第十六章・Ⅶ・ステージ(五)
ステージ脇にいた宮内に合図を送ると、会場がパッと明るくなった。
熱気のこもった会場にファンの一人一人の高揚した顔が映し出される。
それを見た時、思わず笑みがこぼれた。今にも倒れそうになる自分の体が支えられているようだ。
はぁ・・、はぁ・・
2,3呼吸を整えると、マイクを握り直した。
「今日はありがとう。自分でも最高のステージだったよ。 ・・・もう、こんなに素晴らしいステージは二度と出来ないだろうな・・・」
言ったところでフッと苦笑してしまった。
再び呼吸を整える。
「デビューしてから今日までいろんな事があった。 それもこれも全部オレ一人のわがままで皆を振り回してた。 メンバーやスタッフには謝っても謝り切れないし、感謝しても感謝し切れない。 それに、ここまでオレ達を見守って支えてくれたお前らファンの皆にも」
ワーッと歓声と拍手が起こる。 が、すぐに続けた。
「今日はいつもはオレが嫌いなマスコミの皆にも沢山来てもらった。 ・・もうこれ以上会見を開く気力ないからね」
そう言ってカメラを構えているマスコミに悪戯っぽい視線を送ると、一斉にフラッシュが焚かれる。
それを横目に再び前を向く。
「実は、皆に三つの告白があって・・・」
はぁ・・、はぁ・・
再び呼吸を整える。
「一つは、今日のこのライブを最期に、全ての音楽活動から引退します」
その言葉と同時に会場が静まり返る。
「そう、全ての活動。ヨーロッパでのピアノのリサイタル・ロンドン、パリでのプロデュース・そして日本での音楽活動、全部。その理由はあとの二つの告白なんだけど」
一旦言葉を切ると、一度目を閉じ、一呼吸すると目を開けた。
「二つ目の告白は・・・、もうすぐ死ぬんだ、オレ」
・・・え?・・・
ざわついていた会場は、まるで狐に包まれたように静まり返る。
誰もがステージの中央に立つ司に視線が彷徨うように集まる。
「だいぶ前に、そうだな、ジュリエットを解散した頃かな・・・、あと10年は生きられないだろうって言われて・・・、無理し過ぎたのかな。オレの心臓がね、壊れそうでっていうか、もう既に壊れていて。今度は年が越せないって、ね・・・」
紀伊也の視線を背中に感じて思わず苦笑してしまった。
「死を宣告されて弱気になっちゃってさ ・・・。 それでね、あの時日本を逃げ出しちゃったんだよ。でね、どうしていいか解らなくて落ち込んじゃってた訳。
でも、そんな弱気なオレをずっと支えてくれた人が居たんだ。その時だけじゃなかった。実はそれが出会ってからずっとだったんだ。いつも傍にいてくれた訳じゃない。ただいつもずっと何処かでオレの事、見守ってくれてたんだ。 その人がオレにとって一番大切な人だったんだって、その人が居てくれてたからオレはここまで生きて来られたんだって気付いた時にはもう遅かった。 時間がなかったんだ。 もうこれ以上一緒に居られないなんて・・・、皮肉だよな。
でも、その人が言ってくれたんだ。何て言ったと思う?
生きている間に気付いて良かったって。 互いに失くす前に気付いて良かったって、そう言ってくれたんだ。
すっげ嬉しかったよ。 愛してるんだ、その人の事。
今、こうして生きている間に愛してるって気付いて良かった。 結婚、したんだ、紀伊也と」
・・・、ええーーっっ!?
一瞬の静寂の後、会場がどよめき、物凄い数のフラッシュが一斉に焚かれた。
司が後ろを振り返ると、見守るような紀伊也の視線とぶつかり、笑みがこぼれた。
「今のが三つ目の告白。だから明日からの報道には、光月司でもいいけど、カッコ書きで必ず、本名・一条司ってしてよ」
再びマスコミに悪戯っぽく笑いかけた。
がしかし、今、この余りにも衝撃すぎる告白に、皆どれをどう受け止めていいか分からず、複雑な面持ちで誰も何も言えずに、黙って司を見つめている。
皆の泣くに泣けない複雑な心情を察してか、思わず苦笑した司だったが、
「今、言った事、全部本当だよ」
と、きっぱり言い切った。
「今夜限りで引退する事も事実、紀伊也と結婚した事も事実、そしてもうすぐオレが死ぬって事も事実だよ。これは逃れようのない事実なんだ。
オレはもうすぐ死ぬ。でもね、自分から逝く訳じゃない。その時が来るのを待つだけなんだ。だから、その時をね、静かに紀伊也の傍で待ちたいんだ。 だからもう二人きりにして欲しい。
オレはね、今まで沢山のしがらみに絡まって生きて来た。辛くて苦しくてもう死にたいって思った事もあった。そうやって過ごして来た。
けどね、今はこんなにも安らかだ。なぜだろう・・。
大切なものを見つけたからかな・・・。
オレにとって大切なものって、大切な人だけじゃなかった。 人を愛する事、許す事、そして自分の為に生きたいって思えた事。
今思えばいつも独りで生きて来たって思っていたけど、いろんな人に出会えた。そんな彼等から大切なものをいっぱいもらったんだ。
オレは独りじゃなかった。良かったよ、それに気付いて・・・。だからもう、悔いはない」
そこで言葉を切ると、また呼吸を整えた。
「・・・、オレがいなくなる事で、多分お前らには哀しい想いをさせると思う。 秀也やナオ・晃一、そして紀伊也にも。
でもそれは生きて行く中でのほんの小さな哀しみでしかない。哀しみはいつか必ず乗り越えられる。苦しみもそうだ。必ず乗り越えられる。だって、実際このオレがそうして来たからね。
辛くて苦しくてもう死んでしまいたいって思っても死んじゃダメだ。与えられた生命は大切にしなくちゃ・・・。
いつか必ず自分にとって大切なものが見つかる。
それは気付かないだけで、一番近くにあるかもしれない。 存在に気付かないだけで、一番近くに居る人なのかもしれない。
いつか気付いて欲しい。 自分にとっての大切なもの。 生命のある限りそれを探して欲しい。
それに気付いた時、本当に生きてて良かったって、生きている事の悦びを感じるから。
・・・フっ・・・、オレは何を言ってるんだろうな・・・」
思わず苦笑してしまった。
そしてマイクを下ろして会場に目を向けると、一筋の光が見えた。そこに懐かしいまでに優しい笑みを見つけた。
「オレは生きてて良かった」
再びマイクを上げてそう言うと、微笑んだ。
もうちょっと待って、・・・まだ、会いたい人がいるから・・・
ワーっという歓声と、ヒューっという口笛が場内を揺らした。
振り向くと、大きな赤いバラの花束を抱えた紀伊也が近づいて来る。
花束が司に手渡された時、更に歓声が大きくなり、激しくフラッシュが焚かれた。
が、その音はもはや司の耳には聴こえていなかった。
花束を受け取った時、そっと紀伊也の右手のブレスレットを撫でると、両手を大きく広げ、紀伊也に抱きついた。
「生まれ変わったら、またオレの事、見つけて愛してくれる?」
そう紀伊也の耳元で言った。
司・・・っ!?
司の最期の問いかけに紀伊也はぎゅっと司を抱き締め、
「必ず見つけ出して、最初から離さない」
そう応えた。
「・・・紀伊也・・愛してる・・・」
そのかすれるような声が静かな息に変わって行く。
「紀伊也・・・」
司は、紀伊也の肩に顔を埋めたまま目を閉じた。
その瞬間、バサバサっと、紀伊也の背中越しに、赤いバラの花が落ちた。
司っ!
更に強く抱き締めた時、司の左手がだらりと紀伊也の肩から滑り落ち、ゴトっという音と共に、マイクがステージに落ちた。
その瞬間、瞬きをしたように灯りが消え、全てが止まった。
一筋の光が消えると共に、灯りがともり、会場は静寂に包まれた。
ほんの数秒に満たない時の流れが、静かに静かに、ゆっくりと流れていた。
「司お兄ちゃん、昨日のお兄ちゃんのとこに逝っちゃったんだね」
真一と翔の間に座っていた凛が呟くように言うと、
「ああ・・」
と、翔は天井を仰ぎ見ながら応えた。
光月司、苛酷な運命に翻弄されながらここにその生涯の幕を閉じた。
ステージに横たわった司を、紀伊也・晃一・ナオ・秀也が取り囲んでいた。
誰も何も言えずに、その安らかに眠っている司の顔を見つめていた。
ふと、晃一が呟いた。
「なぁ、司のヤツ、微笑ってるみたいだ」
第十六章(終)