外伝・イミテーション(四)
自宅に戻った司は、シャワーを浴びながら先程の会話を思い出していた。
何も気にしていなかった。今までそんな事を考えた事もなかったのだ。あの時、皆の会話を遠くの方で聞きながら、自分だけが取り残されたような気がしていた。
『俺達の親も若くないって事だよ。それなりに年取ってるって事だよ』
何故かナオの言葉が重く圧し掛かる。
そして秀也の質問、
『お袋さんって、体、大丈夫?』
そして晃一の言葉、
『何かの前触れだったりしてな』
蛇口を捻ってシャワーを止め、バスルームから出ると、髪を拭きながら何か妙な胸騒ぎを覚えた。
『形見として』、『使えなくなったらあげるわ』、『亮くんに報告しなきゃ』
そんな聖子の言葉が妙に引っかかる。
考え過ぎだと言えば、そうかもしれない。しかし、突然に降って湧いたようなこの不安はそう簡単に消す事は出来ない。
深夜12時を過ぎてはいたが、思わず受話器を取っていた。
トゥルル・・・ トゥルル・・・
6回程鳴っただろうか。それ以上なら切ろうと思った時、相手が出てくれた。
「もしもし」
「もしもし、ごめんなさい、夜中に。司です」
「ふぅ、司か・・。今、何時だと思っている?」
相手は父の亮太郎だ。家の電話ではなく亮太郎の部屋に掛けたのだ。
「ごめんなさい。でも、どうしても気になって、・・・ その、お袋の事」
「 ・・・、何だね?」
深夜の電話にも係わらず意外と素直に返事が返って来た事に少し戸惑った。しかし、それが直感的に何か知っているのだと思った。
「お袋、何かあったの? 何か今日、変だったから」
「変?」
司は今日、聖子の買い物に付き合ってから考えていた不安な事を全て話した。
だが、その司自身も、亮太郎に対してこんな事を口に出していた事に驚いていた。今までは当り障りのない話しかした事がない。それも、他人行儀に。
自分の気持ちや感情など露わにした事など一度もなかった。
それ故、言った後で少し後悔に似た感情が起こっていた。
「お前がそんな事を考えていたとはな」
黙って聞いていた亮太郎だったが、しばしの沈黙の後に静かに言った。だが、いつものように威圧的な口調は微塵も見えない。
やはり亮太郎にも聞いてはいけない事だったのだろうか。司は妙な罪悪感を覚えて口をつぐんでしまった。しかし、ここで電話を切る訳にはいかない。何故か今は引き下がれなかった。
「司」
「 ・・・、はい」
「聖子は、お前だけには絶対に言うな、と言っていたが、やはり知っておくべきだろう」
「 ・・・ 」
「子宮ガンなんだよ」
「えっ・・・、ガンって?」
亮太郎の思いも寄らない言葉に、ドキンっと心臓が大きな音を一つ立てた。
その瞬間、周りが急に静かになったような気がした。気を紛らわそうと付けていた音楽の小さな音も聞こえなくなっていた。
「幸い発見が早かったから良かった。明日、摘出手術をする事になっている」
「明日? ・・・、明日って、明日!? そんな急に・・・」
視点が合わず、宙を彷徨うと、サイドボードの上にある目の前の亮の写真に目が留まる。
「急ではない。前々から決まっていたのだよ。ただお前には黙っていただけだ」
「オレには・・・って・・」
「余計な心配を掛けたくなかったんだろう。仕方がない。それに、お前だって忙しい身だ」
「でも」
「心配する事はない。光生会病院の優秀なドクターが執刀するんだ。何の不安もないだろう?」
「お袋は?」
「今日はもう夕方から入院している。お前が出来る事は何もないから、もう寝なさい」
淡々と話す亮太郎に、何も言い返す事が出来なかったが、何故か自分の胸の中が詰まって来る。
何故、聖子は何も言ってくれなかったのだろうか? 何故、自分には何も知らされなかったのだろうか?
仮に優秀なドクターが執刀したとしても、万が一という事もある。それに、あの時、亮は光生会病院に運ばれた筈なのに、そのまま死んでしまった。彼等を信用していない訳ではないが、その不安は最大限に募る。
「分かってる・・・、分かってるよ。オレが光月家と係わる事を許されない事くらい・・・。分かってる。けど、一応オレのお袋なんだよ、あの人。オレを生んでくれた母親の事なんて全然、本当に何も知らないけど、あの人、血は繋がってないし、住んだ事もないけど、それでも、形だけでも母親なんだよ・・・っ。 なぁ親父、体裁だけでも心配しちゃいけないのかよっっ!!」
最後には振り絞るように叫んでいた。
「 ・・・ 」
「今更甘えるつもりなんてねぇよ・・・、けど、心配くらいさせてくれたっていいじゃねぇかよ。それも、ダメなの、かよ・・・」
くっと唇を噛み締めると、拳を握り締めた。
「オペは1時からだ。でも、顔を合わすんじゃない」
ツー ツー
電話が切られた。
半ば放心状態でゆっくりと受話器を押し付けると、司はその場に崩れるように座り込んでしまった。
よく分からない苛立ちと悔しさ。そして、押し潰されそうになる程の不安。これらが渦を巻きながら込み上げてくる。しかし、それを必死になって堪えた。
「兄ちゃん、・・・、オレ、もう、どうしようもないっ・・・」
どうしようもないもどかしさに、振り絞るように呟いた瞬間、涙が溢れていた。
自分でも何故泣いているのか解らない涙に戸惑うばかりだ。
ただ、声も出さず、奥歯をぐっと噛み締めた。