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死燐集書  作者: 黒漆
9/13

撃鉄

 撃鉄が戻り、弾丸の尻を叩く。薬莢の中の火薬が爆発して弾頭が銃の砲身の中を螺旋に回転して抜けてゆく。銃身を抜けると途端に空気の壁を突き破り、乾いた音を周囲に響かせ、凶器の鉄片は目標の眉間目掛けて高速で飛行する。


 やがて目標の人体、眉間に到達し、先端の突起部を肉に食い込ませ、頭蓋の一部分を一瞬で粉々にして突き抜け、脳細胞をかきまわしながら推進し、再び後頭部の骨に到達すると、弾道を僅かに歪ませ、骨を粉砕して巨大な穴を開け、押し出した細胞の破片を周囲に撒き散らして走り抜けると、構造物に高速のまま衝突し、その身を潜り込ませ、停止した。


 深夜十二時、バーのカウンターには三人の客がテーブルにつき、酒を飲んでいる。皮のジャケットを着込み、肉付きが良く体格の良い男が一人。スーツを着込み、中肉中背で眼鏡をかけたどこか知性的に見える男が一人、離れた場所にノースリーブとジーンズ姿の髪の長い女性がいた。バーテンダーの口ひげを蓄え、肥満体で葉巻が似合いそうな男がどこかしら不機嫌を匂わせる表情を浮かべ、グラスを磨いている。


 ジャケットの男が立ち上がり、ウイスキーの入ったグラスを手に持ちながら、スーツの男に近づき、隣に座ると不意に話しかけた。


「なあ、聞いてくれよ。おれが酒を飲む理由さ。もう、八年前になるか、俺の親父は強盗に殺された。適当な正義感を振り回した結果がそれだ、自分の手に武器も持たず、説得に乗り出したのが運の尽き、生意気だと思われたかどうかは知らないが、あっさり眉間を打ち抜かれてあの世行きだ。


 馬鹿な親だったと罵りたいのかって、それは違う。確かに親父の選択肢はちょいと間違っていた。だがな、俺は親父の事を誇っている、正義感だけは人一倍あったんだ。それまでも何件もの強盗事件を処理してきた親父に、俺は憧れてたんだぜ。だがな、その日の親父だけはどうかしてた。強盗に向かうんじゃあ無く、すぐに引き返して銃を取りに戻るべきだったんだ。親父の腕なら強盗なんぞ簡単に処理できたのに。素手で、しかも距離が開いた状態でなんてどうにもならない。親父が相手に少し冷静になれといった瞬間、相手の強盗は冷静になって親父の眉間を撃ち抜いた」


 また始まったのかと訝しげにバーテンダーがジャケットの男に目を向けた。事実ここ数日間、同じように他の客に絡み、同内容を話していたからだ。自分の店で他の客の足が遠のくようなまねはして欲しくない、面白くないのは当然だ、その上三日ほど前、店を留守にしている間に置いていた護身用の銃火器が全て盗まれてしまっていた。いくら警官でも守るべきルールはあるはずだ。腹立たしさから出て行けと声を荒らげようとする、とスーツの男が手をあげてそれを制した。


「すいません。私も彼の話に興味があるので、少しの間ご容赦下さい」


 男はそう言って札を置き、あらたに酒を注文した。


「あんた、今日はこの人のお陰で助かったと思いな。俺の店から客を離させるようなまねは金輪際止して貰おうか」

 

 バーテンダーは渋々といった調子で酒を用意すると、癖なのかまたグラスを磨き始めた。


「悪かったよ、勘弁してくれ。解った、今日が最後だ、最後にする。で、どこまで話したか、そうだ、そうだった。銃弾と使われた銃もみつかり、強盗はすぐに捕まると思ってた。ところがどうだ、どうにもこうにも手がかりが全くと言って見つからない。弾丸もありふれたもの、銃に関しちゃそこら一帯に出回りまくっている出来損ないのコピー銃。弾丸二発撃っただけで撃鉄がへたっちまってた。


 店員も眉間を打ち抜かれて死亡、親父が深夜、店に入った時にゃもう死んでた。指紋も声も、誰も聞いちゃいない。防犯カメラは故障中、あはは、こんな不幸な事も世の中にゃあるんだな。俺はね、信じてたのさ。一年経ち、二年経ち、三年経っても警察がきっと親父を殺した野郎を捕まえてくれる。きっと監獄にぶち込んでくれるってな。ところがどうだ、現実は何年経っても変わりゃしない。


 親父を殺した強盗はそのまま逃げて今まで見つからず仕舞いさ。俺は悔しくてね、ずっとずっとそいつを追い求めてた。警察なんて仕事についているのもそういう訳さ。犯人には必ず俺が復讐を決めてやる。そのためには何だってやるつもりだ。解るだろ?」


 するとスーツの男は真直ぐにジャケットの男の顔を見つめ、話を切り出した。


「偶然ですね、実は私も似たような話が有るんですよ。私と年の離れた兄は弁護士をしていましてね。これがとてもストレスの溜まる仕事でして、休日には良く、息抜きと称してフライフィッシングを楽しみに河へと通っていたんです。その日は生憎釣果が良くなかったようで、いつもならば早めに切り上げるところ、随分と日が暮れるまで頑張っていたんでしょうね。良サイズのワイルドトラウトを手にしていましたから。


 恐らく、兄はボックスに魚を入れて、トランクに収納をしようとしていた所だったのでしょう。道路に先に止められていた故障中の車に気がつきました。そして、何かトラブルが有ったのかと訊きに向ったのですね。兄は釣り上げられた魚が予想以上のサイズで気分が良くなっていたためか、気が抜けていたのかもしれません。


 親切心から出た言葉、行動が兄の人生を変えてしまった。兄はどうかしたのですか? 何か私にできる事があるなら手伝いますよ、とでも言ったのでしょう、返ったのは答ではなく、眉間を打ち抜く弾丸だったわけです」


 スーツの男の話を訊いていたバーテンダーの動きが少しばかり緩慢になる。僅かにその手に焦りが表れ始めていた。


「私の兄を殺した犯人は銃を捨てて逃げました、その銃は貴方の父を撃った銃と同じ、粗悪な密造銃でした。銃からは指紋は検出されず、犯人も車も、誰の記憶にも残る事は有りませんでした。


 私はね、長い間兄の世話になっていました。血の繋がりが無いにも拘らず、兄は僕に対して本物の兄弟以上に優しくしてくれました。弱かった私はいつも強い兄に守られていた。どんな時も兄は私の相談に真摯に乗ってくれ、そして力強い助言を私に与えてくれていました。


 だからこそ私は犯人が許せなかった、しかし、必ず警察が犯人の足取りを掴み、法廷へと送り込み、正当な裁きを下してくれると長年思い続けてきたのですが、待っているだけでは駄目だった。犯人に確実な制裁を、私が望んだのはその一点のみです。兄の意思を継いで、私は弁護士に就きました。しかし、一向に犯人は捕まらなかった、だからこうして、今は酒を飲むくらいしかする事がないのです」


 スーツの男が話を終えると、今度は女性が立ち上がり、二人に席を寄せると話を切り出した。


「あんた達、面白い話をしているわね。私も混ぜてくれない。私はね、検視官をしてるの。毎日毎日、暗い地下室で鉄の棺桶に収納されにやってくる死体とデートをして来た。


 死体なんてただの物、生きている間は人間だったのかもしれないけれど、私にはどうって事無かったのよ。始めから抵抗が無かった、とは言わないわ。でも、日常的に死体を見て、メスを入れている内に感情が死んでしまうのよ。怖がったり恐ろしがったりしている暇はないの。だって、遺体は損傷が早いのよ。時間をかけるわけには行かないし、毎日綺麗な遺体を見ている訳じゃあないもの。淡々と処理し、精確さを維持し、結果を纏め、ありのままを報告する毎日。遺体がどんなに残酷に見えて、酷い状態でも何も感じなくなっていた。でもね、そんな私にも感覚を取り戻す切っ掛けとなった忘れられない日があるの。


 あの頃は随分と暇をしていた。検視は何日もしていなかった。久々に検死依頼を受けて遺体に面した時、私は叫びそうになった。その遺体こそが私の弟だったのよ。生前から一度も死体安置場モルグには来させなかった、ジンクスを信じているわけじゃあないのよ。ただ、来て欲しくなかったのよ。それなのに始めてが最後になるなんてね。絶対に弟はここへは来ないと思っていたのに、眉間を打ち抜かれて、とっくに死んでしまっていた。蝋人形にしか見えない血色の悪さ、何一つ体の細胞は機能してなかった。それは一目瞭然なのに、私には信じられなかった。前の日に合ったばかりだったのよ。随分と長い間死んでいた感情、遺体に対する尊厳の気持ちが蘇ったわ。今まで遺体を雑に扱っていた私は恥じた。けど、その代償が弟の死だなんて大きすぎるわよ。私は死を認められなかった。


 その日から私は復讐を誓った。凍りついた心が溶けて、私を激しく煽り立てるの。私の中で生きている弟が毎晩耳元でかたきを討ってと叫ぶのよ。だから私は、検死を行った被害者達の遺体に弟の死因と類似性が認められた時、それをデータにして残しておいた。私一人では復讐はできないもの。


 その頃にはもう有名だったものね、眉間を打ち抜く殺人者の存在。私は被害者同士で独自のコミュニティを作った。そのコミュニティのメンバの証がこれよ」


 女性は胸元からシルバーのネックレスを取り出す。チェーンの先には銃弾がついていた。すると、テーブルに座る他の二人も同じ動作で銃弾を取り出して見せた。それはバーテンダーが使用していた銃に使われる弾丸だ。グラスを磨いていたバーテンダーの手が震え、持っていたグラスが指の間を滑り落ち、音をたてて割れた。


「待ってくれ、俺じゃねえ。俺は、俺は殺ってねえ」


 ジャケットの男が真顔に戻る、それを見て男がこれまで酔ったふりをしていたのだという事にバーテンダーが気がついた。男は問い質すよう口調険しく言葉を浴びせる。


「俺達はそれぞれの被害者を打ち抜いた鉛玉を回収して、銃弾を新しく作った。こいつを犯人にぶち込む日を夢見てね。眉間を打ち抜く手口、その精確さから銃に覚えが有る奴の犯行だって事はすぐに解ったさ。だが、あの密造銃が厄介だった。あれは購入しても記録に残らない、その上どこでも買えるような代物だからな。


 ところが最近になってお前は密造銃を使うのを止めたな。弾丸には線状痕が残る、線状痕は銃によって違うものが残るだろう? 俺は割り出された銃を調べ、購入者を当たって行った。随分とかかっちまったよ。だが、遂にはあんたに辿り着いた、あるコソ泥を使ってあんたの銃を盗ませてもらった。結果を調べてみりゃ一目瞭然、線状痕が銃のものと完全一致した。その時ばかりは無神論者の俺も神に感謝したよ」


「私達はそれを知っても誰一人警察に届けようとは思いませんでした。復讐は私達の手で遂げられなければならない。被害者の苦しみを貴方に知って貰わなければならない」


 バーテンダーは恐れを隠しきれず、冷や汗を額から落とし、突然カウンターを抜け、走り出して店の出口へと向かい、ドアを開けようとする。しかし、その前にドアが開き、外から何十人もの人間がなだれ込むように店の中に入り込んできた。驚くが、すぐにバーテンダーが彼らに縋りつき、助けを求める。


「やつら、狂ってる、頼むあんた達、俺を助けてくれ」


「無駄よ、今更何したって無駄。検死官、警察官、弁護士が揃っているんですもの。それにあなたが縋りついている人達の胸元を見て御覧なさい」


 バーテンダーを取り囲む誰もの胸には同じ様に、ネックレスが巻かれ、弾丸が垂れ下がっていた。バーテンダーは一瞬で取り押さえられ、口を粘着テープで塞がれた。


 客達は店を締めきり、閉店の装いを進める。


「あんた、猟が得意だそうじゃないか。過去に何度も狩猟大会で優勝してるんだろ、動物だけじゃあなく、人間もハンティングしたくなったのか? だけど、今度はあんたが狩られる側だ、終わりだよ。順を守ると俺が最初だな、それじゃあ、まず右手の平からだ」


 ジャケットの男がグローブを手に嵌め、押さえ込まれているバーテンダーの右手の平を固定させ、銃を向けた。


 撃鉄が戻り、弾丸の尻を叩く。薬莢の中の火薬が爆発して弾頭が死者の思いを乗せ、銃の砲身の中を螺旋に回転して抜けてゆく。銃身を抜けると途端に空気の壁を突き破り、乾いた音と共に人の声に似た絶叫が店内に木霊した、凶器の鉄片は目標の右手目掛けて高速で飛行する、はずだった。


 だが、弾丸が不可視の力に捻じ曲げられ、バーテンダーの右手を外れると床の釘目に突き刺さり、釘の破片をジャケットの男目掛けて弾いた。それはやがて目標の人体、右手の平に到達し、先端の突起部を肉に食い込ませ、肉を突き破り、手の平の骨に突き刺さったまま停止した。


「い、痛え、なぜだ。なぜ俺に」


 一瞬で店内の空気が変わる。他の客達の目が一斉にジャケットの男を見つめていた。やがてその中の一人がバーテンダーの口のテープを剥がす。


「た、助けてくれ。俺はやってねえ。俺は盗まれてからあれが人殺しの銃だと知ったんだ。その銃は客のどいつかが忘れていったのを俺が貰ってやっただけだ、あんたに、警官のあんたにいつか渡そうと思ってたんだ、本当だ、許してくれ」


「だ、だまれ。嘘だ、そいつを黙らせろ。助かりたくて言っているだけだ」


「情報を改竄できるのはあなただけですね。あなた、自分の親を殺しておいて、更に殺人を重ねていたんですか」


「そうね、考えてみたら私に話しかけたのはあなたからだったわ、最初から計算ずくだったのね。でも弟や他の被害者の人達までは騙せなかった、なぜならあなたに殺されたんだもの」



 翌朝、客の人数分の弾丸に貫かれたジャケットの男の死体が、静かに街の川の中を下っていった。


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