001 サーバー交換
オフィスの5階で停まったエレベータの扉が開き、二人の男性が下りてきてエレベータホールを歩き出すと、二人の足音とは別にヒヨコの鳴き声が響いた。
「あれ?」
2人のうち少しだけ背の高い男性がエレベータホールを見回し、隣を歩く髪の一筋を緑に染めて、肩にヒヨコを乗せている男性に声をかけた。
「いつもより鳴き声が響くと思ったら、階段ステップの方の扉とか閉めてるんですね?」
「そう。
今日は外からカフェルームの珈琲サーバー交換に業者を呼んでるから、エレベータから降りたら直通で行けるようにしといたんだ。
間違ってもプログラマーの部屋に行かれたりしたら面倒だしね。」
背の高い男性が辺りを見回すと、階段だけでなく他のフロアに続く廊下なども非常ドアが閉められており、5階でエレベータを降りるとカフェルーム以外には行くことができなくなっているようだった。
「カフェルームの廊下に繋がる非常扉がすべて閉まっている音響効果で、葉稀さんの肩のヒヨコの鳴き声が余計に響いてるんですね。」
「そうだな、意図してなかったが音響効果でてるな。
鳴き声の音量調節はできるけど、焚透が耳障りなら、なきやまそうか?」
ヨウキが自分より少しだけ背の高いタクトを見上げるとタクトはヒヨコをつついた。
「いえ、そのままで大丈夫です。
そのヒヨコ、飛べるようにバージョンアップしたんですよね?
葉稀さんの首から下げてるコントローラの設定範囲内で飛び回ることができるんでしたっけ?」
エレベータホール右側の廊下を進みながら、葉稀は自分の肩で機嫌よく鳴いているヒヨコを掴むと頭上に放り投げた。
隣を歩く焚透がその様子を目で追っていると、ヒヨコは天井近くまで上がったがすぐにヨウキの頭上近くまで下りてきて周りを飛びはじめた。
「そう、いま3mくらいに設定しているから、それ以上は離れないようについて来る。」
ヨウキの言う通り、オレンジ色のフワフワの身長10cm程の丸いヒヨコがフワフワの毛を揺らしながら直径3m範囲内でついて来ている。
「今、走ってるプロジェクト関係のマスコット製品サンプルだけど、実はバージョンアップでは人格もつけてるんだ。
と、ヒヨコだから 鳥格か?」
ヨウキが自分の肩を指でトントンとたたくと、それに気がついたヒヨコがヨウキの肩に戻ってきた。
「 鳥格、ですか?
性格?素直で人懐っこい性格みたいですね。」
2人が角を横切ると、ヒヨコはヨウキの揺れた肩に合わせて体を揺らし羽をパタつかせた。
横切った廊下の突き当りには、カフェルームに入る観音開きのガラスドアが見えていた。
カフェルームの前まで来ると、タクトは片方のガラスドアを大きく押し開いた。
「タクト、もうちょっとしたら、業者が来ると思うから、両方のドアを全開で固定しておいてくれ。」
ヨウキがタクトに指示を出しながら足早にカフェルームの中に入ると、ヒヨコが猛烈にヨウキの肩をつつきだした。
「ヨウキさん、ヒヨコ、なんか怒ってるみたいですけど、どうしたんですか?」
ヨウキに心当たりはなく首を傾げた。
「何かが気に障ったらしい。
なんだ?タクトの名前に反応したのか?
それとも、カフェルームが気に入らないのか?」
ヒヨコのいきなり攻撃に苦笑しつつ進むヨウキの後にタクトも続いた。
ヒヨコのぬいぐるみの周りに映像をかぶせて、少しの振動とそれに映像の移動を合わせることで、動いているように見せているだけなので、突かれていると言ってもヨウキは何ら刺激を感じていない。
タクトがヨウキの肩のヒヨコの頭を少し力を入れて抑えると、ヒヨコの振動がとまり、丸い黒目がタクトに向けられた。
「その映像のブレでもう少し距離が離れていたら、分身の術を使うヒヨコみたいだ。
蒔白さんのプロジェクトチームが開発しているゲームのキャラでしたっけ?
それで、さっき言われていた鳥格は、桃里担当でプログラミングしてるんですよね?」
「そう、ゲームの中では主人公のお助けキャラ的存在で、メインプレイヤーのアバター。
ようするに、今度テストするときのタクトのアバターモデル。」
「メインプレイヤーが操作するのは人間じゃないんですよね。
さすがマシロさん、意表を突いてきますね。」
タクトが目を細めてヒヨコの黒い瞳を見返すと、ヒヨコもタクトに熱い視線を送っているように見えた。
「メインプレイヤーが人間じゃないのは気にしないか、タクトらしいけどな。
そういえば、サブプレイヤーにするテスターの選定は、順調?」
ヨウキは胸ポケットからスマホを取り出すと、プロジェクトのスケジュールを表示させてタクトに向けた。
「この通り、プログラムの方は順調に進んでるから、月末にはテストスタートな。」
「そうですね、今回はまだ外部メンバーは使用せずオフィス内のメンバー4人選定と、人数は決めています。
具体的には女性二人は、心彩と茶菜が面白いかなと。
それで、男性メンバーを誰にするか、思案中で、やっぱり対立するような感じが、、、」
タクトが言いかけているとヨウキのスマホからメッセージの着信音がなった。
「業者が到着したようだ。
すぐに5階に上がってくると思うから、また後で話そう。」
ヨウキはスマホを胸ポケットに直すとタクトの肩を軽くたたいた。
「ところで、俺は何をしたらいいですか?
珈琲サーバー入れ替えの指示と立ち合いだけならヨウキさん一人で十分では?」
ヨウキがわざわざタクトを指名したのでこのカフェルームに一緒に来たのだが、タクトはヨウキから自分が何をしたらいいのかまだ聞かされていなかった。
ヨウキと肩に乗っているヒヨコがとぼけた顔をして首を同じ方向に傾けた。
「うん、そう、ほら、タクトは色々と器用だから色々と仕事が増えて俺の手が回らなくならないうちに、タクトに色々と手伝ってもらおうと思って。」
「ぴよぴよ」
「そう、今回だけじゃなくて、他でも呼び出すから。」
「ぴー。」
軽く、そう伝えてきたヨウキに合いの手を入れているヒヨコだが、ヨウキはこのオフィスの社長の弟で、本人が今ぼやかして言ったように「色々」と行っているため、その仕事の全容は計り知れない。
今回のようなオフィス内の備品の変更から、システム、人事、プロジェクト承諾や管理、更に雑用と言える細々としたレベルのことまでヨウキがこなしていることをタクトは知っている。
正直言えばタクトが把握しているだけでもウンザリする量だ。
ヨウキのサポートをさせられるのではということは何となく察してはいたが、しかしそのうんざりする量のどの範囲かが特定されていない。
「えっと?
他でもって、器用だからできるというものではないのでは?」
笑顔をわずかに引きつらせルタクトに、ヨウキは清々しい顔をしてさらに付け加えた。
「何より、紫稀がなついている奴だし?」
ヨウキの清々しい笑顔と、なんと返したらよいか分からず笑顔を固まらせたタクトの間に何とも言えない静けさが漂った。
とりあえず、ヨウキのサポートだか後釜だか分からないが、タクトは自分に白羽の矢が固定されていることを悟った。
微妙な静けさの中、遠くからエレベーターの動作する音が聞こえてきて、数十秒後にはエレベーターのドアが開く音がカフェルームまで届いた。
エレベーターから降りた人の歩く音、押している滑車の重そうな音などが遠くから聞こえてくると、ヨウキは怪訝な顔をした。
「ん?聞いてた人数より足音が多いな?」
まだ、姿の見えない運搬業者たちのものであろう足音だけを聞き分けたらしく、タクトもそれにならい耳を澄ました。
「足音、ですか?
・・・4人くらい?」
歩く音の重さ、着地のずれ、滑車の滑る音とのタイミングを意識しながら、タクトが人数を予測してヨウキに伝えると、「さすが、器用な男だな。」とつぶやきながらヨウキが頷いた。
カフェルームの直線上の廊下に姿を現した運搬業者たちは、珈琲サーバーやその他の備品を滑車に乗せて、後ろから押す人物、横からそれを支える人物、ダンボールを抱えた人物、それに続いてもう一人後ろからついてくる人物、と、タクトの予想通り4人いた。
前の3人は作業服を着て、首から許可証カードを下げているが、一番後ろを歩いている男性は前の3人とは違いガタイのいい体にピッタリの高価なスーツを着ている。
ヨウキは廊下をこちらに向かってくる運搬業者を眺めながらスマホで誰かに連絡をし、運搬業者がこちらに到着する前に話を終えていた。
「ヨウキさん、今の内容って。」
通話はヨウキのすぐ横にいるタクトには丸聞こえだった。
「はぁ、また、とんだトラブルだ。
あいつの相手をしないといけないから、業者に奥の珈琲サーバ-への案内を頼む。」
ヨウキの視線の先はこちらに近づいてくる業者たちの一番後ろにいるスーツ姿のガタイの良い男性に向いている。
目の前に来た業者たちに挨拶を済ませると、ヨウキはタクトの肩をポンとたたいた。
「彼が指示をするんで、奥の珈琲サーバー交換をお願いします。」
「はい。
わかりました。
ではすぐ作業に取り掛かります。」
3人の業者たちは、台車を押しながらカフェルームの奥へと歩き出し、タクトもその後に続いた。
ヨウキは一人残ったスーツ姿のガタイのいい男性の前に腕を組んで立つとあきれた声を出した。
「で、なんで、赤稀兄さんが業者と一緒に、ここに入ってきてるのかな?
この部屋は、というか、このオフィス自体が、関係者と許可された者以外の立ち入りを禁じているですけど?」
男性は一度明後日の方向に目を向けたが、すぐにヨウキを真っ直ぐに見据えた。
「久しぶりだな!ヨウキ!
でかくなったな!」
「いや、ここ数年縦も横も変わってないから、俺。
話をそらさないで、ちゃんと答えてくれないか?」
「いやぁ、たまたまだ。
青稀兄さんに渡すものがあって、このオフィスの前で待ち伏せして渡したんだ。
引き返そうとした時に、あの人たちの段ボールが落ちそうになっていたのを支えてやったら、何故か一緒に通されたってわけだ。」
色黒の顔に白い歯を見せてニカッと爽やかな笑顔を見せるセツキにヨウキは「誰がそんなこと信じるんだ」と言わんばかりの薄い笑顔を返した。
ヨウキはセツキの言ったことをほとんど信じていないが、そこを論破する時間さえ無駄だと思っている。
「じゃ、用はもう済んでるし、ここには不法侵入ってことだ。
すぐに出てってくださいと、言いたいところだけど、今の時間のこのフロアは、俺が許可した業者たちとでないと出入りできないようにしているので、30分ほどここでぼーっと待っててください。」
”俺が許可した業者たち”だけ声を強くして伝えたヨウキは、セツキに背を向けタクトに向かって歩き出した。
ここで待つように言われたセツキだが、背を向けたヨウキについて歩きながら喋りかけ始めた。
「そうだったのか?
そういえば、ID許可証がないとか入口のところで言われたような気がするな。
その前にショウキ兄さんと話しているのを、警備の人が見てたから気を利かせてくれたみたいだな。」
振り向かなくてもフンスッと得意げに胸を張るセツキの様子が手に取るようにわかるため、ヨウキの笑顔の上に薄っすらとアンガーサインが浮かんでいる。
かみ合っていない2人の雰囲気を無視して、タクトは両手に持った湯気の立ったコーヒーの一つをヨウキに差し出した。
「ヨウキさん、新しい珈琲サーバー設置し終わったみたいです。」
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次話更新は、11/2です。
その後は、ランダムな更新になると思います。




