外伝・イミテーション(三)
「お、意外と早かったな」
スタジオの扉を開けると、一番最初に目が合った晃一に声を掛けられた。
「悪かったな、待たせて。で、どう? 明日、行けそう?」
「バッチリだ。後は皆で合わせればO.Kか」
片手に持ったスティックを指でぐるぐる回しながら晃一が言う。
「それにしても、あれだな」
「何?」
一瞬間の空いた晃一を聞き流しながらジャケットを脱ぐと、脇にあった椅子に引っ掛けた。
「昨夜は傑作だったな」
「・・・」
瞬間、そこにいたメンバーとスタッフが笑いを堪えるように司から視線を外した。
「たまったま、あの時間、皆で秀也ん家に居たんだよ。ホンっと、すっげぇ笑っちゃってさ、腹痛くなっちゃったもん。いやぁ、司のお袋さん、サイコーだなっ」
堪らず全員が思い出して笑い出していた。
「ったく、・・・、オレは大変だったんだ・・」
司はふて腐れたように舌打ちすると、ジャケットのポケットからタバコとライターを出して火をつけた。そして、再びジャケットを椅子に放り投げた。
「ねぇ、でもさ、あれって本当に偶然だったんだろ?」
秀也がギターを下ろして、隅のテーブルにあった自分のタバコとライターを取って火をつける。
「偶然もいいとこだよ」
素っ気無く応えると、天井に向かってふぅっと煙を勢いよく吐きつけた。
「でもそれってさ、奇跡だよな」
既にタバコを吸っていたナオが付け加える。そして、紀伊也に視線を送ると、紀伊也も笑みを浮かべながら頷くと煙を吐いた。
「何かの前触れだったりしてな」
「何だよ?」
ドラムセットから離れ、コーラを飲んでいる晃一を半ば睨むように見た。
「ホラ、何かの前兆とか、虫の知らせ、とかあるだろ。良くない事が起こる前に、何かこう突拍子もない事がある、とかさ。俺は霊感とかあんましないけど、司ってそういうの結構強いじゃん」
「はぁ、相変わらずくだらねぇ事が好きだな、お前は・・・」
呆れたように言い返すと、タバコを吸って灰皿に押し付けながら煙を吐いた。
司を除く全員がしばしの休憩に入った。来たばかりの司はスタッフと打ち合わせを始めた。
明日の夜に行われるライブの最終チェックに余念がない。
そして、何回か全員で合わせ、全ての打ち合わせが終わる頃には、8時を過ぎていた。
「久しぶりにわくわくするなぁ」
「ライブハウスも久しぶりだしな」
「それに、何たってゲリラライブだからな」
観客には何の予告もなしに、突然乱入するという企画なのだ。しかも、自分達がジュリエットだと分からせないよう派手なメイクもする事になっている。
お祭りのようなこのイベントに全員が、子供のように胸を膨らませていた。
事務所兼スタジオに近いダイニングバーで、食事をしていたメンバー5人は、再び明日の打ち合わせをしていたが、やがて話が尽きると、昨夜のラジオ番組で起こったハプニング話で盛り上がっていた。しかし、その中で一人だけふて腐れたように口を尖らせながら質問攻めにあっていた司は面白くない。
「でもさ、恋人とべったり、って言った時は焦ったよな」
晃一が秀也に向かって言う。
「え、あ、ああ」
「まぁでも、司も聞き流してたからいいんじゃないの」
紀伊也がフォローを入れた。
「ところでさぁ」
秀也が隣に座っている司に話し掛けると、それまでそっぽを向いてタバコを吸いながら飲んでいた司は、ようやく秀也の方に顔を向けた。
「お前のお袋さんって、体は大丈夫なの?」
「ん? 何で?」
意外な秀也の質問に、グラスを置くと少し驚いたように見つめた。
「いやさ、俺のお袋なんか最近調子悪いらしくてさ、何だっけ・・・、更年期障害だっけ? 何だかソレらしくて、姉貴がぼやいてたよ」
「あ、うちもだ」
ナオも少し驚いたように相槌を打った。
「何だそりゃ?」
晃一がビールを飲み干すと、店員を呼んで注文する。
「40代後半から50代にかけてだっけ? 女の人がよくかかる病気だよ、な」
ナオが晃一に向かって応えると、同意を求めるように紀伊也に視線を送った。
「うん、うちも少し前にかかって、ちょっと酷かったから入院したよ」
「へぇ、入院する位酷かったんだ。大変だったな」
「司んとこは? まぁ、買い物行くくらい元気だから心配する事ないか。ところで司んとこのお袋さんって、いくつ?」
「え? ・・・ 知らない」
晃一に振られて戸惑ってしまった。「知らないの?」と、秀也に訊かれたが、「うん」と言うしかなかった。
「まぁ、俺達もそういう年になって来たってワケか」
「うわっ、ジジくせぇっ」
「ばか、そういうんじゃないよ。俺達の親も若くないって事だよ。それなりに年取ってるって事だよ」
「そういう事か」
ナオと晃一の会話に秀也と紀伊也も頷いていた。