018 主人公の目覚めと孵化
柔らかい藁の上で寝ている主人公は、胸に抱える30cm程の大きな卵の中で何かが時々動くことに気づいていたが、卵から伝わる暖かさに微睡み、卵から聞こえる鼓動の安心感も手伝って、目を開くことができない。
そう、いつもなら、重い瞼を開けることがまるでできなかったのに、今日は違った。
卵から伝わる微かな振動、その内側から聞こえる、コツコツ、コツコツ、と突く音に、その時が来たと分かり、うっすらと瞼を開けることができた。
お腹に抱えていた卵の表面に、ほんの小さく崩れた部分ができているのが見えた。
「えっと、って、やっぱり!卵の殻が破れてきてる。」
よく見ようとして急いで上半身を起こして卵を膝に抱え直すと、卵の中にいる何かが転がってしまい、突く音が止まってしまった。
「ご、ごめんなさい、神様からもらった卵の誰かさん。
大丈夫かな、今日、孵るかな?」
心配した主人公が膝の上の卵に頬をつけてギュッと抱きかかえると、卵の内側の誰かさんが動いているのを感じた。
主人公が卵を抱え直し、横になっていた卵が縦になった勢いで、半回転してしまったヒヨコだが、主人公の不安な声に卵の殻を突いて「大丈夫だよ」と答えた。
「よかった、誰かさん無事だ。」
ヒヨコが嘴打ちを再開してすぐ、先に少しだけ破れていた場所を卵嘴が突き破り、穴の周りに小さなヒビができた。
そこから更にヒビが広がるように、周りを突いていると主人公の声が聞こえた。
「すごい、誰かさん、頑張って!」
主人公の声は中のヒヨコにはくぐもって聞こえたが、その声にワクワクと期待が籠もっているのが感じられる。
リアル卵の中のヒヨコと違い、殻の中には体勢を変えるくらいの余裕があるので、声の聞こえる上部に目を向けると殻に肌が押し付けられていることが薄っすらと分かった。
卵の破片が主人公に当たるのも困る為、卵の横に開けた穴からのヒビが上部に行かないように、力を調整して嘴打ちすることにした。
「早く、いや、やっぱりゆっくりでいい。
焦らないで、怪我しないようにゆっくりでいいよ。」
卵の殻を突く音に慎重さを感じたのか主人公が中の誰かの身を案じ始める声が聞こえ、お互いがお互いの心配をしているこの状況に、くすぐったいような背中のむずがゆさを感じ、卵の殻を頭突きで一気に割ってしまった。
ガシャンッ、カラン、
大きな卵の殻の斜め下側が割れて、中から黄色のモフモフしたヒヨコが顔を覗かせると主人公は大きく目を見開いた。
「やった、やっと、会えた。
ぼく、俺は、えっと?俺の名前は?」
涙目で自己紹介しようとした主人公が言いよどむと、ヒヨコがつぶらな瞳を楕円で弧に変えた。
「おはよう、ブラン。
待っててくれてありがとう。」
「あっ、しゃべった。
それに名前、そうだ、ブランだ。
俺の名前はブランだったんだ。」
「そう、君はブランだ。
そして、俺はタクト、よろしく。」
「うん、タクト、よろしく。」
ブランは卵の殻に両手を入れてヒヨコを引き出すと、抱えて藁のベッドを飛び降りた。
「そして、ありがとう!俺の名前はブランだ。」
黄色いモフモフの羽の両下に手を添えて、ヒヨコを高く持ち上げると、くるくると回り出した。
「名前を思い出させてくれてありがとう。」
ブランがタクトと一緒に小屋中を回るたびに風を受けた藁も一緒に舞い拡がり、広くない小屋に飛び散った。
「やっぱり、神様からもらった卵から孵ったヒヨコは、俺の救世主だ。
はははっ、あっ!」
勢いをつけすぎて足を滑らせたブランは、藁のベットに背中から倒れ込んだ。
それでもタクトを持ち上げたまま離さず、嬉しそうに笑い続けていたが、目じりに涙が浮かんでいる。
「ははっ、神様の言う通りだった。」
ブランの瞳が弧を描いたまま潤んでいく。
「ブラン、どうした?
神様から何か言われていた?」
「タクトが名前を言ってくれたことが嬉しくて。
神様は、夢の中で俺が他の世界から来た転生者だって教えてくれて。
それで、元の世界に帰るには、卵を孵す必要があるって。」
寝ころんだまま、持ち上げていたヒヨコの背中を胸につけて抱え直すと、ブランはヒヨコの頭に頬ずりをした。
「俺には前の世界の記憶がまったくないんだ。
だから、君だけが頼りだよ。」
タクトはブランに背中から抱きかかえられているので、思ったより高い小屋の天井を眺めている。
もし、原点を移すキャプチャカメラからこの状態をヨウキが見ているのなら、笑い転げているかもしれない。
「まあ、それもいいけど。」
ブランは藁のベッドに背中を寄せて、タクトを膝に抱え直した。
「うん、ありがとう。
本当に全然思い出せないんだけど。
でも、自分がいたはずの元の世界のことを思うと、ここが、」
ブランは自分の心臓の上あたりに両手のこぶしを押し当てた。
「キュウって痛くなるんだ。」
切なげな声と瞳に、自分の胸も痛みを感じているような感覚を覚えたタクトは、羽をパタつかせてブランの両手を離させて、ブランの肩まで飛んだ。
「ブランの胸が痛いと、どうやら、俺の胸も痛むみたいだ。」
ヒヨコの羽根で頭をよしよしと撫でられると、ブランの潤んだ瞳が更に潤み揺れた。
「ヒヨコ的には心身の値が共有されていても、ブランの痛みを一方通行で受けることを希望するね。
双方向だと困るな。」
共有値の影響度は、ゲームの中でなければ実感ができない。
タクトは機会を作ってテストが必要かと懸念を抱いた。
「タクト、ごめん。
タクトが痛いのは嫌だから、あまり考えないようにする。」
涙を白いシャツの袖で拭いたブランが、ヒヨコを肩に乗せたまま立ち上がり窓を開けると、風がブランの銀色の髪とヒヨコのモフモフの毛を撫でながら小屋の中に入ってきた。
ヒヨコが外を眺めると、空と雲が果てなく広がっていた。
「世界の中心である原点位置から見える景色は雄大だな。」
「世界の中心、ここが?」
ブランが肩の上に乗るヒヨコに問いかけると、ヒヨコが羽をパタつかせて窓の外に出た。
「ま、待って!」
慌てて手を伸ばすブランの手を避けて、空の中を飛び回るヒヨコは不安と焦りで戸惑うブランにキュートな笑顔を返した。
「大丈夫、置いていかないから、一緒に行こう。
もちろん、ブランの記憶を取り戻しにね。」
「俺の記憶を取り戻す?思い出すのじゃなくて取り戻す?」
「そう、取り戻す、その為にヒヨコがいるんだから。」
ヒヨコが外から戻ってブランの肩に留まると、ホッと息をついてヒヨコに頭を傾けた。
「そうなんだ、だから神様はタクトをくれたんだ。
だけど、だれから、どうやって俺の記憶を取り戻すの?」
「さあ、説明タイムだ。
この世界にはテリトリーを持つ4人のボスがいる。
そのボスは皆テリトリー構成の為の大切なものを持っている。
実はその大切なものが、ブランの記憶を取り戻すカギになるんだ。」
「テリトリーのボスが4人、そうか、その人たちと戦う必要がある?」
「そうだけど、無理に戦う必要はなくて、テリトリーボスの大切なものを集められればそれでいい。
1つを手に入れるたびに何かしらの大切な記憶を取り戻せる。
ただし、気をつけないといけない。」
「気を付けるって?」
「逆にボスにブランの大切なものを奪われることもある。
奪われたら、記憶を取り戻すことができず、ブランはこの世界に一生留まることになるから。」
「そうか、危険なこともあるってことだね。
ところで、俺の大切なものって何だろう?
何も持っていないけど」
「本当に何も持っていない?」
ヒヨコが可愛く首を傾げて円らな黒い瞳を向けると、ブランは衝撃を受けた。
「そうだ、タクトだ!俺の大切なもの!
俺はタクトを守らないといけないんだね?」
タクトはモフモフの胸に羽をあてた。
「その通り、守ってくれるか?」
「もちろん、命に代えても守ってみせるよ。」
「いや、本末転倒だから、命は掛けないで。
二人でやり遂げること優先な。」
ヒヨコに諭されて見つめられるとブランは意気込みすぎた自分が恥ずかしくなり頬を赤くして情けなく笑う。
「ブラン、出発の前にまずは、服装だ。
その長めの白いシャツと、白いショートパンツでの旅では心もとないからね。
ちょっと待って、家具カードを出すから。」
「家具カード?」
タクトはモフモフの体の中をくちばしで漁ると、くちばしにカードを挟んでピッと出した。
その勢いでカードを部屋の反対側まで飛ばしてカツッと壁に刺すと、カードがドットの光に変わりその場に広がりながらクローゼットを形作った。
「ほら、クローゼットを出したから開けて好きな服を選んで。」
「さすが、神様からもらったヒヨコだ、他にどんなカードを持ってるの?」
ブランは出してもらったクローゼットを開けて、服を選びながら興味津々にタクトにきいた。
「うん、初期装備と、ちょっとした道具、食料くらいかな。
後は、旅をしながら拾ったり、買ったり、ウバッタリで入手する。」
「へー、拾ったり買ったりできるんだ。
うん、これにする。」
ウバッタリは、小声+棒読みで言ったので、聞こえなかったようだ。
長袖シャツの裾をポケットがたくさんついた長ズボンにインして、その上からVネックが白で全体が黒のチュニックを着る。
チュニックの上から腰を小さなポーチ付きのベルトで締めた。
長いズボンをブーツの中にインして、軽く膝を上げて履き心地を確かめると、ブランはクローゼットの上に留まっていたタクトに見えるようにくるりと回転した。
「どうかな、こんなものかな、おかしくない?」
「いいんじゃないか、模範的な旅装になっている。」
褒められてへへっと笑うブランに、タクトは親心的に可愛いと思う気持ちを感じていた。
「じゃ、次ね。
マップオープン
その地図を見て。」
直径30cm程の球体が浮かび、地軸を中心にゆっくりと回っている。
「これは、この世界の地図で、今いる世界の中心から地上に出ると、森の遺跡に出る。」
タクトが遺跡をくちばしで差すと、ブランは黙って頷いた。
「そして、この遺跡のある森を抜けたら、まず最初はここに行こうと思う。」
タクトは一番最初に行くと決めていたチャナのテリトリーをくちばしで差した。
チャナのテリトリーはずいぶんと構築が進んだようで、広い範囲に濃い茶色が広がっていた。
「ここ?
ここに、そのテリトリーボスがいるの?
どんな人?倒せるかな。」
「どんな人?か。
うーん、そうだな、どう出るかが読めない人、かな。
自分に素直すぎて、明後日の方向に行くこともあるし、ちょっとした読み違いでざまぁ展開?されそうな。
ある意味、俺にとっては一番の不安の芽なので、最初に潰しとこうかなと。」
「えっと、潰す?倒さず?」
「えっ、ああ、潰すも倒すも、ちなみに奪うも、結果は一緒。
テリトリーを無効化して、モブに堕ちてもらうって意味ではね。」
「?、よく分からないけどいいや。
タクトを信じてるから、俺も頑張ってテリトリーボスを潰して、記憶を取り戻して、元の世界に帰るよ。」
「よし、その意気だ、さあ、この山小屋のドアを開けて、スタートしよう。」




