034 どうでもいいことじゃないから
「やっと、解放された。」
耳を撫でるように銀色の髪をかき上げた手を組んで、「うんっ」と青空に向けて伸びをしたブランは、目の前の元チャナテリトリーの境界線を勢いよくジャンプして飛び越えた。
チャナテリトリーとヨウキテリトリーの間、テリトリーボスの存在しない領域に両足を付けたブランは、爽快さを体で表すように自由に走っている。
誰のテリトリーでもない地面を蹴って、土色の岩に飛び乗り、岩の横から湧き出る水に添って、走ると小さな水たまりにたどり着いた。
「ブラン、この先にチャナテリトリーの反対側にあったような、賑やかな場所があるけどそっちに行ってみる?」
走るブランの背を空から追っていたタクトは、ブランの進行方向にある別れ道の一方のモブプレイヤーたちのログポイントに行くかを聞いてみた。
水たまりを大きくジャンプして乾いた土の上に砂ぼこりを立てて着地したブランは大声でタクトに返事を返した。
「寄らないよ!
俺、次のボスのテリトリーに早く行きたいんだ。
早く、解放させなきゃ、なんだ。」
振り向きもせずに答えたブランは、着地した時点からトップスピードで走りだした。
「解放?」
ブランの言葉に違和感を感じたタクトは、今までの行動を思い起こしてある可能性を思いついた。
「そう、α版だから。」
道に転がっている大岩を難なく避けながら走り続けていたが、土よりも、砂と岩、そしていつの間にか足元も左右も岩だらけの谷間に入っていた。
岩から岩へ飛び進むに連れて谷は深く険しくなり、谷底から上を見ると土と岩の壁の高さ50mは有りそうで、進行方向では、左右の崖のあちらこちらで小さな落石が起きている。
絶対、危ないヤツだ。
「ブラン、谷間からの道は危ない、ちょっと遠回りになるけど登って上から行こう。」
タクトが心配してブランに近づくと、ブランは”それ”を掃うように腕を振って、満面の笑顔を向けた。
「危ないとか、そんなことは、どうでもいいよ。
怪我したってどってことないし。
ほら、何なら落ちてくる岩なんかはこれで叩き割るし。」
腰の剣を抜いたブランは、進行方向の道幅を半分塞いでいた大岩に向けて片手で剣を振り上げると、勢いよく下げた。
タクトの目の前で岩は音もなく、奇麗な切り口を見せて二つに分かれ、盛大な音を立てて地面に倒れていった。
「ほらね。
もっと大きな落石とかあっても、これで切れるし。
タクトの方が小さくて、潰されちゃいそうだから、谷間の上の方から飛んで行ったらいいよ。」
境界線を越える度にちょっとずつブランの変化を感じていたタクトは、ここにきて顕著に変わったブランにどう対応すべきか迷っていたが、「まあ、いいか」とそのまま付き合うことにした。
「いや、一緒に行くよ。
でも、言っとくけど、危ないというのは、どうでもいいことじゃないからね。」
剣で空を指すブランは、銀の髪を光らせてニッと笑っている。
そう、タクトには分かっていた。
ブランは、バグっている。
バグっているブランが「解放」という言葉を使うのは、ある原因から「解」を出した結果だ。
そのある原因について、その回答にたどり着いた経緯を紐解かなければいけない。
「面白い。」
人の心を紐解くのは難解だが、AIは必ず答えがあると考えるタクトは、報告して不具合修正されてしまうブランのバグを報告するかどうかを真剣に悩み始めた。
自分の興味か、テスターとしての義務か。
ーーーーー
マシロがプロジェクトリーダーを務める現在進行中のゲームのα版テストをオフィス内のメンバー全員参加という形でスタートさせたことで、オフィスにいるメンバーの大半が就業中にテスト参加している現状。
ヨウキはテストに参加していないマシロとシキをオフィス1階に隣接する店でのランチに誘った。
「現段階では参加者からのテストリポートには、体への負担や拒否反応は報告されてないな。」
「ええ、あらゆる方面から負担は1%以下の可能性として報告されてるし、ゲーム内でのプレイヤー同士のトラブルもほとんど無し。
ただ、課題はあって、ゲーム離脱後の虚無感とか。」
マシロがタブレットをスクロールさせグラフを拡大させてみると、他項目よりやや振れ幅があった。
「虚無感?」
マシロの話に首を傾げたシキ。
「ゲームログアウト後に、現実に戻ったときの喪失感からくる空虚、無気力みたいなもの。
ゲームでは達成できることが、現実では達成できないから、そこに喪失感を感じたりね。
参考になるかどうか分からないけど、タクトがログアウトしたら聞いてみてもいいかも。」
「喪失感について?」
シキは更に首を傾げた。
「それは、どうでもいいことじゃないか?
データ解析する上では、キャラの行動、ゲーム内のイメージ創造、プレイヤーの行動、動向とか、あとは、進行のし易さや、効率、ユーザー満足度が大切だろう?」
マシロとヨウキは思わず声を揃えていた。
「「それは、どうでもいいことじゃないから。」」
シキは傾げた首を戻すと、自分の空になったプレートに視線を落として、二人が声を揃えてまで同じことを言った意味を考えてみたが、まったく分からない。
「とりあえずわかった、とりあえず、二人がそういうならタクトに聞いてみる。
それで、とりあえず、いいかな?」
「うん、とりあえず、な。
ところで、せっかく昼休みにランチに誘ったのに、ランチミーティングになってしまったな。」
「私はグラフの確認ができて助かったけど、シキにはいい気分転換になったんじゃない。
テスト始まってから、毎日アオバとシステム室に籠ってたから。」
「そうだな、システム室以外でお昼食べるの、久しぶりだな。」
「何言ってんだか、システム室でもほっとくと昼飯食べてないだろ?」
茶化すような口ぶりにシキがムッとしているのを感じられたが、席を立つ様子は見られない。
「今日はマシロが一緒とは言え、ランチの誘いは断られると思ったんだけど。」
今度は茶化さずに本音を言うと、シキはマシロをちらりと見た。
「ヨウキとマシロが二人だけだと、何となくタクトが嫌がるかと思って。」
「えっ?」
「ウッ、」
マシロとヨウキは思わず自分の口を押さえ、信じられないという驚きの顔を見せた。
「タクトが嫌がると思ったのか。」
ヨウキが恐る恐るシキに聞くと、コクンと頷き、テーブルの上に乗せた両手の指を忙しなげに動かした。
「俺も、最近ちょっと、嫌かなって思うことがあったみたいで、、、」
「「あったみたいで?
具体的には?」」
「え?具体的に言った方がいいのか?」
シキは躊躇したが二人の真剣な目に押されて、以前にタクトから「アオバに妬いた」という指摘を受けたことを話した。
「それで、俺なんかが嫌だと思っても、いいのかな?」
上目遣いに隣に座っているヨウキを見ると、頭にヨウキの手を乗せられてしまった。
「誰であっても、嫌なものは嫌だと思っていいさ。」
「アオバにトウリを取られると思ったの?」
トウリに限って絶対にそんなことはないのは分かっているけど、念のためにマシロがシキに聞いてみると、シキはきっぱりとした口調で言い切った。
「いやそれは、無い。」
「うん、私もそう思う。
じゃ、ほんとに単純に妬いて、嫌だと思ったのね。」
「妬いてるってのがどういう状態なのかは、分からないけど、ただトウリと、そしてタクトも絶対俺から離れていかない。
と分かってるから、取られると思うかと言われると、思わない。
タクトとマシロが相思相愛なのは知ってるし、それだって取られたとか思ってない。」
「うっ」
シキの思わぬ攻撃?に、マシロは両手で胸を押さえて、
「ついでに、最近はヨウキも、そう思う。」
「ウッ、」
続いて、シキがボソッと独り言のように言った言葉に、ヨウキは感極まって言葉が出てこなくなった。
心の中では「お兄ちゃんは嬉しいぞ!」と叫んでいたとしても。
そして二人が言葉を無くして、ほのぼのとした雰囲気に浸っていた時、それを見つけてしまったのはマシロだった。
「あれ、まさかとは思うんだけど、あの時のあの人じゃない?」
大きな窓ガラスから見える外にいる男性は、体格がよく前髪にゆるく天然のウェーブがかかっている。
あの時のあの人とは、マシロに言い寄ったセツキのことを指している。
「ああ本人だな、何してるんだ?
それにもう1人、そう言えば、あの時何だか意気投合してたな、どっちにしろ顔を合わせたら面倒くさいことになりそうだ。
ちょっと早いけど見つからないうちに戻るか、外からじゃなくオフィス内に出る裏口から戻ろう。」
「ええ。」
マシロは素早くタブレットを抱え、テーブルのプレートをまとめて持った。
「誰がいるんだ?」
「気にしなくていいよ、ほら、シキはシステム室のアオバと交代しないと。」
ヨウキとマシロ、そしてシキが店の裏口から出ようとした時、道路に面したお店の正面の入り口からセツキが入ってきた。
「アニキ、ほらここが俺の言ってた店です。
なかなか雰囲気がいいでしょう?」
セツキを案内してきたのは、頭フワフワの茶髪のお兄さんだった。
入口から入ってきた途端に、目ざといセツキはヨウキの後ろ姿を認識した。
「おい、ヨウキじゃないか?」
正面入り口で、店員に「お客様、お待ちください、何名様ですか?」と聞かれているのを無視して、ズカズカと中に入ってくる。
「ちっ、マシロ、シキと一緒に、このまま先に行ってくれ、俺がセツキの相手をしておくから。
お前にセツキを近づけたら、タクトに殺されかねない。」
マシロは真剣な顔で頷くと、前にいたシキの手を取り急いで裏口から出て行った。
マシロに引っ張られて連れていかれているシキは、懐かしいけど何とも表せないものの気配を感じていた。
もう十分焼けてるから怒らせてはダメなような。
「焦げる直前のにおい?」
マシロとシキが出た直後、裏口の前で背中を向けているヨウキの肩をセツキは叩いた。
「ヨウキだろ、こんなとこでなにしてるんだ?」
「ヨウキさんもいたんですか、奇遇ですね、一緒にランチなんてどうですか?」
「シキがいなかったか?あと、俺の運命の女性の気配もしたんだが、気のせいか?」
「この店のランチがおいしいって聞いて、セツキアニキを案内してきたんですよ、俺が!」
合間を挟む隙も無く、交互に喋り続ける二人に「こいつら絶対バグってる」、と声に出さずに思っているヨウキは裏口前を陣取って、マシロとシキが遠ざかって行く姿を隠していた。
「セツキ、さっきから、そうやって俺を押しとおろうとするのはやめてくれ。」
「セツキじゃなく、兄さんと呼べ。
あと、さっき、シキがそっちに行っただろう?
何で俺からシキを隠すんだ?
あいつは俺がついてないと何にもできない奴なんだぞ?」
「そんなことないから、もう、シキのことはほっといてくれ、
やっと最近、自分の感情を素直に言えるようになってきたんだ。」
「そんなことどうでもいいだろう?
俺が面倒見てやれば、それで済むんだから。」
「だから、それは、どうでもいいことじゃないんだって。」
それをどうでもいいことだと言ってしまえるのは、その痛みを知らないAIか愚鈍な輩だけだ。
「あの、お客様、ただいま満席ですので、順番にご案内しております。
あちらの席でお待ちいただけますか?」
セツキたちの後ろから呼びかけたのは、笑顔がまぶしい圧を持った店員で、これにはセツキたちも一般常識を持つ社会人としての立場上逆らえず、おとなしく正面入り口近くの待ち席まで戻っていった。




