外伝・イミテーション〔継母〕・(一)
「あぁぁぁ・・・、めまいがするってのはこういう事だよなぁ~・・」
片手で顔を覆いながら大きな溜息をつくと、いつもは素通りしていく廊下のソファにどっかり腰を下ろした。そして、タバコを一服。
「でも、あれですね。司さんってやっぱ、面白いですね」
スタッフの宮内が笑いながら司を見下ろす。その脇を他のスタッフが含み笑いしながら通り過ぎて行った。
「アタマいてぇ・・・」
煙を吐きながら呟くと脇にあった灰皿にタバコを押し付けた。
そして立ち上がると、少し遠目に司を見ていたスタッフ達が姿勢を正す。
「お疲れ様でした」
「ああ、お疲れさん」
軽く手を上げて挨拶すると、宮内とその場を後にした。
さすがに深夜の1時を回っていればスタッフの数も少ない。ロビー付近は灯りが点いてはいるもののひっそりとしている。
「今夜は冷えるな」
静かな夜空を見上げると少し首をすくめた。
さすがに都心から少し離れたところにあると、回りの建物の灯りも殆んどない。
今、自分達が出て来た入口から離れると暗さが更に増し、空に浮かぶ星の光が強くなる。そして、隠れていた小さな星達も一斉に煌き始めた。
司は思わず目を細めると、一つ息を吸った。少し冷たいが昼間と違って澄んだ空気が心地よい。
そして、宮内の車に乗り込むと、窓枠に肘を掛けて外を見る。
車が発進し、ラジオ局の駐車場から出ると、一路都心を目指した。
******
♪♪♪~~・・・
「Good evening everybody、待ちに待った金曜の夜、光月司のミッドナイトシャッフルの時間がやって来ました~」
リズミカルなイントロと共に、司は見えないリスナーに話しかけるように目の前のマイクに向かった。
今は司がパーソナリティを務めるラジオの深夜番組の生放送中だ。
真夜中の12時にスタートするこの番組は、忙しい自分のスケジュールの中でも一日の終わりを意味している。この1時間が終わればあとは自分の時間になるのだ。
しかし、仕事とはいえ、結構好き勝手を言えるこの自分の番組は好きだった。
時にはジュリエットのバンドのメンバーや融通の利かないスタッフの悪口を言って、一種のストレス解消をしていた。
ファンの間ではもちろんだが、そうでない者にとっても、週末前の少し浮かれた気分を持て余すのに、金曜の深夜のこの番組はウケが良かった。
そして、金曜の深夜にも関わらず必ず生放送でやる事から、生ならではのハプニングもつき物だった。
「では、今夜もやっちゃうよ。深夜でごめんねテレフォンショッキング!」
そう、そのハプニングの名物の一つはこれだ。リスナーから送られた葉書の中からその場で抽選して電話を掛けてしまおうというものなのだ。
真夜中の12時過ぎの電話。もし、万が一、間違い電話でもしたら・・・。
司はいつもの如く、何のためらいもなく、用意された箱の中から一枚の葉書を取り出した。
「ジャジャンっ、今夜のお相手は、東京都杉並区にお住まいの、漆畑聖子さん。聞いてますか? 聖子さん、あなたですよぉ。では、今から電話しちゃいますけど、ルールの3コール以内に出ないと、次の方に回しますよ。いいですかぁ、3コール以内で出てくださいねぇ。では、行きますっ」
ピっ ポっ パっ・・・
トゥルル・・・ トゥルル・・・
ガチャっ
「もしもしっ」
弾んだような女性の声だ。
あれ?
一瞬司の中で、間が開いた。しかし、気を取り直して、
「もしもし、漆畑聖子さんですか?」
と、いつものように声のトーンを上げて聞く。
「はい、そうですっ。まぁ、本当にラッキーねっ、こんなに嬉しい事、生まれて初めてだわぁ」
「 ・・・ 」
思わず絶句してしまった。
いつもなら「はい、そうです」と相手は答え、後は先方が緊張して何も言えずにいるところを、こちらから一方的に話すだけでいいのだが、今夜はちょっと様子が違う。
いや、そんな事に絶句してしまったのではない。
「司くん、久しぶりねぇっ」
次のセリフに息を呑むと、固まってしまったのだ。そして、ブースの向方にいるスタッフに戸惑いの視線を投げた。
「あ、あれ? ・・・ オレ、間違えた?」
半分上ずった声で、更に視線が宙を泳ぐ。司のそのセリフにスタッフの顔が青ざめ、互いに顔を見合わせると全員の戸惑った視線が司に集まる。
「間違えてないわよぉ。だって、ちゃんとはがき書いて送ったもの。そしたら、司くんが引いてくれたのよっ。ねぇ、ホントに司くんがはがきを引いてくれたの?」
ラジオ局のスピーカーから聞こえる声は更に弾んで嬉しそうだ。
しかし、その声とは裏腹に全く戸惑いを隠せずに明らかに動揺した司が一人、大きなテーブルを前に、手にしたはがきを見つめている。
「引いた、けど・・・、何で? ・・・、何で、漆畑なの? しかも、この番号・・・」
完全に動揺して声の上ずった司に、スタッフが中に入ろうとドアのノブに手を掛けたが、次の女性の声にその手を離してしまった。
「あら、何でって、私の旧姓は漆畑なのよ、知らなかったの? もうっ、それに、この番号はママ専用だって、この前教えたじゃないの、それも忘れちゃったの?」
「はぁ、・・・、お袋の旧姓なんて知るかよ・・・。どおりで見た事のある字だなぁって思ったよ。分かってたら掛けなかったよ・・・ったく」
思わず番組中だという事を忘れている。
「まぁっ、分かってたらかけないってどういう事よっ!?それって、不公平じゃない? 司くんって、本当に冷たいのね、もういいわっ ・・・ っく・・」
「わぁかったっ、もう言わないからっ。 ああっ、こんなとこで泣くマネなんかやめてくれよぉ、頼むからさぁ・・」
完全に頭を抱えてお手上げ状態の司に、ガラスの向方では、スタッフが全員笑いを必死になって堪えている。
何と、今夜電話を掛けた相手は、司の母親だったのだ。
たまに電話番号の押し間違えや、間違った番号をはがきに書いて来るケースもある。しかし、今回のように身内のケースは初めてだ。これではスタッフもフォローの仕様がない。
それに、司としても、相手に質問しようにもこれでは何を話せばいいのか、全く検討もつかなかった。
「ねぇ、司くん。今夜のお願い事だけど」
そして、もう一つ。このコーナーでは、電話の相手のお願い事をここで出来るものなら叶えてあげようというものがあった。大抵は悩み事の相談で、勇気付けるセリフを言うだけでいいのだが、この時ばかりはさすがに息を呑む。
「何?」
不安がよぎり、思わず口を尖らせた。
「確か、オレに任せてちょうだい、何でも聞いちゃうよ、って言ってたわよね」
「・・・、言った。 でも、出来ないもんは出来ないよ」
「大丈夫、簡単だもの。でも、司くんにしか出来ない事よ」
「何、それ」
「明日ね、って、もう日付変わってるから、今日ね。後で、お買い物に付き合って欲しいの」
「は?」
ふと、ガラス窓の向方を見れば、スタッフが全員、腹を抱えて笑い転げている。その中に居た自分の付き人の宮内と目が合ったが、即座に逸らされてしまった。
『ああっ、どうすりゃいいんだよっ』
どこかから、自分の情けない叫び声が聞こえて来そうだ。
「簡単なお願い事でしょ?」
「そりゃ、まぁ・・・でも・・・」
「ダメよ。いつもそうやって逃げて帰って来ないんだからっ。いっつもそうっ、お休みの時は恋人とべったりだし、たまには顔くらい見せて下さいねっ」
「あ゛あ゛ーーっ、頼むからぁ・・・」
思わず片手で顔を覆った。
「それに、もし、OKして下さらないなら、弘美さんはウチから出さないわよ」
「ええーーっ、それは困るっ! 今来てもらわないとすっげぇ大変なの! それにっ、弘美ちゃんはオレのもんだっ」
「何言ってるの、人をモノみたいに。それに、弘美さんはウチでも必要なのよ」
「何だよそれっ、それじゃあ契約が違うじゃねぇかよっ」
「そんな事ないわよ。あなたがイギリスに留学していた間はウチに居た訳だし、日本に戻って来てからだって、そう毎日必要でもないみたいだから、状況が変わったのよ」
「そんなぁ・・・、明日にでも来てもらわないと、ホントに大変だよぉ・・・」
「じゃあ、お買い物は?」
「わかったわかった、付き合うから、もう勘弁して」
とうとう降参すると、両手で頭を抱えてしまった。
「ありがとう。じゃあ」
「朝、電話して」
「わかったわ。それじゃあ、おやすみなさい。あ、それと、リクエスト、よろしくね」
「はいはい、分かりました。おやすみなさい」
カチャ
電話が切られた。
「 ・・・ 」
一瞬間が開いた。
ドンドンドンっ
目の前のガラスをスタッフが叩いている。それに混じって音楽も流れて来ていた。
司は慌ててマイクに向かった。
「それでは、ペンネームは、漆畑聖子さんからのリクエストで、フォーシーンズのフランキーヴァリで、Cant take my eyes off you、君の瞳に恋してる。Hear we go!」
そして、マイクをOFFにした。
はぁぁぁ・・・
大きく長い息を一つ吐くと、椅子の背にもたれて天井を見上げた。
そして、音楽を聴きながら再び長い息を吐いた。
「何なんだよ、今の・・・」
呟くと同時にドアが開き、スタッフが中に入って来た。
「大丈夫ですか?」
声は心配しているが、司を見るその目は完全に笑いが隠せない。
「ったく、勘弁して欲しいよっ」
横目で睨みながら応えると、気を取り直したように再び母親からのはがきを見つめた。
******
「司さん、お疲れ様でした」
「お、サンキュ。 なに?」
サイドブレーキをかけた宮内と目が合った。
「ホントに行くんですか?」
「何?」
「え、買い物」
「 ・・・、約束だからな」
ぼそっと応えると、ドアを開けた。
「司さんって、意外と優しいんですね」
「あん?」
ドアを開ける音で宮内の言葉が聞き取れなかった。
「いえ、何でもありません。お疲れ様でした」
「じゃあな」
車のドアが閉じられると、走り出して行ってしまった。
ふぅ、終わった・・・
軽く息を吐くと、マンションの自分の部屋に入った。
しかし、今日ほど番組の一時間が長く感じた事はないだろう。常にマイペースで、少々強引ともわがままとも言われる司だが、さすがに母親を前にしては閉口せざるを得ず、従うしかなかった。
それに、司にとって、聖子は母ではあるが、実母ではなかった。ましてや今までに一度として、生活を共にした事がない。それ故、どう接していいのか、正直分からなかったと言ってもよかった。
『機嫌を損ねる事のないように』
幼少の頃より、父や兄達からそう言われていたせいもある。たまに帰国して顔を合わせても、当たり障りのない話しかした事がない。わがままを言って困らせたり、怒らせたりした事などない。常に距離をおいた『いい子』でいた。
そんな司が、こうまでラフに話が出来るようになったのは、亡くなった兄・亮のお陰だ。しかし、司としても、一人での生活が長かったせいもある。光月家に係わるにはまだ抵抗があった。
いつになく疲労感を強く感じた司は、シャワーを浴びると、すぐに寝てしまった。
それでも、深夜2時半は過ぎていた。