第十六章・DEAD OR ALIVE 『Ⅶ・ステージ』(一)
人にはその場面で、いろいろなステージがある。司のステージは・・。
「ふわぁ、いい天気になったなぁ」
大きな伸びをしながら雲一つない澄み渡った青い空を見上げた。
ドラムセットから離れ、ステージの中央に立つと場内を見渡した。
すぐ後ろでは秀也とナオが、スタッフと何やら打ち合わせをしている。その後方では紀伊也がキーボードの位置を確認していた。
何も変わってないな
フッと安心したように目を細めた晃一は、スタンドを歩いている司を見つけた。
「そろそろ昼食お願いしまーす」
下から宮内が声をかける。
「おおっ、待ってました。で、今日は? モチ飲茶だろ?」
ふふんと鼻を上げながら宮内を見下ろした。
「もちろん、飲茶、弁当でーす」
飲茶を強調して言うと笑った。
「ゲっ、マジかよ。この期に及んでまだ弁当なの?」
「仕方ないですよ、司さんが弁当にしてくれって言うんだから」
「えっ、司が?」
「意外でしょ。あの人成長したみたいですからね、誰かさんと違って」
ふんっ、うるせェ
思わず口を尖らせぶつくさ呟くと、司を大声で呼んだ。
晃一に気付いて軽く手を上げた司は、足早にステージへと向かった。
「ん、どうした?」
ふて腐れてステージの端に腰掛けている晃一と、今にも吹き出しそうな宮内の顔を交互に見る。
「昼メシ、弁当だって言うからさ」
「ああ、いいだろ、たまには。ここんとこずっと外だったから出んのも面倒だしさ」
「チェっ、珍しい事もあるもんだぜ」
横目で司を見ると、再び空を見上げた。
5人は青い空の下、時折吹く浜風を感じながらスタンドで今夜の打ち合わせをしながら弁当を食べた。
大きな笑い声がスタンドに響くと、スタッフも手を止めてそちらに目をやり微笑むと、再び手を動かした。
弁当を食べ終わると、晃一とナオはスタンドの一番上へと上がって行く。紀伊也は皆の空箱を片付けている。司は秀也にちょっと、と手招きして通路の方へと歩いて行った。
「秀也、何飲む?」
自動販売機の前で立ち止まり、コインを入れながら聞いた。
「あ、じゃ、コーヒー」
ガラガラと音がして、缶が落ちてくる。
それを取上げると、後ろへ投げた。そしてもう一度コインを入れてボタンを押し、出て来た缶を取上げると、壁に寄り掛かってコーヒーの缶を開けて一口飲んだ。
秀也も同じように隣に寄りかかると、コーヒーを飲んだ。
「前、ここで別れ話したんだ、オレ達」
懐かしむように言うと、フッと笑った。
「ごめん」
ポツリと言う秀也に、「ううん」と首を横に振った。
「ねえ、秀也。秀也はゆかりちゃんと結婚して幸せ?」
「・・・・」
覗き込まれて何も言えなかったが、秀也は黙って頷いた。
「そうだよな。あの時、秀也が望んでた幸せだもんな。 でも、お前が幸せだって言うんなら本当、良かったよ。・・・別れる事にも意味はあるんだな・・・」
少し寂しそうに言ったが、次の瞬間また笑っていた。
「ねぇ、秀也。結婚っていいもんだな」
そう言うと、再び秀也の顔を覗き込んだが、その頬は照れ臭く緩んでいる。
?
さっきから何も言えずに黙っている秀也だったが、司が何かとても嬉しそうだと感じて、何か聞きたそうに顔を覗き込んだ。
すると、照れたような笑みを浮かべた司と目が合った。
「オレ、・・・結婚したんだ。紀伊也と」
えっ!?
その言葉に驚いて壁から体を離すと、持っていた缶が傾きかけて、それを慌てて戻すと再び驚きの視線を司に向けた。
「結婚って!?」
「うん。 ・・・最期にね、これくらいしとかないとって思ってさ。でもこれって相手が必要だろ? だから紀伊也にせがんじゃった。 結婚してくれーって」
「・・・いつ?」
笑いながら言う司を息を呑んで見つめていたが、ようやくそれだけ言える事が出来た。
「2ヶ月前。オレの誕生日の日にね、婚姻届もらったんだ」
そう言うと、少し寂しそうに前を向いて遠くを見つめた。
「オレのね ・・・、死亡届も出してくれるって、紀伊也が言うんだ・・・」
言いながら声が詰まって来ると、そのままずるずると座り込んでしまった。
頭の上の缶を持つ両手が震える。
「そう言えば、紀伊也も同じ指輪してたな」
司の左手の薬指を見つめながら微笑んだ。
「おめでとう司、良かったな。 紀伊也の事、愛してるんだろ?」
黙って頷く司の隣に座ると肩に手を乗せた。
「幸せなんだろ? それなのに何で泣くんだよ。こんな時に泣くヤツがあるか」
「だって・・・」
「心配するな、紀伊也を信じろよ。 ・・・、なぁ司、もしかしたら奇跡が起こるかもよ」
「・・・かな・・」
秀也の言葉に思わず微かな期待を抱いて頷くと、涙を拭いた。
******
コンコン
扉をノックする音に、皆一斉に手を止めて注目する。
カチャ
開かれた扉からチャーリーが顔を覗かせた。
「行くよ」
一瞬、5人は真剣な目でチャーリーと目が合ったが、次の瞬間、皆の視線は司に向いた。
「行きますか」
ニっと、口の端を上げて言うと、笑みを浮かべて立ち上がった。
「晃一、途中でバテるなよ」
「任せとけって」
そして右腕を司の右腕とぶつける。
「ナオ、大人の絡み、行くからね~」
「はいはい、お手柔らかに」
「秀也、今日はオレの為に弾いてね~」
「当然っしょ」
「紀伊也、頼むな」
「ああ」
司の掛け声と共に互いの右腕をぶつけ合い、楽屋を後にする。
“7DAYS LIVE 今宵限りのジュリエット”
文字通り、ジュリエット最期のライブツアーの開始だ。
会場のライトが消え、一瞬静まり返ったが、どっとどよめきが聴こえて来るかと思うと、一瞬にして会場を揺らすほどの歓声が響く。
晃一のスティックと共に、ナオのリズミカルな重低音が響き、秀也のギターが弾け、紀伊也の指が滑るのと同時にステージの中央にスポットが当てられた。
更に歓声が大きくなった。
その中を司を乗せたリフトが上昇して行く。
マイクを持った右手を左胸に当てると目を閉じた。
ドクっ・・・ ドクっ・・・
規則正しい心臓の鼓動が今は一番大きく響いている。
自分がステージへと上がって行くこの瞬間が好きだった。
自分自身が一番輝ける時だ。
生きている
そう感じた時、目を見開くと同時に右手を高々と突き出していた。
司の歌声と共に全てが興奮と狂喜の夢の中へ堕ちて行く。
感極まって泣き出す者もいた。
その中に、ステージ脇でじっと司だけを見つめる者が三人いた。
チャーリーと、宮内、それに透だ。
昨夜、皆が帰った後社長室に呼ばれた。
中へ入ると、司と紀伊也もいる。
ツアーの最終チェックなのだろうか。しかし、それにしては社長の表情は沈痛だ。まるで、自分の家族の葬儀でも行った後のようだ。
三人は互いに顔を見合わせたまま黙っていた。
紀伊也に助けを求めるような視線を送ったが、壁にもたれて腕を組んだまま目を伏せていた。
『お前らに話がある』
社長のデスクにもたれるように立っていた司が切り出した。
『今、社長にも話をしたところなんだが』
三人が社長に視線を送ると、誰とも目を合わせようともせず、両肘をついて両手を組んで額に当てると目を閉じた。
何の話だろう
不安気に司を見つめたが、次の司の言葉に三人は同時に息を呑むと打ちひしがれたように、茫然となってしまった。
『このライブを最期にオレ、引退するから』
その後の司の話は想像を絶するものだった。
徐々に三人の体が震えて行く。頭の中は何も受け入れられなくなる程に真っ白になっていく。立っているのもやっとの状態で、今の事をどう受け止めていいのかも分からない。
『紀伊也はもちろんだけど、メンバーも全員知ってるよ。だから演ってくれるんだ。悪いけどオレのわがままを最期まで聞いてくれるのお前らだけだし、お前らの協力がないと出来ない。だから、あえて言わせてもらった』
誰も何も言い返せなかった。
そして、その後、誰もその事については触れようともしなかった。
今、自分達の目の前でマイクをかざしながら歌い、踊り、ステージを駆け回っている司は紛れもなく生きて輝いていた。
司のステージは、自分達の夢と希望なのだ。
ライブが終わり、ファンからの声援に手を振って笑顔で応える司は輝いてる。
もうすぐ、永遠に皆の前から消え去って行くとは思えない程に生き生きしていた。
同行していた雅にも驚きを隠せない程に司の調子が良い。
心配していた発作は一度も起きず、全国6ヶ所を回った。
後は東京での一日を残すだけだ。
「もしかしたらお前、このまま死なないんじゃないの?」
最終日の打ち合わせが終わり、皆で飲んでいた時、ふと晃一が口に出した。
誰もがそう思っていた。 司自身もそんな気がしてふと秀也の言葉を思い出した。
「うん、何となく、オレもそう思う。今までで一番調子良いかも」
「だろ?」
「うん。いわゆる荒治療ってヤツなのかな」
思わずユリアの顔を思い浮かべた。
「まあ、でも明後日の最終日まで油断するなよ」
紀伊也が釘を刺した。