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死燐集書  作者: 黒漆
5/13

濃霧

 私は高架橋の下で休んでいた。コンビニで買った安酒をあおる。時々通る電車の架橋を揺るがす音も今の私にとっては心地良い。十一月、辺りはもう冬を感じさせ始めている。


 外気に温度の差が出来始めたのか周りはうっすらと煙に似た霧が現れだしていたが、人工的な光に囲まれている今は、不思議と寒さを感じる事は無かった。私は友人の三回忌を迎え、死をとむらうために催した飲み会に三次会まで足を伸ばし、その末にこの高架下まで辿り着いたのだった。


 三年前、死んでしまった彼は私と共に長い時間を過ごし、様々な秘密を共有する、唯一無二の友人だった。そうした彼との思い出を橋げたにもたれかかり、目をつむり思い出していた。


 少しの間、転寝うたたねをしてしまったようだ。時折頬を撫でる風に肌寒さを感じ、目を覚まして辺りを見回すと気がつけば視界は濃い霧におおわれていた。


 そろそろ帰るかと思い、立ち上がろうとすると、どこからとも無く足音が私に近づき、眼前に作業着のような薄汚れたツナギを身につけた男が現れた。その男は酒を一杯くれと、私に言う。酒に飲まれて気が大らかになっていた私はそれくらいならとワンカップの酒を一本その男に渡した。


 男が瓶のプルトップを外し、屈みこんで一口程酒を口に含む。その時、何気に違和感を得た私は、男の背後に目を配らせた。すると、何故かそこだけ霧が濃い。三体分の人型に塊った繭のようなそれは一つは大人程、一つは子供程、一つは中腰で頭を下げた格好に見えた。他の霧とは明らかに異なる流れで動いている霧の塊、それが何なのだろうと恐れを抱くが、酔った私の頭が生み出した幻覚なのだろうと無理に納得させ、目を逸らした。


 そんな私を一瞥いちべつするも、男は私を置き去りにするように勝手に話を始めた。


「なああんた、視えるんだろう? 俺の後ろにさ、三人居るだろう? そんなに怖がるなよ、あんたには何もしねえさ。はは、これから笑える話をしてやるよ。これはさ、俺の後ろに居る奴等がまだ二人だった頃にね、やらかした失敗についての話さ。


 俺はね、あんた。昔はそれなりの生活をしていたんだ。真面目一辺倒でねえ、長距離を短時間で荷を運ぶ、年中無休のトラック運転手を続けてたんだ。生ものから割れ物、高級家具から電化製品まで何でもござれの会社に使われてたからね、仕事にゃ事欠かなかったな。俺は元々運転する事が好きだったからね。長距離を流す事も、全く知らない土地を運転する事も別に辛いとは思わなかった。唯一つ、困った事と言やあ睡眠時間をあまり取れない事と渋滞に巻き込まれる事くらいだったか、まあね、あんた。俺が仕事してた頃はまだ今みたいな不景気じゃあなかったって事さ、速度制限や飲酒に対しても今程きつくは無かった時代でね。


 そんな時代での話なんだよ、俺は三晩寝ずの仕事の最中でね。流石に体と意識に限界が来てた、これじゃあ拙いと思って気付けにきついやつを一杯やって運転を続けてたんだ。そう睨んでくれるなよ、俺の仲間連中じゃ当たり前に誰でもやってた事だ。それで人でも轢いたのかって? まあ、そんなに急がないでくれ。当たっちゃあいるがね、それでも全てを聞いた後でも遅くないだろ? ほら、俺の後ろのやつらもあんたに聞いて欲しがってるはずだからさ。


 それで、その日は今日みたいに霧の濃い日でなあ、高速が事故で通行止めって言うんでな、回り道さ、高速道路を下って下道を走ってな、道筋は山間の曲りくねる下り坂に差しかかっていたんだ。本当に霧の濃い日でね、ライトをハイにしていても5m先も見えない、そんな日だったんだよ。左は崖になっていてね、伸びるライトの筋がその先を照らして、なんだか夢の中でハンドルを握ってるような、そんな感覚で俺は運転を続けてたんだ。


 そんな中、前方から左に抜ける光の筋が見えてね、俺は急にはっとして速度を落とした訳だ、光の筋が二本なら対向車を気にするだろうが、そん時は何故か一本だけが走ってた。すると案の定、道路の右端にひしゃげた車が止ってたんだよ、俺はトラックを止めてハザードランプを点けて、ライトをつけたままの車に近づいた。


 車の損傷は酷いもんでな。右前方から当てられたのか助手席側はひっ潰れてドアもひしゃげてた。俺は運転席側から車の中を窺ったんだ。だけどな、覗き込むとその中には人っ子一人居なかった、ただ、潰れかかった助手席に血溜まりと肉の破片がこびりついていただけだったんだ。


 俺は急に怖くなってな、こいつはひょっとして俺の夢の中なんじゃないかと思ったんだ、いつのまにか眠気に負けて運転しながら眠っちまってるんじゃないかってな。そうだろう? そんなの現実離れしすぎてる。だから俺はトラックに乗り込み、無線も使わずにアクセルを踏み込んでね。早く夢から覚めろと思って事故車を避けてその場から離れたんだ。


 それからすぐだった。何か人形のような物を抱えた女が霧の中から急に姿を見せた。気付いた時には既に遅し、さ。俺はそいつを撥ね飛ばしちまった。ああ、遂にやっちまったと思ったよ、そん時はな。その女は俺の車に撥ねられると関節が無くなった様な格好に体を歪ませてね、片手に血だらけの塊を抱えたまま、カーブのガードレールを超えて崖下の暗闇へと消えていった。そういった瞬間はな、本当に時間がゆっくりに感じられるんだよ。


 俺はその後、業務上過失致傷罪で禁固四年受けた。飲酒もしていたからな、だがな。苦しいのはその後からだった、俺の後ろにはいつも二人が立つ様になった。俺が歩く度にひたひたと後ろから足跡がついて来る。振返ればゴム人形みたいな歪んだ女と手足が千切れかかり顔が潰れた子供が俺を指差すのさ。そいつ等が歩く度に俺の耳には不快な音がくちゃくちゃと聞こえるんだ。眠れたとしても見るのはあの瞬間の夢さ、暗闇の中撥ねられた女が浮かび上がり、肉の塊を抱えたまま、やがて暗闇に落ちていく……


 あはは、どうだい、怖いだろう。全然笑えないだろ? 笑えるのはここからさ。そんな事故を起こしたにも拘らず、会社の社長は俺を再び雇ってくれた。義理に厚い社長に涙が出たよ。だが、本当の所は俺みたいな奴がいなけりゃあいけない程その頃の仕事が忙しかったんだろうな。数ヶ月間がむしゃらに働いたさ。だがね、俺は連日、そいつ等の幽霊に脅かされて半病人みたいな状態だった。そんな調子じゃあ俺はどうにも長くないと思ったのか社長がどこからか霊媒師を探してきたのさ。


 その霊媒師が言うにはな、俺の後ろの親子は湖に行きたがっていると言うんだ、その希望に答えればきっと成仏してくれるんじゃないかってな。それじゃあと、俺とその霊媒師はその親子が行きたがってるって言う湖に出かけた訳だ。


 湖につくといつの間にやら俺の後ろの二人の気配が消えていた。俺は喜んだよ、だが、霊媒師はまだ祓えていないなんて言いやがる。完全に祓うには湖の中まで入る必要があるだなんて言ってな。だから俺達はそこでボートを借りて湖の中へと漕ぎ出した。


 湖の中程まで行くと何故かそれまで透き通る程良く見えた周りの風景が霧に覆われ始めたんだ。すると、俺の後ろで例のくちゃり、くちゃりといった音が聞こえ始めた。あの親子が戻って来た、俺はそう思った。霧が一層濃くなって湖の上には俺とその霊媒師しか目に映らないほどになると、勝手にボートが進み出したんだ。霊媒師は必死に語調を荒くして頑張っていたよ。


 やがて、ボートに急に手が掛かった。水の中から伸びた手がボートの縁を掴んだんだ。直にボートの縁の上に霧に覆われた頭が乗った。俺は必死になった、奴等が来たんだと思ったんだよ。それで必死になってオールを使いそいつを叩いた、こっちに来るな、俺から離れてくれってな。やがてそいつは諦めたのか、それとも力尽きたのか湖の中へと沈んでいった。気がつけば顔を青くした霊媒師が俺を見つめていたんだ。そして俺の後ろには三人並んだって訳だ。どうだ? 笑えるだろうが」


 私は男の話を聞いてすっかり酔いが醒めていた。親子の事故の話、それに湖での幽霊の話、そのどちらをも私は知っていたからだ。


「そうだよ、俺達のボートに手をかけたのは人間だったんだ。決して幽霊なんかじゃあ無かったのさ。俺はあの親子に嵌められたんだ、そう思った。再び殺人をしちまった俺は当然見放され、刑務所行きさ。殺意が無かったとしても、俺は二人も殺しちまった訳だ。だがな、長い事刑務所の中に居る内にこの親子と俺が殺したこの男が本当に望んでる事は俺の不幸なんかじゃあ無いって事が解ってきたんだ。


 良いか、俺がひき殺した女は母親だった。その子供は既に死んじまってたんだ。母親は死んだ子供を抱えて助けを求めて霧の中を歩きまわってた。そいつを俺が轢いたんだ。だがね、子供が死んだのは車内でさ。俺の前に事故を起こして逃げた奴が居た。だがな、そいつは立件されなかった。警察が面倒くさがったのか全ては俺のせいって訳だ。当時の俺はそれでも仕方が無いと思った。確かに母親を殺したのは俺だったからな。


 それでもな、次に俺が殺した男が俺の後ろに立った時、俺には全てが解っちまったんだよ。そいつはな、死んじまっても俺の後ろの親子を怖がってたんだ。ごめんなさいってな、謝り続けてるだろ? その上何で俺だけがなんて事をね、俺に言うのさ」


 体の震えが止らない、私の目の前の濃霧が一時的に薄れ、ひらけると、気がつけば男を前に私はあの、事故を起こした峠道に立たされていた。高架橋も消え歪んだガードレールに枯れ果てた花束が供えられている。


 私の友人は三年前、湖に釣りに出かけた際に男に殺されていた。霧の中で殴打されたとの事だった。その時私はやっと秘密を守り通す事が出来ると安心していた。しかし、まさか友人を殺した男があの日、私と友人が乗り合わせた際起こした事故を揉み消してくれた張本人だったとは。


 あの日、私と友人は釣りに出かけるために朝早く家を出て湖へと向かっていた。途中の峠で濃霧に覆われ、霧を早く抜けようと焦る気持ちが自然とアクセルの角度を深くした。やがてカーブを見誤り、大きくセンターラインを割った私の運転するクルーザータイプの車は、突如霧の中から姿を見せた軽自動車と接触事故を起こしてしまう。


 私の車を避けようとした軽自動車は避けきれず助手席に大きなダメージを負ってしまった。人一人分潰れた軽自動車は動きそうにも無い。中で運転をしていた女性が髪を振り乱し叫んでいるのが見えた。私は、呆然とした瞬間にブレーキを離した事で、少しずつ車が前進している事に気がついた、車が動く、そう悟った時、私は逃げていた。大きく破損した軽自動車の中で狂ったように叫ぶ女性を目の当たりにし、恐れから私は逃げた。


 それからは恐怖の日々が続いた、必ず捕まる。まして私はあの女性に見られているのだ。しかし、一向に私の前には警察は現れなかった。やがて、後日。あの事故は別の人間が起こしたものとして処理されているという事に私は気がついた。やっとこの恐怖から開放されたと思った。だが、友人の彼は罪悪感を捨てきれず、毎年峠に花束を手向けに向かっていた。私は止してくれと言っているにも拘らず、釣りのついでだからと断りを入れて。


 いつか私は彼が秘密を洩らしてしまうのではないかと恐れていた、だが、結果的に私の罪は発覚する事は無く、友人が死んだ事で全てが済んだのだと思っていた。しかし、ここへきてなぜこんな事に。


「あんただろ、あの場所で事故を起こして逃げたのは。俺はこの霧のお陰でここまで来れたんだ。俺がこれだけ罪を償ってきてるのにあんただけがこんな場所で幸せそうに酒をかっ食らってるなんておかしいよな? おかしいだろ? でも、俺がここであんたを殺しちまっても仕方ない。もう人を殺すのはこりごりだよ。二度と務所に戻って恐ろしい音に悩まされるのは御免だ、だから、お前も俺と同じ苦しみを味わえ」


 男はそれだけ言い切ると喉をナイフで欠き切った。血飛沫が舞い、私の顔を濡らす。やがて私の耳にくちゃり、という音が聞こえた。


 私の背には今、四人いる。そして彼らを引き摺り歩き、いつか許しが得られる事を望み、光を求めて霧の中を、延々と彷徨さまよい続けている、どうか私を許して下さい。そう呟くと、背にした者達が体を震わせてわらった。


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