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死燐集書  作者: 黒漆
10/13

浸夢


 私が博士の部屋を訪れたのは彼に個人的な用件で話があると呼ばれていたからだ。以前、博士の助手を勤めていた青年は、突然の辞表を突きつけて辞めてしまったのだという。その噂を耳にしていた私は、何かの実験に付き合わされる事を少なからず想定していた。何が原因で助手の青年は辞めてしまったのか、恐らくその実験とやらが原因で彼等の仲に決定的な何かが起きてしまったのだろう。そういったいざこざは私の苦手とする所だ。しかしながら、以前から博士と交友のあった私は、博士の研究内容にも興味を抱いていた為に、誘いに対して拒否を現す事無く会う事を了承していた。


 実験室は様々な機器が立ち並び、元々そう広くない部屋が更に狭く思えた。断続的にカタカタという音が部屋に鳴り響き続けている。窓は暗幕のような黒いカーテンによって遮られている為、昼でありながら暗かった。部屋の中は天井の淡い色の蛍光灯によってうっすら浮かび上がる程度に照らし出されている。どうやら蛍光灯にはフィルムのような物が張り付けられているようだった。部屋の奥に向かって電子機器から伸びたチューブ線が天井を這い、電子線のように整列して延びていて、その先にヘッドギアのような形状の物体が金属のフックに固定されていた。博士は部屋の中央の背もたれ椅子に座り込み、私を確認すると手を招いて移動式の椅子に座らせた。


「今日はお呼び頂いて有難うございます」


 私が形式に沿ってそう博士に挨拶すると、博士は礼を言うのは私の側だ、早速で悪いが、君を呼んだ理由を説明しよう。まずは、今日行う実験の趣旨を説明しなければならないね。と私に向かって言い、会話に取り掛かり始めた。私は予想していた事が現実に成りつつある事に対して頭の中で笑みを浮かべ、博士の言葉に相槌を打ち始める。


「君は夢を記録すると記憶が破壊される、といった話を聴いた事があるだろうか?」


「はい、夢を何かの媒体に記録して残し、本当の記憶として残してしまうと色々と問題が起こりうる、確かそういった話だったと記憶していますが」


「ふむ、大体の所ではそんな内容だろう。人は脳の中で夢という形式を経て、一日の中において、記憶として残して良い内容と残してはならない内容を選別している。本人が覚えているつもりでは無いとしても脳の中では無意識下で覚醒中、一日の中で見た景色、会話、一分一秒間の出来事すべてを憶録している。


 しかし、そのままでは脳の記憶容量を簡単に消費し尽くし、許容量を超えてしまう。そうならない理由が夢によって不必要な記憶が削除されているのだと、夢とはそういった役割を備えているのだと。しかし、夢を記録する事によって残しておくべきでない記憶までもが残ってしまう。それにより脳に大きな障害が起こりうる。


 おおむねそんな内容だろう、しかしね。夢の内容を記録したところで実際の所は脳に何の影響も残さないのだよ」


「何故です?脳の記憶容量は無限では無いのでしょう?」


「脳の記憶容量は人によっての個人差がある、特異的な例を挙げれば、サヴァン症のある男は三十六年間の全ての出来事を脳に記憶しているそうだ。彼はそう有りながら平常な精神を保てているそうだよ。


 発狂や崩壊を免れている、相当の負担がかかっていると予測できるだろうが、不思議だろう? それは又、私の研究とは別の話だがね。話を戻そう、記憶容量を超える事によって脳の細胞が損壊する事など有り得んのだよ。そもそもその為に人の脳には忘れると言う機能がついておる。


 それと、脳に関してはまだ未開の領域が数多く存在しているのだからな。もし、記録によって破壊が起きたとするならば、恐らくそれは精神的な圧迫を、記録する事で忘れる事ができず蓄積されてゆき、重圧にやがて押しつぶされ、脳による自衛効果により記憶部分が破壊されるのだとわしは推測している」


「なるほど、博士は夢と脳の関係についての研究をされているのでしたね。そういった話が今日のその実験に関係する訳ですか」


「そう、これを説明するにはまず、先だって夢と言うもののメカニズムについて説明せねばならない。夢と言うものは無意識下で何らかの脳の運動が繰り返されていると言う事は間違いの無い事なのだ、しかし、覚醒時記憶として残る夢は本当の夢を改竄かいざんしたものなのだよ。


 それは脳の機能の一つなのだが、覚えておいてはならないと脳が判断した記憶、または雑多な必要のない記憶を選別し、脳が暗号化した結果、継ぎはぎの様な夢に変換されるという方式なのだ。しかし、暗号化されている夢とは言え、一概に本体の精神状態、或いは肉体の状態に関係がないとは言い切れない」


「では、もし私がどこかからたとえば飛び降りる夢を見た、と言ったらそれは新しい環境下で緊張を感じている、と解釈する事も間違いでは無い訳ですか」


「確かに、間違いではない。しかし、それは夢の全体像の一部を暗号化した末に上書きされた記憶なのだがね。肉体からの警告を記憶の表層に重ねたに過ぎない。人体が何らかの病原体の脅威に晒された時、或いは肉体の緊張度が最大に達した時などはより顕著けんちょに表層の夢に反映されると言う事は立証されている。


 まあ、表層である、と言う点に限ってはわしの想像なのだが。わしは真実を解明したくなった、覚えておいてはならない記憶とは何なのか、君は気にならないか? 


 一つ面白い仮説を聞かせよう、脳は人間が起きている間、実は有る作業を秘密裏に常に行っているというのだ、それは視覚しているにも関わらず、脳が視覚されたものを遮断する、言わば、脳が見てはならないものを見ないために防護壁を築いていると考えれば良いだろう。その上、もし防護壁を超えて何か見たとしても忘却機能が働き、気のせいだったとしてすぐに忘れてしまうのだと。しかし、稀に常に防護壁が作成されない人種がいる、それが霊能者などと呼ばれる存在なのだと。


 わしはオカルト信者ではない。これも一つの可能性として上げているだけなのだが。それによって死後の人類に会えるとしたら面白いと思わないか? それこそ人類の一つの大きな謎が解かれるというものではないか。あるいは、我々の脳が拒絶する透明人間のようなものが存在するのやも知れない。


 わしは知りたい、探究心をそそられる、これ程研究者を駆り立てる命題はそうは無いとは思わんか。わしは色々な可能性を信じ、どれが正しいのかを確かめたい。そこでこのヘッドギアを開発したのだ」


 博士が部屋奥のチューブの先、金属のフックに掛けられた物体を見つめた。気のせいか断続的に続いていたカタカタという音のリズムの間隔が変わった気がした。瑣末な事だと思い、私は会話を続ける。


「この装置の効果とはなんなのです? 一見して頭に装着すべきもの、それ自体は理解できるのですが」


「見てのとおり、これは頭に装着して使う装置だ、これを使用している間は常にこの装置内では脳波を測定しておる。睡眠がレム睡眠とノンレム睡眠に分けられるのは知っているだろうね? 


 レム睡眠、高速眼球運動睡眠と呼ばれる睡眠中に我々は夢を見ている事になる。脳波がレム睡眠の反応を示した時、同時に特殊な微弱電磁パルスを発生させる。そのパルスの発生により、海馬の働きの一部を抑え、脳の記憶処理作業を一時的に停止させる事が叶うのだ。それによりわしが昨日の眠りから覚め、今日覚醒していた間の記憶の暗号化を防ぐ事が出来るはずだ。


 しかし、それでは防護壁と言うフィルタがかかった世界を再度確認する事に過ぎない、一日の行動全てを完全に記憶として残す事は可能だが、それでは不十分だ。


 そこで私は自称、霊感が有るという生徒を助手につけた。彼の協力で通常の人間とは異なった脳の反応をわしは知る事ができた。彼が見える状態時に大脳新皮質の特殊な位置の細胞が活発に動作している事に気がついたのだ。そこで、音などの効果によりその部分の細胞の活動を一時的に活発にさせる機構を開発し、更にこのヘッドギアに取り付けた。試験動作でデータ的には成功を見たのだよ。それにより何が見えたのか、しかし、それがどうも解らんのだ。被験者である助手が急に去ってしまってね」


「博士、疑問なのですが、そこには当然記憶すべきでない内容が含まれているのですよね。最悪、その内容によっては相当のリスクを負う可能性も有るのでは?」


「当然その可能性は高い。それゆえわしはこれを他人に任せるわけにはいかぬのだ。その為に君を呼んだ。わしがこれをつけて寝ている間、何か異変が起きたならばすぐに対応をして欲しい」


「予想はしていました。博士の頼みごとを私が断れるわけがありません、それに私としても好奇心を大いに掻き立てられる実験のようです」


「そうか、やってくれるか。君ならばそう言ってくれるだろうと信じておった。よろしく頼むぞ」


 なにやら少しばかりきな臭い話になってしまっている。それでも私自身が実質的に危害を受ける訳では無さそうだ。となると、実験の手助けを受ける事も悪くはないか。そうだ、その前に訊いておかなければならない事がある。先程の話の流れにもみえた助手、何故彼は辞めてしまったのか。


「ああ、そういえば彼、あの助手の青年は何故辞めてしまったのです?」


「彼は装置を被験してから性格ががらりと変わってしまったのだ、まるで何かにとりつかれたように、はは、馬鹿らしい話だ、気にせんでくれ。それよりも、だ。すぐに私は結果が見たい」


 博士はそれだけ言い、椅子をヘッドギアの横まで移動させ、背凭れを後に稼動させて横になるとヘッドギアを装着して横になった。やがてヘッドギアの横部にあるスイッチに触れ、私の顔を見つめた。


「わしはこれから睡眠に入る、後の事は君に頼んだ。君はただ観ているだけで良い。結果を期待していてくれたまえ」


 そう言い残しまぶたを閉じる。蛍光灯の淡い光が博士の横顔を断片的に照らし出す。私はそれを見つめてこれから何が起こるのか、どんな結果がもたらされるのか。それを戦々恐々として待ち続けていた。


 私は待ち続けた。博士は未だ眠ったままだ、時折規則正しい寝息を立てている。例の計器の音の間隔が徐々に早まり始めている事に私は気がついていた。そろそろだろうかと腕の時計を見つめる。博士が眠って約一時間半、私が博士の横顔に視線を戻すと博士が瞼を開いていた、激しい眼球運動が始まりだしている。


 なんだ? 何が起きているのだ。博士の異常が私の思考の継続を赦してはくれない、その間にも瞳は何も捉えることなく、高速で上下左右に動き続けている。その内瞳が赤く変わり、涙腺から血が流れ始めた。私は流石にこれ以上はまずい、そう判断し、博士の体にしがみ付き、その体を横に揺すった。


「博士、大丈夫ですか? 起きて下さい」


 博士は椅子から上体を起き上がらせると片手で私を突き放し、顔をかきむしり叫びだした。私は咄嗟にヘッドギアに繋がったチューブを掴み、博士のヘッドギアを強引に引き剥がす。


 間に合っただろうか、博士を正常に戻そうと博士の正面へと向かおうと体の向きを変える。しかし、既に遅かった。博士は断末魔の絶叫のような声を一言放ち、立ち上がって激しく頭を左右に振り乱すと、昏倒するように床に崩れ落ちた。その後間髪入れず、部屋の窓ガラスの全てがガタガタと揺れた。異常が起きてたったの三分、彼がどんな夢を観て何故発狂に至ったのか。私はすぐに倒れこんだ博士を抱き起こし、顔を覗き込む。博士の赤い眼、瞳の中に世界の姿が反射して映っている。その瞳の中に私の後に立つ透明な何かが映り込んでいた。私は目が離せない、ゆるゆると動くそれは私に近づいて……


 気がつけば私は呆然と立ち尽くしていた、どれ程の時間が経ったのか、私は憶えてはいない。窓のカーテンが開かれて夕日が差し込み、部屋を赤銅色に染めている。博士の姿は何時の間にか消えていた。床に有るのは僅かな血溜まりと引き千切られたチューブ。ボロボロのヘッドギアだけだ。実験室は静寂に包まれている。機器が活動を停止したのか、あのカタカタといった音が止んでいる。自然に私は装置へと目を向ける。しかし、装置の電源は未だ切られてはいなかった。フラッシュバックがおき、博士が最後に叫んだ声が私の中で復唱ふくしょうされる。


「世界は侵されている、何故わし等は、わし等の脳は現実を否定するのだ」


 窓ガラスがカタカタ、と鳴った。


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