所に至ったようで、教室に入っていった。
最初は、たったそれだけのことだったけど、月に何回か同じようなことを繰り返すようになった。
思うに、広い構内で迷子になってしまい、迷っているところで背が高くて見つけやすい俺を、偶々目印にしてついて来ているのだと思い至った。
今日も学食を出て自販機で飲み物を買っているところを見つけられたようで、後をついて来ていたので、声を掛けてきた女の子と同じように名前も知らないけど、学部棟を分ける渡り廊下まで歩いて行くとやはりついて来ていた。
「今日は、薬学部の東棟の研究室、かな。」
何故わかるかと言うと、彼が抱える黒いバインダーの背に番号が振ってあるからだ。
たまに推理が外れて違う場所に行くこともあるけど、抱えてる荷物から他に可能性のある場所を考えて数カ所回ると、そのうちの必ず目的の場所にたどり着いた。
俺が気がついてないと思っているのかと言うと、そうでもないらしい。
たまに目が合うと、助かったと言わんばかりに表情が変わることがある。
俺が案内してくれることは彼の中で確定しているようで、ただ俺の中でもそれは確定事項になっていた。
名前も知らないけど。
東西南北、それに加えて異なる階からも出入りできるし、学部も多く、同じ学部の研究室が棟を分けてあったりもする。
いつもノートパソコンか分厚い本か、機材に資料など、何かを抱えて俯いて歩いているから、まともに自分がいた場所を覚えずに出てきてるのかも知れない。
気にはなるけど、声を掛けると逃げられるような気がするので、後ろに気配を感じたら持っているものから目的地を推測して、荷物を抱えた彼がついてこれるようにゆっくりと歩く。
友人でもなく、知り合いでもなく、頼まれた訳でもないのに、ルート案内をする。
ただのナビとユーザーのような関係が心地よかった。
それに気づいてからは誰にどんな声を掛けられても、ナビを最優先にして行動し、彼が目的地に入るのを見届けて自分の学部に戻るということをしていた。
その彼とは大学在学中にバイト出入り、卒業後にそのまま居ついたベンチャー企業で、数年後に再開した。
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「何故か知らないけど、俺が見つけると、タクトは俺の行きたい場所に行ってくれたんだ。
例えば、誰かと話していても、ちょうど話を切り上げたみたいなタイミングにあたってたみたいで、歩きだすんだ。
不思議だろ?」
シキはタクトと友人ではなかった頃の話をオフィスに一緒に戻ってきたマシロに話していた。
「不思議、というより、タクトとシキらしいというか。
2人だから成り立っていた関係というか、羨ましいわ。」
タクトとシキの大学のころの話を聞いていたマシロは、本心で二人の関係を羨ましいと感じている。
「あ、5階についたわ。
もう少し話を聞きたいけど、仕事優先よね。
落ち着いたら、タクトも一緒のときに話を聞かせて。
じゃ、またね。」
「ああ、タクトがいいって言ったら。
多分。」
エレベーターが5階につくと、マシロ1人が降りて、シキは乗ったまま扉が閉じた。
これは、話しても良かったのかと多少後悔したシキだが、マシロだし、今度タクトと一緒に話をすれば大丈夫だ、とタクトの話をマシロに話してしまった罪悪感を振り払った。
多少の気持ちの沈みはまだあるが、仕事優先なのは自分も同じなので、システム室のある階で降りたシキは、気持ち的に早歩きで誰もいない廊下を進み、2重になっているシステム室の扉の中に入った。
「あれ?シキさん戻ってくるの早かったですね。」
「そうか、早かったか。
でも、アオバ交代しよう。
もしかしたらヨウキがまだ1階にいるかもだけど。」
「ヨウキさんが?
そう言えば一緒に戻ってこなかったんですね、ヨウキさんなら嬉々としてシキさんと一緒に戻ってくると思ったのに。」
「うん、なんか、マシロと一緒に先に返された。
出るときに焦げる前の焼けた、熱いにおいがしたような気がしたから、ヨウキ困ってるかもだけど。」
「そんな匂いでヨウキさんが困ってるんですか?
想像つかないですけど。」
「う、うん。
もしかしたらだから、違うかもしれない。」
「俺ちょっと見学、じゃない、お昼食べてきます。
すぐ戻りますね。」
「えっ、ゆっくりでいいぞ?」
シキにも分かるくらいにアオバは、喜々としてシステム室を出て行った。




