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第十六章・Ⅶ・ステージ(二)


「何だろな・・・」

司と紀伊也は不安気に目を合わせると、光月家の門をくぐった。

ライブの最終日を明日に控え、一日のオフをゆっくり過ごそうと思った矢先、突然亮太郎から呼び出しを喰らったのだ。

案内され、居間へ入ると、軽く正装した亮太郎と司の母親、それに紀伊也の両親が、入って来た二人を睨みつけていた。


 ・・・


只ならぬ様子に身構えた二人だったが、瞬間息を呑んで顔を見合わせた。


 バレた・・・


両家の両親が揃って二人を呼びつけるなど、他に考えられない。

それに、司は亮太郎には言っておいたが、相手の名前を告げた訳ではなく、また紀伊也の方はと言えば、誰にも何も言っていなかったのだ。だが、そんな事は調べれば分かってしまう事だった。

「何か言う事はないのかね?」

至って冷静に言う亮太郎は心なしか呆れたように司を見つめている。

紀伊也の父である一条智成も同様だ。

しかし、智成を見た瞬間、司はハッと息を呑むと、自分の愚かさかを悔いた。

紀伊也の両親の事など何も考えていなかった。

自分の身勝手で、一条家をも巻き込んでしまったのだ。

「紀伊也、どういう事か説明しなさい」

「・・・」

一瞬の沈黙の後、司が口を開いた。

「悪いのは紀伊也じゃない。勝手な事したのはこのオレだ。申し訳ありません」

「謝る事はない、司。俺達は何も悪い事はしていない」

悪びれる様子もなく紀伊也は言うと、微かに震える司の手を握った。

「報告が遅れた事は謝ります。でも、俺達は自分の信念に従ったまでです。司と結婚しました。それだけです」

きっぱりと言い切った紀伊也に対し、智成は諦めにも似た溜息をつくと、亮太郎と目を合わせて苦笑してしまった。

「言った通りだろう」

亮太郎が囁くように言うと、智成は大きく頷いた。

「紀伊也、お前にはもう何を言っても無駄だろう。しかしまあ、とんでもなく荒っぽいお嬢さんをいただいてしまったものだ。 まあそれも一番ご縁のあるお嬢さんをいただいたという事にしておこうか。ここにいらっしゃる光月さんのご両親とは既に話は済んだ。今更君達に何を言っても始まらないからね。あとは、こちらのご婦人方が君達に何か言いたいそうだ」


 は?


何か罵声でも浴びるのではないかと覚悟していた二人だったが、智成の拍子抜けした言葉に顔を見合わせたが、次の瞬間、ビクンっと首をすくめると、恐る恐る視線を動かした。

「司くんっ」

「紀伊也さんっ」

二人の母親がたまり兼ねたように声を合わせたのだ。

「黙ってるなんてひどいわっ。どうしてそんな大事な事、言ってくれなかったのっ!? そりゃね、私は司くんとは血の繋がりもないし、一緒に暮らした事もなければ母親らしい事なんて何一つしてあげた事もないわ。でもね、それでも私は司くんが小さい頃にこの家に来た訳だし、真一君や翔君、それに亮君の母親を頑張ってきたつもりなの。あなたは唯一の娘なのに・・・。 そんな大事な事、何の相談もなく・・・、本当、ひどいわっ。何もそこまで嫌わなくたってっ」

わっと両手で顔を覆う。

「紀伊也さん、あなたももう立派な大人なのですから言わなくても解ってはいらっしゃるでしょうけれど、物事には順序というものがあるのですよ。結婚はあなた方二人だけの問題でもないのです。特に私達や光月様のようなお家柄になるとね。そこのところは理解していただきたいわ。仮にもあなたのお相手は光月様の大事な一人お嬢様なのですよ。まったく駆け落ちみたいな事して・・・。恥ずかしいわ」

たしなめるように言う紀伊也の母親はほとほと呆れ果てた視線を自分の息子に投げ付けた。

あんな母親の表情を初めて見た紀伊也は、何も言えずに俯いてしまった。

「ごめんよお袋。黙ってたのは悪かったよ。でも、オレ達忙し過ぎてそれどころじゃなかったんだ。今だってツアーの最中だし、明日は大事な最終日で・・・。だから、後でゆっくり話すつもりだったんだ。ね、解ってよ。・・ねぇ、そんな泣かなくたって・・・、それにオレ、お袋の事、避けてる訳じゃないし、嫌ってなんかいないよ」

「ねぇ、司くん」

覆っていた両手の隙間から目を覗かせている。

嘘泣きだという事は分かっている。いつも使う手だ。

「何?」

「私の母親としての最初で最後のお願いを聞いてくれる?」

その言葉に一瞬ドキッとした。

彼女にしてみれば、他愛もない言葉だったが、司にとっては本当にそうなってしまうかもしれない重たい言葉だった。

「いいよ」

「本当に聞いてくれる? イヤだなんて言わないでちょうだいね」

「うん、言わない。何でも聞くよ」

「じゃあ」

言いながら顔を上げると、満面の笑みを浮かべ、

「あちらの部屋で仕度をして来て欲しいの 」

そう言って扉を指した。

「仕度?」

「そうよ。今約束しましたからね。絶対よっ」

念を押すように言うと、立ち上がって司の手を強引に引いて扉を開けると、中へ押し込みバタンと扉を閉めた。


「・・・。 え゛ーーっっ!?」

一瞬絶句した司だったが、目の前のモノを指しながら絶叫した。

「ほ・ほ・本当に、これ着るの・・・?」

助けを求めるかのように母親に視線を送る。

「そうよ、当然でしょ。せめてこれくらいしていただかないと、私の気が済まないわ」

意地悪そうに言ったが、司の両手を取ると優しく微笑んだ。

「おめでとう、司くん」


 あ・・・


何故か突然胸が熱く込み上げて来る。

 血のつながりこそないが、いつも気を遣わせていた。

 世話もしてもらった事はない。 食事も作ってもらった事はない。 カゼをひいて寝込んでも看病などしてもらった事はない。 世間一般に言う親らしい事は一切してもらった事はない。 ましてや一緒に生活すらした事がない。

しかし今、司の目の前に居るのは紛れもなく母の姿だった。

もしかしたら、これから母子の関係を築けるかもしれない。

今まで出来なかった時間も取り戻せるかもしれない。

でも、もうそれも叶わないのだ。

そう思った時、思わず顔をそむけていた。

「ごめんなさい」

そう呟いていた。

「ダメよ、司くん。絶対着てね。亮君とも約束してたんだから、司くんのウェディングドレス姿見るまでは死なないって、ね」

「うん・・・、わかった」

頷いた瞬間、目の前の母親を抱き締めていた。

「ごめんね・・・、何もしてあげられなくて・・・ごめん・・・」


 純白なウェディングドレス

無垢むくな魂が精霊のように宿っているのだろうか、それを身にまとった時、不思議と周りが静寂に包まれ、穏やかになって行くのが分かる。

「お嬢様、とってもお綺麗 ・・・。 杉乃さんにも見せてあげたかったですね・・・」

仕度を終え、鏡に映った司の姿を見ながら弘美は涙ぐんだ。

司に仕えて15年以上が経つ。 

15歳の粗暴な司から、今の大人の女性の司が走馬灯のように駆け巡った。

今日のこの仕事が最後なのだと思うと、胸が締め付けられる。 しかし、笑顔で送り出してあげなければならない。

「何だか昔のお嬢様が嘘みたい」

「くくっ・・・、そうだね。 弘美ちゃん、本当にありがとう」

鏡越しに弘美に笑いかけた。

15歳の時から全ての生活の世話は弘美がしてくれた。弘美がいなかったら、自分の生活は成り立たなかっただろう。

「お嬢様、お幸せになって下さいね。 ・・・、これが私の最後の仕事です。今まで本当にありがとうございました」

深々と頭を下げる弘美に、ニヤッと口の端を上げた。

「甘いな。 弘美ちゃんにはまだまだ世話になるからね。 オレから逃げようったってそうは行かないよ。何たって弘美ちゃんは、オレの弱味をたっくさん握ってるんだからっ」

そう言うと、呆然とする弘美を横目に声をあげて笑った。


 コンコン


扉がノックされ、弘美は扉を開けると同時に出て行った。


 鏡越しに、入れ替わりに入って来た紀伊也と目が合った。

白いタキシード姿の紀伊也に息を呑んだが、照れ笑いを浮かべると、首をすくめた。

「照れるな」

黙って近づいて来る紀伊也を鏡の中で追った。

「綺麗だよ」

両肩に手を乗せて鏡の中の司の姿を上から下まで見下ろす。

目が合うと、司は思わず目を伏せた。

ゆっくりと肩を向かせた紀伊也は、目を開けた司を真っ直ぐに見つめると、

「いつまでも司の事、愛してるから」

そう言って薄い唇にそっと口付けをした。

紀伊也の温かい口付けに司は何も言えなかった。


 いつまでもずっと愛している


その言葉通り、司は永遠に紀伊也のものなのだろう。 しかし、刻一刻と迫る永遠の別れに、紀伊也を自分のものにする事は出来ない。

 再び、「死」と「別れ」の恐怖が司を襲った。

「さ、行こう。早く行かないとまた怒られる」

司の背を押して言う紀伊也に苦笑すると俯いた。


 *******


 広間の扉が開かれた瞬間、ピアノの音が響いた。


 タンタタン・・・ タンッタタン・・・ タンタタ・・・・


 この曲・・・


それに合わせるようにバイオリンが奏でられ、ハッと顔を上げた。


 この音色・・・


この音を聴くのはいつ以来だろう。余りに遠すぎて思い出せない。

 真一のピアノに合わせ、その傍らで翔がバイオリンを奏でていた。

そしてもう一人、幻なのか、フルートを構えている亮がいる。

 この三人の演奏を聴いたのは・・・、いつだったのか・・・


「司?」

「え・・ あ、ああ・・・」

入口で茫然と二人の姿を見ていた司は、隣にいた紀伊也の声に戻された。

 不意に、ヒューっと口笛が吹かれ、歓声が上がった。

ハッと気が付くと、目の前に、晃一・ナオ・秀也の三人がニヤケながら近づいて来る。

「えっ? 何で?」

驚いて慌てふためく紀伊也の首に晃一が腕を廻し、締め上げた。

「お前なあ、このに及んでまだ隠し事してやがったなんて許せねェっ。俺達の事何だと思ってんだよっ」

「そうだよっ、何でこんな大事な事隠してんだよっ。それに、お前らがこういう関係だったなんて知らなかったぞっ」

ナオまで紀伊也の胸倉を掴み上げる。

「それにしても、司がねェ・・・」

晃一とナオは言いながら横で呆然と立っているドレス姿の司を、上から下まで眺め回す。

「いやぁ、何つーか、馬子にも衣装って、こういう事なんか・・・」

言葉を詰まらせる。

「綺麗だよ」

秀也は目を細めて言うと、手にしていた花束を司に渡した。

「おめでとう、司・紀伊也。 司、良かったな。女に生まれて来て良かったって確信できたろ? ・・・幸せなんだろ? ・・・だったらもう泣くのはよせよ。紀伊也に悪いだろ」

花束を受け取りながら秀也の手を握っていた司は、秀也の言葉一つ一つに頷いて聞いていた。

「なーんか今日の司、メチャ可愛くねェ? すっげ、しおらしいんですけど。そう思いません? ナオ先生」

晃一がナオに向きながら言うと、うんうん頷きながらナオは司を見ていた。


 * * *


『須賀君だね。・・司とお付き合いしていたというのは』

自宅の前で車から降りて来た人物に話しかけられ立ち止まった。

よく見れば、司の父親だ。

 ツアーも前半を終え、残すところ東京での最終公演のみだ。 三日間のオフを自宅で過ごす為に戻って来たばかりだった。

『司が変わったのは君のせいかね?』

何度か会った事はあるが、声を掛けられるのは初めてだ。

戸惑いを隠せず、黙ったまま答える事が出来ずにいた。

『司が人らしくなったのは、君のお陰なんだね』

『え?』

以前に知っていた司の父親の面影は何処にもない。

『司は、君に会えて良かったんだね。 ・・・ありがとう』

そう言われて息を呑んだ。

司が長くない事を知っているのだ。

自分の子供が、親である自分よりも先に死んでしまう事を知っていて、それを黙って待つ事しか出来ない亮太郎の気持ちが、秀也には瞬時にして解ってしまった。

秀也も子を持つ父親だった。

『司は今とても幸せだと思います。 今までに僕が想像している以上に辛い事が沢山あったかもしれません。でも、仲間に囲まれて楽しい時も沢山過ごしました。 昔の司の事はよく知らないけれど、少なくとも僕が知っている司は輝いていました。 司が変わったというなら、僕に会ったからだけではないと思います。幼い頃からずっと一緒に過ごして来たもう一人の仲間、大切な人に会えたからではないでしょうか。司は今、司の人生の中で最高に幸せだと思いますよ。 紀伊也が傍に居てくれるから』

そう言うと、驚いた表情をした亮太郎に微笑んだ。





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