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ウォークスルー テリトリー  作者: 傘の下


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002 境界を越えている人

ヨウキがコーヒーを受け取ると、タクトは空いた手でスマホを取り出した。

新しい珈琲サーバーは、カフェルーム内であれば、スマートホンからドリンク選択の操作ができる。

タクトが国内産ブレンドコーヒーを選択すると、サーバー表面の透明なアクリル板の中で、奇麗に配列された縦長の空洞の円柱のひとつが回り始めたのが見えた。


「業者の方から、今回取り扱う豆の種類が増えたのでメニューに追加するかどうかを確認されてるんです。

試しにその種類の豆でオーダーしたんで、そちらも試飲してどうするか決めてくれますか?」

アクリル板の中では、円柱内にオーダー数のコーヒーが入れられる分量の豆が流し込まれて挽かれ始めている。

「わかった。

ああいう風に珈琲を入れる一連の流れが視覚的に楽しめるのもあって、今回サーバー入れ替えを決めたんだ。」


コーヒーミルで挽かれた豆の粉が専用のフィルターに一杯分だけ流されると、お湯が注がれる。

「コーヒーが入るまでの過程が見えるのは、受けそうですね。」

ヨウキとタクトがサーバーを見ながら話している隙をついてセツキはタクトの持つコーヒーに手を伸ばした。


「お、こっちは俺の分だな!」

「えっ?」

その声を聞いたタクトが横を見るとセツキと視線がぶつかり、それとは別にセツキが伸ばした手はタクトが持つ紙コップの上を持つとスルっと抜き取った。

攫われた紙コップはそのままセツキの口元に運ばれ、湯気の立ったコーヒーは、その熱さをものともしないセツキに口の中に流し込まれた。

「ふむ、苦味は少し強いが、酸味は程よく、俺の好みだ。

よし、OKだ、これは合格だ。」

コーヒーが自分の手から攫われるのを阻止することもできたタクトだが、間近で見たセツキの顔がどことなくシキに似ていることに気がつきそのまま見送った。


「セツキ兄さん、その勝手に人から珈琲を奪う行動が許されると思わないでくれ。」

ヨウキは空になった紙コップをセツキから取り上げると握りつぶして、珈琲サーバの横に備え付けてあるゴミ箱に放り投げた。

「ああ、そうか、俺のじゃなかったのか、悪かったな。

ちょうど喉が乾いていて、タイミングが良かったから俺のために気を利かせてくれたのかと思った。」

セツキは悪びれもせず、また、ニカッ爽やかな笑顔を見せている。


珈琲を手から抜き取られ本人であるタクトは、セツキの行動自体はまったく気にしておらず、それよりもいつも飄々としているヨウキが苛立ちを露わにしている姿の方に、珈琲を攫われることを見送ったことに若干申し訳なさを感じていた。

この兄弟間にあるかなりの温度差はおそらく通常運転なのだろうと冷静に分析しつつ、スマホに届いたコーヒー完成のメッセージをタップした。


珈琲サーバーの横には身長120cm程のロボットが待機している。

「ヨウキさん、あのロボットがこれから珈琲を運んでくれるんで受け取ってもらえますか?」

タクトが目でロボットを指すとヨウキの表情が緩んだ。


「そう、入れ替えたサーバーはこのカフェスタッフロボットが2体セットになっているのも売りなんだ。」


一体のロボットがコーヒーサーバーの前にプレートを設置するとその上にできたての珈琲が置かれた。

一連の流れを珈琲サーバーを設置して、ロボットをセットアップした業者たちが真剣な目で見守っている。


「あの、カフェスタッフロボットのプログラムって、うちで請け負ったやつだそうですね、さっき業者の方が話してくれました。

だからこのオフィスでテストも兼ねるんですね。」

プレートにコーヒーの入った紙コップを3つ乗せたロボットがタクトたちに近づいてくると、タクトの横で止まり、テーブルの形状を認識し、テーブルの上まで腕を伸ばすとプレートを静かにスライドさせた。

タクトのスマホにはオーダー完了のメッセージが表示された。

ロボットの丸い瞳の部分に半円が映されると反転し珈琲サーバーの横に戻って行った。


「なんだ、珈琲3杯入れさせたのか、セツキにそこまで気を使う必要なかったのに。」

プレートの上の珈琲を1つ取り、口に付けたヨウキは若干考え込んでいる様子だ。

「苦味がかなり強いな。

今まで置いてないタイプだし、メニューに追加してもいいと思うけど、」

決めかねているヨウキの様子に、タクトはこれを飲むメンバーのことを考えてみた。

「そうですね、いいと思いますよ。

うちの開発は甘党が多いですが、コーヒーはブラックで飲むメンバーも多いので、一度試してみても、まぁ、シ、」

”シキはミルク派だから、ミルクの量が増えそう”と言おうとして、タクトは言葉をとめた。

たぶん、セツキの前ではシキの名前を出さない方がいいだろうと本能的に感じたからだ。


「俺が試飲してやるからそれを貸してみろ。」

ヨウキに注意されたことを無かったことにしたセツキがテーブルに割り込んでくると、ヨウキはため息をついた。

ヨウキの大きなため息にセツキは眉をハの字にさせ、盛大に困った顔を向けた。

「まったく、ヨウキ、兄に向ってその態度はだめだ。

弟は兄の言うことを聞くもんだろ?」

駄々をこねる弟を優しく咎めるような声を出すセツキの瞳には、慈愛が満ちている。


「はっ?

ここでそれは関係ないだろ、あんたは部外者で、言うなら不法侵入者だ。

加えて言うと、後で入口警備担当者に厳重注意するという、俺の仕事を増やしているだけの図々しい男だな。」


そこまで言われても、自分の責任を全く自覚せず困ったようにヨウキを見るセツキの笑顔に違和感しか感じないタクトは、セツキが年功序列を盾にする人物だと察し、柔らかな笑みを崩さず小さな声でつぶやく。

「なるほど、さっきから感じる違和感はこれかな?」

一言でいうと「自己中心」、自分以外の人との距離を測ることができない上に、正しい、間違いを押し付けてしまう、ただし本人に自覚はなく他人を思いやる親切な善人な自分を信じるタイプ。

「その上、年功序列精神も加わっている、って感じで、ちょっと厄介?」


この三人の中で一番年下である俺が、この人に何を言っても無駄だし、無駄に加えて、無意味な窘められ方をしそうだし、ここはスルーということを決め込んだタクトは抗うよりも流してしまおう精神を発揮させた。

タクトが(精神的に)一歩引いて存在感をさらに薄くさせると、ヨウキは久しぶりに再会した我が道だけを行く兄のセツキのペースに乗ってしまって、自分の冷静さが欠けてしまっていたことを自覚した。


「弟は兄の言うことを聞くものか、なるほど。

なら、もちろん長男のショウキ兄さんの言うことを、セツキ兄さんは無条件に聞くんだな?

ショウキ兄さんは、ここにあんたが入ることを許可してなかったと思うけど、それは守っていないんじゃないか?

それとも俺の知らないところで許可を取ったとでも?」

先ほどまでイラつきを含んでいた声だったのが、それがなくなり、ヨウキはただ事実確認をしているだけの事務的なと言って、棒読みと言う訳でもない口調でセツキに言い募った。


いつもにこやかに軽口をたたくヨウキからは想像もつかないセツキに対する態度、恐らくセツキにだけしかとらない態度だろうがその理由が何なのか、タクトには少なからず思い当たることがあった。

タクトが存在感をさらに薄くさせていると、冷静さを取り戻したヨウキに対してセツキは額に汗を流し始めた。


「あ、ああ、ショウキ兄さん、ショウキ兄さんな。

そう言えばさっきこのオフィスの前で海外のお土産を渡したんだが、さっさと帰れと言われたんだった。

だから、許可をもらったわけじゃなく、ほんとにたまたま偶然。」

セツキはパーマを緩く当てている黒い前髪をかき上げながら、ごまかす様に明後日の方向を見て目を泳がていたが、開き直ったようでドンッと背景に太い文字が浮かぶような姿勢、両足を広げて腰に手を当て仁王立ちになりヨウキを威圧するように迫った。

「なぁ、おまえも、ショウキ兄さんも何で俺に冷たいんだ?

久しぶりに日本に帰ってきたのに。

兄弟たちに無碍にされた、俺が悲しんでいるのに、それでいいのか?」

大げさにヨウキに向かって両腕を広げてみせたセツキだったが、そこで初めてヨウキの肩に止まっているヒヨコに気がついた。

吊り上がった目は怒りを表しているようだが、つぶらな瞳はそれはそれで可愛い様相になっている。


「ん、なんだ?

それ、すごくかわいいな。」

セツキがヒヨコを触ろうとして伸ばした手をヨウキが体を一歩引いてよけたため、セツキの手はヒヨコの前で空振りしてしまった。

大きく空振りして行き場をなくした手を頭に添えて面白くなさそうに自分を見ているセツキに向かって、ヨウキは追い払うようにシッシッ手を振る。

「触るなよ。

これ、まだ、製品化の途中の精密機械で、企業秘密だから。」

再度咎められたセツキは辺りを見回し、珈琲サーバーの横でロボットが帰ってきたのを迎え入れている業者たちに目を止めた。

「でも、その後ろの業者たちもしっかりそれ見てるようだぞ?」

自分だけが見ている訳ではないと言いたいようだ。

何故そこで第三者を入れるのか腑に落ちないが、それがセツキのやり方だと知っているヨウキはあえてそのまま答えた。


「うちに出入りする業者には、ちゃんと秘密保持契約を結んでもらっている。

こちらが許可しない限り、ここで知りえた情報はもちろん、例え彼らが納入した商品だったとしてもその情報も漏らしたりしないよ。

あんたと違ってきちんとしてるからね。」

セツキはヨウキの説明を全く意に介さず白いテーブルに片腕を置いてもたれかけた。


「ふーん、秘密保持契約って、融通きかずに、堅苦しいな。

堅苦しいと言えま、まるで、シキのようだ。

そういえば、あいつどうしてる?

ちゃんと親の手伝いしてるのか?

物覚えがいいだけで自分では何もできないんだから、その辺はちゃんと指導してやれよな?

俺がいなくても。」


「はっ?」

ヨウキの後ろで存在感を薄くしていたタクトは、ヨウキとの今までの会話でセツキの他責思考の性格に薄々気づいていたため、また話が飛ぶだろうことを予測していた。

、が、話題の転嫁にシキの名が出た上に、続く言葉を聞いて、一瞬、存在感を薄くするという制御が崩れセツキを視線で刺してしまっていた。

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