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死燐集書  作者: 黒漆
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孤島


 孤島、張り出した断崖の上、別荘を彷彿ほうふつさせる建物の先。アンブレラとテーブルが並べられ、卓の上には料理が並べられている。その料理を目の前に二人の男が談笑していた。断崖の下には浜辺が広がっていて浜辺にはまた、一人の男が膝を抱えて座りこみ、海を眺めている姿が見えた。


 断崖の上の男の内の一人が下を眺め、浜辺の男を見て口を開く。


「あの方は何をしているのだろうね。何時もの事なのだが、未だにあの行動が私には理解できないよ」


 それを聞いて、対する男が答える。


「あの方はああして、対話をするのだそうですよ。私はあの方にあの行動の意味を尋ねた事が有るのです」


「対話、なるほど。では海と対話している、と言う事なのかな? 私には高尚過ぎてその行動の意味するところは解らないな。しかしまあ、我々が海から恩恵をあずかっているのは間違いのない事だね」


 そう言った男は自嘲するように口元に僅かに笑みを浮かべ、自分が言った事を確かめるように頷くが、それを否定するように対する男が言葉を上乗せする。


「いえ、そう言った事ではないのです。まずは私があの方からお教え頂いた一つの話を貴方にもお話しましょう。少し長くなりますが、時間は余る程ある。さあ、食事でも続けながらゆっくりと」


 こうして男は一つの物語を語り始めた……



 暑い。体を執拗に照りつける太陽を憎々しく思うが、今の自分にはこの状況をどうにも変える事ができない。青々と茂る植物の葉が作り出した陰を利用して、僅かばかりの風を感じる事が唯一の心休めだ。この島に流れ着いてから既に、一週間もの時間が過ぎようとしていた。毎朝日が昇る度に島の木に一本ナイフで切り込みを入れ続ける、そういった作業も既に当然のように日常に組み込まれつつあった。


 自分はかつて大型漁船で船長の役割をしていた。一週間前、大嵐が船を襲い、不運が重なる事がなければこんな事にはならなかったはずだ。何故自分は漂流しなければならなかったのか、嵐の夜、自分は漁船に乗り込んでいる船医の医師を甲板に呼び、折り入った話をしていた。その頃、船内の医務室には熱病で倒れた二人の船員が寝かされていた。数日前に寄港した国で侵されたらしい熱病は彼等二人の体を徐々にでは有るが確実に蝕み、予断のゆるさない状態まで病魔が進行していたのだ。しかし、医師である彼はその事を自分には伝えなかった。自分は他の船員から始めて、彼等二人が体力が衰え、死が急速に近づきつつあるという事実を知った。


 本来であれば船員の命を預る者として、当然そこで航路を戻すか、それとも先に進むかの状況に迫られる。数日間の遅れで、漁獲量が下がるのは目に見えているが、しかし、人の命には代えられない。必要であれば戻るべきだ、何故自分に船員の命が危い事を医師は自分に直接伝えないのか、それを問い質す必要があった。


 通常では危険な為、自分は嵐の中甲板の上に出たりはしない。しかし、自分はあの時怒りで我を見失っていた。もしそれが本当であれば自分はきっと医師に対し、暴力を振るってしまうかも知れない、彼にも立場がある、他の船員達の前でそういった行いを見せる訳にはいかない。そう思い、雨に打たれ自分の感情を冷やすため、或いは我々の立場を考え、嵐の甲板で話をつけることにした。だが、その選択は明らかに間違いだった。自分は誰に聞かれようとも、医師を殴る結果になったとしても、船内で話すべきだったのだ。


 この船の漁はクライアントに依頼される事で行っていた。漁獲量に関係は無く、一定の金額を支払うという契約の元、毎年の漁を繰り返している。これまではなんとか自営で続けていたのだが、漁業も様々な状況の変化を受け、こういったシステムに頼らざるを得なくなってしまっているのだ。漁獲された魚はクライアントが敷いたレールの上を流され各地へと流通するというシステムなのだが、当然漁獲量が減ればクレームを受ける。一定の目標漁獲量が設定されているのだ。逆に大漁だった場合は褒賞が出る、という事は無い。だとすると当然、設定された漁獲量を上まった場合、横流しをされる心配がある。クライアント側の人間がこの船内に誰一人乗っていなかったとしたら非常に曖昧な漁獲量を報告されかねないだろう、そんなクライアント側の意見を通された結果から彼等が用意し、乗船を許可し得ない事となった船医、それがこの船の医師だったのだ。中肉中背で頬が扱け、切れ長の細い目を持つ彼は、どこか冷たい印象を放ち、船員からは不評な人物だった。自分の印象といえば、経営者側の人間はああした特有の鋭さを持つ者も数多く存在するため、特別な意味での拒否感を感じる事はなかった。しかしながら、彼等のような人を機械と同等に扱う人間が苦手である、という事は確かだった。


 自分は外へと繋がる船室で医師と落ち合うと、扉に手をかけて外へ出るように促し、棚木医師の後を追うように外へと身を乗り出した。外は想像に変わらず、激しい風と雨、波しぶきが甲板の上に押し寄せていた。暴風が激しいために、船室へと繋がる扉の取っ手にお互いに手をかけ、近い距離で話し合う。


「自分は聞きたい、あの二人は本当に次の港まで持つのですか?」


「ええ、先程も申しましたように必ず二人の生命は持つはずですよ。私の医師としての目を信用して頂きたい、そんなお話でしたらこんな危険を冒す必要はないでしょう? もう、戻って良いでしょうか」


「いえ、待って下さい。間違い無いと約束いただけますか、正直に言うと、他の船員がとても心配をしているのです。あなたが自分に利益を落とさないために嘘の報告をしているのではないかと」


「はは、ご冗談を。これでも医師の免許を持つ者としての矜持は持ち合せておりますよ。私が船員の方達から信用されていない事は承知しております。しかし、だからといってそれは酷すぎる」


「では、必ず二人の命が次の港まで持つと保障して頂ける、そういう事ですな」


 自分は船内の医務室に寝かされている二人の顔を見て、長年の勘からこのままでは次の港まで持たないという事が解っていた。どの道戻るつもりでいたのだ。しかし、ここでの返答次第では、自分は医師の評価と対応を変えない訳にはいかない。


「それは、保障しかねます。病とは一進一退、何時悪化して何時良好に向かうのか、それは非常に難しい判断となりますからね」


 自分は半ば憤慨し、医師の胸倉を掴みあげる。


「あんたは解っているだろう! あの二人はここで戻らなければ死ぬ。医師のあんたがそんな事でどうする!」


 医師は胸倉を捕まれてなお、表情を変えず言った。


「はは、何を熱くなっているのですか。彼等は所詮、借金で首が回らなくなった者や陸に戻ることが難しい犯罪者ばかりではないですか。私がその事を知らないとでも思いましたか? あなたは私の言う通り、このまま航海を続ければ良いのです」


 自分はそれが知られている事は知っていた。便宜置籍船として登録されているこの船は、日本に在籍を置いている訳ではない。書類上では、とある小国の船として登録されている。それにより、船員免許を持たない者も船に乗せることが可能なのだ。それにより犯罪者や身分が定かではない者達も船に乗せる事ができる。事実、この船にはそう言った経緯を持つ船員が何人か存在した。とはいえ、何をしたとしても彼等は人間だ。自分は彼等がこの船に乗る時に、必ずかけていた言葉があった。過去を問い質しはしない、だから君達も誰に対しても過去を聞くような真似をしないやってくれと。付き合いの長い自分にとって彼等は家族のようなものだった。それを新しく来たばかりのこの男に物扱いされる事がとても許せなかったのだ。


「あんたは解っていない、自分には矜持がある。一度この船に乗った以上、彼等は自分の守るべき部下だ、命が危ういと知っていて見捨てる事などできない」


 自分がそう言って掴みあげた腕をそのままにしていると、とうとう無事で済まないと悟ったのか、医師が暴れ始めた。同時に横凪ぎの波風を直に受け、僅かに船上が傾く。自分は大きく体の上体を崩すとそこへ波風が追随するように押し寄せた。自分は体が浮き上がるのを感じ取ると、波と共に風に巻き上げられ真っ黒な海へと落下していった。



 そうしてその後、自分と医師は孤島に流れ着いていた。半径3km程の孤島には椰子の木や南国の名も解らない植物が生い茂っていた。持ち合せていたのはロープ工作用のナイフと家族の写真、財布程度だ。医師もすぐに船室に戻るつもりでいたらしく、大した物は持ってはいなかった。


 我々は長い時間を二人で話し合った。お互い、流された直後は責任を押し付け合い、罵倒を繰り返したりをしていたが、それに疲れた時、二人とも御互いに対する罵倒など意味の無い事だと悟った。


 それからは二人とも身の上話を語り合った、何故かは解らない。他に話す事が無かったからなのだろう。


 一通り話し終えお互いを知ると、腹が音を立てて食べ物を要求し、自分はもう随分と食事をしていない事に気がつく。医師は笑い腹が減ったのならあれを食べてみてはいかがですかと言って、腕を上げ、何かを指示す。その先には木が有り、蔦で干し肉のような物が吊るされていた。


「この肉はどこから……」


「それはお聞きにならない方が貴方の為かと思いますが」


 確かであれば、この孤島には動物の類は鳥や魚程しか見ていなかった筈なのだが。それにしてはあの干し肉は明らかに巨大すぎる。


「いえ、見てしまった以上自分は聞きたい。あれは一体何の肉ですか?」


「貴方はただ、考えずに食べるだけで良いのです。それが生き残るために必要な事なのですから」


 医師の顔が唐突に影に隠れた。空を見上げると太陽を一つの厚い雲が覆い隠している。


「しかし、それでは尚更自分は気になって落ち着かない。それに、得体の知れない肉は口には出来ない」


「解りました、それ程までに言うのならば、あれは人の肉です」


 ばかな、漂流して来たのは自分達二人だけのはず、それにこの島には着いた時から誰も存在しなかった。ここに自分達が居るのならば誰の肉だというのか。


「では自分達の他にも流れ着いていた者が居たのですか? 後から流れ着いた者が」


「いえ、そうではありません。確かに流れ着いたのは私達二人だけですよ」


 ずきずきと頭の芯を針で貫かれる様な頭痛が走り始め、額を汗が滑り落ちた。


「それではおかしい、一体誰の肉だと言うんだ!」


「あれは、あなたの肉です」



 それを聞いて唖然とする。しかし、頭痛は未だに消えない。自分の肉だと、冗談にしては性質が悪い。自分はこうして今ここにいるだろうが。


「何が言いたい、自分はここに存在している」


「いえ、あなたはあなたではない。あなたは私です」


「は、尚更訳が解らない。一体どういった意味でこんな事を」


「あなたは私であり、あの肉は船長の物なのです。この島に流れ着いた日、船長の体には巨大な杭のような木の切れ端が刺さっていました。腹部を貫通し、脊髄にまで達する傷を見た私は既に助からないと悟った」


「ばかな、そんなはずは」


「船長の息を引き取るのを見届けた私は、生き残るために船長を解体する事を決めました。皮を剥ぎ、骨を切り取り、内臓を抜き、筋肉を捌き、塩水で洗い、蔦で木に吊り下げ、内臓は細切れに切り、魚の餌とし、脳は腐りやすく上質で貴重な蛋白源なので直に口にしました」


 喉を強烈な吐き気が込み上げてくる。頭痛がピークに達しようとしていた。


「私は、船長の脳を口にしてから私の中で船長が息づいて来るのを感じていました。船長の持つ記憶や意識が私の中で再生されて来ていたのです。同時に私は始めて人の肉を口にした事に対して罪悪感が芽生え始めていました」


「やめろ、それ以上はやめてくれ」


「今更遅すぎる、ここまで聞いたならばあなたは知らなければならない。私は私の幻影を作り出し、私自身を船長にする事にしたのです。つまり、こうして今話している私はあなたの幻覚です」


 青かった空が端から真紅に代わってゆく。自分、いや、私は全てを思い出した。木の傷を見ると既に一月は経過している事が解る。私の幻覚は歪みながらも未だに存在していた。そしてその歪んだ幻影が私に言った。


「これでやっと一つになれますね」




「なるほど、面白い話だ。しかし、その話があの方の対話、とやらにどう繋がるのか」


「良く考えてみて下さい。この話は私達の状況と似ている部分が有るのではないですか?」


「ああ、確かに人肉を口にしていると言う点は同じではある。この辺の海域は波が荒く、定期的に海に投げ出され、漂流する者がこの島に流れ着く。そうした人間を我々が食している訳だからね」


「ええ、ですが私達がそうした食した者の記憶が、私たち自身の記憶に流れ込むといった経験をした事は無いでしょう」


「当然だろう、そんな事は有り得ないのだから。肉は肉でしかない」


「ですが私達は彼らの肉部分しか口にしていないのです。あの方だけの特権が脳を口にする事なのですから」


「ははあ、なるほど。つまりあの方は食した者の記憶や意識と対話していると、そう言う事か」


「そうなのです、私があの方に聞いた話では食した脳の持ち主の意識と己の意識を統合させるには随分な時間が必要になるそうなのですよ」


「なるほど、しかしそうなると私も一度くらいは脳にありつきたい物だね。こちらも高い金額を払ってここへ来ているのだから、偶には贅沢をさせて欲しいものだ」


「そうそう、さておきこの島ですが、地図に表記されていない事はご存知ですか?」


「ああ、知っているとも。そのお陰で我々の特殊な嗜好は公にならずに済んでいる」


「けれど、なぜ定期的にこの島には死体が流れ着くのか、それは知らないでしょう」


「それは潮の関係からなのではないのかね?」


「そうではありません、この島も、死体ですら作られたものなのですから」


「どういう意味かな」


「私は考えました、なぜあの方は私にあの話を聞かせたのかと」


「それは君が、この島のオーナーであるあの方の対話とやらに興味を抱いたと言う理由からではないのかな」


「違うのです。あの方は言いました、意識の統合を果たすには目覚めた意識に自分が既に食されているという事を理解させなければならないと。ですから、突然目覚めた意識にあなたは既に私に食された後なのだと伝えた所で、その意識はそれを信用できない。つまり統合を果たせないと言う事でしょう」


「それで? それが何だと?」


「だとして、先程の船長に取り変わった男の話を交えると、あの方は己の中に別の世界を組み立てることができるのではないか、という事に気がつくでしょう。その世界の中で時間をかけて食した者の意識と統合を果たすのでは、と」


「まさか!」


「そのまさかですよ。私達はとっくにあの方に食された後だったのです。私は思う、この世界の殆どの人間があの方に食された後であるのに、それに気がついていないだけなのではないかと。私達の意識は個一ではないと気がついていないだけなのです」


「はっ、そう言われてすぐに信じられるものか」


「貴方はあの方の顔を憶えておりますか」


「それがなんだというんだ」


「きっと見えている筈なのにはっきり認識できないはずです」


「それは単にあの方の顔が平凡すぎるために憶えられないだけだ」


「先程の話、なぜあれほど仔細に語られたのか不思議に思いませんか?」


「確かに、不要な部分が多いとは思うが」


「あの話の中の医師こそがあの方なのですよ。私はそれを認識した時、始めてあの方の顔を憶える事が叶いましたそして、私もまた」


「そんな……」


 話を語った男の顔がぼんやりと他の人物の顔と重なり合い、やがて頬が扱け、切れ長の細い目に変わる。すると二人の男が存在していた世界が歪曲し、青かった空が端から真紅に侵食されていった。その世界に声が響き渡る。


 これでやっと一つになる事ができますね


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