外伝・出逢い(四の2)
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バシっ・・・・、ッテーー・・・
いきなり頭をはたかれ、片手で頭を押さえながら見上げると、英語の教師の鎌田が教科書を片手に、こちらを睨んでいる。
「光月、朝から気合が足りんぞ。何さっきから寝てんだ。とっくに起きる時間は過ぎてんぞ。ったく、宿題は済ませて来たんだろうなっ」
「・・・ったくぅ、叩く事ねぇだろ。やったよ、ちゃんと。お陰で昨夜は徹夜だよ。 頼むからこの時間だけでも寝かせてよ」
ノートを広げ、鎌田に突き出すと、そのまま机に突っ伏してしまった。
呆れてノートを見たが、完璧なまでにやってある。 しかもこれから授業する箇所まで既に済ませてあり、何も言えなくなると、ノートを広げたまま司の頭に置いて教壇に戻って行った。
昨夜はあれから秀也と音合わせをした。
司が紀伊也のパートをやり、二人で一晩中合わせていたのだ。
秀也のギターは思ったよりいい。
初めて聴いた音を思い浮かべながらアレンジしたが、実際にやってみれば、ピッタリと当てはまり、満足のいくものだった。
懐かしい音色。
司の曲には秀也の音が合っていた。
あとはどれだけメンバーと上手く合わせられるかだ。しかし、この調子で行けば恐らく問題ないだろう。
楽しくて、気付くと夜が明けていた。
慌てて思い出して宿題を済ませると、秀也は疲れて既に眠ってしまっていた。
毛布をそっと掛け、起こさないように仕度を整え、家を出て来たのだ。
一日や二日、眠らない事は慣れてはいるが、心地の好い疲れだっただけに、つまらない授業に思わず目を閉じてしまっていた。
睡魔に襲われたと言ってもいいだろう。
安心しきったように眠っていた。
「司、また秀也のお出迎えだぜ」
和矢が校門を顎で指しながら言う。
「ああ、これから練習だからな」
「明日だっけ?」
「そう、お前も来る?」
少し嫌味を込めて横目で見ると、呆れたように脹れている。
「あのなぁ、俺はお前の代わりにやってやるんだぜ。少しは感謝しろよ」
指令の事を言っているのだ。
司は舌を出すと、
「お前一人で十分だ。せいぜい楽しめ」
そう言ってポケットから手を出すと、秀也に向かって合図した。
「チッ、いい気なもんだぜ」
司の後姿を見送りながら舌打ちしたが、今日の司はヤケに明るい表情をしていた。
言う事成す事、全てはいつもと変わらないのに、何かが吹っ切れたような、それでいて何処か優しい雰囲気が漂っていた事に、和矢は少し首を傾げた。
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ライブのせいだろうか?
初めて新メンバーでのライブに、手応えを感じているのだろうか。
それを確かめるべく、和矢がライブハウスに向かうと、ちょうど一曲目が終わったところだった。
「何とか間に合ったな」
ギターのメインは、まだ紀伊也だったが、秀也との歩調がピッタリ合っている。
まるで最初から二人でやっていたような、そんな気にさえさせる。
時々秀也を見ながら歌う司の笑顔も満足そうだった。
それに合わせ、ホールも一層沸いていた。
「すっげーな、初めてなのに、よく上手く合わせられたな」
感心して和矢は司にドリンクを勧めた。
「サンキュ」と言いながら首に掛けたタオルで汗を拭うと、グラスに口を付けたが、ふと和矢の申し訳なさそうな視線に気付き、苦笑した。
「さすがに鳥目じゃダメか?」
「ごめん、間に合わなかったんだ。頼むよ」
二人は黙って裏口から外の人気のない路地裏に出た。
「コウモリさんでも使うか?」
悪戯っぽく笑う司に、和矢も苦笑する。
仕方がない、今日の司には殺る気が全くないのだ。それに、指令は司には出ていない。
司が和矢の右手首のブレスレットを握り、気を送る。
その間にも和矢の鋭い目が妖しく光り、獲物を見つけ、今にも襲い掛からんとするばかりの吸血鬼のようだ。
遠いどこかの山奥の洞窟で、逃げ回っていた一人のテロリストが、数十匹の巨大な吸血コウモリに襲われた。
「ふう・・・、悪かったな」
一度閉じた目を開けると、司の肩を軽く叩いた。
ったく・・・
司も苦笑いを浮かべ、二人で戻りかけた時、扉が開いて秀也が顔を出した。
「あ、いたいた・・。 これからの事だけどさ」
司を見つけ、安心したように話し出す秀也に司も微笑み返すと、和矢は先に行くと合図して中へ戻って行った。
それと入れ替わりに、見知らぬ男が一人出て来ると、二人の前に立ち塞がった。
「光月司はお前かっ。俺の女に手ェ出しやがって・・・っ、許せねぇっ」
今にも襲いかかって来そうな勢いだったが、セリフがセリフなだけに、思わず二人は顔を見合せてキョトンとしてしまった。
「何、勘違いしてんだよ。お前の女なんてオレは知らねぇぞ」
呆れたような物言いに男は頭に来たのか、司の胸倉を掴み上げようとして、それを秀也に阻まれた。
「邪魔をするなっ、お前も仲間か!?」
秀也を蹴り飛ばした瞬間、男のその手にはナイフが握られていた。
二人の目の色が変わる。
男は司目掛けてナイフを振り回し、それを意図も簡単に避けていたが、背後から秀也が男を押さえようとした時に状況が変わった。
瞬間、男が反転して秀也に刺しかかったのだ。
「秀也っ、やめろっ」
「ヤローっ」
「うわっっ」
ガシュっ と切り裂かれる音がすると同時に、血しぶきが飛んだ。
一瞬、時間が止まったかのようだったが、男はハッとすると、そのまま狭い路地裏を走り去って行った。
「・・・っつぅ・・・」
左腕を押さえて思わずうずくまった。
「大丈夫かっ、司!?」
最初、自分が刺されたのかと思った。
体全体に強い衝撃を受け、壁に思い切り打ち付けられた。しかし、その衝撃も打っただけで、気が付くと目の前に、司が自分を抱きかかえるように、男との間に立ち塞がっていた。
「かすっただけだ、何ともない」
切り裂かれた袖から赤い血が滴り落ちている。
-相当切れてやがんな・・・っきしょー・・・。
顔をしかめながら男の走って行った方を睨んだ。
「ちょっと、待ってろっ。呼んで来るからっ」
少し青ざめた表情で急いで中へ入って行った秀也を見送ったが、すぐに男の後を刺すような冷酷な瞳で追った。
「ったく、ばかが・・・」
呟くと同時に、男は路上に飛び出して走って来た車に撥ね飛ばされた拍子に、持っていたナイフで、誤って自分の首を刺してしまった。
「刺されたって!?」
いち早く駆けつけた和矢が司の腕を取る。
「かなり切れてるじゃねぇか・・・どうした?」
-・・・らしくない。
止血しながらそれとなく司を見つめる。
司がこれ位の事で簡単にやられる筈がない。油断していたにしても、余りに軽率で無防備だ。
集って来たメンバーも心配そうに見守るが、秀也の説明に少々呆れた。
「女ぁ?」
「女が女に手ェ出して、どーすんだよ」
晃一が呆れた。
また、ファンの中の誰かが司に入れ込み過ぎたのだろう。よくある話だ。
「まったく、エライ迷惑だな」
「少しは女らしい格好でもしてみる?」
ナオと竜一が茶化す。
「ばか言え」
舌を出して拒否すると、和矢に付き添われ病院へ向かった。
「お前がやられるなんてなぁ・・・」
包帯を巻きながら雅が珍しそうに司を眺めた。
「だろ? 俺にも信じらんねぇよ」
隣で丸椅子に腰掛け、椅子を廻しながら和矢も首を傾げる。
「余程、油断したのか? ・・・まさかなぁ」
「でもないだろ。その後始末はしっかりやってるからタランチュラらしいだろ。 にしても、おっかしいよなぁ・・・」
珍しい事もあるもんだ、と雅と和矢は首を傾げたが、当の司はずっと黙ったままだった。
自分自身、何故切られたのかよく分からない。
そんなに油断していたのだろうか。
あの程度の者ならば、簡単にあしらえた筈だ。
かつてない失態だけに、情けなく苛立ちを覚えたが、自分自身にあの時殺気を感じなかった。
それが不安でもあり不思議だった。
さすがにその夜は病院で過ごしたが、翌日もライブだ。
昼前には病院を抜け出し、着替えに自宅に戻ったが、熱いシャワーが傷口に響く。
いくら雅の腕と自分の治癒力を合わせたところで、5針も縫う大ケガをすれば、一晩で完治させる事は不可能だった。
ライブもキャンセル出来ない。
大勢の客がチケットを買ってくれているのだ。その大半がジュリエットのライブを心待ちにしている者ばかりだった。
それに、来月末に行われるバンドフェスティバルに参加する為の練習にもなる。
秀也を加えての新体制なだけに、ライブの数をこなす事が先決だった。
「本当に大丈夫か?」
皆の心配をよそに、平気平気と左腕を振るうが、ズキッと痛みが走る。
マイクを持つ手も右手に変えた。
それで良かったのか悪かったのか、全て歌い終わる頃には、左腕が上がらなくなっていた。
日曜のライブはいつも一番最初にステージに立つ。
その後、すぐに静岡に戻らなければならないからだ。
そして、いつもように食事に行ったが、今日ばかりはさすがに東京の高校に通えば良かったと思っていた。
気分が悪く、このまますぐにでも家に帰りたかった。
「あ、そうだ司、この前言ってた本だけど、後で渡すからちょっと家に寄って」
殆んど食べ残した司に気になりながらも、秀也が言った。
東京駅に向かう前、秀也の自宅に寄った司は、時間までコーヒーを飲むと言うと、ベッドに腰掛けた。
秀也が湯を沸かしにキッチンに行き、戻って来ると、司はそのまま横になって眠ってしまっていた。
余程疲れたのだろうか、呼びかけてもピクリともせず、寝息を立てている。
揺り起こそうとして左肩に触れた時、昨夜司が自分を庇うように刺された事を思い出した。
自分を押した司の力は確かに強かったが、今触れたこの肩はとても細い肩をしている。
自分の手が異常に大きく見えるのか、そっと掴んだ腕も柔らかく細い。
間違いなく女の感触だった。
「そっか、司は女の子だったんだな」
思わず呟くと、毛布をそっと掛けた。
どれ程経ったのだろう。
ふと目を覚ますと、部屋の灯りが眩しくて一旦目を閉じたが、再びゆっくり開けると、見覚えがあるが、見慣れない部屋に居る事に気付き、体を起こそうとするが、どうにも体全体が鉛のように重く、その上気分も悪い。
ようやく右手をついて体を起こしたが、左腕が肩から動かず、まるで自分の腕ではないような違和感を覚える。
と、突然、吐き気を感じて、うっと呻いたとたん、熱い息が漏れた。
寒気も感じるが、額からは少し汗が滲んでいるようだ。
「気持ち悪ィ・・・」
再び体を倒した。
その声に気付いたのか、目の前でむくっと誰かが起き上がり、振り向くと秀也だった。
「司?」
「秀也・・・、気持ち悪い・・・」
素直に弱音を吐いていた。
今、何時で自分が何をしなければならないのかなんて、どうでもいい。
とにかく気分が悪く、どうにか介抱してもらいたかった。
「大丈夫か? ・・・、何だか顔色悪いな」
余りにも気分悪そうにしている司に、秀也の顔が曇る。
「ねぇ秀也、病院連れてって・・・。 紀伊也にボンのとこへ電話させて」
かすれるような声を出す司の目は、心なしか泪目になっている。
「ボン?」
「そう言えば分かるから」
それだけ言うのが精一杯だ。
はぁはぁ言いながら、体中を襲うだるさに必死で耐えていた。
紀伊也へ電話をした秀也は司の顔を覗きこむ。
「大丈夫? 歩ける?」
何とか体を起こして立ち上がろうとするが、力が入らずにそのまま秀也の腕の中へ倒れこんでしまった。
仕方なく一旦ベッドへ座らせると、背中へ負ぶった。
立ち上がって体制を整えた時、僅かに司の胸の膨らみを感じてドキッとした。
肩からだらりと下げた手は、今まで見た強靭な司からは想像もつかない程、白く細い手をしている。
「秀也、ごめん」
耳元にかかる熱い息と柔らかい髪を感じながら、「いいよ」と優しく応えると、部屋を後にした。
光生会病院に着くと、玄関先で白衣を着た若い医師が紀伊也と待っていた。
秀也に負ぶわれた司を二人は困惑したように出迎えたが、とにかく治療しなければならない。
雅は気を取り直して、秀也を案内した。
「破傷風になりかけてたよ」
「破傷風?」
紀伊也は少し困惑して、雅に視線を送る。
雅も同じように少し戸惑った。
「やっぱり・・・。あんなケガをした後で無理するからだ」
秀也は当然だというように言ったが、紀伊也は納得いかない顔をしている。
「司も普通の体だ、って事か」
点滴を調整しながら雅は呟いた。
「まったく・・っ、皆どうかしてるよ。いくら司が当り前のように男みたいにしてても、あいつは男じゃないんだからっ」
病院を出る時、秀也は思わず口にしていた。
思いも寄らない秀也の言葉に、紀伊也は戸惑って秀也を見つめたが、秀也の言葉が余りにも当然だった事に、内心苦笑してしまった。